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ぼんおどり

作者: ハタラキバチ

遠い言葉が、聞こえた気がした。






盆踊りの時に、面を外してはいけないよ。

面っていうのは、盆の時期になるとあの世からこの世に帰って来て、人間をあちらに連れ去ろうと狙っている「あちらの者」に、人間だとわかってしまわないように着けるものなんだから。


人間だとわかったら、連れて行かれてしまうから。







ちんどんしゃん、ちんどんしゃん。

ぴーひゃらどんどん。ぴーひゃらどんどん。

軽やかな笛の音色。力強い太鼓の響き。楽しげに笑う人々のざわめき。

何もかもが新鮮で、それでいていつかここに来たことがあるような懐かしさがあって、その時初めて僕は、夏祭りに来て良かったな、と思った。

さっき買って一口かじったはいいものの、特にうまくもまずくもない微妙な味で食べる気も失せた、行き場のないりんご飴を弄びながら、暇潰しに石をころんと蹴る。鳥居の柱にもたれかかって、集合時間を10分過ぎても未だ来ない、ある人を待つ。

「お待たせーーーっ!」

からころと下駄を鳴らしながら、少女がこちらに走って来る。どうやらやっと来たようだ。

「ごめんね、遅れちゃって。浴衣の着付けに時間がかかっちゃって…」

彼女は気まずそうに笑って言い訳を始めた。

「いいよ、別に。大丈夫。僕も今来たんだ。」

本当は集合時間の20分も前に来ていたのだが、そんなこと言える筈もなく。

「そう?良かった。待っててくれてありがとね。」

ふわり。大輪の花が咲いたような笑顔。胸がきゅううっと締まるような感覚と、顔の熱さを感じて、咄嗟に顔をそらす。

こんなど田舎のしょぼい夏祭りに、基本的に面倒くさがりで社交的でもない僕が、どうしてわざわざ浴衣と面まで買って参加しているのか。それはひとえに、目の前の彼女が一緒だからに決まっている。

彼女は僕の幼馴染であり、僕の想い人。

くりくりとした、吸い込まれそうに大きな瞳に長い睫毛。光を受ける度にさらりとつやめく、白い肌によく映える長い黒髪は、今日は高く結んであり、花のかんざしが刺さっている。グロスでも塗ってあるのか、普段よりも透明感を増したピンクの唇。華奢な身に纏うのは、いつもの地味な制服ではなく、色鮮やかな花火をあしらった紺色の浴衣。

瞬きのひとつひとつが、呼吸の一息一息が、僕の心臓を深く深く刺すようで。なぜかはわからないけれど、無性に泣きたくなった。それほど僕は、彼女のことが好きなんだ。一世一代の大勝負のつもりで彼女を夏祭りに誘って、快くOKを貰ったときの嬉しさは、当分忘れないと思う。


この町の夏祭りは、終盤に盆踊り大会が行われる。町中の人々が参加するかなり大規模なもので、何十年も前から続いている伝統らしい。僕の父親も、盆踊りを踊らなくては盆が来た気がしない、盆踊りを踊ってこそこの町の夏だ、と朝から楽しみにしていた。僕は小さい頃何度か体験しただけで、大きくなってからは面倒になって一度も踊っていない。

そして、盆踊りを踊るときは、面を着けていなければならない、という謎の「決まり」がある。盆にはあの世から「あちらの者」と呼ばれる、霊やら妖怪やらが、盆踊りの音色に誘われてこちら側にやって来て、人間を連れ去ろうとする。人間だとわからないように、面を着けるのだ。もし外してしまったら、人間だとばれてしまって、連れて行かれてしまう。どう考えても子供騙しの迷信だが、この町でその「決まり」を破っている者は一人としていない。母親の背中におぶわれた、生まれたばかりの赤ん坊でさえ、どこで売っているのかわからない、小さな面を着けているのだ。

今回の祭りでも、道行く人々は皆、個性豊かな面を引っ提げている。

そんなだから僕も面を買う羽目になり、意外と高かったので財布に痛手を負った。全く、こんなしょうもない面のために…

「あーー!お面、私のと色違いだ!ほら、君のは黒の狐で、私のは白!」

「あ、本当だ。」

「うふふ、おそろいだね!」

無邪気に喜ぶ彼女。訂正。面もたまにはいい仕事をする。

「でもさあ、なんで面なんか着けなきゃならないんだろう。伝統だかなんだか知らないけどさ、変な風習だよね。」

ついつい愚痴が零れる。

「…しょうがないよ。決まりだもん。あちらの者は、常に人間をあちらに連れて行こうとしてるんだから。面を外すってことは、あちらに連れて行かれてもいい、って言ってるってことだよ。」

普段お化けや幽霊などの話題に触れたことの無い彼女が、大真面目な顔で、そんな非現実的なことを話すのが意外だった。

「…ふーん、そういうものかな。

まあ、とりあえず、行こっか。」

「うん!私、わたあめ食べたい!」

一旦この話題は打ち切って、連れ立って歩き出す。仲睦まじく二人で歩く姿は、傍から見れば恋人同士に見えるのでは?などと考えながら、出店の間を抜けて行く。


それからは、夢のような時間が過ぎた。二人で焼きそばを食べたり、射的でいい所を見せようとして失敗したが、彼女が中々上手くてキャラメルをゲットしていて吃驚したり、金魚すくいやヨーヨー釣りを楽しんだり。

ころころと変わる彼女の愛らしい表情を眺めるのが、潤って澄んだ、よく通る彼女の声を聴くのが、今この瞬間は自分だけの特権なんだと考えると、どうしようもなく幸せな思いが胸いっぱいに広がった。

「楽しいなあ…」

ぽつり、と零すと、彼女は嬉しそうにぱあっと顔を輝かせて、

「うん、私もとっても楽しい!」

と笑顔を見せた。

「こんなに楽しい夏祭りは初めて!毎年来てるはずなんだけどね!」

「そっか。僕も凄く楽しいよ。こんなに良いものなら、もっと前から参加すれば良かった。」

「うんうん!楽しいよねっ!

…これで、君が一緒に来てくれれば完璧なんだけど…」

「え?何って?」

「何でもない!それより、安心したよ〜、君も楽しんでくれてるんだね!」

「ん?どういうこと?」

「だって君、毎年夏祭り行ってないでしょう。夏祭り嫌いなんだと思ってたの。私夏祭り大好きだから、私と一緒にいるの嫌なのかなあと思って。」

「そ、そんなことないよ!楽しいよ!確かに夏祭りそのものはそんなに好きじゃないけど…」

「じゃあ、何で誘ってくれたの?」

「それは…」

君が好きだからに決まってるじゃないか。

でも、そんなことを言えるほど、僕に度胸は無いんだ。

言い澱んでいると、彼女は少しだけ哀しそうな顔をした。いつも笑っている彼女のそんな顔を見るのは初めてで、どきりと心臓が脈打った。

「いや、違う、僕は…」

ピンポンパンポーン。繕おうとした言葉は、チャイムにかき消された。

「間もなく、盆踊りが始まります。参加される方は、広場中央の盆踊り会場までお越しください。」

ノイズの混じった音声が耳を劈く。どうやらそろそろ盆踊りが始まるようだ。

「始まるみたいだね。行こっか。お面、持った?」

その時には、彼女にはいつもの微笑みが戻っていた。しかし、その屈託の無い笑顔に、ほんの少しだけ憂いが混じっているように思えたのは、気のせいだろうか。




昭和を感じさせる古臭いメロディに、太鼓の律動が重なる。ぼやけた提灯の灯りが暗闇にぽつりぽつりと浮かび、幻想的な雰囲気を醸し出している。

集まった大勢の人々は皆、心底楽しそうに、リズミカルに手足を動かす。

僕は隣の人の動きを真似して、なんとか音楽についていくのが精一杯だった。

ちらり、と前の彼女を見やる。彼女はさすが毎年参加しているだけあって、その踊りは堂に入っている。すらりと伸ばした手のしなりも、ちょんと地についた爪先の角度も、さながら完成された芸術品のようで。僕の目に好きというフィルターがかかっているから、そうまで美しく見えるのかもしれないが。洒落た白い狐面が顔を隠しているのが、酷く残念だった。

しかし、この面は、思った以上に邪魔だ。視界が制限されるし、息がしにくいし、蒸れる。ただでさえ町民のほぼ全員が集まっていて暑いのに、こんなもの長い間着けていたら苦しくてたまらない。しかし人々はもう慣れっこなのか、全く暑そうにしている人はいない。隣の人と二言三言交わす人もいなければ、踊りを間違えている人もいない。皆無言で、ただひたすらに淡々と踊りを続けていく。その光景は酷く異様で、ぞくりとするほど不気味だった。



「きゃっ…」

小さな悲鳴が上がる。どうやら、誰かが彼女にぶつかったらしい。彼女の細い身体がよろけて、体勢を立て直せず、そのまま人の波に消えた。

「あっ、ちょっと…」

人を押しのけて彼女の元に駆け寄ろうとするが、上手くいかない。彼女が誰かに蹴られたり踏まれたりしているかも知れないっていうのに。

くそ、よく見えない。面が邪魔だ。うざったさに耐えかね、思わず後ろで結んでいた紐を解く。面が外れ、頬を夜の涼しい風が撫でていった。

肩と肩の隙間から、うずくまる彼女が見えた。

「あっ、いた!大丈夫!?」


彼女は少しだけ顔を上げこちらを見た。


面の狐の口が、笑うように歪んだ気がした。


彼女はぽつり、嬉しそうに呟いた。




「一緒に来てくれるのね、嬉しい。」



「やっぱり私のこと、好きなのね。

私も君のこと、大好きだよ。

一緒に行こう。」






「え?」













20XX年、8月X日。一人の少年が、夏祭りの盆踊り大会の最中に、忽然と姿を消した。


少年は浴衣姿の少女と一緒に行動していた姿が目撃されているが、その少女のことを知る者は誰一人としていなかった。


少年についてその町の住人の誰に尋ねても、皆一様に同じことを言う。





「彼は、盆踊りの最中に面を外した。

決まりを破ったんだ。

だから、連れて行かれたんだ。」









遠い言葉が、かき消えた気がした。

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