お兄さまの執事
――先程、ギナジウムより屋敷に戻ってまいりました。只今ギルバートさまは、留守にしていたあいだに溜まった書類の山に、一通一通、目を通しています。
「ハァ」
瀟洒なエンブレムが刺繍されたブレザーを着ている青年が、書類の文字列から目線を上げ、ペンをインク壷に戻し、大きく溜息を吐いた。
「ギルバートさま。書類に不備でもございましたか?」
ギルバートの横に立ち、燕尾服と白手袋を着用し、繊細な装飾が施された眼鏡を掛けた執事が気遣わしげに声を掛けると、ギルバートは、凛々しい眉を下げながら執事に向かって言う。
「ツンデレって、どう思う?」
――少女性愛者が何を言い出すかと思えば。
「早く署名なさいませ」
執事は、心配して損したとでも言いたげな表情で冷たく言うと、ギルバートは不満げに言い返す。
「俺は、真剣に悩んでるんだ」
「しかつめらしく考えるほどのことではないでしょう」
執事が淡白にピシャリと言い切ると、ギルバートは、面白くなさそうな顔をして嘆く。
「せっかくギナジウムから帰ってきたのに、愛しの妹と夕食まで会えないなんて」
――若くしてご両親を亡くされ、重責から逃げたくなる気持ちは共感しますが、ここで甘やかしては、将来的に影響が出ます。ここは、心を鬼にしましょう。
「口より、手を動かしてはいかがでしょう。早く片付けませんと、会わずに戻ることになりますよ?」
「腱鞘炎にさせる気か。少しは気を利かせて、主人を手伝え」
「お言葉ですが、すべてご自身でなさいませんと、当主として情けないですよ」
執事が淡々と言ってのけると、ギルバートは、ハッと何かを閃いたような表情をし、次いで鼠を部屋の隅に追い詰めた猫のようなニヤケ面をしながら、執事に提案する。
「メイド服とチャイナドレス、どっちを着たい?」
執事は、言外ににおう意味を直感すると、書類の山を半分、自分の前に移しながら言う。
「手伝いましょう」
執事の切り替えの速さを受け、ギルバートは口の端にクツクツと湧き上がる笑いをかみ殺しながら言う。
「損切りが早くなったな、フェルナンデス。似合いそうなのに、残念だ」
「お褒めにあずかり、光栄に存じます」
「皮肉なんだけど。まったく。そういう慇懃無礼なところは、どこかの男装の麗人と似てる」
――あんな腹黒大女と一緒にしないでいただきたい。
「それでは、ギルバートさま。お手を拝借します」
フェルナンデスは、ギルバートの利き手と反対のほうの手を握ると、握ってないほうの手でペンを持ち、素早く書類に署名していく。
――こうして手を繋ぐと、ギルバートさまの霊力が、僕の中にある水に共鳴して、筆跡だけでなく、声帯や仕草も完全に模写出来ます。何かと便利な機能ではあるのですが……。
「ですが、何だよ?」
再びペンを執り、書類に署名をし始めたギルバートが、視線を書面に向けたまま言うと、フェルナンデスも、テキパキと手を動かしながら言う。
「いえ、何でもないことです」
――お互いの思考まで読み取れてしまうのは、少しばかり不自由です。
いかがだったでしょうか。この作品は『お嬢さまの執事』の舞台裏です。ギルバートとフェルナンデスのことが、何のことかサッパリだというかたは、前作に戻って、お確かめくださいませ。