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舌が都に連れて行く

「レイラ、ちょっといいかな」


 ベラに声をかけられたレイラは念話魔法の研究をやめて顔を上げた。

 今は、休憩時間なのだが、レイラはその時間すら惜しんで念話の魔法開発に心血を注いでいる。その姿がベラには根を詰め過ぎているようにしか見えないのか、心配そうな顔をしていた。


「ちょっと休みなよ。ちゃんとお昼食べた?」

「あ、いえ……お腹が膨れると、頭が回らなくなるから……」

「あんた、最近ちょっと張り切り過ぎてる……っていうか病的なくらいに入れ込んでない? その念話魔法」


 青白い顔をしているレイラを叱るように心配している。確かに、今レイラは念話の魔法を作り上げることに全力で取り組んでいる。それはもう鬼気迫る様子だっただろう。

 だが、それはしょうがない話だ。雪が解けて、遠征が始まるまでに念話の魔法が出来上がらなければ、ユーリと完全に繋がる手立てがなくなるのだから。

 もう雪はほとんど解けてきている。多目的開発隊が本格的に動き始めるのは時間の問題だろう。だからこそ、レイラは一分一秒も、無駄にしたくなかったのだ。まだまだ完成の糸口が見えない魔法の進捗は、レイラを昔のガリベン姿に巻き戻しても、進んでいない。


「……ねえ、レイラ。あんた、開発隊への参加を悩んでるんでしょ?」

「えっ……」

「レオンから聞いた。僕じゃ力になれない話題だろうからって、あたしに言って来たのよ、あいつ」


 驚いた。レオンがまさかレイラのことを心配して、ベラに相談してくれていたなんて思わなかったのだ。

 レイラが妙な程、念話魔法に入れ込み始めたのも、開発隊の話が出てからだったし、周りにはレイラのその姿が『張り切っている様子』に見えていただろう。周りにはレイラが不安を抱いているようには見えないと思わっていたし、レイラもあまり表には出さないように気を付けていたのだ。

 だが、レオンにだけは自分の不安を打ち明けたレイラだったから、レオンが相棒として心配をしてくれたのだと思う。


「ねえ、多目的開発隊、辞退することを部長に申告してあげようか?」

「……」


 ベラが声を潜めて、神妙な顔で言った。

 レイラはその言葉に、目を伏せた。その視線には未完成である念話魔法の魔器が転がっている。


「言いにくくて、困ってるのかなって思った。あんた……恋人のこと、考えてるんでしょ?」

「……そう、です」

 ベラには見抜かれると思っていた。レイラが最近、愛する人のために頑張っていたことを知っているし、その努力が実って恋愛が始まったことも知っているから。

 せっかく成就した恋愛の相手と離れることになるだろう今回の遠征の話に、レイラが悩んでいることなど、少し考えれば答えが出る。

「でも、ベラ先輩……。私、辞退は……したくない、です」

「なんで? 恋人と離れることになるのよ? あんた、あれだけ必死だったじゃない。本当にその相手が好きなんだなってあたしにも伝わって来てた」

 ベラがレイラに寄り添うような声で優しくも寂しそうに訊ねてくる。

 レイラは、自分の中でもまだ明確に出し切れていないその想いをベラに語るだけの舌を持っておらず、暫し黙り込んでしまった。

 だが、ベラからアントンへ、レイラの多目的開発隊への参加を取りやめるように頼んでもらう事だけは、してほしくなかった。辞退するにしたって、自分の口できちんとアントンに言いたい。

「……レイラがそう言うのなら、もうあたしからは何も言えない。でも、後悔するような選択はしないでね」

「……ありがとうございます」


 なんだか微妙な空気が二人の間に流れた。後悔するような選択――それが何なのかもレイラには分からない。ただ、分かるのは何もしないでいることは、したくない、という思いだけだ。

 だから、念話の魔法に必死になっていた。今、自分にできる唯一の行動だと信じていた。

 そんな姿が、ベラからは痛々しくも見えていたのだろう。


「あのさ、あたしの話なんだけど、ちょっと聞いてもらっていい?」

「は、はい?」


 畏まった様子のベラは胸元のジルコンを指で弄びながら語った。


「好きな人が傍に居ても、全然気持ちが伝わらないのって、諦めたほうがいいと思うかな……?」

「……わ、私は……諦めたら、後悔をするって、思います……」

「そっか。あたしもそう思うんだ。っていうか、気持ちがさ、その人のこと考えるだけでグチャグチャになるの。嬉しかったり悔しかったり、楽しかったり、寂しかったり」

「わ、分かります」


 アンニュイな表情をしているベラは普段の勝気な雰囲気から遠ざかっていて、どこか大人びて見えた。薄く笑みを浮かべるベラは、儚さすら滲ませている。まるで別人みたいだった。


「ほんと言うとさ、レイラのこと羨ましいって思ってるんだ」

「……」

 レイラの恋は実ったから――。それが羨ましいと思っている片思い中のベラに、レイラは何も言えなかった。

「でも、あんたの恋が失敗しろとか思ってないからね!」

 と、すぐに訂正をした慌てた様子のベラはちょっぴり滑稽で、レイラは少しだけ笑った。そんな訂正をしなくても、ベラがレイラを友達としてきちんと応援してくれる人柄なのだと分かっているから。

 だからこそ、レイラもベラの恋を応援したい。


「恋愛に、距離って無関係だと思うんだ」


 そう言うベラは、ニッ、と白い歯を見せて笑う。

 傍に居る人に想いが届いていない皮肉ではあったが、レイラの不安寄り添った言葉でもあった。

 遠く恋人から離れても、愛し合っている者同士は繋がっていられるし、脈がないならどれだけ傍に居ようとも気持ちは伝わらない。

 そんな風に言いたいのだろう。ベラの自分の恋愛観を踏み台にするような励まし方に、レイラはぐちぐちとしていられないと思った。自分の恋愛を貶めてまで、レイラを励ますようなやり方はベラらしくない。


「ベラ先輩の気持ちは、絶対に通じます!」


 だから、レイラは思いのほか声を大きくして返事をしてしまった。ベラが自分の恋愛を諦めかけているのだと、感じ取ったから。


「ありがとね、レイラ」


 でも、と小さくベラが続けた。弱々しい声で、本当に耳を澄ませないと聞き取れないほど、その声は霞むようだった。


「……思い出の人には、勝てそうにない」

「……思い出の、人……?」


 ベラのその言葉の真意はレイラには汲み取れなかった。推測しかできないが、ベラの想い人は、他に好きな女性が居るのだろうか。その人に自分では勝てそうにないと、ベラが弱気になっているのかもしれない。

 それはかつて、アナスタシア姫には勝てないと諦めていた自分にも重なった。そして、今もユーリの一番は姫であると言う事実に直面している自分の状況にも似ているように思えた。


「先輩、私……応援します。だから……ええと、私も頑張るので、だから、だから……」

「後悔しないように、でしょ」

「は、はい」


 みんな、何かを抱えて過ごしている。レイラだけが理不尽に苦しんでいるわけではない。

 それでも他者を思いやろうという優しさが、二人の間に確かに感じられた。きっと、これが友情なのだろうと、レイラは強張っていた心持ちを少しだけ暖かく、柔らかくさせることができたように思う。


「先輩の好きな人って……もしかして、この魔術師班に居るんですか?」

「エッ!? な、なんでそう思うのッ!?」

「だって……先輩の相手は『近くにいる』んですよね? 今回の遠征のことも考えると、もしかして、この第二部署の人なのかなって……」

「イヤドーカナ、ソレハー」

 不自然な表情でヒクヒクと緊張をさせているベラの誤魔化し方は、下手糞過ぎてレイラのほうが気を遣ってしまった。なるほど、どうやら、本当にベラの相手はこの第二部署の誰かなのだろう。

 だが、レイラはベラが相手を誤魔化そうとするので、それ以上は詮索はしなかった。

 ベラの恋の応援は本当にしたいと思っているが、相手が誰かは分からない。しかし、少なくともこの部署の誰からしいことは分かったから、応援の仕方はあるだろう。

 例えば、第二部署の男性たちにベラの美しさを説いて回る、とか。

 ――と、考えてみたが、レイラもそんなに恋愛のことに関して手慣れていないし、そんな方法を自分で行えるのかというと、どうにもぎこちなくなるばかりになりそうではあるが。


「そうだ、ベラ先輩。私のこの魔法、なかなか上手くできないので、アントン部長にヒントを貰えたらと思っているんですけど……」

「なっ、なんで部長が出てくるのッ!?」

「へっ? 念話の魔法を過去にも研究されていたらしいので、何か助言が貰えるかもしれないと思ったのですが……」

「あ、ああ……。そ……、そういう意味ね」

「どうせ部長にお願いを聞いてもらうのなら、辞退のお話より、魔法の研究のお話のほうが良いので……」

「そ、そっか。じゃ、じゃあなんだったら、今から部長のところに行ってみる?」


 何やら随分と真っ赤な顔で汗だくなベラが、カチカチと関節を言わせるように動いた。

 ギクシャクしているベラの後ろに続く形で、レイラはアントンの部屋に向かうことになるのだった。

 魔術師の塔の開発室を出て上階に進んでいくと、立派な造りをしている扉まで辿り着いた。ここが、アントンの仕事部屋だった。レイラも数度足を運んだことがあるものの、特別な用事でもない限りは気軽にこの戸を叩くようなことはしない。

 しかし、ベラはアントンの補佐を担うことが多いため、ここには頻繁に出入りをしている。アントンに助言を請いたいと思っていたレイラからすると、良い機会に恵まれたと思っていた。

 ベラがノックをすると、「どうぞ」と短くも特徴的な声が返って来た。アントンの眠たそうな声だ。

 ドアを開き中に二人が入ると、アントンがコーヒーを啜っていた。何やら書類を眺めていた様子で、机から目を動かし、レイラたちに視線を向けた。


「ベラくんに……レイラくんか。美女が連れ立って何の用かな?」

「部長……、そういう発言は慎むようにと言ったでしょう」

「すいません」


 どっちが上司か分からないやり取りをしているアントンとベラに、レイラはぽかんとしたまま様子見をしていた。

 レイラとレオンがツーカーの関係だと言うのなら、この二人もまたそうだと言えるだろう。二人の軽口が、とても心地よいテンポで繰り広げられたのを見て、レイラはそんな風に感じた。


「レイラ」

「あ、はい」


 促されてレイラが前に歩み出る。持ってきた試作型の魔器をアントンに見せて、念話魔法の構築が上手くいかないことに対する助言を貰えないかと訊ねた。

 アントンが顎の無精髭を撫でさすりながら、レイラの魔器に符呪されている呪文を眺め、無言で視線を動かしていく。


「二対の魔器同士で、音を送受信できるとこまで持っていけてるのは、なかなか見事だね」

 レイラの試作型の念話魔器は、薄い板状の魔器で、送信側が表面に触れると、ジー、と低い音を発する。それが受け手側にもつながって、ジーとどこか耳障りな音を出す程度だ。

「音を送受信できるところまでは作れたんですが、声や音楽を送りあうような複雑な呪文を作るとなると、とても重い呪文になってしまって現実的ではなくなります」

 レイラが符呪した呪文でももう限界要領スレスレの状態であった。試作型の魔器であるため、そこまで大きな要領を有していないが、もしもっと魔法の伝搬率の高い金属などを用いた魔器を用意出来たとしたら、音をきちんと送りあえたりするかもしれない。

 だが、そうするには、巨大な魔器と希少な金属を必要とするだろう。それを個人で用意するのは不可能だった。

 それこそ、国家権力で開発企画が通らない限り――。多目的開発隊のような――。


「レイラくん、念話魔法の開発に関して私個人では助言できそうにもない」

「そ……そうですか……」

 アントンもかつて匙を投げたという程の魔法だ。それをレイラがどうにかできるとは思えなかった。こんな回答が返ってくるのは予想もしていたが、矢張りショックだった。ユーリとのつながりを諦めろ、と言われているようなものだから。

「個人ではできそうもないんだけども、これを開発計画隊の企画にまで持っていけたら、ひょっとするかもしれないなぁ」

「……え?」


 落ち込んでいたレイラの顔が持ち上がる。アントンが意味ありげに、机の上の書類とレイラの魔器の呪文を見比べていた。


「いやね、多目的開発隊で最初に取り組む仕事の会議が行われるんだよ。レイラくん、一週間しかないんだけど、念話魔法の企画書作れるかな。会議に通してみてもいいよ」

「……!」


 アントンの机に広げられている書類は、どうやら多目的開発隊の企画案に関するものだったのだろう。

 もし――、その会議で念話魔法の開発が通ったら、国を挙げての魔法研究ができる。そうしたら、念話魔法を実現できる可能性がグッと上がるに違いない。国の予算や、人員、希少な鉱物に符呪を行える実験など、できることだって広がるのだ。


「どう? 無理なら仕方ないけれども」

「や、やりますっ! やらせてほしいですっ」

「ああ、そう? じゃあお願いしようかな。一週間後に企画書持ってきてくれるかな」

「は、はい!」


 思いがけない収穫と言えた。念話魔法が国にもたらす利益がどれほどのものなのか、どうしたら実現ができるのか、しっかりとした計画提案を示すことができればレイラの魔法は脚光を浴びることができるだろう。

 念話の魔法が作られることになれば、ユーリと離れていても連絡が取りあえる。最高の条件だった。


「良かったね、レイラ」

「ありがとうございます! す、すみません。私早速企画書を作りますからっ」


 ぺこりと、大きなお辞儀をしてレイラは部長室から足早に立ち退いた。

 後に残されたアントンとベラは、レイラの背中を暫し見つめ、その勢いの良さに舌を巻いていた。


「いやあ、若いっていいね」

「年寄りじみたこと、言わないでください」

「レイラくん、企画書なんて書いたことがないだろう。ベラくん、手伝ってやってくれ」

「そのつもりです」


 のんびりした口調でアントンが笑顔を浮かべる。どこか頼りなさげな印象がするアントンの笑みだったが、ベラにはその笑顔が誰よりも安心できるものだった。


「部長?」

「うん?」

「……部長も念話の魔法の研究をしていたんですよね。なぜ……研究を諦めたんですか?」


 ベラの問いかけに、アントンはカップの中の黒い液体に目を移した。


「……忘れてしまったんだよ」


 諦めた理由を忘れたのか、とベラは問いかけそうになった。

 だが、そう言おうとして見たアントンの横顔に、ベラは押し黙った。

 あのコーヒーカップを見つめている横顔を、知っている。

 灰色の彼の目が、今ではない時を見つめているような、遠い過去を想い馳せている表情――。


「妻がどんな声だったのかを――ね」


 コーヒーの香りが広がる部屋で、アントンは黒い液体を見つめ、ぽつりと呟いた。その横顔は、ベラの心を切なくも冷たく斬りつけた。

 自分には決して向けてくれないその瞳を、カップの中の暗闇に注ぎ込むアントンは、ベラのジルコンの輝きには目を向けないのだろうと、そんな風に思えた――。

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