第九話:ベラは今、前を見た
数日が経過した。雪の降り積もる日は、雪かきに駆り出されながら、ベラは毎日新開発のための魔器の案を練っていた。
あれからアントンとはなんだか話しづらくなってしまい、真っすぐに意見を言い合ったりすることもできないまま、本日企画会議で魔術師達は持参した案を発表することになっている。
ベラはこの日のために、新開発の案を十個、意地で考え出した。ローザの助言に従い、複数の案を持ち込もうとあらゆる視点で案を練って見せた。
残念ながら、最初考えていた個人でも携帯できるような防衛魔器の開発はまともにアイディアを組み立てることができず不採用にした。どうしても、『鎮静』魔法防御するためには、それなりの魔力を道具側に宿さなくてはならず、そうなると費用がかかってしまうことをクリアできなかったのだ。
アントンは、ベラをサポートしながら、本来の第二部署部長が行う仕事をこなしていた。だから、アントンはほとんど、ベラの案には手を付けていない。正真正銘、ベラが自力で案を練りだしたことになる。
開発室の中央に集められた魔術師達は、それぞれ二人一組のチームとなり、開発提案を発表していく。
どの班も高度な魔法に対する防衛魔法の技術を簡略化させ、使用しやすくしつつも、費用を抑えるための魔器を提案した。その魔力削減方法は、ベラにはたどり着けなかった案で、ベラは先輩たちの魔術師の案に感心するよりも、緊張が走っていった。
自分が持ち込むこれから発表する案が、あまりにもちんけな計画案であるように思えた。まるで構想が違うのだ。他の魔術師たちは、きちんと防衛魔法の体を成している護符の役割を持つ魔器を提案している。
――だが、ベラの案は、それとはまるで違うものであった――。
(……あたし……間違っちゃった……?)
ごくりと生唾を飲み込み、息苦しさで吐き気すらやってきそうであった。
「では、次の班。……あ、ベラ君と私の班か」
アントンが飄々とした態度で、席から立ち上がり、ベラと共に前に出る。
「……ええと、まず初めに言っておくとね。申し訳ないけど、今回私はほとんどこの計画案に参加できなかったのよ」
抑揚のない独特の語りで、アントンが後頭部をぼりぼりと掻く。
「いやね、ちょっと第一部署でゴタゴタしてたもんで、そっちの手回しに時間喰っちゃって。ベラ君には協力出来てなかったことを詫びさせてもらいたい」
アントンがベラに「すまん」と手を上げる。だが、そのアントンの言葉は、ベラを更に緊張させた。要するに、アントンはこれから発表する計画案はベラだけで考えたんだぞと言ってるのだ。
失敗すれば、責任は自分にのみ降りかかる――。
(……ど、どうしよう。頭が正常に動かない。真っ白になってる……)
これから発表だというのに、ベラはガチガチに脳も身体も凝り固まって、まるで他人の肉体に入り込んでしまったかのようだった。
視線は真っすぐに向けているつもりだったが、その目が何を捉えているのか自覚できていない。
ぐるぐると視界が回ってどうにかなりそうだった。
「まぁそういう訳でね。みんなには、この新米のベラ君が持ってきた案をしっかり見てほしいのよ。じゃあ、頼むよベラ君」
「……は、はい」
アントンに促されてベラは一歩前に出た。二人一組でありながら、孤立している状況だと感じられた。
蒼白のベラは前に出て、先輩の魔術師達の視線を浴びる――。
(な、なんだっけ、何から言えばいいんだっけ……)
困惑の中で、ベラは暫し動けなくなった。どうしていいのか分からない。一秒が十秒にも感じられるほど、嫌な感覚だった。
もう、逃げ出したいとすら思いかけたが、ベラは一度瞼を閉じ、友人の言葉を思い出す――。
ローザは言ってくれた。自分次第で解決の道を模索できると。それだけのことが、自分には出来ると背中を押してくれた。
「では――。発表致します」
ベラは、少し枯れた喉から声を絞り出し、顔を上げた。
その背後には部長がいる。アントンが今、自分をどのような目で見ているのかは分からない。だけれど、いつもの曇天のような瞳をじっと向けているのだろう。何を求めているのか不明瞭な視線を、自分の背に向けているのだろう。
「私の案は、十あります」
「じ、十も?」
思わず、先輩魔術師の一人が目を丸くした。どの班の案は多くても二つだったからだ。
「私は先輩方のように、魔器開発の知識がまだ足りておりません。ですので、視点を変え、防犯のための魔器を構想しました」
「防犯用の魔器?」
「はい。それでは最初の案から説明します――」
ベラは、開発案をまとめた用紙を取り出し、話を進め始めた。
一つ目の魔器は身に着けているだけで、魔法を感知すると自動で発動する『電撃』の魔法が符呪された魔器であった。
呪文の構造も単純で、量産もしやすいと提案したが、この案は即座に却下された。まず、魔法に対して自動で発動するというのが、返って危険だと判断された。敵意のない魔法に対しても反応してしまうこと、それになにより、符呪できる魔力が少なすぎて電流を流せたとしても大してダメージを与えることができないという問題が指摘された。
せいぜい、相手を驚かせる程度しかできないと言われ、ベラはこの案を素直に下げた。
二つ目は目つぶしの効果を持たせた魔器だった。これはローザが提案してくれた案でもあった。
錬金術に使用する酢酸は強い刺激があり、これを相手に吹きかけると涙が止まらなくなるのだという。それを魔器に応用できないかと教えてくれた案だ。
所謂、催涙薬である。襲われた時、この魔器を使用することで、逃げられるようになるだろうとベラは提案をしたが、これにはアントンが異を唱えた。
「それって、逆に言うと犯罪にも使えないかな?」
道具は使い方次第では便利にも危険にもなる。ナイフとフォークの使い方を述べたアントンの言葉らしく、確かにこの防犯魔器は悪用もできるだろう。
ベラはこちらも大人しく意見を下げることにした。
こうしてベラはその他八つ――合計にして十の計画案を発表して見せた。
どれも相手の魔法に対して障壁を張るような防御魔法の開発計画ではなく、未熟な自分でも作り出せるレベルの簡素な子供だましのような魔器ばかりだった。
己の実力不足を恥じながら、ベラは「以上になります」と沈んだ声で発表を終える。小さく肩を窄ませるようにして、後ろに下がったベラに、アントンが「おつかれさま」とのんびりした声をかけた。
(やっぱり――あたし、ダメだ。こんなちっぽけな案を沢山並べ立てるくらいしかできない……)
悔しさと恥ずかしさで顔を伏せるベラの肩にとん、と手が置かれた。アントンの節くれだった指先が見えた。
どきんとした。
上司に、失望したと思われたかもしれない。そうなるのが、ベラは正直なところ、一番怖かった。それは恐らく、自分がアントンにこそ、認められたいと願っていたからかもしれない。
「どうだった。ベラ君の案」
「うーん、正直どれもちゃちな魔法ばかりで、対魔法具としては話になっていませんね」
辛辣な言葉ではあるが、その先輩の意見はもっともだ。ベラ自身もそう思っているのだから。
「でも――」
だが、その先輩の魔術師はつづけた。
「六番目の案、私は賛成です」
「――え?」
「ああ、うん。僕も六つ目の魔器はいいなと思いました。ええと、ほら『音』の魔法」
「だろう? 私もあれはいいアイディアだと思ったよ」
アントンが「なはは」と気の抜けた笑い声と共に、また肩をぽんぽんと叩いた。まるで、幼子の頭を撫でるようなそんな優しさが伝わってくる。
ベラが発表した六つ目の開発案は、『音』の魔法を符呪した所謂警報の魔器だ。
これは襲われそうになった時に、使用することで周囲にけたたましい騒音を響かせる魔器だ。特に防御効果を発生させたり、相手に傷を負わせたりするような効果はまるでないのだが、相手を驚かせ、また周囲に身の危険を報せることができる魔器だった。
これは、毎夜、暗い通りを歩いて帰宅する時、こんなものがあったら安心するかもしれないと思って考えた魔器だ。ベラがチムールからの恐怖を払拭するために考え抜いたアイディアに他ならない。
呪文構造も単純で、ただ大きな音を反響させるだけだし符呪する魔力も大きくない。これは簡単に量産もできる個人が携帯できる道具としての条件をクリアできていると自負はしていた。
「ベラ君のこの警報魔器、まずは作ってみないか」
アントンの声に、第二部署の開発室の面々は頷いた。ベラを除いて。
「……は? え?」
「何鳩が豆鉄砲食ったような顔してるの。ベラ君のこの案で決定だから、まとめてくれないと」
「で、でも、こんな魔法でいいんですか?」
狼狽えるベラに、アントンは当たり前でしょう、と言いたげに真っすぐ見下ろしてくる。
「みんなも分かったと思うけれども、こういう案は、知識が深まれば深まり、魔法を知るほど出にくくなってくる。知識が増えればその知識を活かそうとするだろう。すると、徐々に『こんな魔法』を見落としがちになる。新米だからこそ発見できる構想もあるんだ」
「はい」
アントンの声に、魔術師達は素直に頷いた。
「ベラ君。これは確かに簡素な魔法であるが、だからこそ、子供でも扱える防衛魔法になる。これは、ベラ君だからこそ思いついた君の一品だ。胸を張りなさいな」
アントンはニタリと笑んだ。なんだかやっぱり何処までも掴み切れない奇妙な笑みだったが、ベラはその言葉に背筋を伸ばすことができた。
こうして、第二部署は新開発する計画案を決定した。ここから試作品を作りだし、改良を重ねて国の審査に届けることになるのだ。それが通ればこのベラの魔器は広く出回ることになるだろう。少しでも、魔法が何かの役に立つのだと、街に伝えることができるかもしれない。
ベラは、ほっと一息ついた。
十個の案をひねり出すのは本当に苦しかったし、悩みに悩んだ。自分にできるものを精一杯考え、稚拙な魔法が何の役に立つかだけを考えた。
それが報われた。ベラが初めて、何かを認められた瞬間だと感じたのだ。
ベラは自分の右肩に遺る重さをそっと掌で包み込んだ。
(あたし……ほっとした。部長の手……優しかったんだ)
あの襲われかけた夜だって、アントンの身体に支えられて泣きじゃくった。あれは恐怖からだけじゃなかった。安堵が何より大きかったのだろう。
アントンの無精髭はだらしなく、昼行燈な表情は頼りなげに見えるのに、何より安心できるもののように思えた――。