第十話:ベラと第一部署
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ベラの警報魔器の開発案が申請を通り、実際に開発に乗り出そうとする時期のことである。
これから魔器に符呪する呪文をどう組み込むのかなどを詳しく会議していくところに、突如、第一部署の魔術師が現れ、アントンを呼びつけると、アントンと連れ立って開発室から出ていくこととなった。
第一部署の魔術師の強張った表情から、何かあったらしいと第二部署の魔術師達は推測した。
「アントン部長が連れていかれたってことは、また人手不足かな?」
「それにしたって、急じゃないか? 何か不測の事態が起こったみたいに感じたけど」
「何にしても、こっちに面倒な話が飛び火しそうだなあ」
先輩である第二部署の魔術師たちは、やれやれとため息を吐き出す。ベラも言葉は発しなかったが、先輩達と同様の思いであった。できることなら、二度と第一部署の仕事には関わりたくない……。少なくとも、チムールの一件が自分の中で整理できるまでは――。
いつかは己の描く夢の為にも、第一部署に昇格しなくてはならないと思いながら、今のベラはこの第二部署の開発室が居心地が良かった。自分の開発案が軌道に乗り始めたばかりだし、周囲からも認められはじめたところなのだ。
(……乗り越えられる。大丈夫だ。あたしなら、やれる)
もう自分勝手な幼さで動くようなことはしない。きちんと仕事に向き合い、自分の実力を理解して、明確に努力を積み重ねることが重要だ。
ベラは、自分の発案である警報魔器の呪文の構想を練りながら、今の自分でできることにだけ集中する。
――だが。
暫くしてアントンが開発室に戻ってくると、ベラはその仕事を中断させられることになったのだ。
「ベラ君。作業を止めて私と共に、第一部署に出頭しなさい」
「……え?」
アントンの灰色の瞳がじっとベラを見据え、命令をした。ベラはその言葉に、驚愕の色を隠せない瞳で向き合った。
周囲の魔術師達も沈黙し、ベラとアントンを見比べる。
アントンは、他の魔術師達に作業を進めるように言うと、もう一度ベラに向き直った。
「ちょっと来てくれるかな」
そう言い放ったアントンの凄味に、ベラは頷くしかなかった。
正直なところ、第一部署に出頭させられるようなことを仕出かしてはいないはずだし、チムールがいるだろう第一部署に足を運ぶのは気が進まない。
だが、アントンの有無を言わせない雰囲気に、ベラはアントンの後ろに続く形で開発室から出ていくことになった。
廊下に出て少し歩くと、アントンが歩みを止めた。
くるりとベラに振り返ると、そこには普段の昼行燈な部長の顔ではない、硬質な表情と意思を見通せない灰色の瞳があった。
「ベラ君。以前、私と共に第一部署の助っ人に入ったことを覚えているかな?」
「えっ……ええ、覚えています……。魔法陣の点検でした」
普段の部長よりも、声のトーンが少し低い。言葉遣いは普段通りのものだったが、彼の醸し出す雰囲気が別人のように重々しい。
やはり、何かあったのだ。それもかなり厄介な話になっているような、そんな様子だ。
そして、ベラを呼びつけたということは、その要因に加わっている可能性が高い――。
ベラは途端に息苦しくなって、呼吸を浅くする。
「これから、第一部署のナディア部長と面会し、調書を取られることになるが、あの日のことを覚えている限り、明確に言うんだ」
「……え……? な、なにがあったんですか?」
調書を取る――。あの日のことで――?
何かミスでもしていたのだろうか? それにしては妙に仰々しい雰囲気だ。ベラは狼狽えた。
必死にあの日のことを思い出そうとするが、思考がきちんと言うことをきいてくれない。ぐわんぐわんと、頭痛すらしそうになる。そして、嫌な汗が額に浮かびだしていく。
「あの魔法陣に重大な問題が発生した。作業に参加したメンバーは全員調書を取られている。君だけではないから怯えなくていい」
「重大な、問題って……」
「それはナディア部長から直接話をされる。いいかい。自分の覚えていることを正確に回答するだけでいい。分かるね」
アントンの厳格な声色にベラは生唾を飲み込み、こくりと頷いた。
一体どういうことなのだろうか。あの魔法陣の研究は、人の魔力を増幅させ、王宮に張り巡らせる水路のような役割を持たせる研究だったはずだ。あのチムールが責任者であり、これが上手くいけば実力を認められ時期魔術師長のポストを獲得できると自慢していたのを覚えている。
人間単体ではカバーしきれない魔力の供給を増幅させ、王宮で誰もが魔器を利用しやすくするための、効率的な魔力供給を担う魔法陣。
ベラはその供給状態を調べるだけのチェック要因に過ぎなかった。何か手を加えたりはしていない……。何か問題があったとしても、自分になんらかの責任が降りかかる可能性は低いはずだが、ベラは背筋が凍る思いであった。
あの時は、傍にアントンも居てくれた。自分に何か落ち度があれば注意をしてくれたはずだし、堂々としていれば問題ないはずだ。アントンの言葉通り、あの日のことを正確に報告すればいいだけだ。
ベラとアントンは張り詰めたような顔で第一部署の魔術師長の部屋へとやってきた。
アントンがノックをすると、神経質そうな女性の声で「入れ」と短く返された。魔術師長の机には険しい表情をしたナディアと、その脇に控えるようにしている魔術師の男性が居た。
ベラはその魔術師の顔を見て、一瞬で凍り付いた。チムールだったからだ。
「第二部署のベラで間違いないな」
ナディアが鋭く尖った刃物のような眼光を向ける。ベラは短く返事をして、姿勢を正すのだが、背中に伝う嫌な汗と、張り付くような視線を向けてくるチムールに、顔色を悪くさせてしまう。
「先日、地下魔法陣の起動実験に参加した時のことを覚えているな」
「はい。覚えています」
「現在、その魔法陣に重大な欠陥があることが判明した。起動チェック時の状況を問う。真実のみ語ること」
「け、欠陥……?」
ベラは思わずアントンを見た。あの時、魔力の数値は正常で欠陥などは全くなかったと記憶している。それはアントンだって確認していたから間違いないはずだ。
何か問題があったとは思えなかった。なぜ魔法陣に問題が出たのだろう。
怪訝な顔をするベラに言葉を投げかけたのはアントンではなく、軽佻浮薄な顔をしているチムールだった。
「これまで順調に魔法陣の開発状況は進んでいた。しかし、我らの徹底した仕事の中で、たった一度だけ不確定な要素が入り込んだ日があったのだ」
「……あたしが……ミスをしたとおっしゃっているんですか?」
ベラは状況を把握した。どうやら、チムールが管轄している魔法陣の仕事で致命的な問題が発生したらしいが、その責任の在処をベラに擦り付けようというのだろう。
完全完璧な魔術師第一部署のエリートの仕事で失敗は許されない。失敗があるとしたら、異物が混ざりこんだ第二部署が参加した時に違いないと、表情で訴えていた。
「それを明確にさせるために呼び出している。あの日のチェックの状況を、こちらから質問をする。正直に回答しろ」
ナディアが威圧感のある声と共にベラから視線を動かすことなく、書類を取り出した。
「まず、六芒星の頂点で発生する魔力が通常時に於いていくつを示していたか答えなさい」
およそ一か月も前のことであったが、ベラはあの日のことを鮮明に記憶していた。誠実な仕事をしたいと張り切っていて、魔力チェックに余念がなかったからだ。
ベラはあの日の魔力が示していた数値を述べあげた。喉がカラカラで声がかすれそうになるが、できうる限り正確に証言してみせた。
ベラの答えに、ナディアは表情をひとつも変えず、ただただ見据えていた。虚言は許さぬという視線がベラを貫いていた。
「では、魔法陣を起動した際の魔力上昇の数値を回答しなさい」
「はい……」
ベラは気圧されそうになるナディアの眼光に負けじと胸を張って、次の質問に応えた。その数値もきちんと覚えている。生半可な気持ちで仕事に向き合ったつもりはなかった。
「三つ目の点に於ける魔力数値、間違いないか」
「は、はい……」
ナディアは確認のために追及をしてきた。間違いないはずと思いながらも、ベラは恐怖が沸き起こってきていた。自分の発言次第で、今回の問題に対して責任を負わされかねない雰囲気だった。
「す、すみません……。記憶が曖昧で……じ、自信は……」
心臓を抉り抜いてくるような空気に耐えきれず、ベラは己の自信のなさを告白しようとしたが――。
「間違いないありません。自分の相棒は、当時の数値を一切の誤差なく回答しております」
それをアントンが遮る様に口を挟んだ。その声は、毅然としたもので、何一つ疑いを持っていない信頼の乗ったものに違いなかった。ベラは思わず、胸の奥にじわりと沁み入るような熱を感じた。
「第二部署の二人組み同士で擁護しあったところで信用できるか」
チムールが醜く表情を歪めて言い放った。その目には明らかに侮蔑と嫌悪が入り混じった色が滲んでいた。
ベラはその目を見て、チムールの魂胆が理解できた。これは、チムールの復讐なのだ。
あの晩、チムールがベラを襲った時、アントンがチムールを遮った。あれでチムールは調子付いていた気分を害されたのだろう。
今回の責任をベラだけでなく、アントンに被らせることで、第二部署部長から引きずり落とそうとしているのだ。
(こいつっ……どこまで捻じ曲がった根性してんのよ……!)
ベラはいよいよこのチムールに対して、怒りが爆発しそうになって来た。だが、この状況では、第二部署の言葉は信用できないと跳ね除けられてしまう。
ベラが何かしら抗議を訴えようと、あの晩に起こったチムールの犯罪行為を告発しようと思い立った時だ。
アントンが手を挙げた。
「第二部署の発言以外であれば、信用できる?」
「なに?」
「例えば、騎士とか」
飄々と喋るアントンの目はやはり何を考えているのか見通せない、どこか不気味な印象すらあった。
ベラはアントンに怪訝な顔を向けたが、チムールはその表情にぞっと青ざめていた。
チムールはその目を知っていた。次はないぞ、と言った時のアントンの目であったのだ。
「魔術師の塔の警備をしている騎士ラシードを呼び出してもらえますか」
「その人物が、何か証明できるというのか? 騎士に魔法のことなぞ、分かるはずがないだろうっ?」
チムールは声が裏返りかけていた。まさかこの失態の責任が本当は自分にあることを証明できる方法があるとは考えていなかった。
チムールからすれば、厄介な問題が発生した今回の事件を、気に入らない二人の魔術師に責任を押し付けることができる一石二鳥の案でしかなかった。
それがのぼせ上っている考えだと気が付かされることになると、想像もできない男であった。
チムールの抗議を聞き流し、ナディアが騎士ラシードを呼びつけることになった。
急に呼び出された騎士ラシードは厳つい筋骨隆々の男で、まるで魔法には理解を示しそうにない雰囲気であった。
「騎士ラシード。魔術師塔配備の騎士で間違いないな」
「ハッ」
「一か月ほど前のことだ。魔術師の塔の地下で魔法陣実験を行った日を記憶しているか」
「……は? ……すみません、良く覚えておりません」
騎士ラシードはナディアの問いに、眉をひそめた。何の話をしているのか理解もできていないようで、当時の記憶も曖昧な様子だった。その姿にチムールはニタリと笑む。
「だから言っただろう。騎士に魔法のことは分からんと」
チムールはフンと鼻を鳴らし、勝ち誇った笑みを浮かべたが、その言葉に、ラシードがムっと嫌な顔をした。
騎士を魔法が分からない愚か者と侮辱されたと感じたようだった。
と、共に、そのチムールのいけ好かない態度に、思い出したように言った。
「あ、そう言えば思い出しました。魔法陣の実験の警備のため、こちらの地下に配属された日のことですね」
あの日もこのいけ好かない魔術師の優男が、偉そうに指揮を執ってなにやら魔法の実験をしていたと思い出した。チムールはその日も騎士を小ばかにするような態度をしていたので、思い出したのだ。
「その日さ、研究室の入口で、私とお話したのは覚えてないかな?」
アントンが惚けたような顔で、ラシードに自分の顔を見せびらかした。人差指で、ちょいちょいと自分の顎をつっつくようにしている。
「ああ、無精髭の……覚えてます」
堅苦しい表情しか見せていなかったラシードが不意に笑顔を零した。ベラはその様子に、当時のことを思い返しハッとした。
「あっ……」
そうだ。あの日、アントンは実験室に入るなり姿をくらましていた。それをチムールに指摘されてベラが呼び止めたことがあった。
あの時、アントンは実験室の片隅で何やら雑談でもしている様子だったので、ベラは注意したのだ。きちんとしてくれ、と。
その時、会話していた人物が、このラシードに間違いなかった。
「あの時、私と君の間にもう一人、魔術師が居たよね」
「ああ、はい。ハッキリと記憶しています。魔石のお話をしておりました」
「な、なんだとッ」
今度こそ、チムールは焦りを露にして声を上げた。
それをナディアが手を挙げて抑えると、そのままアントンに話しを促した。
「どういうことだ。アントン部長。その騎士と今回の件、何か関係があるというのか」
「第一部署の組み上げる魔法陣の出来に、感心してましてね。ついつい饒舌になっちゃったんですよ。それでこのラシード殿と話し込んでしまって」
ナディアの鋭い表情にも怖気づく様子なく、アントンは普段のマイペースな口調でつづける。
「今回の魔法陣、六つの頂点に設置された魔石を起点に魔力の流れを描き陣を組み上げておりますが、その魔法陣は実に完成されており、数値上も相棒のベラが言ったように、問題はありませんでした」
「だが、実際に今回魔法陣は崩壊し、暴走仕掛けた。起動実験の際、杜撰な見落としがあったのだと担当のチムールは進言している」
「杜撰な見落としは、意識的につくられた可能性があります」
アントンの言葉に、チムールは押し黙り、ナディアの眉はぴくりと持ち上がった。ベラはもう事態がつかめず、ただただ、アントンの顔を見つめ続けていた。
「あの日、私は三つ目の頂点に設置されていた魔石を見て、金属疲労で危険な状態であることに気が付きました」
「なに? そんな報告は受けていない」
――魔石の金属疲労は強大な呪文を符呪していると劣化が発生しやすくなる。魔器に符呪する呪文と同じことで、強大な魔法を動かすためには媒体となる魔石にもそれなりの負担がかかるのだ。
「そうですか? しかし私はきちんと報告をしておりました。ですよね、ラシード殿」
「はい。そのやり取りは良く覚えています。魔石の一つが劣化していると、アントン殿が魔術師に報告してました。彼の言動はどうにも特徴的だったので間違いなく記憶しております」
ラシードの言葉に、ベラは納得していた。確かに、アントンは抑揚のない独特の口調で喋るし、王宮で働く人間らしからぬ、立ち振る舞いをすることもある。騎士であればそういう人物の言動は目に留まることだろう。
騎士からすれば魔術師など、誰も彼も大差ない根暗で嫌味な連中だという印象だっただろうが、アントンはその枠組みから外れていたのだろう。
警備に就いている自分に、気さくな様子で顎髭を剃り残していたのを相棒に叱られたと笑った魔術師のことを、ラシードはしっかりと記憶した。
「今回の魔法陣の崩壊は、魔石が呪文の重さに耐えきれなかったためです。その可能性は、すでに私から報告済みでありましたが……ナディア部長には届かなかった?」
「どういうことか、チムール」
厳しい視線は、もうベラではなく、チムールに向けられていた。凄味ある声で追及されたチムールは、口を開け閉めして言葉を探すようだった。
「実験の成功だけを見て、継続利用することに対する危険性を度外視。それとも、これが第二部署の意見だと知り、握りつぶしたか?」
アントンはずばり切り込んだ。チムールを逃すわけにはいかないと灰色の目が鈍く光った。
ベラはアントンの言葉に、今までどうやって対抗魔法の魔器を開発するのかを悩んだ日々を思い描いていた。
魔法を符呪するためには、それなりの媒体が必要になるが、市販に出回るような魔器にするためには簡素な魔法しか符呪できない。いかにして費用削減をしなくてはならないかを考えさせられた。
ベラは結果十個の案を持ち込んだが、その中の一つに素材に見合わない魔法を符呪する魔器もあった。言わば不良品のようなものだ。器にそぐわない大きさの魔法を符呪することで、魔器が耐えきれずに魔法が暴発する可能性があるとして、却下されたのだ。
「ナディア部長。この実験に参加した人物の調書は全員取っているはずですね? 私が報告した魔術師の名前はドミトリーだったはずですが、彼の調書には何もありませんか」
アントンの言葉に、ナディアは資料をもう一度見直して、チムールを睨みつけた。
どうやら、ナディアはドミトリーの調書に違和感を覚えた様だ。
「分かった。もういい。第二部署のアントン、ベラ両名は下がっていい。騎士ラシードは調書を取るため、残ること」
ラシードが敬礼すると、アントンは「じゃ、私らはこれで」と、ベラを連れ立って第一部署から立ち去るのだった。
チムールは青紫の唇を震わせて、床を見つめているばかりであった。