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家では壁まで助けてくれる

 薬品の臭いがした。

 ここ数日は触れて来なかったような清潔感のある白い世界に包まれているような感覚がして、レイラはぼんやりと目を開けた。


「……ここ、どこ……」


 知らない天井が視界に入り、つんとする臭いがどこからか伝わってくる。

 暗い部屋だった。窓がなく、ぽつんとランプの明かりが灯っていて、壁は石造りなので、どこかの石倉のようにも思えた。

 ベッドに寝かされていたようで、着ていた魔術師のローブが畳まれているのを見付けた。ローブの下に着ていたサラファンだけの姿になっていて、自分がどうしてここで横たわっているのか理解ができない。

 何があったのかと、頭を整理しようとしても、頭痛がして、思考が纏まらない。


 ……と。そこに部屋の奥の扉が開き、長身の男性が入って来た。

 手にはコップと何かの包みを持っていて、レイラが起きていることに気が付いたその人はゆっくりと近づいてきた。

 暗い部屋の中に灯る、小さな明かりがその人の横顔を照らして、レイラは思わず表情を固まらせた。


「気が付いたのか」

「キ、キールさん……」


 部屋に入って来たのは、騎士のキールだった。短くまとめられた黒髪に、鋭い目つきは昨日見た彼のままだった。


「わ、私……どうして……」

「お前は、鉱山で倒れたんだ。ここはとある錬金術師の薬剤所の地下室だ。ここくらいしかお前を診れる医師がなかった」

「倒れた……?」


 そう言われ、レイラは頭痛のする頭とまだクラクラする思考で、自分がどうなったのかを思い出した。

 初仕事で、無様にも体調不良で倒れて意識を失ったらしい。

 そして、鉱山からここまで搬送されたのだろう。


「あ、あの……キールさんが、私をここまで運んでくれたんですか?」

「……お前の相棒が、鉱山から倒れたお前を抱きかかえて、必死の顔だった。私は、彼からお前を預かって運んだだけだ」

「そうだったんですね……。ご、ご迷惑をおかけしました」


 レイラが蒼い顔をして頭を下げる中、キールは持って来た水をレイラに渡し、返事はしなかった。


「ありがとう、ございます」

「暫くはここで安静にしていろ」

「で、でも……!」

「足手まといだ」

「……っ……」


 ぴしゃりと言い放ったキールに、レイラは言葉を失った。

 足手まとい……。昔から自分にはピッタリの言葉だった。幼い頃も、いつもドジをして、のろまだったから、同い年の子供たちから似たようなことを言われて来た。

 せっかくカミツレ隊に加わって、立派な魔術師になろうとした矢先にこのざまなのだから、まるで自分は成長できていないと確認させられるようだった。


「食欲はあるか」

「……あまり、ありません……」

「お前たち魔術師と言うのは、軟弱だな」

「……」


 キールは冷たく突き放す言葉をレイラに振り下ろす。レイラは、俯き、コップの中の水を見つめ、キールの言葉を受け止めるしかなかった。

 事実、自分はこうして体調管理をしっかりできずに倒れ込んでしまったのだから、キールに対して言い返すような資格があるとは言えない。


「……お前の名前。レイラだったな?」

「は、はい……」

「そうか。……お前がレイラか」

「え?」


 突然、キールが確認するような物言いをするので、レイラはその意図を計り切れずにキールの眼を見つめ返してしまった。

 真っ黒なキールの瞳からは、何か昏い感情がにじみ出ているような気がして、レイラは思わず息を呑んだ。


「あ、あの……」

「薬をあとで持ってくる。食欲がないなら無理に食べろとは言わないが、一刻も早く立ち直りたいなら、腹に何かを入れることだ」


 キールは持っていた包みをベッドの横に設置してあるローテーブルに置き、そのまま部屋から立ち去った。

 レイラは少しの間、彼が出て行った扉を見つめ続けていた。


(……)


 レイラは、ぐ、と奥歯を噛みしめ、肩を震わせていた。

 情けなくて、自分のことを許せそうになかったからだ。

 悔しくて涙も出てきそうだったが、それも一滴さえ零したくないと、歯を食いしばって我慢した。


(ユーリ……)


 辛くなると、すぐに彼を思い浮かべてしまう。愛する彼は傍に居ない。もう連絡もつかなくなってしまった。

 一人前になろうと気持ちだけは早やっているのに、いつまで経っても、ユーリに甘えたくなってしまう自分が居ることが、またレイラを自己嫌悪させる。


 しかし、気絶してここに運ばれる最中、短い間夢を見たように思ったのだ。

 それは、愛しいユーリに抱かれ、馬に乗って駆け回る夢だった。


 しかし、現実は違う。キールがレイラをここに搬送しただけだ。

 キールに対して、ユーリの幻想を少しだけでも見てしまったことが、ユーリに対して申し訳なくも思えてくる。

 そしてそのキールは、レイラの無様な姿に、更に魔術師に対する偏見を深めてしまったようだった。それもまた、悔しかったのだ。


「……」


 体が気怠い。力を込めようとしても、まるで水の中にいるようだった。

 レイラは、傍に置かれた包みを見た。それはキールがもって来てくれた食事だ。

 食欲はまるでなかった。しかし、レイラは細い体に力を込めてベッドから出ると、その包みを開き、中のスープとパンを口にした。

 何か食べないと回復しないと言われたレイラができる精一杯がそれだった。


(負けるもんか……)


 鉱山で聞いた魔術師達への否定的な言葉とキールの辛辣な態度が、レイラを動かしていた。

 もう、くよくよとする自分は卒業すると決めて遠征に出たのだ。せめてそれだけは、貫きたい。


 魔術師は軟弱……。

 女は足手まとい……。


 そんな言葉がくらくらとする脳裏に響き、レイラを烈しく責め立ててくる。

 しかし、それに対して、泣き崩れるわけにはいかないと、レイラはパンを齧った。ぬるめのスープを口に入れた。


 ――――程なくして。


 レイラは、キールが運んできた食事を完食した。

 一刻も早く現場に戻るために、レイラは生まれて初めて『根性』というもので立ち向かったのである。


 ベッドに戻り、少しでも早く回復するようにと、大人しく身体を横たわらせる。

 何もないこの部屋で、ベッドの中で横になっていると、色々と嫌な想いが頭に過ってはレイラは溜息を吐くことになった。


 早く、仕事に戻りたい。魔術の研究をしたい。魔器を改良したい。

 念話の魔法を、実現させたい――。


(ユーリ……。心配しないで……。私、大丈夫だから)


 こんな自分ではユーリの傍には立てない。その気持ちが、弱い自分を支えてくれる。


 トントン。

 ノックが響いた。さっきはしなかったノックに、レイラは身体を起こすと、返事をした。


「はい、どうぞ」


 その声を聴いて、ドアがまた開く。

 キールが薬を持って入って来た。レイラの食事が空っぽになっているのを確認すると、小さく呟いた。


「……食べたのか」

「はい、美味しかったです」


 本当は味なんかまるで分からなかった。胃袋にむりやり詰め込んだという感じしかしなかったが、レイラはキールに対して、そのくらいの抵抗はしてみたかった。


「あ、あの、お医者さまは?」

「ああ、親父は……」

「おやじ?」

「あ、いや……」


 ここは錬金術師の薬剤所の地下だというから、医者が一度くらい様子を見に来るかと思ったのだが、やってきたのは、キールだけだった。

 レイラは、自分の容態がどれほどのものなのかを知りたくて医者と話したかったが、その医者に対して、キールは『親父』と言ったので、レイラは目を丸くする。

 そんなレイラに、バツの悪そうな顔をして、視線を泳がせたキール。彼が初めて人間臭い態度をみせたように思えた。


「錬金術師って、キールさんのお父さんなんですか?」

「……そうだ。ここは私の実家だ」


 隠していても仕方ないと、一つため息を吐き出して、キールはそう言った。


「あ、あの……。ここしか、私を診てくれる医者が居なかったって……」

「……ペトロツクは、魔法嫌悪が強い。魔術師を診たがる医者も居ない。……私が……父に頼み込んだ」

「そうだったんですね……。ありがとうございます」


 キールの告白は、レイラにとって、それなりに衝撃的なものだった。

 ペトロツクの魔法嫌いがそこまでのものだとは思わなかったし、キールがこのペトロツク出身だという事実に、納得と驚きが同時に発生した。

 キールが魔術師を嫌っている理由も、この街で生まれ育ったからだろう。そんな彼が、レイラのために、父親に頼み込んでまでして、治療してくれたという。


「薬だ」

「ありがとうございます」


 粉末状の薬品が紙に包まれている。レイラはそれを受け取り、水と共に口内に流し込むと、苦みに眉を寄せながらも、とりあえずはほっとしていた。

 キールが、根っからの悪人ではないし、本当にどうしようもないところまで、魔術師を嫌っているのではないと思えたからだ。


「少し、体温を測るが……。触れても良いか」

「キールさんが、診るのですか?」

「親父は、鉱山夫の看病で手一杯だからな」


 そうだ。ここペトロツクは鉱山夫が怪我や病気に苦しんでいるからこそ、カミツレ隊が派遣されてきたのだ。

 恐らく、キールの父親である錬金術師も、そちらに時間を取られているのだろう。

 そんな中、レイラを看病するために、地下室を開けた。それは、レイラが魔術師だから、他の患者と一緒にすれば、心象が悪くなるためかもしれない。


「私も錬金術師の息子だ。医療知識はあるし、騎士見習いの頃にも学習した」

 不安そうな顔をしているレイラに、キールは技術はあると信頼させるために告げた。

 しかし、レイラは技術や知識の問題ではなく、女性としての恥じらいから、少し緊張してしまったのだ。


「あ、あの……」

「脈の確認と、体温を調べるだけだ。いいな」

「は、はい」


 そうはいっても、レイラはユーリ以外の男性から、触れられたことはあまりない。

 何より、キールに、先ほどユーリの幻影を見ていたかもしれないと考えたことが、レイラの胸を誤解させて変に意識させるのだ。

 しかし、断るのもおかしいし、結局レイラはキールに手を取られ、そっと手首を包まれた。

 大きく固い男性の指が、レイラの細い手首を握り、脈を確認するのだが――。


「脈が速いな……。まだ暫くは安静にしていた方がよさそうだ」

「そ、それはなんというか……」


 次いで、キールはレイラの額に掌を当てて、体温を確認した。

 キールの丹精な顔がじっとレイラを見つめているのは、なんだかとても恥ずかしくて、レイラは目を伏せてしまう。


「まだ熱がある」

「……」


 キールはとても冷たい男性だと思っていたが、彼の掌が思った以上に温かく、レイラは驚いた。

 そして、その体温にユーリのことを思い出していることにも気が付いて、レイラは顔を赤く染めていく。


「薬の影響で今日はすぐに眠たくなるから、じっくりと休め。アントン隊長には報告をしておくし、ここなら安静に治療に専念できる。分かったな」

「分かりました……。隊長やみなさんに、済みませんと伝えていただけますか」

「分かった。何かあれば呼べ」


 キールは冷静な声で必要なことだけを伝えると、空になったコップなどを片付けて、部屋から出て行った。

 レイラは、ぼんやりしているのが薬のせいなのか、キールのせいなのかよく分からなくなって、布団をかぶって瞼を閉じた。


「……ユーリ……」


 しっかりと彼の名前を確認するように口にして、レイラは自分の身体の感覚を思い出す。

 自分の中に覚えている、ユーリの声や香り、瞳や髪の色を求めて心の中の引き出しをかき回した。

 キールとはまるで違う優しい声、柔らかい瞳、透き通る銀の髪……。

 彼と共に隠れてデートに出かけるときに、抱きしめられた時の体温、香り……。


「違うよ……。ユーリとは全然違う……」


 キールの手が触れたところに残る感覚に、ユーリのそれが上書きされていくようにも思えた。

 それが哀しくて、レイラは必死に思い出を求めて、瞼をきつく閉じ、身体を丸めた。

 胸元にしまっている試作型魔器を取り出して、抱きしめる。

 彼に振動を送ろうと指を当てても、その振動は遠い故郷まで届くことはない。


 それでもレイラは、その小さな出来損ないの魔器を縋るように握りしめ、ユーリに想いを送り続けた。

 やがて、薬が効いてきたのか、沼の中に引きずり込まれるような睡魔がレイラを抱擁していく。


 せめて――。


 せめて、夢の中で――。


 そんな願いが切なく心の中で繰り返された……。

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