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目指せ、引きこもり脱却!(6)

 はたと気が付くと、そこは一つの扉の前だった。

 何の変哲もない扉。

 だが私は、声に導かれてそれの前に立っていた。

――おいで。

 声ではない「声」がする。

 この扉の向こうに、なにかがある。ここを開けば、なにかが分かる。証拠はないが、なぜか確信だけがあった。

 扉を開く。

 警戒は維持しつつも、なぜか違和感は抱かぬまま。

 そして――。

「はろはろー、やっほ~。よくぞここまでたどり着いたねー?うんうん、褒めて遣わすぞー」

 そこは普通の部屋だった。勉強机が置かれていて、二段ベッドがあって、そこかしこには可愛らしいぬいぐるみなんかが飾られてあって。ほかにもクローゼットや衣服なんかがかけられていて。

 そこはどこまでも普通な、ただの「女の子の部屋」だった。

 そしてその中央。

 そこに置かれた無骨な事務椅子に鎮座していたのは、赤色の寝間着を来た普通の少女だった。髪は所々はねていて、いかにも寝起きっていうような感じだ。

「……貴女は誰ですかー?」

 よく状況が呑み込めず、とりあえず少女の素性を知ろうとする。

「えー?私~?私はね~?う~ん、そうだなー……」

 なぜか少女はここで難しげな顔をして考え込む。

「?」

 なにを悩む必要があるのだろうか。答えるのならばすぐに答えればいいし、答える気がないのならば答えなければいい。悩む必要などない。

 私がその様子を訝しんでいると、少女の顔が急にぱあっと明るくなった。

「うん!そうだ!私はね~?そう!魔王様だー!よくぞまいったなー勇者よ~」

「……」

 意味が分からない。

 だが、突然の「普通」の風景に驚いてしまい思考が停止してしまっていたが、落ち着いて考えればこの状況についてはすぐにわかった。

「貴女が引きこもりですかねー、魔王さん?」

「む、反応が薄いなー。せっかく魔王って名乗ったんだから、お前を倒しに来た!ぐらいのことは言ってよ~。あ、それとももしかしてRPGしたことない感じー?」

 肯定まではされなかったが、否定もされなかった。おそらく間違っちゃいない、ということだろう。

「はあ、別に私は貴女を倒しに来たわけでもないのでー」

「じゃあ、何の用かな~」

 ニコニコとしながら少女は尋ねる。だがその言葉はとても白々しく聞こえる。

「私の用事は一つだけですよー。貴女が外に出るようになってくれないかなーと思いまして。というよりかは単にいんちょーに頼まれただけなんですけどねー?」

「ふんふん、まあいつも通りって感じかな、理由は~」

「私としましては、別に無理に出てくれなくともいいんですが、ある程度は頑張らないといけませんのでねー。といっても貴女が否定なりなんなりの答えを返すだけで、私はすぐにでも出て行きますがー」

 とりあえず出会ってある程度の説得はしたわけだし、これでいんちょーも文句は言うまい。あとは彼女が何かしらの答えを返してくれさえすればいい。

「ふーん、そうだね~。ま、そんなことはさておきだよー?」

 そう、思っていたのだが。

「君はここに来るまでに何を見たかい?非常識な常識?世界の歪み?異常な狂い?それとも別の何かかなー?」

 少女は私に意図の分からない問いを投げかけてきた。

「ここに来るまでに、ですかー?そうですねー……」

 意味は分からないが、ひとまず答えることにする。

「この世界で見てきたこと、ですかー。うーん、私が見たのは気持ちの悪いただの肉人形ぐらいですかねー?他に何かありましたっけー?」

 冗談交じりに返す。

「ハッハッハー、そうだね~。ここにはそう大したものは置いてないからねー。といっても、あの肉人形も大事な大事な物資のひとつではあるけどね~。とまあ冗談は置いておいて」

 ここで少女は一泊置いた。

「ここで少し昔話でもしようかな~。

 ある所に一人の子供がいたんだよ。その子供はどこまでも恵まれていてね~。両親も健在で、些細な喧嘩なんかはあったものの家族間の仲もよく、それはそれは幸せな家庭だった。でもね、その子供は普通じゃなかった。幸いというかなんというか、誰もそのことに気づいてはいなかったけどねー。その子供はね~、「神さま」だったんだよ。なんでも叶う。なんでも叶える。そんなまさしく文字通り「神童」だった。

 初めは誰も気づかなかった。きっと最後まで誰も気づかなかった。でもね~。気づかずとも、やってしまうことはあるんだよー。さて、いったい誰が、何をやってしまったと思う?」

「……さあ?今の曖昧過ぎる昔話では何をしたかなんてのは存じ上げませんかねー?でもその子供はなんでも叶えることができたんですよねー?だったら、とんでもない願いを叶えてしまった、とかじゃないんですかー?」

 その話で出てくる「子供」がおそらくこの少女のことを話しているのだろう、ということは容易に予測がついた。だからこれは、きっと彼女がここに閉じこもるまでの話なのだろう。そこに何の意味もない、なんていうことはきっとない。だから素直に聞いておくことにする。

「そうそうー。子供はとんでもないことを叶えた。その答えは間違ってはいないよ~。では問題は何を叶えてしまったか、だよねー。その子供は別に、初めて叶える願い事がそのとんでもない願い、というわけでもなかった。幾度も幾度もいくつもの願いをかなえてきた。でもね、それまで叶えてきたのはとても些細なもの。せいぜいが綺麗になりたい、だとかで、悪くても明日のテストが休みになりますように、なんていう可愛いものばかりだった。

 だからね、その願いはある意味で転換点だった。

 その子供が叶えた願いってのはね~、――両親を殺して、生き返らせることだよ~」

 少女は、何でもないことかのように、あたかもそれが当たり前であるかのように、それを言った。

「両親を殺して生き返らせる……?」

 もちろんそれは可能だろう。彼女の「願いを叶える」という能力は、きっとそれを可能にする。しかし、だ。

「殺してしまうのは別にいい。でも、なんでわざわざ生き返らせたんですかー?」

 そこが謎過ぎる。殺した者を生き返らせるのであれば、そもそも殺さなければいい。それだけの話なのに、なぜ無駄なワンステップを踏む必要があるのか。

「ふっふっふー、君はやっぱりそんな思考にたどり着くか~。予想通りといえば予想通りだね~。でもつまらない答えよりかはずっといい」

「御託はいいですよー」

「そうだねー。では話そうか~。

 といっても答えはとても簡単なことだよ~。ただ単純に、理想の両親が欲しかった。ただそれだけ。その家族はね、確かに幸せだったけれどねー、もちろん問題もあった。それは別に虐待とかそういったものでも無くて、人間であるならば誰もが持っているちょっとした欠陥。それを当然ながら、その家族も持っていた。そこの親たちも。そしてその子供にも。

 君も一度くらいは考えたことはあるんじゃないのか?自分の両親が別の人であれば良かったって。そこまではなくとも、ここを直してほしい、とかくらいならばあるだろう?つまりはそういうことなんだよー。

 その子供は、単に両親を自分の理想にしようとした。

 確かにその子供は願いを叶えることができた。でも、「理想の両親」っていうアバウトな願いを叶えるのはなかなか難しい。何がその子供の理想なのか。それを事細かに認識するのは難しいし、それをそのまま両親に投影するのも難しい。それをした時点ですでに子供はその両親に違和感を覚えてしまう。子供自身は叶った願いを前後で比較できてしまうからね。

 だから、その子供はねー。

 いったんもう殺してしまって、「両親は死んだ」そう自分に認識させて、新たな親を自分で造ろうとしたんだよ」

 訳が分からない。

「でも、理想の親を造るとしても、殺した後に生き返らせたんですよねー?それはなぜですかー?」

「ああ、それはだね。親を殺す=親が死んだ=親がいない、という構図がこれで出来上がったわけだ。ここから、さあ、自分の両親を造ろう、としたときだよ~。その子供はねー、親というものを自分の両親しか知らなかったんだよー。それは当然だ。他人の親なんて実際大して親しくもないし、その子供にとっての「親」というものは、その死んだ彼らしかいない。だからここで問題が生じてしまった。

 理想の親を造ろうにも、親を彼らしか知らない。結局造ろうとしても出来上がるのは元の両親と大差ない。だからそのまま生き返らせることにしたんだよー」

「はあ、そうですかー」

 長らく話されたが、それにはあまり興味がない。何か意味があるのかと思って聞いてみたが、ただの自分語りだった。

「では、自分はこれでー……」

「おっとちょっと待ってくださいな~」

 私が早々と帰ろうとすると彼女が引き留める、と同時に縛られたかのように身体が勝手に止まった。少女の方を見ると、その眼がじんわりと赤く輝いている。

「ここでもう一つ問題だ。人をただ生き返らせるのもなかなか難しくてだねー。出来上がるのはただのヒトガタの肉塊ばかり。この意味が君にはわかるかい?」

 その言葉を聞いたとき、私の脳裏には先程の肉人形の姿がよみがえる。

「……もしかして……?」

「そうだよー。あの肉人形は人を生き返らせようとした痕跡。アレはただの失敗作。でもね、あんなに作ったのに、両親の蘇生はうまくいかなかったんだ。……私の家にいたお母さん。君はアレの様子に違和感を覚えなかったかい?」

「……」

 確かに普通ではなかった。あの母親はまともな認識をしているような感じではなかった。もしかしてあれは――。

「アレはただのカタチだけうまくいった人形だよー」

 それを平然と言ってのける彼女は、肉親すらもなんとも思わない彼女は、すでに狂っているのだろう。歪んでいるのだろう。この世界と同じように。

 だがそれは、ある意味同情できるところなのかもしれない。唯の理想を、理想で終わるはずだった願いを、叶える力があってしまった。ソレを実行できてしまった。

 でも――。

「さて、ところでここで質問。


 君は、何でまだここにいるのかな~?」


 少女の顔が、その口が横に裂けた。

「……ッ!」

 突然、いくつもの人形が私の周りの地面から生え始める。

「これは……ッ!」

 失念していた。

 ここはすでに敵地なのだ。油断していい場所なわけがないだろう。

 急いで懐に手を伸ばし、ナイフを取り出す。だがこの冷たい金属の道具では人形を屠ることはできない。時間稼ぎにすらならない。

「クソ……ッ!!」

 状況は最悪だ。人形に周りを囲まれて、逃げ場はない。

 ここで少女が再び話し始めた。

「君はいつでもここから出て行くことができた。君はそこまでやる気もなかったようだし、すぐに出て行く方がよかったはずだ。それどころかここに来ることを断っても良かったはずだ。それなのに君はそれをしなかった。

 そしてもう一つ。君は不死者を知っている。アレが元凶の女とつながっていることを確信している。なのに。

 ……なんで委員長が彼女らと関係があるだなんて、微塵も思わなかったんだい?」

 ああ、うるさいな。

 私の思考がクリアになってくる。今まで霧がかっていたような脳内が晴れてくる。

 全てが、わかってきた。

「それらをしたのは全て私だよ。私が君の思考を誘導して、君がここまでくるようにした。君が初めてこの場所に来た時から。そう、ここに転生して来た時からね~?」

 冴えてきた頭で考える。今すべきことは、私の責務は――。

「さあ、ここまでくれば分かるだろ~?今ならそれに気づけるだろう~?私が元凶で私が原因だ。そして、はじめも言ったように、私は魔王で、君が勇者だ。そう、つまり私は君の――」

 そうだ。お前は私の――。


――まごうことなき敵だ。


 周りは人形で囲まれている。

 だがそれはどうでもいい。いま私の倒すべき敵はその向こうで椅子に座っている。悠々と私の行動を眺めている。

「ーーッ!!」

 素早く目を走らせる。

 ざっと見たところ逃げ場はない。無理に逃げようとしても、人形にあっさりと捕まってしまって、挽き殺されるのがオチだろう。

――それがどうした。

 私は殺し屋だ。殺しを生業とし、同時に殺されることもとうに覚悟を決めている。

 ナイフを構えて、じっくりと観察する。

 人形たちは、先程までとは大きく異なり、ゆっくりと近づいてきている。あたかも逃げ場などないことを知っているかのように。まるで私を嬲り殺すように。

 いや、実際そうなのだろう。その証拠に、少女は椅子に座りながらにんまりとこちらを見ている。

――見ていろ。

 確かに一見逃げ場はない。普通であれば。だが私にも厳しい道を生き抜いた自負がある。この程度の修羅場、潜り抜けないでどうするか。

 ぐちゃりごちゃぶちゃぐちょごりゃごぐちょごりぐりぐりゃごぎぎぐちゃぐりょごりごりぎぎぐちりょごりごりゃぎぎぐりゃぐちょごりぐりぐょごりごり――。

 肉のつぶれる音が徐々に徐々に近づいてくる。

 前後左右どころか、上も抑えられている。

 万事休す?

 いやそんなことはない。むしろもっと近づけ。もっと寄ってこい。ここさえ潜り抜ければあとは簡単だ。

 人形との距離が一定を越したとき。

 私の口から笑みがこぼれた。


「爆ぜろ」


 少女の目から見えないように。人形の陰にうまく隠れて、手製爆弾を転がす。一つだけじゃなくていくつも。

 ここまでの至近距離で爆発させると、こちらの身も危ない。だが。

――自分の身体がどうなろうが知ったことか。

 今必要なことはここをうまく突破することと、敵を殺すことだけだ。それ以外はどうでもいい。

 爆弾内での圧力が急激に上昇し、表面を圧迫し、そして内包されたエネルギーが一気に解放される。

 爆音が重なり合って鳴り響く。

 身を低くし、もうもうと立ち込める煙の中を走り抜ける。

 体中が爆風にあおられ、高温に焼かれ、傷だらけになる。だが生きている。まだ動ける。ならいける。

 目の前は煙で白く、ほとんど見えていない。だが配置なら先ほど確認し、記憶している。

「……フッ!!」

 息を小さく吐き、ナイフを振りかざし。

「――!」

 本能で感じた。

 何かある。

 だが、すでに振り下ろしていたナイフを止めることは叶わず。

 目の前に突然生まれた人形にナイフを突き立てた。


 急いで後ろに飛びのく。

「チッ……!」

 ナイフは人形に突き刺さり、そのまま取り込まれてしまった。

「危険なことするねー。でもだーめー。それでやれるほど甘っちょろくないよ~。まだまだあるから頑張ってくれ~」

 煙が収まっていき、その中に平然な顔をしている少女が座っていた。

 その周囲にはさらに人形が生まれ、少女を守るように立ち上がっている。

 私を囲んでいた人形たちは吹き飛びはしたものの、まだ動けるようだ。しかしそこはまだ予想の範疇内である。

 少なくともあの包囲網から抜け出ることはできた。だが、私の持ってきたナイフはすでに使い切った。爆弾ももうない。すでに私は丸腰に近い。

 さて、どうするか。

「どうする~?武器もないね~?」

「そもそもなんで貴女は、その人形しか使わないんですかねー?全能の貴女ならほかにいくらでもできるでしょうに」

 そう言いつつ、私はこっそりとまわりこむ。ゆっくりと。自然な速度で。気づかれないように。

「う~ん?これはねー。唯のハンデだよ~?例えば私が君に死ね、と願ったら君は死ぬからねー。それじゃつまらない気がしない~?ただそれだけの理由だよー」

 どこかで聞いたことがあるような答えが返ってきた。だがそれをどこで聞いたかはよく思い出せない。いや、今はそんなことはどうでもいい。

「それが貴女の敗因ですかねー」

 何気なくしゃべりつつ、想定していた配置につく。

 さてもう一度だ。

 まだチャンスはある。殺る機会はまだ失ってはいない。

 彼女は全能ではあるかもしれない。だが、完全な全能ではない。それはきっと彼女自身が選択した在り方なのだろうが。

 それでも。

 それならば。

 私は彼女を殺して見せる。

 無手のままで構えを取る。進行方向には幾人もの人形たち。そしてその先には彼女がいる。

――行くぞ。

 私はその死地に自ら飛び込んだ。


 人形の腕の届くレンジに入る直前に、私は少し後ろに飛ぶ。人形が伸ばした手を回避。その動きは意外と機敏で、そのまま入っていれば危なかっただろう。

 だがそこで止まるのは頂けない。そこで止まってしまうのはただ問題を先送りにしているだけだ。

 身を低くかがめ、まるで地を這うかのごとく再び駆ける。だがそのまままっすぐ行っても意味はあるまい。きっとそれでは捕まるだけだ。

 なので、そのまままっすぐ突っ込む代わりに、私はその集団の周りで円を描くように動いて、その集団の様子を観察する。

 その人形の集団は密集していて、付け入る隙を見つけることは難しそうだ。だが、きっと不可能ではない。

 私ならできる。

 覚悟を決めると、サイドステップを踏みながら人形たちの中についに踏み込んだ。

 四方から人形たちの手が伸びる。

 避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける――。

「よく避けるね~?でもどこまでいけるかなー。楽しみだな~?君が最後まで来れるのか、それとも途中で死んでしまうのか、ねー。さあさあ、頑張って~」

 少女が私の様子を見て、挑発めいた言葉を放つ。

 だけどもそれを聞く余裕は私にはなく。

 ごりぐりぐりゃごぎぎぐちゃぐぐちょごりゃごりぬちゅごちゃぶちゃちゅぶちゃ――。

 周囲からは終わりなく肉の音が鳴り響いていた。

「……シッ!」

 ギリギリの回避をひたすらに続ける。

 右に左に、前に後ろに、しゃがんで跳んで。伸びてくる手には終わりが見えない。それでもそれを見続け、避け続ける。

 集中。

 集中しなければ、死という確実な未来がすぐに訪れる。

 止まるな、動き続けろ。考えるより先に動け。

 避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける、避ける――。


――しかし。

 それもいつかは終わりを迎える。

 それは私が捕捉されるという最悪の結末によって。

「ぐッ……!!」

 伸びてきた手は避けたものの、服の裾をつかまれてしまった。ぐいっと布地を引っ張られ、遂に人形に捕まってしまう。

「あ~ららー?捕まっちゃったねー。でもはい、これでおしまい。ここまでたどり着けなかった、と。残念だなー、ちょっとは期待してたのに。コレも失敗か~」

 少女に接近することはついに叶わなかった。

 ぐごりぐりぐごぎぐちょぐりぐりゃごぎぎごりぎぐちゃりごちゅりねちょぬちゃ――。

 肉の音が近くなる。

 少しずつ、少しずつ。だが確実に私の体は歪み。左腕の方から人形の体に触れて。徐々に徐々に取り込まれ。

 ごぎりぐちゃべちゃごぎゅぐちゃくちぇごぎぐぐぶちゃぬちゃぶちがぎごちゅぐちょごりぐりぐりゃごぎぎぐ――。

 爪は剥げ、骨が砕け、肉が削げ、潰れ、挽かれ。紅い紅い、その中身が剥き出しになって。でもそれを見る余裕なんて私にはなくて。

 ああ、痛い。痛い。いたい。いたい。イタイ。イタイ。

 イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ。

 これは、拷問だ。

 死という結末までの短くて、長い長い、苦痛の時間。

 これ程の痛みを感じたことなんてなくて。

「ーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!!!」

 声にならない苦痛を叫ぶ。

 まだ喰われたのは腕一本程度。だけど痛みは全身に走る。

 私の視界は真っ赤に染まっていて。もう何も見えなくて。頭の中はひたすらに「イタイ」だけで満たされていて。それ以外の何物もわからなくて。

 その中で唯一つ。唯一つ感じたものがあった。


――殺すべき、敵はどこ?


 右手に、冷たい無機質な感触が走る。

 「イタイ」で満たされた頭の中で、ひたすらに熱い感覚の中で、それだけは妙にはっきりとしていて。

 私の思考はすでに働いていない。何も考えられていない。全ては無意識下の行動で。

 でも自然な動作でその冷たい物体をつかみ、その黒くて、鈍い輝きを持つ金属製の道具を、ただ手の感触だけで操って。そして、それをつかんだまま手を伸ばして。

 目の前には、密集した人形たち。でもその隙間に一筋の道があった。

 そして、


――パンッ!!


 乾いた音が鳴り響いた。


     ・・・・


 気づけば、人形はいなくなっていて、目の前には頭が半分吹き飛んでいる少女が横たわっていた。地面にはおびただしい量の赤い血と、脳漿がぶちまけられていて。

「……何が……?」

 おぼろげに覚えている記憶には、私の腕が潰される光景と、その痛みだけが強烈に刻み込まれていて。でもその左腕は潰れてはいるものの、もうなぜか痛みは感じない。

 なにか、最後辺りには無意識のうちに何かしていたような……。

「やあやあ~、やるじゃんねー。いいよー、ソレ~」

 明らかに死んでいる少女の身体から、突然声が聞こえた。

「何ですかー?」

 ふー君で慣らされていたためか、思ったよりも驚きは少なかった。

「貴女も不死者なんですかねー?」

「いやー?違うよ~?私は不死じゃないよ~?ま、なろうと思えばなれはするけどねー。でもそれを私は選ばなかった。ただそれだけのこと~」

「はあ」

 頭の吹き飛んだ死体がしゃべる光景は、どう見ても気色の悪いものだったが、結局それが死体と遜色ないのであれば恐れる必要はない。私は普通と変わらずに話す。

「そんなことはさておきだねー。私は君に話すことがあってわざわざこんな醜態をさらしているのだよ~」

「そうですかー」

「ねえ、殺し屋さん?」

 ほぼほぼ確実なことだったが、やはり私が殺し屋であることは知られているようだ。

「なんですかー?」

「君は一回死んで、ここに来たのだよねー?ひとつ聞きたいのだけど、死後の世界ってあった?」

 今際の言葉、だろうか。

「さあ、分かりません。私はただ眠っていたような感触でしたのでー」

 その答えを聞いて、彼女が乾いた笑い声を漏らす。

「まあ、それを聞きたかったわけではないのだけどね~?じゃあ本題。君は、誰が君をここに連れてきたと思うのかい?」

 それが分かれば、苦労はしない。

 私が首を振ると、彼女は少しだけ、機嫌が悪くなったように見えた。

「ここまできたら知っていてほしかったのだけどねー。じゃあ、これだけは伝えといてあげるよ~。「彼女」は同じクラスにいるよ~。私たちと同じクラス。そしてもう一つ」

「まだあるんですかー」

 思いのほか長い遺言に、少し顔をしかめる。

「あと少しだから、ちょっとくらい我慢してくれよー。それでね、君はこれまで何人かの、いくつかの非常識な事象に遭遇していると思うんだよ~。私たちのクラスにはね、そういう「異常」が集積している。ま、私がそうなるようにしたんだけどねー?」

「つまり、私たちのクラスは普通ではないとー?」

 私なりにかみ砕いて要約してみる。

「有体に言えばそうだねー。それで、その中でも私みたいな「異能」レベルのがね~、他に三人いるんだよ~」

「例えばふー君のような人がいるっていうことですかー?」

 それには少し驚いた。

 異能を持った者がなぜここまで、このクラスに集まっているのか。いや、話を聞く限り、それは彼女が仕組んだことなのだろう。それでも、そのような人がそこまでいることは意外だった。

「ああ、そうだった。君は「不死」には出会っているんだったね~。このクラスには「全能」の私、あとは「不死」、「従順」、そして「腐敗」の人がいるんだよー。それで、ここからが重要」

 彼女はこれから言うことを強調するためか、ここで一拍置いた。

「君をここに呼ぶようにしたのは、この中でも「腐敗」の人。仮に君が元凶を特定したいのなら、「腐敗」を探してみてね~」

 特段それを特定したいわけでもなかったが、私はそれを頭の片隅に置いとくことにする。

「それで、遺言はそんなものですかー?」

「ああー、それならあと一つ~」

 まだあるのか。

「このままでも私は死ぬ。でもね~、君のソレで、私の頭をもう一度打ち抜いてくれないかなー?」

「……」

 それは介錯しろ、ということなのだろうか。

「高く、つきますよー」

 私がそう言うと、

「ああ、お代は私の命で~」

 彼女はそう返してきた。

――そうか、だというならば。

 私は落ちていた拳銃を拾い、狙いを彼女の頭に定める。

「……では、ご利用ありがとうございました」

 そう呟いて――、


――パンッ!


 一切の躊躇もなく、引き金を引いた。

 ほとんど吹き飛んでしまった彼女の顔には、ほのかな笑みがかすかに見える。

 そして。


 未だ余韻鳴りやまぬ銃声の中で、ある一言だけが聞こえた気がした。


――ありがとう。

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