生きている限り学べ
魔術師達が王宮の魔器修理に入り、三日目がやってきた。予定では本日中に調整を終了し、暖房を使えるようにしなくてはならない。
作業進捗は良くも悪くもない状況で、想定どおりのものになっていたが、今日がいわゆる大詰めだ。魔術師達の緊張感はピークに達していた。
現在は、機器を分解することは終了していたので、ここから呪文を組み込み、もう一度魔器を組みなおしてきちんと動くか否か、という調査を実施している最中である。
エリート魔術師達が組み上げた呪文を暖房結界を組成する機器に符呪していくなか、レイラとレオンはもうお払い箱と言った様子で一部署の作業を隅で見ていたり、雑用を押し付けられたりをしていた。
「……はぁ……結局お姫様には御目通り叶わなかったなー」
骨折り損の草臥れ儲けという様子でレオンが「はぁ」と、溜息を零した。
隣で第一部署の符呪の様子を見ながらレイラは、先輩の溜息に「あはは」と乾いた笑いで返すのみだった。
レイラも、もしかしたらユーリと話す機会があるかもと少しばかり期待はしていたが、残念ながら女性の親衛隊にこっぴどく叱られただけだったし、やれやれといった先輩の気持ちには同意していた。
「……これで王宮の魔器修理作業も終わりですね」
「まー、このまま順調に動けばね……」
修理が終わった以上、後は再起動実験にて順調に稼動するかどうかのチェックがある。これを滞りなく完了できれば今回の作業はおしまいとなる。
「……あれ? 先輩……第一部署の方々の呪文が構築違っていませんか?」
「うん、そうみたいだね……。流石に過去の呪文を継ぎはぎで使うには限界だったんだろうから、今回の
調整で大きく変更を加えたんじゃないかな」
レイラが魔器を分解中に覗き見た過去に符呪された呪文内容と、今回第一部署が組み立てている呪文は道筋が違っていた。
到達する暖房という魔法の完成結果は同じだろうが、過去の呪文と比べると随分とシンプルな造りに変わっていた。
「今回のことで、暖房結界の無駄を省いたんだろうね。もっと簡単に修繕できるような呪文構築にしているみたいだ」
「…………」
レイラは第一部署が符呪している呪文を取り憑かれたように見ていた。少しでも自分の身になるかもしれないと思ってのことだ。
腐っても王宮魔術師のエリート魔術師の組む呪文である。そこには自分にはない技もあるだろうと考えたのだ。
よくも悪くものめり込むタイプのレイラは、ぶつぶつと独り言を零しながら、組みあがっていく呪文を脳内で確認していた。
「凄い。完璧な暖房の結界です」
組みあがっていく魔法の状況を見て、レイラは感心した。
この呪文を組み上げた第一部署の人間もまた、流石と言えた。ほころびのあった結界は、今回の魔法で一切の隙間もなく、結界を構築するだろう。
「……レイラさんはそう思うんだ。……僕は、好きじゃないな……この魔法」
「えっ? どこがですか……?」
「確かに完璧なんだ。カチカチで無駄がない。でもその分、遊びがないと思う……」
「遊び……?」
「石頭が作ったんじゃないかな。呪文に、人柄を感じるよ。融通がきかなそうで、詰まらない……」
レオンは硬すぎると壊れやすいと説明を付け加えた。一件、ガチガチの硬いものは壊れにくいと考えるだろうが、真に壊れにくいものは弾力性のあるものだと言った。
ガラス玉を床に落せば割れるだろうが、揚げパンを落としたって割れないでしょ? なんて例えを言った彼にレイラは彼らしい言葉だなと少し笑いながらも納得した。
「一部署はさ、確かに優秀な人材が集まってる。でも、優秀すぎて余裕がないんだ。完璧なものなんてありえないのに、完璧を作ろうとするから、矛盾が生まれる」
「完璧なものなんか、ない……?」
レイラはその言葉がやけに心に強く残った。それは、自分がユーリの隣にいる姿を想定した時、完璧を追い求めていたからかもしれない。
しかし、あれほど立派になったユーリに告白をするとなると、非の打ち所もない自分を目差すしかないようにも思った。
そうでなくては、許されないと勝手に思い込んでいた。それは自分の中の劣等感から来る物だった。今もその想いは変わりがない。今のままユーリと向き合っても、自分が許せなくて潰れてしまいそうになるから。
しかし――レオンの言葉はレイラにひとつの想像をさせたのだ。
(私……ユーリのこと、立派だ、凄いって思っていた……ユーリは完璧だってそう思ってた……。でも、完璧なんてない……。ユーリも……?)
ユーリのことを凄いと褒め称えた時、ユーリの顔が曇ったことが今でも胸の中で残っていた。
彼も彼で、何かを悩んでいるのだと思う。容姿端麗、質実剛健、地位と名誉も若くして手に入れた彼は――誰もが羨む男だろう。
(ユーリ……ユーリの心が知りたい……)
彼の内側が急に知りたくて仕方なくなった。もしもその心を呪文の様に読み解けるならば、読み解きたい。どうして彼はあんな風に曇った顔をしたのか。彼の完璧ではない所を、知りたくて仕方ない。そして、それを大事に抱きとめて、胸で包みたい。
人は完璧ではない。しかし完璧を求められる場は至るところにあって、それはめまぐるしくやってくる。
それでも人は、懸命に立ち向かっていく。自分の苦しみを抱えながらも、世界に向き合って飛び続けていく。そうしなくては、人は輝けないからだ。飛ぶのをやめれば泥まみれになると知っているから。
輝く人ほど、その足元は汚れてしまっているかもしれない。冷たい雪の上に素足で立っているのかもしれない。
生きている限り、人は歩み続けていく。汚れた脚で、凍えた足で。それが人を磨くのだと分かっている。
(――でもそれは、凄くつらくて疲れてしまうから――)
ユーリは完璧を着込んでいる。それはきっとほかの人から見れば眩く美しくて、手に入れたいと思うことだろう。
でも、彼は自分でも言っていた。辛い訓練に明け暮れた時期があったと。あの美しい赤いマントの下の体には沢山の傷があるのだ。
それでも彼はエリートの親衛隊として、若くして重圧を抱えながらも、ああも気高くいるのだ。
(ユーリに、逢いたい……)
雲の上の存在のように思っていた幼馴染がふいに近しく思えた。
ユーリは、また逢いたいと言っていた。あれは、レイラのために言った言葉ではなく、彼の本音だっただろう。
だが、レイラはそれを跳ね返してしまった。彼の傍にいることがとても罪に思えたから。彼の輝きを傍で浴びれば、自分の汚れが酷く目立つと怯えたから。
(ユーリは、昔を懐かしんでいた。幼馴染のままじゃ嫌だって私のわがままで、ユーリのこと、思いやれてなかった……)
頑張っていた彼の唯一安らげる止まり木、それが幼馴染の自分だったのなら、彼を抱きとめてあげるべきだったのではないかと、レイラは後悔し始めていた。
あなたの止まる木は、こんな枯れ木ではなく、緑の茂った温かい枝があると、恥ずかしがって枝を振ってしまったのだ。
「疲れましたね、先輩……」
「ああ、そうだね……」
散々こき使われた身体がガタガタと悲鳴を上げているし、精神面の疲労も窺えた。きちんとした休息も取れなかった三日間だったし、仕事が落ち着いた今、一度ゆっくりと休みたいところである。
「……でも私、休む資格なんてないかもしれません……」
「どうして?」
思いつめたようにいう眼鏡の相方に、レオンが興味深そうに聞き返してきた。
「……もっと頑張っている人がいるから……」
そんなレイラの言葉に、レオンはぷっと吹き出していた。
小ばかにされたようでレイラは少しむっとしたが、レオンは言葉を続けた。
「自分で逃げ道塞いでて、なんか憐れだよ」
「そっ、そんなこと……」
「罰、受けたいって顔してるよ」
「っ……」
レイラは指摘されて慌てて顔を背けてしまう。ユーリに対する罪悪感が持ち上がってきていたのが表に出ていたのだろう。
「もし、罰を受けたいのなら、罪の償い方をきちんと考えてから罰を受けるべきだよ。罰は、自分で決めちゃだめだ」
普段不真面目なレオンの先輩らしい言葉に、レイラはちょっとばかりぽかんとしてしまった。言っては悪いが彼らしい言葉とは思えなかった。
「……先輩、なんだか普段よりオシャベリですね」
「……いやまぁ……今回の仕事で、レイラさんのこと、ちょっと分かったし」
「え、私……何かしましたっけ……」
レオンにそう言われても特に自覚できないレイラは逆に慌ててしまう。
しかし、今回の仕事を通じて少しばかりであるが、相棒であるレオンとの仲は深まっただろう。
「あ、ちなみに、さっきの罰の話は受け売り。アントン部長がね、昔僕に言ってくれた言葉」
あの昼行灯な部長がそんなことを言ったのかと、それも意外だった。しかし、中間管理職である第二部署の部長という立場からの言葉だと考えると、なるほどと頷けもする。
(罰は、自分で決めちゃだめ、か――)
レイラの悪い癖を見抜かれたようだった。
いつもレイラは自己完結をする。こうしたら、こう思われるだろうとか、あの人はきっと自分のことをこう考えているのだろう、とかだ。ろくに人と関わったこともないくせに、勝手に自分の中で相手の気持ちを考えて、固まってしまうことがあるのだ。
ユーリとのこともそうだ。
勝手に彼の隣にいることは似合わないとか、醜い自分が彼の傍にいればマイナスになるとか考えてしまった。
「休みなよ」
レオンがぼそっと言った。
レイラは、ちょっぴり考えてその言葉に頷いたのだった。
やがて魔術師達の結界魔法は完成された。魔法は無事に構築されあとは起動試験を行う。これで問題がなければとりあえず仕事は終わりだろう。
「結界装置点検、異常なし」
「よし、結界起動」
部下の魔術師がリーダーへと報告をし、リーダーが声高に指令を飛ばすと、各箇所に魔器を設置完了した魔術師達が一斉に暖房器具を起動させた。
フォォォォ……という魔道音がして、魔器が淡いブルーで輝きだすとそれぞれの魔器からパイプのように魔法の光が伸びていった。
それらがそれぞれに組み合わさって、線が面を生み出していく。
すると、面がパズルのようにくっつき出して、たちまち王宮内を覆うように広がりはじめた。結果、王宮を囲うように多角形の結界が構築されたのである。
「球状じゃない……」
「多面体なんですね」
以前の結界は球形であり、結界は面を構築するのではなく、毛糸球のように、一本の魔法線がぐるぐると巻くようにして王宮を囲っていた。そのため、魔法の線が古くなってほころび出すと、結界の隙間が生まれて冷気が入り込んできてしまう造りをしていた。
これを改善するため、今回は王宮を箱に入れるような結界になったようだ。これならば冷気も入り込みにくいし、面の構築は魔力をあまり消耗しないので修復作業も簡単になっていた。暖房魔法の近代化である。
暫ししてから冷え切った王宮ホールが徐々に暖かくなってきた。どうやら冷気の侵入を阻むことができ、保温性が実証されたらしい。
そして、暖房魔法の本領発揮と言うように、暖気が冷たい空気を温めていった。
「成功だ」
「ほっ……」
レオンとレイラはとりあえず上手く行ったようで一安心した。これでこの激務からも解放されるだろう。
魔術師達は暖房結界が正常に動いたことにみな喜び、ワイワイと王宮内ながらに仕事の成果を喜び合った。
「はー、とりあえずこれで肩の荷が下りる……。レイラさん、御疲れ様」
「はい。いい勉強になりました」
「ねえ、せっかくだし今夜は慰労会でもしない?」
「えっ。……そうですね……」
レオンの誘いにレイラは少しばかり悩んだ。
あまりこういうものには慣れていないのだ。ユーリとは幼馴染だったからと云う理由で困惑しながらも食事を楽しむことができた。
しかし、職場の先輩と仕事が無事に終わったことの慰労会……レイラはどう反応するべきなのか良く分からないので困惑したのである。
魔術師として勤務しだして、随分と日も経つ。
これまで歓迎会的なものもしなかった魔術師第二部署の面々だったが、それはレイラとしては助かるものだった。あまり人付き合いが上手い方ではないからそういう席が苦手だった。
だが、レオンとは一緒に仕事をしだして随分経つし、それぞれに人柄も分かってきた。一般的な話題は何を話せばいいか分からないが、魔法という共通の話題もあるし、ヤブサカではないと思えた。
ただ最後に彼女を悩ませたのは、男性と二人だけで飲みの席に行くという行為であった。奥手な性格であるレイラはここがどうにもハードルが高かった。別にレオンとそういう仲になろうとは考えてもいなかったが、考えていないからこそ、逆に行くべきなのかと悩みだしてしまう。
あまりにレイラが悩んでしまったため、レオンが逆に申し訳なさげになった。
「あ、ごめん。やっぱナシにしようか。レイラさん、そういうのあまり好きじゃないんだよね」
「あっ、い、いえ……好きじゃないというか……経験がないので……よく分からなくて……」
「そっか、ごめん。別に無理強いするようなもんじゃないから気にしないで。疲れてるし早く帰って休みたいしね」
レオンもなんだか、勢いが落ちてきて結局慰労会は立ち消えそうになる。
レイラはそんな状況に対し、またも自分のこの社交性の低さが嫌になってしまうのだ。
(せっかく誘ってくれたのに、私がはっきりしないから……)
人を誘うというのは気を遣うものだ。迷惑だったらどうしようとかそういう風に考えて、それでもと声をかけた相手から無碍にされてしまえば、落ち込むものだろう。
レオンとは随分と打ち解けはしたが、彼もレイラと似た部類の人間で誰とでも仲良くなるようなタイプの人柄ではない。そんな彼が声をかけたというのは随分大きなことだっただろう。
レイラは、もう自分の枝に止まる鳥を払うようなことをしたくなかった。
「せんぱいっ……あの……やりませんか……! 慰労会……」
過去のあやまちを繰り返さぬようにと、レイラはレオンへと改めて声をかけた。
その声を受けて、レオンは心底嬉しそうにふくよかな頬を持ち上げた。
少しづつだが、二人の間の距離は縮みだしているのだと実感をさせる程度には、彼らは仲良くなったのだ――。
**********
――そんな二人を見ていた親衛騎士のユーリは、声をかけようとしていたはずなのに、二人に近づけなくなってしまった。
姫からの言葉を受け、二人を労うように申し付かっていたため、ユーリは彼らを食事の場へと招待するつもりで歩み寄っていた最中にこの慰労会の会話が聞こえてきたのである。
自らの中でザワザワと蠢く奇妙な感情に心を支配されていき、足の動きまで止められてしまったようだった。
目の前でレイラが、これまで見せたことのない顔で先輩の魔術師を慰労会に誘う姿は、ユーリを停止させるには十分すぎた。
大人しかったレイラがまるで別人のように思えた。
彼女は見違えた成長をして再会した。幼かった頃、身長の差もなく、男女の身体つきなんて気にもしなかった。あの頃は自分の手も小さく、彼女の手も小さく。『違い』なんてなかったのだ。もちろん、男と女という性別の違いは理解していた。だが、それを強く意識したことなどなかったのである。
しかし、ユーリは雪の庭で倒れこむ少女を抱きあげた時、思ったのだ。少女の、女性の身体の細さと柔らかさに、彼女はもう子供ではないのだと。
だから、そんな昔と今の差が、ユーリを困惑させて揺らめかせた。
(レイラ……。オレは……)
慰労会の段取りを決める二人に背を向け、ユーリはその場を去っていく。
ただ、彼らを食事に誘うだけのことが、今の彼にはできなかった。
これまでどんな感情さえも親衛騎士のマントの下であれば、抑え込むことができたはずなのに、このざわつく思いだけは、どんなに真っ赤な誇りをもってしても沈めることができなかったのだ。
王宮内の纏わりつくような暖気が気に入らず、ユーリは冷たい風を求めるように、外へと向かうのであった。
己の心も見えないままに――。