事故は忘れたときに起こるものです(2)
電車で幾分か。
「とうちゃーく!着いたよー!」
げんちゃんは機嫌よく電車から降りる。
ここから病院まではそう遠くない。歩いて数分といったところだ。
「ほらほらはやくー!」
げんちゃんのテンションは病院に近づくにつれて上がっているようだ。だがそれは不安の裏返しなのだろう。相手は少しでも喜んでくれるだろうか。拒絶されたらどうしようか。
内心ではそんな不安が渦巻いているに違いない。
気休めに何を言っても大して意味は無いだろう。こういうことは実際に直面してみないとわからない。
「はいはい、ちょっと待ってくださいなー」
だから私は、そんなげんちゃんの姿を見守ることにした。
受付で病室を聞いて、そこへ向かう。
横開きのドアの前に立ち、名前を確認する。
その扉を開ける。
そこに件のけが人がいた。
部屋の病床は四つ。だがそのほとんどに人は埋まっていない。その一番奥にただ一人、彼はいた。
「お見舞いに来たよー!」
「……病院では静かにしないと……」
元気よく声を上げるげんちゃんをしーちゃんが注意する。
うん、確かにこんなところで大声を上げるのはナンセンスだ。ナイス、しーちゃん。今日はしーちゃんが輝いて見えるな。
彼のケガは足首の骨折で、手術が必要なレベルらしい。ギプスの巻かれたその足は若干痛々しい。
だが、その前に気になることが一つ。
「あ、どうもです~。あなたたちもお見舞いですよね?」
先客が一名、高校生くらいの男子がいた。
「あ!あれー?君もお見舞いに来たの?」
どうやらげんちゃんの知り合いだったようだ。
「……いや、彼もクラスメイトですよ……?」
誰かわかっていないような私の顔を見かねてか、しーちゃんが説明する。
そうだったのか。そういわれると見覚えがあるような、無いような、やっぱりあるようなそんな気がしなくもない。でも名前は全く思い出せない。今更ながらに、私は人の名前を全く覚える気がないなと実感する。
まあ聞いても覚えないし、どうでもいいか。今はお見舞いに来たのだ。
「それで、調子はどうですかー?」
「……あんたら、何しに来た?」
おお、なんという不満げな態度。でも足を固定された状態でそのようなことを言っても、道化にしか見えない。
「お見舞いに来たんだよ!はいこれ!」
そう言ってげんちゃんは見舞いの品を差し出す。中身は近くで買ったお菓子だ。
「誰も頼んでない」
まあ確かに。ほとんどアポなしできたし。これはただの自己満足にすぎないだろう。
だが、私は目の前の彼を見た時、ただの自己満足だけで終わらないことが分かった。
「さっさと帰れよ。ただの骨折だ。見舞いに来るほどではないだろ」
その眼には若干の怯えが見え隠れした。
いったい何に対する怯えか。それは私たちに対するものなのか。それとも別の何か?それではなんだというのか。
「あ、自分はもう帰りますね~?ではお大事に~」
「……おお、じゃあな」
そうこうしているうちに、お見舞いに来ていた男子生徒は帰っていった。
「ほら、あいつも帰ったぞ。お前らも……」
「まあまあ、いいじゃないですかー。せっかく女子三人も来たんですよー?この状況をもっと楽しみましょうよー」
まあ普通は患者にストレスを掛けるものではないだろう。だが何より、彼が何をおびえているのか。それが気になる。
場合によっては、ね。
だが、
「うーん、そうだなー。確かにもう帰った方がいいのかなー?」
「……そうね……。負担になるなら控えた方がいいですし……」
おっと、大変だ。二人はもう帰ろうか、みたいな雰囲気を醸し出し始めている。
「せっかくなんで、ちょっとお話していきましょうよー」
そうして、にこやかに彼に話しかける。
「あなたの名前はなんていうんですかー?」
「……いや、それはただの失礼でしょ。クラスメイトの名前を覚えてないとか……」
まあ、覚えていないのはしょうがない。
「なんだよ。ネームプレート見ればわかるだろ。さっさと見て帰れよ」
にべもない。確かにその通りだが。
「俺の名前は……」
「あー、まあいいです。どうせ覚えないですし。適当にじー君とでも呼ばせていただきますねー。事故ったじー君」
「……あなたのそのあだ名、そんな雰囲気で決めてたんですか……」
おお、しーちゃんに明かされる衝撃の事実。でもしーちゃんの由来は教えてあげないよ。
「何だよそれ。なんかゴキブリみたいなあだ名だな」
この名前は不評だったようだ。でもそんなことは気にしない。
「ではじー君。退院っていつぐらいになりそうなんですかー?」
「知らん」
この人、会話を続ける気がないな。まあいい。
「退院祝いになんか持ってきますかー?ケーキとかお花とかー」
「いらん」
お、韻を踏んできた。詩人だな。
「……なんか失礼なこと考えてない……?」
「多分考えてるよねー!」
後ろから失礼な声が聞こえてくる。なんだ彼女らは。私が誰かと話しているときはいつも変なことばっか考えていると思っているのか。確かに考えてるけども。
「えー。じゃあ何がいいんですかー?」
「だからいらないと言ってるだろ」
ふーむ、なるほど。何もわからない。
だが、じー君は私たちを遠ざけようとしているように思われる。さらにさっき垣間見たおびえた眼。何か一物抱えているようだ。
「しょうがないですねー。今日は帰りますよー」
これ以上刺激してもあれなので、今日は引き上げることにする。
「はい、今日はおしまいです。帰りましょー」
「……やっとですか……」
「うーん、そうだね!」
そして、私たちは帰ることにした。
「またねー!」
「また今度来ますねー」
「もう来んな」
非常に不愛想ではあるが、別れの言葉を交わして病室を後にした。
彼が抱えている物は何なのか。目の前で事故が起こって、それが知り合いであったら。彼が抱えている物はその恐怖なのだろうか。
「うーん、あんまりな成果だったねー」
まあげんちゃんからしてみれば、あまりうれしく思われなかったということはこのお見舞いの意義がなくなってしまうということだろう。それはとても悲しいかもしれない。
「……それでも彼、少し嬉しそうだったよ……?」
「そうかなー?」
しーちゃんの言葉に、げんちゃんが首をかしげる。
「……うん。あの人、わたしたちが帰るとき、少し寂しそうな顔してたよ……?」
そんな顔をしてただろうか。最後まで観察していたが、そのようなことはわからなかった。終始不愛想だった覚えしかないのだが。
「そっか!それならよかった!うん!」
げんちゃんも元気を取り戻す。
まあいいか。それで彼女がいいのならば。
「雨、なかなか止まないねー!」
「……梅雨だしね……」
彼女らが話し始めるとともに、私は再び思考の海に沈む。
なにをおびえることがあるのか。知らない人でもあるまい。怖がることなどないと思うのだが。
それでも彼が、前の見舞客である男子生徒と話していた時は割と普通のように思えた。平気で返事してたし、特に顔色が変わることもなかった。
それでは彼がおびえていたこととは。勘違い?いや、それは考えにくい。あれが見間違いだったとは思えない。
男子生徒と私たちでなにかが違うからだろうか。例えば性別、人数、あとは見舞いの品とかだろうか。考えられるものはいくつもあるが、結局のところはわからない。
これ以上は考えても無駄だろう。
思考を切り上げて、周りに注意を戻す。
それは、いつからだったのだろうか。
前方をしーちゃんとげんちゃんは仲良さげに歩いている。
その少し離れたところ、雨の中で軽自動車が暴走していた。
雨でブレーキがなかなか効かないのだろうか。それにしてもスピードの出しすぎだろう。
離れたところといっても、大して離れてはいない。私はいくらか後ろにいたためにそれに気づいたが、二人はまだ気づいていないようだ。
どうする。
いくらかの死線を潜り抜けてきた私の頭は、妙に冷静だった。
一か八か、二人にぶつかる前に止まることを期待することもいいが、それではリスクが高すぎる。何より車は少し揺れながらも彼女らの方へ確かに近づいている。
まずは本人たちに気づいてもらうこと。それからは――。
「危ない……!!」
いや、これ以上考えている暇はない。
全力で走る。だが全然追いつかない。
手を精一杯に伸ばした。だがそれは全く届かない。
間に合わない――!
それはスローモーションに視えた。
どこかから現れた、少しだけ見覚えがある気がするような誰かが、二人を突き飛ばす。そして、その誰かは車に引きずられて。
時間が元の速さに戻る。
壁に衝突した車からクラクションが鳴っている。
そのフロント部は血に染まっていた。周囲にはガソリンの臭いに紛れてかすかな鉄の臭いがする。
だが、二人は生きていた。危なかった。彼女らに擦り傷はあるものの、それ以外に大した傷もないようだ。そこはひとまず安心する。
では轢かれたものは誰か。この様子ではまず生きてはいまい。私にとってはどうでもいいやつだが、それでも二人を救ってくれた奴だ。どっちかというと生きていた方が嬉しい。
一応死体を確認しに行く。
衝突した車ももちろん無事ではなく、そのガラスは砕け散り、バンパーはひしゃげている。その先は元からそうであったかのように赤くなっていた。
パシャパシャと写真を撮るクソみたいな野次馬をかき分け、車の傍に立つ。
だが、死体は確認できなかった。少し考えにくいが、確認できないほどつぶれたのか?それとも死体は別の場所に吹き飛ばされたか?だが、車で引きずられた血痕は残っている。普通に考えて死体はここでつぶされているだろう。だが、肉片の一つも見えず、ただそこに血が広がっているだけというのはやはりおかしい。
違和感だけが残る。
なんにせよ、私ではそいつが誰かもわからなかった。
臭い的に燃料が漏れているようなのでしばらくしたら燃え上がるかもしれない。早く離れた方がいいだろう。
気を取り直して、二人のところへ戻る。
「大丈夫ですかー?」
歩道で呼吸を落ち着かせていた二人に声をかける。
「…………」
「大丈夫だよ!」
反応はあれだが、なんともなさそうだ。特別どうということはない。
「でも……代わりに轢かれちゃった人は……?」
やはりげんちゃんはそれを気にするか。それに対しわたしは、
「あー……、大丈夫そうだったよー。骨折はしてるかもしれないけど」
嘘をついた。
こんな嘘など、すぐにばれるであろう。いや、死体を確認していない以上全くの嘘ではないかもしれない。もしかしたら、万分の一の確率で生きているかもしれないし。何より、これで死んだということを知れば、彼女はきっと悲しむ。それはなんとなく避けたかった。
「…………」
しーちゃんは黙ったままだ。だがその眼は凄惨な事故の現場を見つめており、その末路がわかっているようだった。
「じゃあ、私お礼しに行ってくるね!」
いやいや、げんちゃん。それはいけない。
「ケガして苦しんでるところに行ってもあまり聞いてくれないんじゃない?後で病院に行った方がいいと思うよー?」
もちろんすべて口八丁である。だがこういうことは言ったもん勝ちだ。
「うーん、そうかなー?」
「そうだよそうだよー」
「……きっと、そうだよ……」
「それもそうか!うん!」
珍しくしーちゃんの助力もあったことで、何とか言いくるめることができた。
だがそのしーちゃんは突然身を寄せてくる。
「……死んでたんでしょ……?」
小さく尋ねる。げんちゃんに聞こえないように。
「……さあ?」
それでも私は真実を秘匿する。いや、私ですらもその生死が分かっていないのだ。
だからこれはただの誤魔化し。何の意味もない。
「私たちが生きてるんだからそれでいいんじゃない?」
それでいい。どうでもいいやつが死のうが生きようが、私には。
「…………」
再び沈黙し、そのまま私たちは電車に乗った。