知恵は素晴らしいが二つだとなおよい
開発室にて、レイラは、ベラと共に念話魔法の企画書を制作している最中だった。
だが、レイラはベラの様子を気にしていた。
最近は、やはりどこか元気がないように見えたのだ。恐らくだが、ベラの恋が実を結んでいないためだろうと想像ができた。その一番の理由は、ベラの胸元にあったジルコンのネックレスがなくなっていたことに気が付いたからだ。
「ベラ先輩……」
「ん? 企画書の質問?」
レイラがおずおずと声をかけたことに対し、ベラは明るい声を出した。その明るさも、どこか不自然で、普段のベラと比べて何か足りないものがあるようなそんな感覚を受けていた。
「企画書じゃなくて、……ベラ先輩のことで」
「……何よ深刻な顔しちゃって。念話魔法の費用対効果をしっかりと出しておかないと落とされるわよ。人のこと、気にしてる場合じゃないでしょ」
「ネックレス、外しちゃったんですか?」
「……ああ、うん……。飽きちゃったんだ」
何でもないことのように言ったベラではあったが、レイラには強がりのようにも聞こえた。事実、それはベラの強がりだったのかもしれない。
笑顔をこさえている彼女の表情は、どこか不釣り合いな硬さがあるのだ。
「先輩、私の企画書のことも、以前の美容のことも、沢山お世話になってます。だから、あ、あの……私にもその……できることがあるのなら……」
「大丈夫だってば」
「……私では、ベラ先輩の……力にはなれないんですか?」
「……」
レイラの少し踏み込んだ言葉に、ベラは思わず口を噤んだ。レイラは基本的にはあまり深く相手に対して踏み入ろうとしない。相手のことを思うからこそ、心の中に土足で入り込むような言動を避けているのだ。
だが、今日のレイラはその心に中へと、一歩……入ろうとしていた。
「こ、こんなこと言ったら……調子に乗るなって言われるかもしれないんですが……。わ、私……ベラ先輩のこと、友達だと思ってます」
「レイラ……」
「と、友達……だから、何かしてあげたくなるんだと思うんです。なんだか、今の先輩のこと見ていると、私自身も苦しくなります」
レイラがどもりながらも、素直な心の内を吐き出したことに、ベラは顔を伏せてしまう。
「レイラのその気持ちは嬉しいよ。あたしもあんたのこと、友達だと思ってる」
吐き出されたその回答は、どうしようもなく暗かった。
ベラ自身、己の中の気持ちにどう向き合って良いのかが分かりかねているのだろう。
「先輩……」
「でも、ゴメン。もうちょっとかっこいい先輩でいさせて。……今、弱音吐いちゃったら、色々なことが上手くいかなくなると思う」
ぎこちない笑顔をなんとか作り上げて、ベラは言った。
――悩みを抱えているのは自分だけじゃない。みんな平等に、春の訪れと共に環境が大きく変化する。今、この時期、とても微妙な状況が作り上げられているのだ。開発室には毎日、どこか緊迫した雰囲気があった。
多目的開発隊に抜擢された魔術師班第二部署のメンツは、誰もが期待と不安に精神を緊張させていた。
大切な時期なのだ。それを壊すことはできる限り避けて通りたい。なんとしても、この多目的開発隊で、魔法技術を世の中に広め、自分たちの居場所を作り上げたいと誰もが考えているのだ。
魔法使いは、つまはじき者としていつも虐げられてきた。それを変えるための活動が始まる。
個人ではなく、魔法使いとしての悲願が、今動き出そうとしている。それをいきなり躓きたくないと考えているのは、レイラも同じだった。
ベラは――、今レイラに心の内側を吐き出すと、その一歩目を沼に捕らわれてしまうだろうと考えているようだった。
ベラは、多目的開発隊の隊長となるアントンの補佐役として役目を担うことになるから、責任感も人一倍大きく圧し掛かる。だから、凛々しい女魔術師の姿を演じさせていて欲しいと言った彼女の言葉は、レイラを大人しくさせるしかなかった。
レイラが寂しそうな瞳を伏せたのを見て、ベラが「だからさ」と、力んだ声を吐き出した。
「この企画、絶対に通そう。それが今、あんたにもあたしにも、一番大事なことなんだよ」
「はい……」
ぱしん、と軽くレイラの頭を叩いたベラは、企画書の制作作業を再開する。
ベラなりの、前を向いて頑張ろうという激励だ。
レイラはベラの力になれない不甲斐なさに、少しばかり肩を落とした。自分ではまだローザのように、ベラの支えにはなれない。今度、ローザと二人でベラのことを話してみても良いかもしれない。ローザなら、ベラの心の支えになれるだろうから。
念話魔法の企画書を制作するのは、思ったよりも大変だった。
念話魔法の制作に必要なものを洗い出し、それを揃えるための時間や費用を求め、そして完成までの期間と、完成後、どれほどの利益が生まれるのかを示さなくてはならない。
現在の進捗状況は芳しくないことを隠すようなことはしないほうがいいと、ベラは言った。
上手くいってはいないものの、開発計画に採用されることで実現可能になる旨をきちんと明示するほうが、効果的だとレイラに教えてくれた。企画のマイナス面を見せておくことで、不信感が逆に取り除かれるのだという。無茶な企画ではなく、実現可能なものであるというリアリティを伝えることが大事だとベラは語ってくれた。
「他国から魔法使いを呼んで、開発に参加してもらうのはどうでしょうか」
「……あたしは賛成する案だけど……きっとそれは没にさせられるわね」
「どうしてですか?」
「ただでさえ、魔法は胡散臭いって言われているのよ? 国の魔法開発機関が、他国の魔法使いに頼るって話になれば、国民の感情は濁るものよ」
「……どうしたらもっとしっかりした呪文が構築できるんだろう」
レイラは首をひねり、疲労の溜息を零した。
企画書を作りながら、これではまだダメだと思わざるを得なかった。実現につなげるための材料が弱い。せめてもう少し、今の出来損ないの念話魔法が形になれば良かったのだが――。
レイラは自分の試作型念話魔器の片割れを見つめた。
この念話の魔器は二つで一つ。送受信を二対の魔器で行う。今、一つは自分の目の前にあるが、もう一つはユーリに渡したのだ。
デートの日、ユーリが芳香剤を見せてくれたことで、レイラも何か彼に、自分の想いが形になった物を見せたかった。レイラだって、離れていてもいつもユーリを想っているのだと示したかったのだ。
だから、未完成の失敗作ではあったものの、念話魔器の片割れをユーリに手渡した。
ユーリは喜んでその魔器を受け取り、大事そうにポケットにしまい込んでくれた。レイラの魔法が込められている魔器が発する微かな熱量が、愛おしいとまで言ってくれたのだ。
まるで照れている時のレイラのようだと、意地悪なことを言って来たので、レイラは「ばかユーリ」と頬を膨らませて見せた。
「レイラさん、レイラさん」
企画書とにらみ合いをしていたレイラとベラのところに、聞きなれた男性の声が届いた。
どこか愛嬌ある様子でトコトコとやってきたのはレイラの相棒であるレオンだった。何やら大きな箱を抱えていた。
「レオン先輩? どうしたんですか?」
「魔法の企画書、作ってるんでしょ。水臭いなぁ、僕、一応相棒なんだよ」
「えっ、す、すみません」
にっこりと笑うレオンに、レイラは思わず謝った。今回の企画書の作業はレイラが勝手に始めたようなものだったから、レオンを巻き込むのは違うと考えていて彼には何も言っていなかった。
だが、レオンはそのことに関して「水臭い」なんて言ってくれたのだ。レイラが悩んでいることをベラにも伝えてくれたりと、レオンは思った以上に、レイラのことを気にかけてくれているのだろう。
「何持ってきたの?」
ベラがレオンが抱えている箱の中身を気にして声をかけた。その声はもう、普段の勝気なベラのものになっていた。
レイラはその時、少しだけ思った。
(レオン先輩が来たから、変わったんだ……。私だから、弱いところ、少しだけ見せてくれたんだ)
ベラは、レイラにかっこいい先輩でいさせてと言ったが、そんな姿さえ、他の魔術師には見せていないだろう。
弱った様子のベラを見たのは、レイラだけだった。レイラだから、油断した。気を許せた――。それがレイラの柔らかいところを少しだけ撫でたように感じた。
そして、やっぱりベラのためにも、頑張りたいとレイラは改めて思った。
「どっこいしょ」
どん、と床に運んできた箱を下ろしたレオンは「ふー」と汗を拭う。
「これ、レイラさんの研究に役立つと思って」
箱の中には鉱石が入っていた。それは、透き通る硝子のような石で、内側に仄かな光を宿している。鉱石自体がうっすらと輝いているように見えた。
「ちょっと、コレ! 青生生魂じゃない!?」
ベラが思わず大きな声で驚いていた。レイラもその名を聞いて、「えっ、これが!」と目を丸くした。
――『青生生魂』。
それは尤も呪文を符呪するのに適している希少な鉱物である。水晶のように透けていて、内側にはまるで魂でも宿っているような青い光がぼんやりと灯る。
その青の光は、魔法を繰り出すときに、掌の毛細血管が淡く光る時と同じような色味をしていて、錬金術師たちの研究の結果、この青生生魂は、魔力を長時間保存することができる特性があると発覚した。
青生生魂は、鉱山の多いモースコゥヴでも非常に稀にしか採掘されない。レオンが持ってきた青生生魂はなかなか立派なサイズだ。とても貴重なもので高価なものだと想像できる。
「どうしたのよ、これ」
驚きの目をベラとレイラは同時にレオンに向けた。
レオンは「へへ」と照れたような顔をしていた。一度、ちらりとレイラの顔を見て、「入手経路は秘密だよ」と言った。
「秘密って……簡単に用意できるものじゃないはずよ?」
「うん。……ちょっと、知人がね。力を貸してくれたんだ」
「知人って、あんたそんなに友好関係広くないでしょ」
「う……。ともかく、それはレイラさんの研究に必要になると思って、僕が用意したの。これで念話魔法の進捗が進めばいいと思ったんだけど」
ベラの追及の目から逃れるために、声を一オクターブほど高くしたレオンがまくしたてるみたいに言った。
レイラは書物でしか見たことがない青生生魂に瞬きを何度もして、それからレオンと見比べる。どうやって用意したのかはベラ同様に気になったが、レオンはどうやらそれを語るつもりはないらしい。
「青生生魂なら、符呪の容量は格段に上がるでしょ。これまでは無理だった複雑な呪文を動かせるから、念話の質も上がると思う」
「レオン先輩……、これ……本当に私に?」
「うん。レイラさんの計画が通れば、多目的開発隊もより一層やりやすくなると思うし」
「ありがとうございますっ!」
「相棒だからね」
レイラはレオンに大きなお辞儀をして礼を述べた。するとレオンが赤らんだ頬を持ち上げて「ふふん」と自慢げな様子で笑った。
普段のレオンにはないどこか自信に満ち溢れたような空気は、奇妙にも感じられたが、渡りに船というのはこのことだろう。なぜレオンが青生生魂を用意できたのかは分からないが、これを活用させてもらうことで企画会議にもっと説得力持たせることができる念話を符呪した魔器を作れるだろう。
ジー、ジーと耳障りな振動音くらいしか出せなかったレイラの念話の魔器には実現不可能だった、澄んだ音を送るような念話が作ることもできると思えたのだ。
「わ、私、今から呪文の構築をしますねっ」
「あたしも手伝う。青生生魂に符呪できるなんて滅多にないもの」
「あ、僕も参加させてもらって良いかな。興味あるよ」
それから三人は、希少な鉱物を前に、複雑な呪文を構築し始めることになった。大きくて重たい、長編呪文は、組み上げていくのも一苦労だ。宮殿に張っている暖房結界も大きな魔法だが、これを組み上げるのは一人では至難の業で、第一部署のエリート魔術師が総出で作ったほどなのだから。
それほどまで大きな呪文にはならないまでも、念話の呪文はレイラだけでは大変な作業になるだろう。
レオンとベラが、隣についてくれて、レイラは本当にありがたいと思っていた。
そして、この念話の魔法が、自分だけの魔法ではないのだと思うだけに至った。これは多目的開発隊の最初の仕事となるべく、多くの人々を幸せにするための魔法なのだ。
必ず、成功させたい。そして――ユーリの傍に行くために。迎えに来てもらうために――。