最終話『ハッピー・バースデイ』
本日発売、『ガリベン魔女と高嶺の騎士』。
色々と語りたいこともありますが、無粋な言葉よりたった一言だけ。
多くの方々へ、『ありがとう』の言葉を贈らせてください。
秘密の待ち合わせはいつも黄昏の時刻だった。
夕焼け色の光の世界は愛する彼を思っているだけですぐに終わりを告げる。
そうしてゆっくりと群青色の空が広がり、宵の帳に小さな宝石みたいな星々が囁きだす頃、レイラは人気のない公園でぽつんと一人で立っていた。
冬の厳しい寒さが襲い掛かってくる時期は過ぎ去っていても、夜になればその身を凍えさせる風が、レイラの鼻先を赤らめさせていた。
「……」
小さな肩掛けバッグを抱きしめて、レイラはここでユーリが来るのを待っていた。
密会のデートはいつもこんな風に、レイラがユーリの訪れを待つ。人目を避けなくてはならない逢引は、レイラに寂しさを運んでくることもあったが、いつもユーリはレイラに逢う度に謝る。
こんな隠れて付き合わなくてはならないデートで、申し訳ない、と。
そう言って、ユーリはレイラを抱きしめて、冷えた体をゆっくりと温めてくれるのだ。
レイラはそんな状況は覚悟の上でユーリと付き合っているので、いつも謝らないでと言うのだが――。
「レイラ、すまない」
その声に、レイラは顔を上げた。
レイラの前に、黒のコートに身を包んだユーリが、レイラを見付けて開口一番、そう言った。
「寒かっただろう」
「大丈夫だよ」
「お前が風邪を引いたら、オレのせいだよな」
そう言って、ユーリはレイラの頭を撫でながら抱きしめる。ふわりと鼻孔に、ユーリの香りが運ばれて、彼の体温に、レイラはそっと瞼を閉じる。とても、暖かくて、安心できる居場所だった。
「少し遅れた……。多くの方々が、祝ってくれて……」
「ん。ユーリはとっても人気あるもんね」
「……すまない」
「謝らないで」
そう言って、レイラはにこりと笑顔を浮かべた。鼻の頭が赤くなった眼鏡の彼女に、ユーリはきゅ、と唇をきつく結んで、一瞬、瞳を揺らせたのが印象的だった。きらり、とユーリの金色の瞳が、濡れた輝きを見せたように思えた。
レイラが彼の瞳に意識を奪われていると、ユーリはレイラに腕を回し、ぎゅう、と強く抱きよせて、そっとレイラの冷たい耳たぶにキスをした。
「これほど切ない誕生日は生まれて初めてだった」
耳元で囁くように、ユーリは熱い吐息と共に告白した。
「なぜ、お前が最後なんだ……。大事な人が、なぜこんな寒空の下で待たなければならないんだ……」
囁く声の擦れかたが、普段の低い青年の声を少しだけ高くさせて、レイラの耳朶に沁み込む。
「しょ、しょうがないよ。ユーリは今、大事な時期なんだから」
「聞き分けが良すぎるんだよ、お前。罪悪感、堪らない」
ユーリは今日一日――いや、この一週間、逢えなかった切なさを全て吐き出して、空になった心を充足させるように、レイラを熱く抱擁した。
痛々しいほどに抱きしめられた最初の抱擁から、今は真逆の、思いやりたっぷりに腕で抱かれ、ユーリはレイラの額に自分の額をこつんとぶつけた。
レイラとユーリの吐息が混ざり合うような距離感で、二人は暫し見つめあい、赤らんだ頬を緩めあった。
「誕生日、おめでとう。ユーリ」
「ありがとう、レイラ」
ユーリはレイラの腰を片腕で抱く。
そして、ユーリはレイラの眼鏡をそっと奪った。レイラは少しだけ上目遣いに、ユーリを恥ずかしそうに見つめた。
真剣な彼の金色の目がまっすぐに、自分を見つめていた。彼の瞳に映る自分が恥ずかしいほどに見ていられなくて、レイラはそっと瞳を閉じる――。
柔らかく、ぬくもりに満ちた口づけが、レイラの小さな唇に重なった。
ちゅ、というなんだか可愛らしい響きが、二人だけの公園に響いた。ユーリは暫し、レイラの唇に何度も啄むような切ないキスを繰り返して、「好きだ」と囁く。
レイラは閉じた瞼の端っこから、暖かい雫をひとつだけ零して、彼の優しい愛の証明に応えようと、「ん」と声を漏らしてユーリの背中に腕を回した。
「ユーリ。私、ひとつだけ謝らなくちゃならないの」
「なんだ?」
「ずっとね、この日の為に誕生日プレゼントをどうしようかって考えた。それで、何がいいのかずっと答えを見付けられなくって……私、なんにも上げられる物がなかったの」
「そんなの、オレは要らないよ。お前が居ればいい」
そう言って、レイラの目尻から零れていた涙をそっと拭った。
「ほら、やっぱりユーリはそう言う……」
「なんだよ、分かっていたのか?」
「分かるよ……ユーリだもん」
レイラはなんだか恥ずかしさともどかしさで頬を膨らませた。ユーリがあんまりにも「お前以外興味がない」と示しすぎるから、こっちは本当にプレゼントを悩んだんだと、膨れた。
悔しいが、ユーリのそんなところが、好きで、きちんと頬を含まらせられたか分からない。本当は、にやけてしまっていたのかもしれない。
「で、でもね、どうしてもユーリに誕生日のプレゼントを上げたかったの。だから、私、持ってきたんだ」
「持ってきた?」
レイラは肩から下げていたバッグから、手紙を取り出した。
「手紙か?」
「……手紙は手紙なんだけど、……その、内容はね……『詩』なんだ」
「詩? レイラがオレに詩を書いてくれたのか?」
「うん……伝えたいことはあったの。だから、それを詩にするために、私こないだずっと勉強したの」
この案は、クリアーナが与えてくれた案だった。
とてもレイラでは思いつかないロマンティックな贈り物だった。プレゼントに困っていることをクリアーナに打ち明けたレイラは、とある助言を受けたのだ。
それは、クリアーナが趣味にしている詩集の話だった。
愛を伝えるのは、いつの時代も詩が最も適していると、クリアーナは女性らしい顔をして言った。
クリアーナが愛読している詩人の歌集や、詩の書き方と言った書物を参考に、レイラは人生で初めて、恋人に詩を書いたのだ。
「笑わないでね」
「笑いはしないけど、驚いているよ」
「変だよね」
「変じゃない。読んでもいいか?」
「……うん」
一生懸命、ユーリへの気持ちを綴ったその詩は、初めて作ったでこぼこで綺麗とは言い難い勢いだけの作品と言えるだろう。
しかし、誰かを喜ばせたいという願いが詰め込まれた、そんな処女作だった。
荒はあるし、ベタベタの表現がストレートに書き込まれ、不器用な少女の、ひたむきな愛を言葉に代えて纏められた詩になっていた。
レイラはユーリがその詩を読んでいる間、あまりにも恥ずかしくて、もう何も言えずに、ずっと足元を見ていた。
出来上がった作品は、完全完璧な恋の詩とは言えない。自分のこれまでユーリを想っていた時期に、悲しみや苦労があったことを綴り、悩み、切なく涙を零した日のことを書き込んだ。
そして、それでも溢れてくる、ユーリへの恋心をただただ素直に記したのだ。
ユーリと王宮で再開して、氷柱の人として目標にし、疎かだった女磨きのために奔走し、いつもユーリのことを胸に、毎日を過ごして来たことを。
「レイラ、これをお前が書いたなんて信じられない」
「……似合わないもんね」
「違うよ。また知らないお前を見付けられた」
にこりと笑ったユーリは、恥じらいに俯くレイラの顎をそっと指で上に向かせた。
「こんな風に、オレのことを、いつも想ってくれていたなんて、知らなかった」
「……ユーリ……、好きって言葉だけじゃ、もう伝えきれないよ」
「詩を綴っても、まだまだ足らない?」
そうっと、ユーリの慈しむような指がレイラの指と絡んでいった。レイラはかじかんでいた指先がぬくもりで血を巡らせていくのを感じ取って、ゆっくり、彼を手を繋ぐ。
「うん。頭がおかしくなるくらい、好き。ユーリが、好き」
レイラは感情が昂ってしまい、自分の心ではもう制御ができそうになかった。勝手に気持ちが走り出して、身体が置いてけ堀になっているような感覚――それはまるで自分が星のひとつに浮かんでいくようだ。
「おかしくなっていいよ、レイラ」
「バカ」
「オレも、壊れそうだ」
そしてユーリの口づけが、レイラの「バカ」を塞ぐ。
さっきと違ったのは、今度の口づけは小さな啄みなんかじゃない、深く長い、接吻だった。
熱いものがレイラの中に入り込んで、絡むと、レイラは本当に、頭がどうにかなるかもしれないと、思ってしまった。
ユーリの全てが今自分の中に注がれているのだと実感できて、幸せな時間が暫し続いた。
名残惜しそうに、ユーリが一度顔を引くと、レイラはぽやぽやとした顔で、ユーリを見つめた。
ユーリは信じられないくらい、真っ赤な顔で、潤んだ瞳でこちらを見ている。少し緊張しているのか、表情が硬いみたい。
――なんだ、ユーリも凄く恥ずかしいんだ、とレイラは柔らかく目を眇めた。
「なぁ、レイラ。この詩の題名はあるのか?」
「……うん」
「なんて言うんだ?」
「それはね――」
小さな手紙の封筒の隅に、自信のなさそうな小さな文字で、こんな風に記してあった。
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『君は近くにいるのに抱けない』
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◆ バースデイ・カウントダウン 終 ◆
ここまで見てくださってありがとうございます。
これにて、『ガリベン魔女と高嶺の騎士』は終了となります。
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