髪は長く、知恵は短い
寒さがまた一段と強まり、明朝には氷柱だらけの軒下を見るたびに、ユーリの顔が浮かんでくるそんなある日だ。
王宮魔術師の仕事も慣れてきて、レイラは修理ばかりでなく、一部の呪文開発に携わることになった。とは言え、レオンの手伝いという程度のものであったが。
レオンとは先輩後輩という間柄ではあったが、仕事以外では話すようなことは無かったし、彼は姫が姿を現す御昼前によく庭へと出かけていた。レイラもそれについていけばユーリを見ることができただろうが、レイラはそうしなかった。
今はもう、ユーリのことを考えないようにと寧ろ姿を隠すようにしていたのだ。
もし鉢合わせたとして、どう応対すればいいのか分からない。
――そしてなによりも、怖かったのだ。
ユーリが自分を見た時の反応が。幼馴染だった子供の頃とは違う二人は、見た目も中身もまるで変わっていた。
自分の顔を見て、レイラ本人だと気が付くだろうか? 気が付いたとして、好意的に見てくれるだろうか?
――そうは思えない。なぜなら、レイラは自分自身のことを好きにはなれないからだ。こんなに貧相で、野暮ったい自分を醜いと理解している。それだけならまだしも、性格だってうじうじとしていて、人と話すだけでいちいち緊張しては、どもってしまうのだから。
「おはようございます……」
「おはよう、寒いねェ~」
開発室に入ったレイラが挨拶しながら自分の作業台につく。同僚の一人が湯気立つコーヒーを啜り暖を取っていた。
一年のほとんどが雪と氷に包まれるモースコゥヴ国は今まさに、その寒気の真っ只中といった様子だった。雪が高く降り積もり、この時期は騎士だろうと魔術師だろうと雪かきに借り出されることが多い。
レイラも冷え切っている身体を温めようと給湯室からコーヒーを一杯淹れて来た。極寒の国とも言われるモースコゥヴには温かいコーヒーは必要不可欠でいつも飲めるように常備されている。そして、仕事が終われば身体を温めるお酒を飲んで一日の仕事が完了となる。同僚の中にはこの酒のために仕事してるなんていう先輩もいた。
レイラももう十六なのでお酒は飲むことができる。モースコゥヴでは十五歳から飲酒を許されているのだ。この国の人間は十五の誕生日に必ず酒を飲む。酒が飲めないと死活問題になるほどに、寒さが厳しいためだ。
そんなわけでモースコゥヴで下戸はいないのである。もっとも、好きか嫌いかはまた別の話で、レイラはあまりお酒が好きなほうではなかった。だから、自然とコーヒーを楽しむことが増え、自宅で引きこもっている間は毎日飲んでいた。
「おはよう、みんないるかなー?」
開発室にアントンがのっそりと顔を出した。簡単な朝礼をしてから今日の作業の流れを説明するのが日課だ。
第二部署開発室には合計十名の魔術師が控えている。誰もが若いのは、この国において魔法という分野がまだまだ未開拓だからだ。年寄りは魔法なんぞ胡散臭いと言って頭ごなしに否定するので、まず老齢の魔法使いはいない。この国は鉄と鍛冶の国であるから、文化的にも魔法は日の目をみなかったのだ。
「今日はまず、雪かきです。みなさん、はりきって雪と格闘してちょんだいな」
相変わらずの間延びしたマイペースな喋りで重そうな瞼を抱えるアントンが、指示を飛ばした。
一同はやれやれといった表情を露骨に晒してうんざりと息を吐き出した。
折角暖めた身体も雪かきでまた凍えることになるだろう。それに魔法使い達はみんな肉体労働は苦手なのだ。こういうのは日頃から鍛錬を積んでいる肉体派の騎士達がやってほしいところだが、雑用は魔術師達がよくやっていた。この辺りの序列も国の魔法に対する評価が関わっているのかも知れない。
そういうわけで、今朝は雪が降りしきる中で二人一組の班で雪かきをすることとなった。
「じゃ、じゃあ、いこっか……。僕ら、オースィニ広場の方が担当みたい」
レオンが毛皮のコートを着込みシャベルを持ち出してレイラを促した。レイラはそれに頷いて、同様にコートを着こんで重いシャベルを担ぐ。
レイラの華奢な身体よりもゴツそうなシャベルは、自分で扱うのが不釣合いだと良く分かるが、仕事である以上はやるしかない。
塔から出ると、息も真っ白に吐き出されて、白銀の王宮に忌々しい雪がしんしんと積もっている最中だった。
のそのそと動いてそれぞれの持ち場へ移動する魔術師達は、誰もが辟易とした表情だった。
「あのぉ……雪かきって私達だけでやるんですか?」
レイラが前を歩くレオンの背中に質問を飛ばすと、レオンは振り向かないままに返事をした。
「うん、うちらだけ。魔術師班第二部署はもっぱら雑用係だよ……」
「一部署の方々は……」
「ほとんどやらない。一部署は所謂エリートだからさ。僕らのこと、まるで奴隷みたいに使ってくるよ」
レオンが苦々しげな口調で白い息と共に零した。同じ魔術師でもやはり一部署と二部署では扱いが違うのだ。
(エリート……)
その言葉でユーリを真っ先に思い出した。
ユーリも騎士団の中ではエリートの部類に入るのだと聞いた。そうなると、やはりこういう雑用なんか絶対にしないんだろうと思う。姫の親衛隊なのだから、当然と言えば当然だが。
やがてたどり着いたオースィニ広場の広さにレイラは軽く眩暈がした。真っ白なオースィニ広場はその色彩のせいでいつもよりも更に広く見えてしまう。白は膨張色なのだ。この広場を二人だけで雪かきしないとならないのだろうか。半日かけても無理なように思えた。
三つある広場にそれぞれ十名が割り振られる形になった雪かき作業だが、二人一組が基本の王宮仕事では三・三・四のような分け方ができない。
だから四・四・二で割り振られたわけだが、まさにレイラ達がその『二』なのだ。他の広場も終わり次第こちらに合流しに来てくれるというが、なかなか酷な話だ。
「レイラさん、きついかもしれないけど、こういう時だからこそ、うちらの出番なんだよ」
「……え?」
「魔法の出番って意味だよ……」
そういうと、レオンが持っていたシャベルに符呪を行い始めた。
手の平がぼうっと明るくなり、光がゆっくりとシャベルに沁み込んでいく。
そして、符呪されたシャベルを積もった雪にさくりと差し込むとほとんど力を入れていないように見えたのに、まるでバターを切るみたいに雪を溶かしながら積雪を分断していった。
「あっ、そういうのアリなんですね……」
「うん、僕ら、これでも王宮魔術師だよ」
レイラがぱっと顔を持ち上げたことでレオンは少しだけクスリと笑った。
「そうは言っても、シャベルの符呪は結構難しいかもよ」
「やってみます」
レイラもレオンに習ってシャベルへと符呪を入れていく。恐らく熱をシャベルの先に伝播させることで雪を溶かして雪かきをしやすくしているのだろうと推測した。
熱の魔法を符呪してからシャベルを雪に突き刺したが、レオンのように軽々とは行かなかった。
「うっく……重いです」
「熱だけを符呪するとそうなるんだよ。ちょっとかしてごらん」
レオンの肉つきのよい手がレイラのシャベルを掴むと改めて符呪を行った。上書きされたシャベルは淡く光ってから、またレイラの手に返ってきた。
「やってみて」
レオンが積雪の山を指差した。レイラが改めてそこにスコップを突き刺すと、今度こそバターに通すみたいにスルンと凍りついた雪の中に入り込んでいった。
「すごいっ……」
「シャベルの先を良く見てご覧」
レオンの言葉に自分の持つシャベルをじっと見つめると、先の平たいスプーン部分が非常に細かく振動しているのだ。
「震えてる、すごく細かく……」
「その細かい振動と、熱でもって氷を削り溶かしていくから突き刺す時に力を込めなくて済むんだ」
当たり前みたいにやってのけたレオンだったが、これほどまでに精密にシャベルの刃の部分だけ振動させる符呪を行うなど職人芸といえた。
正直なところ、小太りの頼りなげな先輩と云った印象だったが、魔法技術は一品だと改めて見直した。伊達に王宮魔術師ではないといったレオンの言葉の意味が良く分かる。
「せ、先輩……すごいです」
素直に言葉が出てレオンを思わず見つめ返すレイラに、レオンは赤くなった鼻をかきながら、視線を落とした。
「そ、そんなことないよ……すぐレイラさんもできるようになるよ……」
改めて王宮魔術師という仕事に就く人間の凄さを実感して、レイラはまだまだ自分は大したことが無いんだと思い知った。そして、いつか自分もこんな風に魔法を自在に操ってみたいと憧れを持つようになったのである。
考えてみれば、ここに就職するまで魔法を共に極めんとする仲間には出会えなかった。この王宮魔術師という仕事は、今は雑用だとしてもやはりやりがいある仕事なのだとレイラは細い腕にくっと力を込めたのだった。
それからはシャベルに符呪された呪文を意識しながらも雪かき作業を順調に行っていた。少しの疲労感はあったが、魔法の利便性を改めて実感しながらの作業は雑用のつまらなさを軽減してくれていたのだが――。
「あら、第二部署の雪転がしじゃない」
そんな声が聞こえてきた。
声のしたほうを振り向くと、そこには同じ黒のローブに身を包んだ女性らがニタニタと嫌な笑みを浮かべて立っていた。
レオンがそっと寄って来て、レイラに耳打ちして教えてくれた。
「……第一部署の魔術師だよ……相手にしないほうがいい」
レイラが冷え切った身体に汗を垂らしているのに、一部署のエリート女魔術師はヒマつぶしでもするみたいに、いびってきた。
「ほら、こっちまだまだ雪が積もってるじゃない。さっさとやんなよ」
レオンは無視して傍の雪を片付けていく。レイラもそれに習って黙々と雪にシャベルを突っ込んでいった。
反応をしないのが気に入らないのか、女魔術師は手近な雪を丸めて固め、それをレイラに投げつけてきた。
それがレイラの肩にぶつかって、冷たい一撃を浴びせる。
「ひ……」
レイラはなんだか怖くなってきた。見知らぬ人間と会話することすら満足にできないのに、高圧的にしかも嫌がらせを受けてどうしていいか分からないのだ。
幼い頃も年の近い友人によく虐められた。その時はユーリがいつも助けてくれたのだが、いつまでもユーリに頼ってばかりもいられない。ユーリのことは考えないと決めたのだから。
「無視すんなよ!」
別の魔術師が同様に面白がって雪玉を投げつけてきた。レイラにそれがぶつかって雪玉がはじけるのが面白いらしく、命中したらケラケラと笑っていた。
「ほら、エリート魔術師の私達が親切に教えてやってんのよ? こっちきなよ」
またも雪玉がレイラに投げつけられてそれがレイラの横っ面に直撃してしまった。
「あうっ……!」
思わず、衝撃にレイラが倒れこみ、雪の上にかけていた眼鏡が吹き飛ばされた。
「レイラさんっ……」
流石にレオンも慌ててレイラに駆け寄ろうとした時だ。
「どうされました」
――あの声だとすぐに分かった。初日とまったく同じ言葉で、同じ声だったから。
だからレイラは雪の上で倒れこんだまま顔を上げられず、そのまま固まってしまった。
一部署の魔術師達の背後に、親衛騎士の真紅のマントを纏ったユーリが立っていたのである。
調子に乗っていたエリート魔術師達は引き攣らせた表情をして、「なんでもありませんわ」と蜘蛛の子を散らすように逃げていった。それを呆れたような顔をして見送ったユーリは倒れこむ少女へと向かって雪の上をさくさくと歩み寄ってきた。
(ゆ、ユーリ……! やだっ……こっちにこないで……)
レイラは動けなかった。どうしていいか分からなかったのだ。助けてもらったのに、礼を言うべき相手なのに、その相手はユーリなのだ。自分とは違う世界に住む幼馴染なのだ。釣り合わないと分かっているのに――。
だと云うのに、彼は今、倒れこんだレイラの傍で膝を付き、雪に濡れることも厭わずに、横たわるレイラに手を差し出したのだ。
「お怪我は?」
「……へっ、へきっ……へいきっ……なので……」
顔を見せないように、レイラは雪に冷たい鼻先を押し付けたままユーリの手を握れずにいた。
レイラが手を取らないことにユーリは、スっと手を引っ込めた。そうして、雪の上に転がっていた眼鏡を拾い上げて、改めて、レイラの目の前に座り込んだのだ。
「みせなさい。雪玉とはいえ、頭に当たっては大事になる可能性もあります」
なんということだ。一部始終見られていたのだろう。こんな情けない所を、一番見られたくない人に見られてしまった。
レイラは胸がいっぱいになって、いつしか雪を溶かす涙を零していた。
なんて無様なんだろう。王宮魔術師になったのに、泣きべそまでかいている。お酒が飲めるようになったからって、何も変わらない。かっこ悪い自分はいつまでも雪に埋もれて然るべきだとレイラは肩を震わせていた。
肌を突き刺すような氷雪に沈み、声を殺して泣く魔術師にそっと手の平が伸ばされた。
頭部の横、先ほど雪玉が直撃したところを優しく撫でてくれた男性の掌に、レイラはハッと睫毛を持ち上げた。
(レイラ、大丈夫か――)
いつか聞いた幼馴染の声と共に差し出される少年の手――。あの頃とはまるで大きさが違う。とても大きく、頼もしい手はレイラの横顔を包んでくれた。
その手の体温に支えられるように、レイラは顔を持ち上げた。心地よい手の平の中で、ずっと推し留めていた気持ちが殻を割るみたいに、溢れてしまいそうだった。
そして、見た。目の前にある親衛騎士の顔を。真っ直ぐに、金色の瞳がこちらを見ていた。
「……レイラ……?」
涙で濡れた目じりをそっと彼の親指がぬぐった。確かめるような指の動きのあと、ユーリは驚いた顔で、もう一度その名を呼んでくれた。
「レイラ・アラ・ベリャブスカヤ――」