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肘は近くにあるのに噛めない

(――いつのまにか、手に届いていた――)


 ユーリは、早朝の王宮にて、庭と庭を繋ぐ通路の軒下にできていた細く煌めく氷柱を見つめ、そんな風に思った。

 自分の背が騎士団の中でも一際小さく、腕力や威厳は先輩の騎士にまるで敵わないと気が付かされて、自分の背が一刻も早く大きく伸びるように願ったものだ。

 背比べの相手に選んだのが、この氷柱だ。

 高い軒下にできあがる氷柱に手が届けば、あの大柄な騎士にも一太刀浴びせることもできるだろう。そんな反骨心から始まった。


 当初は飛び上がっても氷柱の先にしか触れることができなかったが、歳が十四になった頃、ミシミシと骨が軋む音を実感するように、毎日身長が伸びて行った。成長痛には苦しめられたが、お陰で気が付くと容易く目標の氷柱に手が届くようになっていた。


 ――男の子ってすごいね――。


 そんな幼馴染の少女の言葉が脳裏に過った。


(凄くなどない……。成長は努力ではない……。オレは、勝手にでかくなっただけだ……凄さなんて微塵もない)


 ぱきん、とユーリの右手が氷柱を軽く叩き折った。

 今の地位すら叩き折れるのならば……そんな風に考えそうになって、ユーリは頭を振った。


(エリートの……若き親衛隊ホープ……か)


 ユーリは端整な面持ちをしかめて、歯噛みをする。

 見習い期間を終えると共に、自分の配属が決定した。


 考えていたのは、密猟者対策の騎士隊に配備されることだった。大体の新人はここで実力を積まされるし、憎き密猟者を逮捕するという仕事は子供の頃からの憧れだったのだ。


 だが、蓋を開けてみるとなんと騎士の中のエリート部隊、姫直属の親衛隊に配属されたのである。

 自分の実力でいきなりこんな大出世をしてしまい、ユーリはうろたえたのだ。本人がそうであるのだから、ほかの先輩騎士達はなぜこんな新米がと誰もが思ったことだろう。

 ユーリ自身、これは何かの間違いではないかと問いただしたが、アナスタシア姫の直々の命令だったそうだ。


 姫とは歳が近いこともあり、何かと世話を焼く機会がここ数年の見習い期間中にあった。そこで姫がユーリを気に入って、抜擢したのだろう。


『うまいことやったな』


 そんな風に先輩騎士達からは妬ましげに言われた。周囲の女官達も姫とユーリを囃し立てているのを聞いたし、姫が自分をお気に入りなのだとは理解した。

 結局、自分は姫が気に入ったから親衛隊になっただけで、己の実力が認められたわけではないと、どうしても考えてしまうのだ。それは素直にユーリを喜ばせることができない要因となった。

 そしてユーリは、要因はどうあれ、親衛隊に選抜された以上、誰よりも誇り高い騎士になろうと考えた。そうすればいつかは、周囲も己を認めてくれると信じてのことだ。未熟な自分を封じ込めては、毎日鎧こころを着こんで職務に当たったのだ。


 自室へと戻ったユーリは、着替えを行い身なりを整える。

 腰にはサーベルを差し、真っ赤なマントを身につける。騎士団の紋章である鷲をモチーフにした刺繍が入った美しいマントは誉れ高い親衛隊の証でもある。


 群青色の騎士礼服と色彩に生え、纏うだけでも気が引きしまる。これを着た以上、自分の全てを王国に捧げる覚悟を持たなくてはならない。


 ユーリは軽く呼吸を止めて、瞳を閉じる。ここから先は、ユーリは個人ではなく、王国の一部であり、この命は王族の物となる。己の命よりも尊ぶべき人びとへ血と肉を捧げる――。

 まるで儀式のようにユーリは自分の中で暗示をかけるかのごとく、心の仮面を取り替えた。


 ――王宮に入れば親衛隊は王族一人に二人係で担当する。外出時には更に増員されるが、ユーリはアナスタシア姫直属の親衛隊として配属された。ユーリの相方であるもう一人の親衛隊は女性騎士だ。その名をクリアーナと云った。


 ユーリよりも五つも上のベテランであり、女性でありながら厳格な態度と実直な性格で、王族も信頼を置いている。


「クリアーナ殿、お早うございます」

「お早うユーリ。今日は女官に捕まらなかったようだな」

 鉄仮面でも被っているように表情を変えず、クリアーナはユーリに静かに挨拶した。

「す、すみません」

「別に責めているわけではない。今日も特殊配置だぞ。分かっているな」

「はい。王宮の結界装置の修理のためですね」


 王宮に張られた暖房結界を修理するために、魔術師達が多数宮殿内に入ってくる。そのため、ここ数日は通常よりも警戒態勢を引き上げての特殊配備警備になっていた。


「私が前衛、お前は後衛だ。そこは変わらん」


 警備は前衛後衛で担当が替わる。姫の行く先にて警戒をしておくのが前衛。姫の身近で警護にあたる後衛。後者がユーリの担当であり、姫のすぐ傍で待機をしていて、姫になにかあれば、真っ先に体を張って守る役割だ。

 王宮内とは言え、油断はならない。今日は王宮内で魔術師達が様々な魔器を修理作業するため、どういう不測の事態が起こりうるか分からないからだ。

 二人は打ち合わせを済ませて、姫の寝室から警護を開始する。

 姫の寝室の前まで行くと、そこには深夜警備担当の騎士が並び立っていて、そのまま警備を引き継ぐかたちになる。夜間護衛の騎士はこれから休息だ。


「姫、お早うございます」

「おはよう、クリアーナ。ユーリ」


 部屋の脇に控えていた女嬬にょじゅが姫の着替えを手伝い終えて、頭を垂れていた。寝室の姿見の前でくるりと向き直り、アナスタシアは鈴のような声で挨拶をした。

 国の色である紅は、姫のドレスにも反映され、アナスタシアの王宮ドレスは明るい紅色のものが多かった。白い肌と鮮明な紅のドレスは映え渡り、非常によく似合っている。王国の男性はアナスタシア姫の美しさを一度は見たいと言うだけはある。


「今日も冷えますね」

「暖房器具の修理がまだ終わっておりませんので」

「ふふっ、では今日もあの暖炉を楽しめるのですね」


 細い指先を口元に持ってきて、可憐に笑う姫は、昨日のことを思い出したようで楽しげであった。

 昨日から始まっている王宮内暖房の修理のため、一時的に、昔利用していた暖炉を使っているのだが、姫はこれを酷く気に入ったらしい。

 姫が生まれてから一度も使っていなかった暖炉は点検が必要であったが、無事に問題なく利用できた。

 大きくも温かい暖炉の炎は、魔法が生み出す熱暖房よりも不思議と体と心を暖めてくれた。

 炎を見つめると、アナスタシアはとても心地よかったのである。時折、ぱちんと炎が爆ぜる音がまた良かった。燃え盛る炎と静かな空間に響く燃音。これまで体験したことがない暖炉に、アナスタシアは夢中になった。


「今日も暖炉のそばで、お茶をしたいわ」

「お気に召しましたか」

「ええ、ユーリは暖炉、知ってたのかしら?」

「はい、実家にありました」

「へえ。後で、その時のお話を聞かせて頂戴」


 楽しみだと言うようにアナスタシアが柔らかく笑んだ。午前中は公務に携わり、主に錬金術の水薬ポーションに感心を示しているアナ姫は錬金術師と共に、温室で育てた薬草の調査や錬金実験の新薬開発を見て回る流れだ。この新薬により、毎年蔓延する病気への予防が行われることになれば、国の医療機関に提供することで免疫力の少ない幼子達の命を救うことにも繋がるだろう。


 アナスタシア姫は、今年十五歳になった。結婚を許される年齢であり、既に結婚の予定もあるのだ。いずれは隣国の王子の下へと嫁ぐことになる。それは王家の娘として生まれた以上、避けられぬ定めだ。


 この王宮からいずれ出て行くその時まで、姫は姫でありながら、この国に自分の成した証を残そうと、国民のためにその時間を割こうとしていた。

 国のために血と肉を捧げるのは、王家の人間の誇りなのだから。

 飛び立てば二度と戻れぬ巣であれど、鳥は後を濁さぬという。ただ、鳥と違うのは飛び立つ先すら決められていることか――。


 やがてお昼も過ぎてちょっとした休憩時間といった時刻の頃、宮殿の二階から一階を見下ろすホールにて、魔術師達の様子をちらりと覗きみた姫は、宮殿の隅で揚げパンを齧りながら魔法機器を弄くっている魔術師二人に注目した。


「あら、あんなところで」


 思わず声に出していた姫の視線を追ったユーリは、暖房機器を調査しながら、片手で揚げパンをぱくついているレイラを見つけてギクリとしたのだ。


 王宮内での飲食は禁止されている。本来ならば、ここはしっかりと注意するべきところだ。

 しかしながら、相手がレイラであるから、ユーリはどうにも戸惑った。ユーリが動かないでいると、やがて階下でクリアーナがレイラに寄っていき、何やら注意したらしく、レイラは上から見ていても良く分かるほどに驚き戸惑い、ぺこぺこと平謝りをしていた。


 そこに、レイラの相棒である小太りの魔術師も駆けつけて、一緒に謝りだした。彼は片手だけではなく、両手に揚げパンを持っていたので、なんとも滑稽ではあるが、そんな状況で食事を取らなくてはならないほど切迫していたということでもある。

 周りを見てもほかの魔術師はいないし、残っているのは彼ら二人のようだ。

 ほかの魔術師はきちんと外で食事を取っているのだろう。ではなぜ、彼らだけ居残りで作業しながら食事を取っていたのだろう。


「クリアーナに怒られてるわ……。クリアーナ、怖いからあの人達、今夜は眠れないかも」


 姫がご愁傷様というように、二人の魔術師を憐れむ。


「王宮内であのように食事をしていては、注意もされましょう……」

「そうね。……でもあの二人、昨日も残って頑張っていた二人よね。ユーリ、分かるでしょう?」

「は、はい……」


 階下でクリアーナにペコペコと頭を下げ続ける二人を見つめながら姫は思い出したように言った。


「ねえねえ、ユーリ。あの女の子の魔術師が最初に怒られてたのに、あのふくよかな魔術師さん、態々出て行って彼女の前で頭下げてるわ。彼がリーダーなのかしら」

「あ、たしか……先輩であると認識しておりますが」

「へえ、後輩が怒られているのを見て、駆けつけてくれたんだ。黙って隠れてたら自分は怒られなかったのに。ちょっとかっこいいわ」


 そうだろうか、彼はその手に二つのパンを持っているわけであるし、今回の落ち度は彼のせいではないのかとユーリは思ったのだ。

 王宮でレイラが作業中に揚げパンを食べているなんて、彼女が思い立った行動とは考えられなかったからだ。だとしたら、あの先輩らしき魔術師の提案だろう。作業進捗を早めるために、食事をする時間も惜しんで同時並行で行おうと言ったんじゃないだろうか。 

 しかし、彼が態々レイラの前に立ち、クリアーナに目に付くように、両手に揚げパンを持って参上しているのは、ひょっとしたら、怒りの矛先をレイラから自分へと向けさせるための行動だったのかもしれない。そう考えればなるほど姫の言う通り、少しばかりは見方も変わる。


「あの二人、なんだかとても頑張っているわね」

「ええ……作業が無事終わり次第、労ってやりたいものです」

「ええ……」


 姫がやけに、魔術師二人をまじまじと見ていたのがユーリは印象的だった。そんなに気になるような人物だっただろうか。

 王宮内に魔術師達が入ってくること自体があまりないことだから、興味をもっているのかもしれないが……。

 しかし、それにしても姫の瞳は、どこか寂しそうに見えたのだ。彼ら魔術師を通して、別の何かを見ているようであった。


「姫? そろそろ移動しましょう。ここは冷えます」

「ええ、そうね」


 姫を促すユーリだったが、姫は矢張りその場を動かずに、ぼんやりと階下の魔術師二人を見ていた。

 クリアーナに叱られ終えて、小太りの魔術師のほうが女の子のほうへと向き直り、申し訳なさげに頭を下げていた。

 それに対して、眼鏡の少女の魔術師は慌てたように手をふりふりして否定しているように見えた。

 二人とも、どこか慌てているようでもあり、その大きな身振り手振りが人形劇のようにも見える。


「なんだか、あの二人って、御似合いね」


 ぽつりと、小さな鈴を掌から零したような声でアナスタシアが呟いた。

 同じ職場の二人組。どこか似た空気を持つ、垢抜けない二人の魔術師は揚げパンを持ったまま、二人でとぼとぼと王宮から庭のほうへと歩いていく。

 その背中を見て、姫が言った言葉に、ユーリはドキンと胸が震えたのである。


(あの二人が、御似合い……?)


 二人して並んで歩み去っていく姿は、確かに二人とも同じ空気を纏っているようにも思えた。

 だが、御似合いだと認めることは、ユーリにはできなかったのだ。

 気落ちしたような反応の肩を落とす男性魔術師に、眼鏡の魔術師少女が気遣うように見上げて、笑顔で揚げパンを見せていた。

 それを見て、ユーリは急に息苦しくなったように、喉の奥に重い玉でもぶらさげられたような感覚を持った。


「……羨ましいな……」


 姫のその声は、もうユーリには届いていなかった。

 冷えたホールで暫し、姫と親衛騎士は魔術師達の背中を見つめ続けていた――。

 それぞれがそれぞれに、傍にいながら、手を伸ばせない想い人――。その心を冷たい世界が包むようで――。

 己の肘は、直ぐ傍にあるのに、口を寄せて噛むことができないように――。

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