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春の一日、秋の一週間

 モースコゥヴの王宮の中央に建つ、荘厳な宮殿の一室。そこはアナスタシアの執務室であり、此度発足する『多目的共同開発隊』の頭部ともいえる場所である。ここで決められた方針に従って各役職は動いている。

 アナスタシアは今まさに、その『多目的共同開発隊』に関して頭を悩ませていた。


「うーん」


 唸ってしまうほどに思考が底なし沼にはまり込んでしまっていたアナスタシアに、そっと声をかける青年がいた。


「随分とお悩みですね」


 苦笑して、姫の親衛隊である白銀の髪をもったユーリが優しい声で姫を労わった。


「そうね……。まさか、ここで悩むなんて思いませんでした」


 アナスタシアはふぅ、と可憐な溜息を零して、椅子の背もたれに軽く体を預けるようにして凝り固まっていた身体を休ませる。


「その、あまり難しく考えすぎないほうが宜しいかと思いますが……」


 ユーリは敬愛する姫が想像以上に悩んでしまったので、もう少し肩の力を抜いて考えてみてはと提案してみたが、アナスタシアはその言葉にも「うぅん」と不明瞭な声で返事をするのだった。

 アナスタシアが今日一日、ずっと頭を悩ませている題目――。

 それは、『多目的共同開発隊』という、名称に関してだった。


「多目的共同開発隊……。なんだか、重苦しく感じられませんか、ユーリ?」

「そ、そうですね。しかし、悪い名とも思えませんが……」


 アナスタシア姫は十五という年齢ながらに、積極的に国政に取り組み、毎日忙しく仕事をこなしている。本来母親である妃の仕事であるものも、亡き母の為と、アナスタシアは甲斐甲斐しく取り組んでいた。

 普段、きびきびと仕事をこなし、淀みなく多忙な執務をこなしているというのに、まさか管轄する部の命名でこうも頭を抱えるなんて予想もできなかった。


「ねえ、ユーリは何か良い名前を思いつきませんか?」

「わ、私ですか? ……そう言ったものは不得手でして」


 困った様な顔をするユーリの表情を、じっと見つめ、アナスタシアは少しばかりほころんだ。

 ユーリはよくこんな顔をする。そこがなんだか可愛く思えてしまう。年の近いユーリとは、小さな頃から話しやすく、屈強な騎士たちの中にありながら、御伽噺に出てくる妖精王のような姿をしているのが印象的で、アナスタシアはあっという間にユーリと打ち解けた。


 彼がこの王宮に見習いとしてやってきたのが十二の頃で、その時アナスタシアは十一だった。ユーリは年が近いからという理由で、一時期、姫の相手役として一日共に過ごしたり、話し相手となり姫の孤独感を癒してくれた。

 外見が小さくて、まるで女の子のようにも見える少年だったのを今でもはっきりと覚えている。


 母と死別し、いつも寂しい想いをしていたアナスタシアには、ユーリは心を温めてくれる兄のような存在にも思えた。

 彼が騎士団の扱きに、悔し涙を流しているのを見て、アナスタシアは自分のことのように涙をあふれさせたこともある。彼をどうにかしてあげたかったが、見習い騎士の間はどうしようもできず、彼が厳しい騎士の鍛錬を克服することを祈り続けるばかりだった。


 やがて、ユーリが十五になった去年のことだ。


 見習い期間を終えた立派に成長したユーリを見て、アナスタシアは自分の親衛隊になるように推した。

 その時には、もう自分でも気が付いていた。ユーリという男性に、仄かな慕情を持っていたことを。


 アナスタシアは、この国のたった一人の姫だ。彼女が生まれた時にはもう隣国の王子との婚約が結ばれているから、恋愛などできるはずもない。父君である国王は妃を喪った後も再婚をするようなことはなく、アナスタシアはたった一人の後継者でもある。だからこそ、他国の王子の元に嫁ぎ跡取りを産まなくてはならない。

 だが、そんな理屈など無意味だと言うように、アナスタシアの慕情は日に日に熱くなっていった。いずれはこの国から離れ、見知らぬ王子の妻になる。そういう宿命であることは覚悟している。


 だから、せめてこの国にいる間くらいは、人並みに、乙女としてこの慕情に向き合いたいと、願った。


「そう言えばユーリの馬の名前、ノーチと名付けたそうですね?」

「はい……」

「親衛隊の馬、アハルテケは黄金の馬。そんな馬に夜を意味する『ノーチ』と名付けたのはどうしてでしょう?」


 アナスタシアの素朴な問いかけに、ユーリは内心ギクリとしていた。表情には出さなかったが、姫の問いかけに直ぐに回答できず、不自然な間が生まれた。


「夜空に煌めく星々を眺めているうちに、考え付きました」

「あら、それでしたら『星』という名前になるでしょう?」

「それもそうですね。わ、私は矢張り名前を付けることが不得手のようです」


 ユーリが困った様子で苦笑いを浮かべるので、アナスタシアは少しだけ首を傾げたが、同時になるほどとも思った。

 名前を付けることを難しく考えすぎて、決まらないのなら、感覚的に付けることだって悪くはないだろう。


「私は、この多目的開発隊に関しては、架け橋のような役割を与えたいと考えております」

「架け橋ですか?」

「ええ。我が国では、魔法技術をないがしろにしてしまう傾向が強く残っているでしょう? 私はそういった偏見をなくしたく思っております。だからこそ、開発隊が生み出していく魔法技術が受け入れやすいように、その隊名も親しみやすいものが良いだろうと考えました」


 組織の名前というのは矢張り大事だ。だからこそ、アナスタシアはこの開発隊の名前を悩んでいた。


「では、いっそ姫の名前を入れてみては? 民はみな、姫を推尊すいそんしております。姫の志が宿った名前と分かれば、誰もが愛してくれましょう」


 要するに、『アナスタシア隊』という命名ではどうかとユーリは言っているのだが……。

 ユーリが真面目な顔をして申告したが、アナスタシアはその言葉にうつむいて赤い顔をした。


「……そういうのは、恥ずかしいです」

「……す、すみません。配慮が足らず……」


 かすれるような声を零して、もじもじとスカートをつまんで照れ隠しで弄ぶ。

 アナスタシア姫の名前をそのままに隊名とするという考えはユーリの中ではごく普通の一般的な考えだと思っている様子であったが、アナスタシアはどうも自分の名前を隊の名前に入れることが恥ずかしい。それに、それではまるで私兵のように思えてしまうからだ。


 開発隊は決してそういう隊ではない。アナスタシア個人の利益のための隊ではないのだ。あくまでも民の為、国益の為の開発隊だ。


「ですが……姫が民に愛されているというのは、真であります」

「ユーリも?」

「私はその代表です。そう胸を張って言える誇りを持っております」

「そ、そうですか。ありがとう……ユーリ」


 ユーリの金色の瞳が暖かい光を携えて、真っすぐにアナスタシアを見つめていた。彼の瞳に映りこみ、金色こんじきの海原で揺蕩う自分の姿は、なんだか幼く見えた。


 その時だ、トントンと小気味よいノックが響いた。

 ユーリが静かに扉を開けると、そこにはブロンドの髪を結わえた女騎士のクリアーナが立っていた。彼女もユーリ同様、姫付きの親衛隊の一人だ。


「姫、お時間です」

「ああ、もうこんな時間……。結局決まらなかった……」


 アナスタシアはこの時間、錬金術師の塔で栽培をしている香草や薬草の手入れを確認に行く。

 これは半分趣味の半分公用である。アナスタシアは園芸が幼い頃から大好きだった。王宮に広がる三つの庭もヴィスナー広場、リェータ広場、オースィニ広場と名付けられ、四季折々の草花を鑑賞できるようにしたのもアナスタシアの好みを取り入れてのことだ。

 これからの時期、ヴィスナー広場では美しい草花が芽吹き始めることだろう。アナスタシアはその日を楽しみにしていた。


 椅子から立ち上がると、クリアーナが先導するように付き、後方にユーリが控える。


「ヴィスナー広場を覗いて行ってもいい?」


 アナスタシアが伺うようにクリアーナに訊ねる。

 姫ではあるが、アナスタシアはクリアーナにちょっぴり頭が上がらない処もある。幼少期からクリアーナには礼儀作法や言動に関して厳しく叱られたことが多く、それは今も変わらない。教育係としてもクリアーナは昔からアナスタシアの傍に就き続けてくれた。

 母親のいないアナスタシアには、彼女は姉のような母親のような、教師のような、そんな部下にあたる。


「午前中もご覧になられたでしょう」


 クリアーナは表情を変えず、冷静な声で返した。


「少しだけ。ちょっぴり気分転換したいの」

「陽気は次第に温かくなってきていますが、まだ冷えます。あまり長い時間はいけませんよ」

「ありがとう、クリアーナ」


 クリアーナと話す時だけは、どこか自分の口調が緩んで甘えたものになってしまうのは自覚している。クリアーナは同じ女性として、凛とした姿勢を崩さない憧れの面も持っているのだ。いつも冷たい様子を醸し出すクリアーナではあったが、彼女が真に愛情深い女性であることは理解している。

 アナスタシアが弱っている時、誰よりも最初に気を回してくれる人が、彼女だったからだ。アナスタシアが落ち込んでいる時、クリアーナはいつも詩を聞かせてくれた。


 クリアーナは先に錬金術師の塔で待っているからとユーリに告げると、アナスタシアをユーリに任せ、礼をしてから立ち去って行った。


「では、参りましょう。ユーリ」

「はい」


 後ろに付くユーリが柔和な笑みを返してくれる。それがとても幸せに思えた。

 ヴィスナー広場まで行くと、クリアーナの言うように、肌寒い風がアナスタシアの華奢な身体にぶつかって来た。

 まだ麗らかな春の日と言うには物足りない気温だったものの、ヴィスナー広場はうっすらと緑を覗かせていた。午前中も見て回った風景ではあったが、アナスタシアはその時、庭に咲いた小さな花を見付けていたのだ。


「見て、ユーリ」


 ユーリを促すと、そこには冷たい土に這うようにして生えている健気な花が咲いている。


「カミツレ、ですね?」

「ええ、まだ冬は終わっていないのに、こうして芽吹いてきてくれた。春が来ていることを報せる妖精のようですね」


 白く小さな花弁は、雪解けの大地に生命力をもってほころんでいた。それは気が付かないと踏みつけられてしまうような存在で、どこか心配にもなる。


「このカミツレは、香りがまるでないの。ハーブにはつかえないのだけど、可愛らしくて素敵だと思わない?」

「香りがないのですか? それは存じ上げませんでした」

「カモミールティーなどに利用されているカミツレとは別の品種にあたるのです」


 ユーリはあまり草花に詳しい知識がない。だから、昔からアナスタシアはユーリを連れては庭の草花を紹介してみせた。この雪国であっても草花は育つのだ。それはなぜか勇気を与えてくれる。

 見習いだったユーリが訓練に挫けそうになっていた時、アナスタシアは花を見せて勇気づけていた。そしてそれは同時に、自分自身への言葉でもあったかもしれない。


「この子は、冷たい大地でも強く咲き誇って、例え踏みつけられても強く育とうとするのです」


 慈しむような笑みを浮かべ、アナスタシアは白い花びらをそっと愛でた。


「……あなたもそうだったでしょう?」

「……真に」


 少しだけ意地悪そうな目をユーリに向けてあげると、ユーリは恥ずかしげに頷いた。見習い時代に悔し涙を流していた姿を姫に見られ、慰められたことを思い出してか、ユーリは少しだけ前髪を指先でちりちりと弄ぶ。


 苦難の中、懸命に努力を重ね認められんとするその姿は気高く、踏みつけられても強く育つ――。

 ふと、以前宮殿の暖房結界を修理するために活動する魔法使いの二人が思い浮かんだ。赤いクセ毛の少女と、小太りの魔法使いが懸命に宮殿の魔器を見て回っている姿だ。

 アナスタシアは、きらりと脳裏に閃いた。


「カミツレ隊、というのはどうかしらっ?」

「多目的共同開発隊ですか?」

「そう! カミツレ隊! いいわよね、ユーリ!」


 これ以上ない名前だと思ったアナスタシアは弾けるように笑みを浮かべてはしゃいでしまう。

 きっとクリアーナがいたら、はしたないですよと叱られていただろう。だけれど、アナスタシアは嬉しくなってしょうがなかった。


「良い名前ですね」


 にっこりと微笑んでくれるユーリは、アナスタシアにとって最高の太鼓判になった。

 カミツレの花言葉。『逆境で生まれる力』――。


 それは、多目的開発隊にピッタリだと思えたし、愛するユーリを重ねることもできる。

 アナスタシアにとって、それは愛情を注ぎ込むのに最も適した名前になりそうだった。多くの民たちもカミツレというどこにでも咲く花に共感を得てくれるだろう。


 こうして、多目的共同開発隊は、その名を『カミツレ隊』と決定することになった。


 後日、このカミツレ隊の発足を民たちにも大々的に発表しよう。きっとカミツレは、この国に大いなる発展を促がすと信じて。

 冷たい風に花弁を揺らせた庭のカミツレも、賛成してくれたように見えた。

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