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モースコゥヴは涙を信じない

 翌日――、朝早くから、カミツレ隊はホールに集められることになった。

 国王と、アナスタシア姫から言葉を授かるためである。

 普段はいる事なんてない宮殿の一室に集められたカミツレ隊は、今やそのブローチがあれば、宮殿内に入る許可を与えられるほどの出世を果たしたのである。

 魔術師達はみな、その宮殿の壮麗なホールに負けじと背筋を伸ばして、その場に相応しい人間になれるように気持ちを固めなおしていた。

 しかし、レイラは、先日のこともあり、アントンとベラにどんな顔をして逢えばいいのか答えが出ないまま、流されるようにこの場に並んでいた。

 胸元に、シルバーのカミツレが輝いていたが、レイラの胸中は不明瞭な靄に支配され、光り輝く期待を削り取られてしまったような気持ちであった。


(ユーリ……)


 昨夜のことが、ずっと頭から離れなかった。レイラは結局、その晩まったく眠ることはできなかった。寝なくてはならないのに、瞳を閉じると、瞼の裏側にユーリの切ない顔が張り付いているように浮かび上がる。

 あれが、最後に交わした二人の表情だ。あのユーリの表情を胸に、これから遠征に向かうことになる。

 ユーリを思い出した時、最初に浮かぶ哀しげな彼の瞳――。もっと色んな彼の表情を見たはずなのに、どうしてなのか、あの濡れて揺れる金色の瞳ばかり思い浮かぶのだ。

 レイラは、気取られないように、視線を動かした。その先には、姫の後方で控えるユーリがあった。

 一片の隙も伺わせないような清廉恪勤な立ち姿は、惚れ惚れする程に様になっている。まるで、昨夜のことがなかったかのように。

 彼は周囲に気配を飛ばしながらも、その最も守るべき存在に凛々しい瞳を向けていた。その視線は、レイラと交わることはない。

 ユーリは、アナスタシアをしっかりと見つめ続けている。


 レイラは視線を落とした。胸元のカミツレのブローチを見つめるようにしながらも、その目には何も映っていなかった。

 モースコゥヴの国王と、姫君が演説台に立ち、レイラたちカミツレ隊に激励の言葉を投げかけてくれるのが耳に入るが、言葉の意味を捉えても、それを精神に飲み込んで、心の中で味わう事なんてできなかった。

 ありがたい言葉を受け、これから国のため、カミツレ隊の一員として活動していく責任感に胸を高鳴らせるべき場面だろうが、レイラは視線を上に上げることすら気力を必要としていたのである。

 整列している先頭に立つアントンの背中も見ることができない。

 その傍に立つベラの後ろ髪もまた、直視できない。


 自分がここに居ていいのだろうかと不安にすらなってくる。

 アナスタシア姫が、カミツレ隊の名前の由来や、そこに込めた意味を語ってくれている。

 カミツレは、最も身近な花の一つであり、冷たい雪に負けずに芽吹く、逞しい花なのだそうだ。花言葉は『逆境に耐える力』であり、カミツレ隊の面々に、人々に身近な存在であり、苦しい生活に耐え、力になれるような存在になるようにと意味を込めていると言った。

 アントンが代表として、頭を垂れ、国の糧となることを宣誓する。

 低く、そして強く響くアントンの言葉は、昨日レイラの前で過去を語ったアントンと同一人物だと思えないほど、芯のあるものであった。


 レイラは分からなかった。

 ユーリもアントンも、別人みたいに見えてしまう。昨日あったことは、レイラが見た幻だったのだろうか。

 結局、人の内側なんて、そんなに容易く分かるはずがないのだろう。

 姫の人選に疑問を抱く前に、自分自身こそが、人のことを全く分かっていない矮小な人間だった。


 ベラは、どうなんだろう。

 レイラの位置からは、ベラの表情は分からない。しかし、背筋をぴんとして、きちんと正面を向いているように見えた。やはり、彼女も強い女性だ。

 昨夜はあれからローザと語らいだのだろうか。自分の気持ちに、整理が付けられただろうか。

 レイラはその背を見て、きちんと顔を上げた。

 自分よりも辛い思いを抱えているベラがしっかりと前を見ているのだ。何を弱気になっているのだろう。自分はとても恵まれた環境に居るのに。そんな風に考えた。


「四日後、ここ王宮から馬車に乗り、パレードをして遠征に出ることとなります。きちんと、皆さまの勇姿を民たちに見せてあげてくださいね」


 美しい声色で奏でられるようなアナスタシア姫の声で、式は終わりとなった。

 王宮から馬車でペトロツクまで向かうこととなるが、モースコゥヴ王都を行進して、民たちにカミツレ隊の発足をアピールするらしい。

 王宮魔術師が、大々的に国を代表して動くことを知らしめる効果もあるだろう。きっと家族も見に来る。一人娘の晴れ舞台になるのだから。


 幼い頃、バター祭りで動物の仮装してパレードした日のことを思い出すが、そんなものとはまるで規模が違うし、意味合いが違う。

 こんな日が来るだなんて、少し前までは想像もしなかった。


 隣のレオンは、すっかりやる気満々という様子で、瞳を煌めかせていた。彼は姫に心酔しているから、尚更だろう。人生の絶頂だと言わんばかりに顔を火照らせてニコニコしていた。

 ホールから退室して、カミツレ隊のメンバーはそのままいつもの開発室に戻っていく。

「パレードなんて、まるで勇者みたいだ!」

 レオンがウキウキとしてはしゃいでいた。

「緊張しますね」

「慣れないよね、確かに。ふふふっ」


 レイラが苦笑するのに対して、レオンは逆に朗らかに笑った。

 まさに、姫の激励の効果がまざまざと発揮されているのだろう。レオンは興奮の熱を脳から著しく分泌させて、鼻の穴を膨らませる。


「レイラ、当日は沢山の人が見に来るのよ。しっかり綺麗に決めてきなさいよ」

 レオンと語っていたレイラに、気さくな様子で、ベラが声をかけてきた。

 そんなベラの言葉に、レイラは一瞬、目を丸くしてしまう。アントンとのことはまだきちんと片付いていないが、ベラは明るい声でそう言った。

 まだまだベラは手放しで気持ちを高揚させることができる状態ではないだろうに、彼女の声はレイラの背中を押し出すみたいな力あるものだった。

 もしかしたら、ローザと相談して、多少は心のしこりが取れたのかもしれない。

 それに、今はレオンや他の魔術師もいる。ベラはカミツレ隊の副隊長だから、後ろ向きな様子を滲ませるわけにもいかないだろう。

「き、綺麗に、ですか?」

「うん、だって、今こそアタシたちが目指した舞台の幕が開く時なのに、萎れたまんまでお披露目できないでしょ?」


 ――ベラは、かねてから女魔術師として、自分の姿を世間に認めさせたいと口にしていたから、このカミツレ隊の発足パレードは念願の舞台と言って間違いないだろう。

 レイラも、そうだった、と後ろ向きになっていた気持ちを少しばかり持ち上げた。

 カミツレ隊に参加して、周囲に自分を認めさせたい。ユーリの隣に居ても赦される女性だと。それが、目的であったはずだ。


「が、がんばります」

「うん。がんばろ、レイラ」


 ベラのその様子に、レイラは負けらないと力を込めた。ベラの『頑張ろう』の短い一言が、なんだかとても意味合い深く感じられたのだ。

 誰かに救ってもらうばかりは、もうやめるんだと決めたのだから。

 まだ――、全部が失敗したわけではない。少しの挫折が何だと言うんだ。もとより自分はほとんどゼロだった。今からでも、何かを成し遂げることができるはずだ。


 ……一歩進んで、また一歩下がるような、そんな毎日を繰り返していたように思っていた。

 しかし、きっとそうではないと、レイラは信じたかった。

 一歩下がったなら、また一歩。一歩が無理ならば、半歩だけでも。

 レイラは、未来に歩みたい。そして、アントンに未来を見つめることは、過去を喪うことではないと、伝えたいと考えた。


 ――それからは、一瞬の出来事みたいに日にちが進んでいった。

 カミツレ隊として動くことの準備が毎日積み重ねられ、レイラたちは忙殺された。

 明日は、いよいよパレードの日。遠征に発つ日になってしまっていた。


 その直前になって、レイラは図書室で借りっぱなしになっていた『千夜一夜』を返却しておこうと思い出した。

 残念ながら、『千夜一夜』を読破することはできなかった。翻訳作業で内容を頭に入れながらの読書としては十分に読み込めたと思っていた。なにせ、今やこの異国の文字を頭の中で自動的に変換できる程度に翻訳慣れできたのだから。

 詩集自体は、百夜辺りまでは目を通せた。最後まできちんと読み切れなかったのは残念だが、このまま遠征に持ち出すわけにはいかないし、レイラは『千夜一夜』を抱えて仕事終わりに図書室にやって来ていた。

 司書に礼を述べながら、本を返却して、レイラは少しだけ図書室を見回した。

 もしかしたら、またクリアーナと話ができるかもしれないと期待していたのだ。

 しかし、クリアーナは図書室には居なかった。彼女も親衛隊であるし、ユーリが今忙しい時期、クリアーナも同様なのだろう。図書室に来るような余裕はないのかもしれない。

 少しだけ残念な顔を浮かべて、レイラは図書室から退室した。

 そして、クリアーナと図書室で会話した時の言葉を、胸に蘇らせた。


(『言葉』は、『意味』だけではない――か)


 クリアーナは、翻訳の勉強のために異国の言葉を読んでいたレイラに、そんな助言をした。

 今にして思うと、あの言葉がなかったら、アントンの言葉を、その言葉の意味通りに捉えてしまっていたかもしれないと想像した。

 人が、誰かに口に出して伝える言葉は、色々な膜を通り抜けてから届けられると思い知った。

 レイラだって、人に言葉を伝えるときに、思ったままを言葉にできたことなんて数少ない。

 こんなことを言ったら、相手が困ってしまうからと、言葉を選んで口にする。その選んだ言葉の『意味』以上に、紆余曲折して作られた結果が声になっている。

 だから、言葉の表面上をなぞっただけで、その人の全てを呑み込めたわけじゃないと知って、レイラはアントンに理解を示すこともできた。


 ユーリとの最後の夜の言葉だってそうだ。

 右手で顔を覆い隠して、ユーリは事務的な声で「帰りなさい」と言ったが、その言葉の裏側にどれほどの気持ちが内在していたのだろうか。

 レイラが精いっぱい、『愛している』と全身で伝えた視線を、ユーリはどれほど理解してくれただろうか。


 言葉を伝えることは、こんなにも難しいのだ。

 ただ伝えるだけでも難しいのに、それを魔法にして遠くの人と言葉のやり取りを行うなんて、どれほど難しいのだろうか。

 念話なんて、夢のまた夢――。

 今は、堅実に、この国の人々に直接的な効果をもたらす魔法を作る必要があるのだ。

 レイラは念話魔法の試作魔器に企画が落ちて以来、触れていない。

 アントンが投げた匙を拾い上げてみても、やはりレイラには手に負えないもののようだ。


「夜……。この夜を超えたら、私はここを発つんだ」


 本を返して王宮からの帰り道、レイラはすっかり日が落ちた、夜の帳を見上げて、美しく散らばる星々に呟いた。

 ここから、自分の千夜を超える物語が生まれていくのだろうか。その千夜目には、レイラはユーリと結ばれているのだろうか。

 そんな風に、感傷的な空想が、レイラのターコイズブルーの瞳に映っていた。


「夜……」


 夜、と言えば、ユーリの愛馬である『ノーチ』が思い出された。

 ノーチ、とは『夜』を意味する言葉だ。


 黄金の馬であるアハルテケという品種に、宵闇の名を与えるのは、幼馴染にして理解が及ばない感性だった。

 なぜユーリが自分の愛馬にそんな名前を付けたのか、少し気になっていたものの、その由来は聞く機会がなかった。

 夜空を見上げて、レイラは思う。二人で過ごしたあのデートのことを。

 レイラは、ふと思い立って、いつもユーリと待ち合わせに使っていた寂れた公園に行ってみようと方向転換した。

 週に一度のデートを、いつも楽しみに王宮魔術師の仕事を頑張っていたレイラに、今週ユーリと逢うことができない事実は、心を締め付けられるものだった。

 あの時、ユーリの抱擁に身を任せてるべきだっただろうか。本当は、彼に強く抱きしめてもらいたかったのに、あの時レイラは拒否したのだ。

 ベラとアントンのことを考えて、自分だけが恋人と愛を囁きあうことが、悪いことのようにも思っていたし、ユーリの立場を考えると、王宮の中で、唇を重ねるなんて、許される事ではない。


 人気のない通りの先にある公園は、春になってもやはり物悲しい気配に包まれていた。

 レイラはその公園の樹の幹に背中を預けて星空を見上げた。

 いつも、こうしてユーリを待っていた。

 今日も、こうしていると、ユーリがやってくるような気がしてしまう。そんな期待が、思わず視線を動かして、居るはずのないユーリの姿を求めてしまう――。


 あの黄金の馬、ノーチの蹄の音がしないだろうかと、耳を澄ましてしまうのだ――。


 そんなものは、聞こえないことを、レイラは知っている。


 星屑がきらりと頬を伝い落ちたみたいに、一筋の涙が流れた。


「あ……」


 レイラは、近頃、ずっと堪えていた。泣いてはいけない。それは弱い自分の証だから。情けない自分を卒業して成長すると決めたから。

 ベラの隣で涙を堪え、アントンの過去に哀しみを堪え、ユーリの抱擁に首を振った。

 頑張っていたのに。


 結局、明日、カミツレ隊は出発する。

 レイラの中で頑張っていた物を、何一つ解決させないまま。


 ぽろぽろと、沢山の流星が落ちていくように、レイラは光を零してしまう。


「うぁぁ……」


 嗚咽さえ、我慢ができなかった。

 誰もいない公園で、レイラは泣いた。明日は、笑顔でみんなに凛々しい姿を見せなくてはならないから。

 今が、泣ける最後だと、レイラはくずおれた。


 努力は地面に落ちた涙のように、散って消えたみたいに思えた。何も結果を出せなかった自分が、悔しくて。レイラは嗚咽に肩を震わせていた。

 星屑虫を一緒に見たあの日のように、自分の流す光が空に昇っていくならば、これからのことをどれほど期待できただろうか。

 しかし、現実はレイラの内側から零れ出る星屑は、地面に染みを作って溶けて消えるしかなかった。


「ユーリ……、ユーリィ……! 逢いたいよ、キス、してほしかった……」


 その言葉を届けるべき、念話の魔法は挫折に終わった。

 千夜を語れなかった詩集のように。


 この公園には、その日、愛する騎士はやってくることはなかった。

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