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問題は時間ではなく、自身にある

 ベラの涙を見て、レイラはずっと考えていた。

 アントンに、ベラの気持ちをきちんと伝えなくては、必ずベラは後悔すると。

 今のまま、ベラがアントンへの想いを諦めても、きっとベラはこれから先、気持ちを引きずって行かなくてはならないだろう。

 それはこれから、多目的共同開発隊として活動していく上で、大きな負担になると思えた。気持ちの整理が付かないまま、想い人を上司にして、仕事をそつなくこなしていくなんて、不可能だと思った。


(アントン隊長、奥さんを亡くしてたんだ)


 ベラの気持ちには勿論、共感をしているが、アントンのことも蔑ろに考えることはできない問題だった。

 あの昼行燈な上司のアントンに、哀しい過去があったなんて思いもしなかった。

 レイラは、もし自分がアントンの立場ならばどうなるだろうと考えてみる。

 ――もし、ユーリと死別したとしたら……。はたまた、レイラがユーリを遺して逝ってしまったとしたら……。

 そんな想像をすると、アントンが奥さんを想い続けて過去に縛られるのも十分理解できる話だった。


 もし、ユーリと死別したとしたら、レイラも、絶対にユーリのことを忘れたくはないと願うし、忘れられそうもない。いつまでも、彼の表情や声、体温や香りを覚えていたい。


 ――しかし。

 逆ならば、と考えてレイラは瞳を閉じて想像する――。


(もし、私が死んでしまって……ユーリが悲しんだとしたら……辛いな)


 ユーリはきっと、自分が死んでしまったら、大きなショックを受けるだろう。それこそ、親衛騎士を続けられるか分からないほどのショックだろうと考えた。

 哀しみに沈み、レイラを護れなかったことを悔やみ、自分を追い詰めて、どんどん塞ぎ込んでいく。ユーリは、人一倍、誰かを護りたいと思う気持ちが強い人だ。それは彼の愛撫にも表現されている。レイラがユーリに抱きしめられると、必ず彼は両腕でレイラを包み、冷たい風から身を護ってくれる。

 それに、親衛隊という姫の護衛任務に常時就いている彼は、『護る』ことにプライドを持っているはずだ。

 そんな彼が、恋人を護れなかったとしたら……、きっとユーリのアイデンティティは崩壊する。


 そうなれば、ユーリは恐らく立ち直れないのではないだろうか。

 それは、嫌だった。

 もし自分が彼の元から離れたとしても、彼には幸せな未来が待っている。そういうことを願わずにはいられなかった。


(大事な人を亡くしてしまったら……、きっととても苦しいけれど……、生きているなら、愛した人には幸せになってほしい……)


 そんな風に考えた。

 おそらく、そんな気持ちをベラだって考えたのではないだろうか。アントンのことを好きならば、そのくらい想像するのが当然だろう。

 だから、ベラは、アントンに未来を見つめて、希望の光に笑顔を映してほしかったのだと思う。

 だが、アントンは完全に後ろを向いていた。どれだけ呼びかけてみても、彼は振り返ることがなかったのだろう。そのベラの毎日を考えるだけで、レイラは胸が痛んだ。


 アントンの奥さんはどんな人だったのだろうと、ふと考えた。

 あれだけアントンが思い続けているような女性だ。きっと素晴らしい人なのだと思う。

 だからこそ、アントンに幸せになって欲しいと願っていたのではないだろうか。今のアントンを見て、奥さんは笑顔を浮かべてくれるのだろうか。

 もし、レイラならば、ユーリの幸せのためならば……自分ではない女性と共に、幸せを見付けてほしい、と……。


(……うん。……そう、思う)


 アナスタシア姫の隣で、優しい笑顔を浮かべるユーリを思い出し、レイラはちくりと胸が痛みながらも、頷いた。


(例え、私が、ユーリの傍に居られなくなっても……ユーリには、幸せになってほしいよ)


 く、と心臓が鳴ったみたいだった。切ない痛みが内側に刺さったけれど、レイラはやはり、自分のせいで、ユーリが苦しむ姿は見たくない。

 これから遠征に出て、王都から離れる。ユーリとは逢えない。もし、またユーリが苦しむようなことがあっても、今度こそ、彼に何もしてあげられなくなる。

 だったら、傍にいる誰かに、ユーリを笑顔にしていて欲しいと願わずにいられなかった。

 ユーリの傍には、麗しいアナスタスア姫も居れば、頼れるクリアーナも居る。何の心配も要らない。

 離れ離れになって、きっと彼は悲しみに暮れるだろうけれど、きっと、大丈夫だ。


(……ううん、今はベラ先輩とアントン隊長のこと、考えなきゃ)


 念話魔法が不採用になったことが思った以上に心に大きなしこりを作ったみたいだった。

 自分が、すぐにユーリのことを思ってしまうのを首を振って振り切ったレイラは、もう一度、ベラたちのことを考え始める。

 やはり、何度考えても、今のままの二人では、心からの笑顔を浮かばせることなんてできそうにないと思えた。

 ベラはきちんとアントンに気持ちを伝えるべきだし、アントンはそのベラに向き合い、先を見てほしいと願わずにいられない。


 翌日、レイラはどうにかして、アントンときちんと話す機会を得られないものかと悩んでいた。

 ベラのことを伝えるにしても、アントンの気持ちをきちんと聞いてからでないと、何の意味もない。

 とは言え、レイラはあまりアントンと深い親交があるわけではない。ましてや直属の上司になるので、プライベートな会話をどう切り出していけばいいのか、手をこまねいていた。

 思い悩んでいるレイラは、浮かない顔をしていた。そんな様子を見て、相棒のレオンが声をかけてきた。


「レイラさん、念話魔法がダメだったこと、気にしてるのかな」

「あっ、いえ……それは、残念だとは思ってますが、理解してます……」

「そう……? 僕も協力したから、気持ちは分かるよ。元気だして」


 レオンが随分とレイラを気にかけてくれていると、なんとなく感じていた。

 レオンは元々、あまり人付き合いが得意なタイプではないものの、レイラとはそれなりの関係性を構築できていた。しかしながら、近頃のレオンはそれにも増して、頼れる先輩魔術師をレイラの傍で見せてくれているような気がしたのだ。

 なんというか、とてもレオンが自信に満ちている、という感じがしていた。開発隊に加わることを光栄に思っていると心から言っていたから、気持ちが逸っているのだろうか。

 レイラが悩んでいると、誰かに相談してくれたり、気遣ったり、企画書の参考になればと、希少な鉱物を用意してくれたり、近頃、本当に力になってくれようとしていると思っていた。


「せっかく先輩が青生生魂アポイタカラを用意してくれたのに……すみませんでした」

「良いんだよ、気にしないで。今回の企画は下ろされたけど、念話魔法自体がダメだと言われたわけじゃないんだし。これからも頑張っていたらいつか必ず、報われるよ」


 そう言って、レオンがニコっと、笑顔を見せてくれた。レイラを元気づけようとしていると、真っ直ぐな程に伝わってくる。


「なんだか、レオン先輩、最近、雰囲気が変わりましたね?」

「そ、そうかなー? まぁ……自信が湧いてきたってのはあるかもしれないけど」


 レオンが照れながら、愛嬌のある眼を細めた。

 レイラは、そんなレオンの様子に既視感を覚えて、ふと物思いに耽った。

 そして、レオンの言った『自信』に言葉で思い至った。


(そっか……レオン先輩の『変化』も『自信』を持ったから、なんだ)


 それは以前、レイラが変わりたいと強く思ったあの日の出来事に似ていたのだ。

 少しでもユーリの傍に近づきたいから、自分を磨くために、ベラとローザに『自信を付けろ』と教わった。

 レオンもそうなのかもしれない。『自信』を獲得して、変化していこうとしているのだ。実際、今のレオンはなんだかとても頼もしい男性に見えた。

 困っていたら、すぐに気がついて声をかけてくれる。

 もしかしたら、ベラとアントンのことも相談したら、協力してくれるかもしれない。そんな風に一瞬頭に過ったが、それはダメだとすぐに考えを捨てた。ベラは、レイラだから相手がアントンであることを打ち明けてくれたのだ。それをレオンに伝えるのは違うことだとレイラは相談をひっこめた。

 引っ込めた代わりに、ふと、思い出したことがあった。


「そう言えば、以前、レオン先輩が言ってましたよね。『罰は自分で決めちゃダメ』って」

「え? あー、そんなこともあったっけ?」

「あれって、アントン隊長の言葉だったんですよね?」

「うん、僕がここに来たばかりのことだよ。中々ここに馴染めなかった僕は、緊張して失敗の連続だったんだ。第一部署の魔術師たちからは陰湿な虐めを受けたりしてたし、失敗するたびに、自分が嫌になっていってね。自分が赦せなくなって自棄になってたことがあるんだ」


 昔の話だけどね、と笑いながら語ったレオンはその過去を、本当に笑えるほどまで変化できたのだろう。

 実際彼が過ごしたその苦しみの時期は、本当に悲惨なものだったようで、レオンは毎朝、『生まれてきてごめんなさい』と謝り、寝る前に、『生きていてすみません』と吐き出すほどの精神状態だったそうだ。

 以前、彼が親から勘当されて、王都までやってきたことを聞いていたレイラは、レオンが本当に、自分のことを過小評価して暮らして来たのだろうと想像できた。

 モースコゥヴの男子は、強く逞しく、狩りと戦いに剣を振るうことが理想とされるなか、レオンは魔法に入れ込み、不健康そうな体つきと血色の悪い顔でブツブツと呪文を唱える姿は、情けなく不気味とされてきた。生みの親すらレオンを認めてやらず、彼は自分が最底辺の男だと思い込んで暮らして来た。

 そんな中、レオンは王宮魔術師となり、空回りする程に毎日を駆け抜けたらしい。結果、魔術師の中でも、レオンはきちんとできない、底辺中の底辺だと、思い知らされたとのことだ。


 そして、毎朝、毎晩、彼は自分の情けなさを神に懺悔して、鬱状態になっていたようだ。

 そんな時、アントンが言ってくれたのだという。


「罰を受けたいって、顔しているねえ」――と。


「実際、その時の僕は、生きているだけで罪を犯しているような気分だったから、本当に天罰を受けて死んでしまいたい、とか思ってた」

「そんな……そんなこと、ないですよ。先輩」

「あはは、うん。分かってる。僕ももう、そんな妄言は言わないよ。でもその時は本当にそんな精神状態だったんだ。で、そんな僕にアントン隊長が言ってくれたんだ。『自分で罰を決めてはダメだ』って」

「どういう、意味なんですか?」

「僕の場合、自分で勝手に『死んでしまう』ことが罰だと願ってた。命を軽んじてた」

「命を……」


 妻を喪ったアントンからすれば、命の重みは誰よりも理解が深いのかもしれない。


「それでね、アントン部長が僕に罰をくれたんだ」

「罰を?」

「うん。罪があるなら、罰を受けて、許されなくちゃならないでしょ」

「う、ううん。なんだか哲学ですね」

「そんなに難しいこと言ってるんじゃないんだ。罪悪感って、消したいじゃない?」


 罪悪感――。

 腑に落ちたような気分だった。自分がこのままではダメだと気が付いたのも、罪悪感に似ていたかもしれないとレイラは考えたのだ。

 ユーリと再会を果たし、彼との違いを肌で感じたレイラは、今のまま彼の隣に居たら、彼の迷惑になると考えた。高嶺の騎士であるユーリの幼馴染として、不格好な姿の自分が赦せなかった。それは罪悪感と表現して、近いものがある。


「だから、僕の中の罪悪感……、僕はこの世の誰よりもデキソコナイだって罪に対して罰を与えて、チャラにしてくれたんだよ」

「その罰って、なんなんですか?」

「雪かきだよ」

「え……?」


 レイラは驚きの表情で、レオンを見つめた。なんだか思ったよりも拍子抜けな『罰』だと思ったのだ。


「レイラさんに見せたでしょ。雪かきの時、シャベルに魔法」

「あ――」

「僕に毎朝、雪かきをさせたんだ、アントン隊長は。僕はその時は、ああ僕に相応しい雑用だってまだ卑屈なこと考えてた。でも、そんな僕に、アントン隊長がさ、『きつくない、それ?』って物凄い間抜けな声で言って来た」

 へへへ、とレオンが面白そうに笑ったので、レイラも話の続きが気になって、レオンの顔を見つめ続けた。

「そりゃ、罰なんだからきついのが当たり前じゃないかって思ったね。そんな僕に、アントン隊長がさ、『ただやるだけだとキツイもんだよ、罰ってのは』って、なんだか的外れなこと言うもんで、僕はなんなんだこのオッサンはって実は心の中で愚痴っちゃったんだよね」

「なんだか、アントン隊長らしいと言えば、らしいですね」

「それでさ、『工夫をしてみたら?』って言ったんだ。シャベルを指さして」


 なんだかまざまざと光景が目に浮かぶようだった。

 朝の冷たい雪の中、レオンが汗を流して、仏頂面でシャベルを握り、それを傍から頬杖ついて眺めるアントンだ。


「それで、僕はちょっと考えた。僕が受けた罰は、広場の雪かき。ものすごくキツイ肉体労働だけど、雪は誰かが片付けないと、邪魔になる。このままダラダラやっていたら、終わらない。終わらないと、また迷惑になる。そしたら、また僕は役立たずだって」

「もしかして……、あのシャベルの魔法は……!」

「うん、その時、僕が『工夫』した結果、生まれた魔法なんだ。僕の、罰だよ」


 そう言うレオンは、誇らしそうに眉を吊り上げていた。


「あの魔法を作った時、アントン隊長が、僕のこと、褒めたんだ。……僕の作った魔法が、きちんと役に立つって、分かったんだ。それから僕は、自分のことを、少しだけ、……好きになったよ」


 ぽりぽりと頬を掻くレオンは気恥ずかしそうにしていた。

 しかし、レオンの『自信』の欠片が確かに見えた。


「アントン隊長はさ、何考えているか良く分かんない人だけど、僕らみたいな若い魔法使いのために、いつも気を回してくれてるよ」

「…………」


 それは、レイラも分かっていた。

 アントンは、いつも陰ながら、レイラたちが働きやすいように、矢面に立ち、厄介事を引き受けてくれている。

 彼を好きになるベラの気持ちも、理解できる。アントンは本来、とても優しい責任感のある大人なのだろう。だが、そんな彼自身が、自分のことを檻に入れているのかもしれない。

 それこそ、罪悪感に捕まって。

 ほんの少し、アントンの人間性が見えたような気がした。


「アントン隊長って、奥さんを亡くされてるんですよね?」

「ああ、うん。らしいね。もう亡くなって八年だっけ? 今も毎年墓参りに行っているみたいだよ」

「八年……」


 もし……。

 もし、ユーリに八年逢えなかったとしたら……彼のあの優しい声を思い出せるのだろうか?

 八年は、レイラにとって、とても遠いものに感じられた。


 アントンの刑期は、いつ終わりが来るのだろう。

 アントンの罰は、誰が与えてくれるのだろうか――。

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