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勇者と向き合うお前も羊

 足取りは重かった。

 魔術師の塔から外に出てみると、辺りはもうすっかり暗闇に包まれていた。ところどころにうっすら灯る魔法の光が白々と揺れていた。

 闇に浮かぶその弱々しい光が、なんだか自分のことみたいに重なって、レイラは肩を落としてしまう。


(……アントン隊長に失礼なことまで言ったのに……結局ベラ先輩の力にはなれなかったな)


 アントンの過去に向きっぱなしになっている目をほんの少しでも、明日に、ベラに向けてほしかった。そのために、アントンの内側を抉るみたいなことを言って責めた。

 過去を見続けていても、奥さんは喜ばないのではないかと、伝えたかった。

 きちんと、それが伝わったのか、レイラは分からない。なにせ、こんな風に誰かに対して、気持ちをぶつけたことはなかったから。

 もっと口達者なら、アントンを納得させて目を覚まさせたりもできただろうに、自分の不甲斐なさがただただ情けない。


 レイラだって、自分の上司のアントンに未来を見ていて欲しいと思っている。だが、アントンは未来など不要だと言ったのだ。

 そんな人物が、開発隊の隊長なんて、間違っているようにも思う。

 アントンを開発隊の隊長に推したのはアナスタシア姫だと聞いた。姫はアントン率いる魔術師第二部署の、昨今の活躍を見て、彼を隊長に据えたのだろうが、アントンの内面まできちんと把握できていたのかは不明だ。

 それに、姫はまだ十五という年齢で、レイラよりも年下だ。アントンの人間性まで考慮に入れて抜擢したのかは分からないところだ。

 ユーリも、見習い期間を終えて、姫の鶴の一声で親衛隊に上がったと聞いた。ユーリ自身は親衛隊に入ることを希望していたわけではないにも拘らず。

 そう思うと、アナスタシア姫の人選はその人物の内面まで考慮にしていないのかもしれない……、そんな疑いがレイラの沈んだ心に浮かび上がる。


(――なんてこと、考えてるんだろう)


 レイラは頭に浮かび上がったその考えを直ぐに否定した。

 色々なことが上手くいかなくなっているような感じに、焦りを感じていたレイラは、『誰かのせい』にできる理由を捜していたのかもしれない。

 弱い心が、自分のせいではないと言い訳を求めて、あろうことか姫を引き合いに出したのだ。


(ユーリと、離れるから……、姫様に嫉妬……してるんだ)


 かっこ悪い、と自分の情けない発想を叱りつけたくなる。

 きっと、アナスタシア姫はそんな浅はかな人ではない。何か深い考えあって、ユーリも、アントンもそれぞれ役職を割り振ったはずだろう。

 事実、ユーリは最初こそもがいていたものの、今は強く逞しい騎士としての見本を体現している。

 もし、ユーリが親衛騎士ではなく、密猟対策隊の騎士になっていたとしたらどうだろう。

 そういった騎士は雄々しく逞しいものであれど、粗野で横暴な面も見え隠れする。何より彼らは、魔法技術を毛嫌いしている。

 そんな環境で育っていったとしたら、魔術師になったレイラに、ユーリはなんと言っただろう?

 ユーリに限ってそんなことはないと思うが、――だが、アントンから聞いた魔法使いとしての苦悩、レオンからも聞いた魔法使いの差別、そういうものに、自分も苦しめられたかもしれないなんて想像してしまう。

 だと考えると、ユーリが親衛隊に入ってくれたことは本当にうれしいことだ。あのクリアーナの考え方に感化されていけば、魔法技術を認められる騎士になるのは間違いないと言える。


(私が、もっときちんとできていればいいだけなんだ)


 ぎゅう、と拳を握った。

 悔しかったのだ。自分の力のちっぽけさを改めて思い知らされた。

 涙が出そうになるが、それこそ情けないことだとレイラは瞳が滲みそうになるのを自分で頬を叩いてひっこめさせる。


(隊長は、未来なんか不要だって言ったけど、あの言葉だって全てが本物じゃない)


 アントンは言っていた。大人になれば、自分を護ろうとすることが上手になると。

 あの言葉も、自分を護ろうとして吐き出されたものであって、本音ではないとしたら……。そう信じたい。

 本当に未来に興味がないのなら、そもそも、念話魔法の開発に困っていたレイラに手を差し伸べたり、企画を提案したりしないはずだ。

 アントンは、きっと、期待してくれていたんだろうと思う。

 彼はいつも、若い魔術師の自分たちを陰ながら守ってくれていた。それは何よりも、未来ある若い魔術師たちの将来を考えてのことだと思うのだ。

 そんな彼だからこそ、第二部署の面々はアントンに従っているのだから。


 そして、ベラだって。

 アントンは、ベラの想いに気が付いていたからこそ、わざと無視していた。

 愛する妻への想いを護るため。


 レイラは暗い通路を歩みながら、物思いに耽っていた。明日、ベラになんと話そうか、これからの遠征に備えて、どうしたらいいだろうとか――。

 だから、レイラは自分に忍び寄る影にまるで気が付かなかった。

 不意に物陰から飛び出して来た人物に、レイラは口元を抑えられて、声を封じられた。


「!?」


 そのまま抱きすくめられて、物陰に連れ去れてしまう。

 突然のことに、レイラは何が起こったのか分からない。ただ、吃驚して自分を暗い壁際に押し付ける人物をぽかんと見上げた。


「レイラ」

「……!」


 ユーリだった。

 口を押えていた手をそっと除けながら、声を上げるなと目が言っている。

 突然のことに、レイラはそもそも言葉すら失って、眼を丸めていた。


「こんなに遅くまで王宮に居るなんて」

「ちょ、ちょっと、用事があって」


 ユーリは険しい表情で壁に追い詰める状態になったまま、レイラを見下ろしていた。


「夜遅くになると、危ないだろう」

「ご、ごめんなさい」


 叱るように、ユーリが言った。王宮から家まで帰宅する道も夜も遅くなれば何が起こるか分からない。慣れ親しんだ道だからと油断して、悪漢に襲われたりすることもあるとユーリは以前、レイラに注意を促したことがある。

 心配をしてくれているのだと分かって、レイラは申し訳ない気持ちと共に、少しだけ嬉しさも感じていた。

 だが、今日はそれだけではない様子で、ユーリは何かせっぱつまったような顔をしていた。


「……でも、良かった。こうして話せる機会があって」

「なにかあったの?」

「カミツレ隊のことがあってな、最近オレも忙しくなって来た。それで……毎週お前とデートしていた時間も……作れなくなりそうで」

「……そ、そっか……」

「お前が遠征に出るのが五日後だろう。そこまでに、本来なら一度は会う機会が作れると思っていたんだが……すまない」

「じゃあ……、デートはもう、できないんだね」

「……すまない」


 ユーリが心苦しそうに絞り出すような謝罪の言葉を吐きだした。

 レイラは、寂しく思いながら、どうしようもない状況だと納得せざるを得なかった。

 五日後の遠征までに、色々なことが動き出す。姫直属の親衛騎士なら尚のことであろう。

 もう、二人だけの時間は、作れないのだ。

 つまり、今、こうしているのが――二人の最後のひと時になるだろう。


 暗く冷えた、王宮の通路で、陰に隠れて二人は暫し見つめあった。

 ユーリが、そっとレイラの眼鏡を取ろうとした時、レイラは小さく首を横に振って拒否した。


「……だめだよ」


 ユーリの指先はその言葉でピタリと停止して、微かに揺れた。

 ユーリの、切ない瞳が、月の光を受けてプラチナみたいに光って見えた。

 そんな顔、しないで欲しいとレイラは思わずにいられない。離れたくなくなる。


 ここは王宮だ。ユーリは、ここでは親衛隊の騎士。

 レイラの恋人ではない。

 ここでキスをすることは、ダメだと、レイラはユーリを拒んだ。


「……抱きしめたい」

「……だめ、だよ。ユーリ……」

「最後なんだぞ」


 痛い。胸が、痛い――。

 重たい鎖で縛られた心が暴れたそうにのたうち回っているようだった。

 ユーリの言葉が、欲しい。体温が、欲しい。

 甘い香りが少しした。ユーリのポプリだろうと、思った。

 それでも、レイラは拒否しなくてはならない――。


 今は、その想いを無視しなくては……。


(あぁ……そっか)


 相手の好意を、受け止めちゃいけないことって、こんなにも切ないものなんだ。


「愛してる」

「ユーリ……」

「無事でいてくれ」

「うん……」


 ユーリはそう言って、抱きしめたいという身体の欲求を抑え込んで、熱い視線をレイラに向け続けた。

 レイラも、言葉にはしなかったが、全身で告白していた。

 世界一、愛している、と。


 ユーリはゆっくりと身を引くと、右手で自分の顔を覆い隠した。


「もう遅い、早急に王宮から出るように」


 事務的な声で、そう言った。

 レイラは「はい」と返して、足早に王宮から出て行った。


 後に残ったユーリは、レイラがもたれかかっていた壁に手をつき、彼女の体温が残っていることを確かめて、それが失われてしまうまで、じっとそのままで居た。

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