あいつ、マジで死なねぇよ…(2)
私は目覚めた。
今まで何をしていたのだったか。寝起きの頭でまだ思考がぼんやりとしている。
確か、依頼をこなして依頼人を殺して、家へ帰って、そのまま寝たのであったか。昨日は徹夜だった。そのまま動き続けるのは体の動きを悪くする。それでいざというときにしっかりと動けずに詰んでしまったらとんだ笑いものである。だから睡眠はちゃんととるようにしているのだが。
時計を見る。時刻は十二時過ぎ。携帯の電源をつけるといくつか着信が残されている。相手は学校の連絡網で私の前にいた奴で、名前など覚えていない誰かさんからだった。
留守電が残されていたので再生する。
その内容は端的に気うと「学校で殺人事件が起きたので本日は休校にする」といった内容だった。もちろんこれは想定内である。むしろ自殺ならともかく、殺人が起きてすぐにそこで授業というのは気がふれていると言っても過言ではないだろう。精神状況等も考えるのであれば、知り合いが殺された後ですぐさま通常通りの業務に戻れというのも酷な話だ。生徒にとっても教師にとっても。
何はともあれ今日はお休みである。数時間寝たとはいえ、まだ寝足りない。そんな気がする。昨日までひたすら尾行に殺人などいろいろやらかしてきたからであろうか。疲れがたまっているのかもしれない。過去の私であればまだいけた気がする、というのは単なる驕りであろうか。高校生に戻った私は前世よりも若干柔な体をしている気がする。
腹も減ったので適当に冷蔵庫に買いためてあるレトルトカレーのパックを開いて簡単に遅めの朝飯とする。時間的に昼食も兼ねているので量はある程度多めだ。
今日するべきことは特にない。したいことも特にない。それに私は休みにわざわざ友達と待ち合わせなどして遊ぼうとするような人でもない。だいたい私の遊び相手というとしーちゃん、もしくはげんちゃんしかいないし、げんちゃんはともかくしーちゃんも遊ぶ人間でもないだろう。さらに言えばげんちゃんは現在寝込んでいるのだろう、音信不通だ。
そんなわけで、久しぶりに家でダラダラと過ごそうかな、なんて考えていた時だった。
カコン、と扉についている簡易ポストに何かが投函される音が聞こえた。
新聞等はとっていないが、全くなにかが投函されることがない、というほどでもない。たまにどこかのチラシが入れられたりするし、地区新聞が入れられたりもする。
だから、この投函自体は大して珍しいことでもなく、別に今は無視して後でとってもよかったのだが。
それはただの直感だった。理由など何もない。ただ、私の殺し屋としての直感が、それを今みるべきだと告げていた。
立ち上がるのが億劫だ。対して距離がある訳でもないが面倒くさい。それでも何とかやる気を振り絞り、ポストのところまで歩いていった。
中身を開いて、その中身を取り出す。
そこにあったものは――。
・・・・
少年と少女が再び相まみえるのに、そう長い時間はかからなかった。
別れてから、数日たったある日。
少年は幾度かあの時のことを思い出しながらも、相も変わらず盗人としての稼業、とても言うべきか、それを続けていた。そして今、再び商人たちに追われていた。ただしあの時とは違うことが一つ。少年の手にはしっかりとその日の食料、だけでなく、幾日かは過ごせそうなほどの大量の米、芋、肉等を抱え込んでいた。
これほど盗みがうまくいく日もそうはあるまい。この好機を逃す手などまずありえない。今日は何が何でも逃げ延びなければ。
あの日と同じく、人ごみの中を必死に駆け抜ける。
いくつか盗んだものが両腕から零れ落ちるが、それには目もくれず、残ったものを死守するために走る。
後ろからは怒号とともに、騒がしい足音が響いている。
当然のことながら相手の方が背は高く、力も強い。人ごみをかき分けて進むには少年の力はあまりに弱く、足も遅い。追手との距離はだんだんと近づいてくる。
このままではいずれ捕まる。そもそも盗みが見つかった時点で捕まることはほぼ確定していたと言ってもいいのだ。見つかればよほどの運がなければ逃げ切れない。その運は、少なくとも今の時点ではありそうもない。
このまま捕まってしまうのか。
少年は少し諦めかけ、その足の進みも少し遅くなってしまいそうになる時だった。
「こっち……!」
ぐんっと横から腕が引っ張られ、何がなんだかわからないまま、少年はその力に引きずられ、路地に連れられる。
一瞬、追手が思ったよりも早く追いついてしまったのだとも考えた。しかし、自分を連れた者の顔を、少年は別の意味で驚いた。
「君は……!?」
思わず声を上げそうになるが、目の前に人物がしっと口に人差し指を当てて、沈黙を守る。
じっと静かにその場で縮こまる。しばらく追手のものと思われる怒号と走る音が聞こえていたが、それが通り過ぎ、十分遠くに行ったように音が小さくなってから、目の前の人物――例の少女が口を開いた。
「久しぶりだね!君は出会う度にピンチに陥ってるね?」
どこか楽しげに声を出す彼女の姿は、やはりいつかのように、眩しく輝いて見えた。
うす暗い路地で、少年と少女が再び出会った。少年はそれをとてもうれしく思ったものの、同時にこれ以上少女を自分のようなものと関わらせるわけにはいかないとも感じた。
目の前では、少女が笑顔で首をかしげてこちらを見つめている。
「あ、ありがとう。助かったよ」
ひとまずお礼を述べる。彼女が助けてくれなければ少年は荷物を取り返されていたばかりか、またも死んでしまっていただろう。いくら不死であるからとはいえ、死ぬときは痛いものだ。できるだけ避けたい事項ではある。
「でも、こんな危険なことはもうしない方が……」
そんなことを続けようすると、
「?何が危険なことなの?」
少女はそんな風に返してきた。
「いや、普通追われている人を助けようとする?そんなことしたら君だって狙われるかもしれないじゃないか」
それとは他にもう一つ。こんな不死者と関わっているとみんなが知れば少女もただでは済まないだろう。
ただし、そんな心中は奥深くに隠して。
「だから、これ以上は……」
関わるな、そんなことを言おうとしたのに、
「君って、巷で有名な不死者なんだよね!?」
少女は、興奮気味にそんなことを言ってきた。
「は、あ、え?」
隠そうとしていたことがばれていた?少年が不死者であることを知っていた?それなのになぜ?こんな人外な正体不明の妖怪のような奴をなんで助けた?
少年の意味も解らず、ただただ正体がばれていた、その一点においてのみ頭が働いて、それで思わず。
「だったら!だったらなんだっていうんだ!それが分かってるならもう関わらないでくれ!」
感情のままにそんなことを言い放ってしまった。
言った直後にしまった、と少年は自らの手で口をふさいだものの、放った言葉は元には戻らず。
少女は突然の怒声に驚いた顔をしていたが、少年はその顔が次にどのような表情になるかを見たくなくて、
少年は路地に少女を置いたまま、振り返って走り去った。
「さよなら」
ただ、その言葉だけを残して。
間違ったことは言っていない。何も悪いことではない。むしろこれ以上少年と関わればきっと少女は不幸になる。だったらあれでよかったのだ。
少年は自己を何とか正当化しようと言い訳を心の中でつらつらと述べる。
あれでいい。最善の選択だ。
そのはずなのに。
なぜ、少年の心に重い蟠りが残り続けるのだろう。
なぜ、罪悪感がのしかかってくるのだろう。
首を振って、少年は前を向く。今はそんなことはどうでもいいのだ。食料が手に入った。それもたくさん。あんな些事など、何の意味も成さない。
とつとつと自分の足音が聞こえる。
周りは話し声や、店の客引きの喧騒が響いているが、それらは少年の耳には届かなかった。
ただ、どこか後悔しているかのような沈んだ足音だけが、少年の耳に届く。
これでいいのか。
いいんだ。
ではなぜ心が重いのか。
そんなのは知らない。ただの気のせいだ。
じゃあ、なんで後悔してるんだ。
後悔。
ふと少年は足を止めて、空を見上げた。
ぽつぽつ、と。
先ほどまで晴れていた空が、いつの間にか黒々とした厚い雲に覆われて、大きな雫がいくつもいくつも落下してきては地面で弾けていた。
さあさあ、と。
いつしか雫は雫ではなくなり、ただ水が体を叩く感覚だけが頭に入る。
「そっか、後悔してるのか……」
気づいた。気づいてしまった。いや、最初から気付いていた。目を背けていただけ。
じゃあ、何を後悔しているのか。少女に関わってしまったこと?少女に怒鳴ってしまったこと?謝らないでここまで走ってきてしまったこと?
違う。
ただ、楽しかった。
それを絶ったことに対する後悔。自ら彼女を拒絶してしまったことへの後悔。
気づけば、少年は再び走り出していた。
雨が降りしきる。
その中を一心不乱に。
目的地は元の場所。さっきまでいた暗い路地。
この雨の中、少女がまだそこにいるのかわからなかったが、それでも少年は信じて走るしかなかった。
だって、そこに彼女がいないということは、もう手遅れだということだろう?
・・・・
私は、今外にいる。
ポストに投函されていた物は手紙だった。その手紙が届いたから、私は外出していた。
別に走りはしていない。ただ、早歩きではある。間に合わなくなるとかではない。ただ、ある程度急がなければならなかったからだ。
空はいつも通りの青空で、日は少し傾いて、今が正午を過ぎてしばらくたっていることを示していた。
気温が最高温度に近いくらいの時刻で、ただでさえじりじりと照り付ける太陽に加えて熱気が私を包む。
汗が今着ている制服をじっとりと濡らす。その服装も手紙の指示だ。ただの戯言と切り捨てることもできたが、些細なことでも重要なことかもしれない。私はおとなしくその指示に従っていた。
暑い街中を、早歩きで進む。電車が使えたらいいのだが、今から行く場所は残念なことに電車は通っていない。バスも同様だし、タクシーは流石に金がかかりすぎる。尤も一番の理由は他にある。
ともかく、そんな感じだから、暑くても歩くしかなかったのだが。
「暑い……」
そんな言葉は抑えていても思わず出てきてしまうものだ。
前回熱中症になったことに反省して、ちゃんと水やらなにやらの対策は家から持ってきてはいるのだが、暑さそのものはどうしようもない。暑いものは暑いのだ。
最寄りのスーパーは通り抜けて、駅も素通りして、横目にショッピングモールが止まるが、それも無視。
ああ、あそこの中は涼しかろうに。
そんな思いもすげなく切り捨てて。
目的地は意外と遠い。それなりに余裕はない。途中まで交通機関を使えはするが、それを待つのは心が落ち着かない。あとなんだが自分に負けた気もする。
いや、まあ、ぶっちゃけるなら一番の理由はできるだけそれらの使用の記録を残したくないというものなのだが。
そんなことはさておき、私は無心に歩いていた。何か思えば暑いしか浮かんでこない。それなら何も思わない方が私としては楽だ。
懐かしの商店街に差し掛かり、それにも目をくれずに通り過ぎようとした時だった。
横目にとある影が映った。
「……あれ?げんちゃん?」
それはしばらく学校で顔を見せないげんちゃんだった。
しかし、その顔はいつもの明るい彼女の様子ではなく、なにか思いつめたような、そんな暗い影をその表情に落としていた。
「……」
彼女はこちらに気付いた様子はあるものの、無言でちらりと一瞥しただけで、すぐにさっさと歩き去ってしまった。
「あれ、もしかして人違いですかねー?」
あまりにいつもとの様子に違いがあったため、そんなことを考慮にも入れてみるが、表情を除けば確かにアレはげんちゃんの顔であった。
「うーん?」
じゃあ、逆に表情を見間違えただけかもしれない。こんな猛暑の中を歩き続けると、ちょっとの見間違いくらいするだろう。とりあえ水筒を取り出して水を飲む。うん、冷水が気持ちいい。
いや、もしかしたらげんちゃんも暑くて限界だったのかもしれないな。これだけ暑ければ気分も沈んであんな顔になるというものだ。しょうがないしょうがない。
自分の中でそう決着をつけると、手紙を開いて目的地を再確認すると、もう一度脚を動かし始めるのだった。