宝の持ち腐れ
子供の頃、綺麗な模様のある折り紙や可愛らしいシールなどをもらうと、
これまた取っておいた綺麗な模様のお菓子の箱や缶に入れて、
机の奥にしまっておいて、何か特別な時に使おうと、使う日を楽しみにしていた。
けれど、そうした日がくると、どれも惜しくて使えずに、
普通の折り紙、大してかわいくないシール、
ありきたりな家にあるラッピングを使って、
そうした日にはそんな感じで済ませてしまうという具合で、
箱に入れられたままの可愛らしいものたちは、机の奥にしまい込まれたまま、
いつか特別な日に、特別なことでと、大切に大切にとっておかれ、
数年経ち、机の中から出てきた可愛らしいものたちは、
使う、使われる時期をとうに過ぎ、使われないまま色褪せて、
そういえばと、思い出した時には、いつ使っても構わないものたち、
なんなら誰かにあげてしまっても構わないものたちとなり、
しかるべきときに使わないままでいたことを悔やみ、過ぎ去った時に思い馳せ
来る先に、こんなこと二度とないように、お気に入りのものをしまい込まないよう、手に入れたときにちゃんと使おうと心に誓ったはずなのに、
気付けばいつも同じことの繰り返しだ。
あの日には、お気に入りのワンピースを着て出かけた。
少しでも可愛く見えるように、白いワンピースにほんのりピンクのリップをつけ、
風が吹くと、まるでマリリンのようにフレアになっているスカートがふわっとして、そんな私を見て、「見えちゃうから座って」と、
砂浜に座った彼が、誰かの視線がこちらに向いたことに気付き、
私の手を取り砂の上に敷いたシートに座らせた、
あれはもう秋に入りかけた夏の終わりの出来事だった。
その日に着ていたワンピースは、私のお気に入り、とっておきのワンピースで、
あの日と同じ、何かの時に、特別の時にと、
クリーニングから戻ってクローゼットにしまい込み、
「今日着ようかな」そう思う日がなかったわけではないけれど、
他で代用できる日にはそうして過ぎ、
気付いたら何年もクローゼットにぶら下がったままで、
大事に取っておいた白いワンピースは、クリーニングしたにもかかわらず、
ところどころ薄っすらと黄色いシミが、降りはじめの雨粒のようにワンピースに散らばり、昔、大切なものをしまい込んだ箱の中のものたちと同じように、
いつの間にか色褪せ、着れる、着られる時期をとうに過ぎ、
それでも捨てられずにいて、いわゆる「タンスの肥やし」状態のままだ。
同じように、「こんな形のこの色のジャケットが欲しかったの」を見つけ、
こんなのはもう出てこないかもしれないと思い、
「何かの時に」と、しまい込まれて、気付けば数年が経ち・・・
思い起こせば「何かの時」は何度もあったけれど、
そのうちの数えるほどしか着ないまま、「何かの時に」としまい込んである。
私のクローゼットには、そんなものたちが何枚もあり、
そのほとんどが、しかるべき時期を多く外れたまま置かれたままなのだ。
だからいつも思うのだ。
「今、着よう。同じこと繰り返してしまうぞ」
何度も自分でそう思うのだけれど、
それはもう「癖」と呼ぶのだろうか、私はとって置いてしまう。
いつの日かその素敵なお気に入りたちは、「古着」として処分になるのだろう。
この性格、どうにかならないものか。
そうずっと思い続けていた私は、最近、素敵な洋服を見つけた。
「これはすぐに着よう」そう思い着始めた。
なんだ私にだってできるじゃん。
ようやくトンネルを抜けたかと嬉しく思い、
そのお気に入りになった洋服をいつまでも着たい、何かの時にもこれを・・・
そう思った私は、もう一着同じものを買った。
そう、「何かの時に」着たいので、しまってあるのだ。
そう、しまって・・・あるのだ。