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何も悪くありません!(4)

「「腐敗」って知ってますかー?」

 伏した少女にそう声をかける。しかし、少女はすでに事切れているのか、何の反応も返ってこない。

「聞いてますかねー?」

 広がっていく血だまりの中、少女の脈を確認する。そこでやっと自分がやりすぎてしまったことを認識した。いや、正直すでに気付いていたことだけど。

「……死んで、ますかー」

 ここで容易く死ぬということは、きっと彼女は「腐敗」ではなかったのだろう。まあべつにどうでもいいことだ。ここまでやって、彼女が人に暴行するような人であることは誰が見ても明白だし。

 担任の“依頼”はこなした。これで文句も言われまい。あとは死体の処理だろうか。

 どうしよう。

 音楽室の床は木製の箇所もあるが、布が敷かれた部分も多く、血はそこまで飛び散っている。そこを隠蔽するには少々骨が折れるし、一度警備システムも作動させているのだ。一度もエンカウントとしていないということは、警備の人はもう来ないかもしれないが、これから来る可能性も考えなければならない。もしかしたら今夜は一晩中巡回、などということになっている可能性もあるし。

 そうなるとこの音楽室も、もちろん見られることになるだろう。そうなれば死骸が露見して面倒なことになる。学校のカメラには私の顔が映らないようにしていたし、その他の触れる箇所などもなんだかんだで気を付けている。なので、意外とその辺は大丈夫だと思うが、それでも捜査が本格的にされるのはできれば避けたい。

 証拠は思わぬところから出たりするものだ。一応殺人として捜査がされても大丈夫なように動いているが、そもそもそのような捜査が入らないようにするのが理想形だ。

「さて、どうしたものですかねー」

 そう独り言ちた時、私は確かに気を抜いていた。これまでの私ではあり得ないほどに。だから。

 後ろから、光が差した。

「……っ!」

 驚いて後ろを向く。振り向いた先にいたものは。

「……あ、え……?」

 唖然としている男子生徒がいた。今しがた、私が殺した少女といつも一緒に、というかいつも連行されていた卑屈な少年。その彼が、珍しくその煩い口を呆然と開けて、音楽室の扉が開いた先に立ちすくんでいた。

 なんで彼がここにいるのだろう。事前に彼女が呼んでいたのだろうか。それとも後からついて来ていたのだろうか。

「……え……?その、人……?」

 何にせよ、言い逃れはできまい。彼の持つ懐中電灯の光は、確かに少女の死骸を照らしている。

 ほんのわずかな時間、瞑目する。一秒にも満たない刹那。その間に覚悟を決めた。

「あー、えー、んー……すみませんねー?」

 とりあえず謝り。

 不運な目撃者を殺すべく、ナイフを手に私は駆けだした。


 少年も今の現実を認識したか。

 すぐに扉から離れ、下階に向けて駆け出した。

 お互いに無駄な言葉はない。私は少年を殺すことに、少年は私から生きて逃げ切ることに必死になっている。

 当然のことながら殺人において、目撃者がいることは流石に致命傷だ。

 ほかの証拠が全くなければ、ただの狂言妄言として、多少疑わし気に見られるだけで済むかもしれないが、証拠が全くない、というのはおそらくありえない。私では気づかなかった何かが、きっと残っているだろう。

 それでも断定できる証拠がなければ、「疑わしきは罰せず」の精神で無事になる可能性は高い。そうなる程度の証拠しか残っていないはずだ。

 だが、そこで目撃者がいると確実にアウトだ。よって、なんとしてでもあいつは秘密裏に、迅速に殺っておかなければならない。

 彼は二段、三段飛ばしで階段を駆け下りていく。こんな暗いところでそんなことしたら危なくないだろうか?逃げ切るどころか、途中で転げ落ちて怪我をする、という未来が見える気もしなくもない。まあ、それでもいいんだけど、私は。

 私はそんな必死に逃げる少年の後を追い、駆けおりている最中の階段の残りの八段くらいを一気に飛び降りる。

 トン、と。軽やかに着地し、すぐに次の階段を駆け下りる。

 当然と言えば当然だが、身長は彼の方が高い。もちろん足の長さも長い。対してこちらは、経験豊富とはいえ、割と平均めの身長である。運動神経もある程度高いと自負しているが、なかなか追いつくことは難しい。

 だが。

 最低限のロスで。獲物よりも最短で。

 恐怖は無駄な動きを大きくする。過度な緊張は本来のパフォーマンスを阻害する。自分より足が速くとも、結局は追う者と追われる者なのだ。相手は疲労し、こちらは悠々と追いかけることができる。

 気づけば彼との間の距離はすぐそばまで迫っていた。しかし、いつの間にか一階の、私たちが入ってきた窓もすぐそばである。

「……ねぇ」

 走りながら声をかける。

 少年はそれを無視し、割れた窓を、身体中傷つけながらも飛び出した。私はそれを落ち着いて開錠し、無傷で飛び出る。

 そして、そこまでだった。

 少年は飛び出した際に転び、窓を飛び越えた時だろうか、足を傷つけて地面でうめいていた。

「……ここまでですねー」

 少年は観念したのか、一度ふぅと息をつくと、体勢を直し、こちらをしかと睨み返した。

「……お前が……殺したのか?」

 いつもの卑屈な彼とは大違いだ。今はしゃんとして、ある種頼もしくすら見える。

「貴方はどうだと思いますかー?私が殺したと思いますかー?」

 一応尋ね返してみるものの、答えは分かり切っていることだろう。お互いに。

 あまり時間はない。さっさと“用事”を済ませてしまおうと少年に近づく。

 その時、少年は少しふらふらとしながらも、立ち上がった。だが、あの足では逃げることは不可能だろう。ならばなぜ立ち上がったのか。少し興味がわくとともに、何をするのかと警戒して立ち止まった。

 窮鼠猫を噛む。追い詰められた獲物は最後に何をしでかすかわからない。すでにあとは無いのだから、身を切ってでも一矢報おうとしてくる可能性がある。

 ナイフを片手に、一定の距離を保ちながら暗闇の中で対峙する。

「お前以外に……誰が殺せると……!」

「そうですねー。彼女は私が殺しましたよー。でも、しょうがないじゃないですかー」

「しょうがない……?」

 少年はこちらを睨みつけながらも、怪訝な顔をする。

「何が、しょうがないって……!」

「私はですねー?担任から依頼されたんですよー。あの子が貴方に暴行しているようなら、それを止めてほしいってね?で、彼女は貴方にやっていたかはわかりませんが、確かに誰かを傷つける人間でしたね。だから、依頼をこなしました」

「それでなんで殺す必要が……」

「だってそうですよねー?」

 少年の問いを途中で遮り、私は答える。


「死んでしまえば、誰かを傷つけることはなくなりますよねー」


 何もおかしくはない。そもそも私は殺し屋なのだから。殺しが仕事だ。私に依頼するということはそれ以外の何物でも無いのだ。恨むのならば私に依頼してきた奴を恨め。例え依頼人がそうと知らずとも。

「……狂ってる……!」

 狂ってる?それは違うだろう。

「狂ってるのは貴方たちと、その関係性ですよねー」

「なにを……」

「だって、人を平気で傷つけるような奴と、それに気付きつつも平気で見過ごして仲良くするなんて頭沸いているとしか言いようがありませんよねー。それに自己の評価をひたすらに下げ続ける、そんな人間社会においてあまり感心できないことをし続けるその神経が分かりません。貴方も、彼女も、この社会にあまりに不適合で、あまりに生きてるのが哀れで、それでもそれを更生しようとしないのならそれは単に狂っているとしか言いようがありません。社会で生きようとなんてしてないのに、どうして生き続ける必要があるのですかねー?」

 狂ってるのはお前たちだ。私は与えられた役割をこなしているだけ。それが狂っているように見えるのならば、おかしいのはお前らだろう。

「……っ!確かに、確かに俺はそうなのかもしれない。でも、あいつはな……!あいつは、そうじゃなかった……!」

 少年は何かを訴え始める。しかし、それに構っている暇は私にはない。少年に向かってじりじりと距離を詰める。

「こんなクソみたいな、誰からも認められずに、何も為せないような奴のことを、あいつはちゃんと認めてくれたんだよ……!あいつは次の日にはほとんどのこと忘れてたけど、それでも……!俺のことを「面白い奴」って……!ぶつぶつとつぶやく卑屈な俺のことを、しっかりと見ていてくれていた……!心に残していてくれていた……!」

 彼がひたすらに叫ぶ間にも、その距離は徐々に近づいている。彼もそれに気づいていないわけではない。その証拠に、少年の腕は拳を作っている。抵抗できる武器がないなりの、彼の精一杯の武器なのだろう。それでも、成長期もほとんど過ぎたような男子生徒の拳は、人を戦闘不能にすることも不可能ではあるまい。

「俺は、あいつが気分屋で、気に入らないことがあればすぐに殴ってくるような奴でも、それでもよかった……!あいつだけが俺を認めてくれた……!だから……!」

 もう、彼との距離は腕がギリギリ届く範囲にまで近づいている。

 あと半歩。

 そこからがお互いの殺傷範囲だろう。

「あいつは、あんたなんかに殺されるべき奴じゃなかったんだよ……!」

 その関係は歪んでいる。初めから何もかもが破綻している。殴られようが、自身を認めてくれるならばいい、なんていうのはどう考えてもおかしい。

 そんな関係を、彼女が死んだ今でもそれが間違いではないというなら。それを望んでいたというならば。

 足を半歩出す。


 私がそれを――殺して見せよう。


 少年も足を踏み出す。脚がかなり痛むのだろう。少しだけ顔が引きつる。

 彼が拳を振りかざし。

 私はさらに半歩前に出て、身をかがめ。

 私の顔めがけて振り下ろされた正義の拳は、私のことを素通りし。

「……やっぱり、あの噂は本当だったんですねー」

 ナイフを振り上げ、彼の首を斬り裂いた。何度もやったことのある動作。過去に幾人もにつけたその傷は、あの少女につけた傷の位置と同じ場所だった。


    ・・・・


 ああ、結局、何もできなかった。何も為せなかった。

 伽藍洞な俺は、そこに何も詰め込めないままに、終わってしまった。

――悔しい。

 そんな感情が、まだ己にはあったのか。

 目の前を真っ赤な花弁が飛び散っている。俺の首から舞い散る、赤い赤い、鮮やかなナニカ。

 守れなかった。仇すら討てなかった。

 自分が生きることすらも、できなかった。

 重たい瞼を、無理やり開いて薄目でその怨敵を見る。

 彼女はナイフを片手に、頭のすぐ横に立って俺の顔を見下ろしていた。

 その影は、人を殺した緊張感もなく、達成感もなく、ただ無情に佇み。

 その顔は、飛び散った鮮血で紅く濡れ。

 その眼は、最期を看取るべく、薄く開かれ。


 その口は――鬼のように、醜く歪んでいた。


     ・・・・


 さて、彼らを殺したところで、私の仕事が終わるわけではない。だが、その前に死骸処理だ。傷跡なんかのちょっとした偽装はすぐにできるが、死骸そのものはどうしたものか。放置するわけにもいくまい。

 外で殺した彼は、土をかぶせるなりなんなりしておけば、少しは誤魔化しが効くと思うが、上の方の少女はどうしようか。血液処理のための薬品などを持ってくる暇などないし。理科室とかにあったりするかな。そもそも開いてるか知らないけど。

 少し考えこむ。

 そこで、遠くの方に明かりが見えた。

 誰かはわからない。だが、今回は流石に気を抜かなかった。先ほどの二の轍は踏まない。

 一応目撃者は殺したのだ。ほかの証拠もその都度処理してある。残るは死骸だけだったのだが。

 死骸も運ぶ時間などない。そんなことをすればすぐに見つかる。明かりは真っ直ぐこちらに向かっているわけではないが、少しゆらゆらとしながらも、こちらに確実に近づいてきている。ここにたどり着くまで、そう長くはない。

 私は覚悟を決めた。死骸処理は諦める。

 英断だ。

 明らかに殺人であり、警察の捜査が入ることになるかもしれないが。そこは証拠が残っていないように祈るしかあるまい。ほかにできることはおそらくやった。

 もしも隙があれば、死骸を後程処理することにしよう。血液などはどうにもできなくとも、死骸がなくなるだけである程度情報が少なくなるはずだ。

 そう判断すると、私はすぐに身を隠した。

 警備員だろうか。しばらくすると男の悲鳴が聞こえた。死骸が見つかったのだろう。情けないものだ。死骸なんて意外とその辺に転がっているものであろうに。

 物陰からこっそり様子を窺うと、その場で警察を呼んでいるようだったので、私は諦めて警察が辿り着く前にさっさとずらかることにした。

 その前に、あるものを適当にそこらに放っておくことにする。いくつか置いている布石の一つだ。これで捜査の目がなるだけ逸れればいいのだが。


――数時間後。

 夜明けが近い。真夜中にたたき起こされた教師がいるかもしれないが、私の目当ての人物は幸いなことに今から出勤だ。

 私の依頼の最後のお仕事。それは――。


 朝の出勤ラッシュはとにかく人が多い。駅のホームはあふれんばかりの人だかりで、身動きすることすら難しい。周囲の様子すらも見えづらく、誰が何をしているのかさえ分からない。

 また、今私のいる位置は監視カメラからも見えづらく、そこからも何をしているのかわからないだろう。

 この位置に陣取っているのは、ただの偶然である。目当ての人物がいつもここの位置にやってくるというだけのことだ。

 そして、そいつは今目の前にいる。ちょうど、電車を待つ列の一番先頭。

 もう一度言おう。朝の通勤ラッシュのホームは、とても混んでいる。とてもとても、混んでいる。

 だから。

 誰かが思わず押してしまって。誰かが駅のホームから落ちても。ちょうどそこにタイミングよく電車が迫っていても。止まる暇もなく、その誰かがぐちゃぐちゃに潰れてしまっても。

 誰が押したのかなど、誰が殺したかなど、誰にも分らなかった。

 私の担任の先生が、目の前から一瞬で消え去る。

 周囲には血の匂いが立ち込め。電車には血がこびりつき。そこらにはひしゃげた肉片が飛んでおり。

 いくらかの人にトラウマを植え付けてしまったのは、少し申し訳なく思わなくもない。電車を数時間、いや、もしかしたらそれ以上遅延させるのも申し訳なく思う。

 でも、それだけだ。

 ほとんどの人は私には関係ない。一度も会うことはきっとないし、これから会うこともきっとない。すべてはどうでもいいことだ。誰が死のうと、誰がおびえようと、誰が悲しもうと。どうでもいいのだ。

 大事なことは一つだけ。

 先生の家には、遺書を置いてある。この数日で合いかぎを作り、この数時間で忍び込んで置いといた。

 そこには、この事件の「真相」が書いてある。筆跡も真似てある。その他の工作もしておいた。これで完全に丸く収まるとは思っていないが、少なくとも捜査の目がしばらくの間くらいは逸れるだろう。それでいい。

 だから、大事なことは一つだけなのだ。


――依頼人の命を奪うまでが、私の仕事だ。


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