第七話:ベラの胸中、心の傷
明くる日のことである。
普段通りに仕事場で始業まで持参した魔術書を覗き込み、次回行われる開発会議に向けた案を練るべく、ベラは知恵を絞っていた。
やがて、始業の時刻となり、普段ならばアントンがやってくるところ、第二部署の古株の魔術師が代理として号令をかけた。
「本日は、アントン部長が午後まで来ないため、各自、対魔法具の開発案を練ること」
その言葉に、ベラはふと、気になったので発言した。
「部長、遅れていらっしゃるんですか? なぜ?」
「墓参りだと聞いているよ」
「……お墓……参り……?」
誰かの命日なのだろうか。それなら遅れて来ることは理解できる。寧ろ、そんな日くらいは休暇を取っても許される。だが、アントンはどうやら午後から王宮に出向くらしい。
「じゃあ……私はどうしたら……」
王宮での仕事は基本的に二人一組だと言われた。確かにベラの相棒は特例ではあるが部長であるアントンであるため、度々一人で活動することもあったが、それでも基本的にアントンの目の届くところで単独作業になる場合ばかりだった。
今日に至ってはアントンはその姿がない。ベラは少しばかり心の中の空白を確認させられるような気分になった。
「言った通りアイディア出しになるから、午前中は部長がいなくても問題ないだろう。仕事という仕事は振られないから。それに、先日だってきみと部長はアイディア出しに関しては一人で考えたいと発言していたはずだよ」
「そ、それはそうです……ね」
確かに、あの時は妙なプライドがそう発言させた。それに例えこの場にアントンが居たとしても、おそらくベラは自分だけで考えさせてほしいと言ったはずだ。
それは部長であるアントンの足を引っ張りたくない気持ちもあったし、自分自身の実力を確認するためでもある。
別にアントンがこの場に居なくても問題は発生しないはずなのだ。
(――なんか、ムカつく……)
なぜだか、ベラは自分が不機嫌になっていることに気が付いた。
それは恐らくアントンがこの場に居ないからだ。だがそれは何の問題もないはずなのだ……。なのに、妙に心がぐねぐねと動くようで居心地が悪く感じる。
別に部長が居なくたって、立派に開発案を考えてみせる。
ベラは自分の中に沸き起こる泥沼みたいな気持ち悪さを抱え込み、改めて自分の机の魔術書に向き合った。
「……対魔法具……。簡単に使用でき、安価で量産ができる物……」
色々と試行錯誤で魔法の開発やそれに使用する素材などを思い描いていくベラであったが、まず、高度な魔法に対する防御壁を構築する時点で、一般に出回ることができるような魔具には出来上がらないと頭を抱えた。
ベラが想定するのはやはり、あのチムールの放った『鎮静』の魔法に対する備えになる。
(あの魔法に対する防御を備えるとなると、どうしてもそれなりに大きな魔法になっちゃう……。そうしたら個人で携帯できるような魔具には符呪できない……)
魔法に対する防御を展開する『盾』の魔法は、戦時中にも利用された高度な魔法だ。相手の凶悪な破壊魔法を消滅させるための障壁を張る『盾』は維持するのがとても難しい。
魔法とは人の血流に流れる魔力を活性化させ、呪文を描き、発生させる技術だ。それを魔術の教養がない人でも利用できるようにした物が魔器や魔具と呼ばれ、一般に出回る。
しかし、それは呪文を魔器に刻み込むことで発動を促すため、人の体内にある魔力を道具に詰め込む必要がある。そしてそれを維持させるためには、できる限り呪文が簡素なものを用意し、魔力の消費を抑えなくてはならない。魔器に仕込む符呪用の金属も高価な魔石などを利用すれば長持ちしたり、大きな魔法を符呪できるだろうが、それを素材にするということは、魔器が高額になるし、量産させることも難しくなる。
「どうやって軽量化させろっていうのよ……」
ベラはいまいち纏まらない思考に、小さく愚痴を零した。周囲を見回せば、それぞれ第二部署の魔術師達は二人一組で色々な案を出し合っては呪文の構想を語り合う。どこもまだこれだという妙案は浮かんでいないようだが、ベラよりはマシな様子にも見えてくる。
(――魔法って難しい……か)
ふと、先日お世話になった『ママ』の言葉が脳裏に浮かんだ。一般的には魔法技術は難しくて理解しがたいものという印象が強いと改めて気が付かされた。
そして、自分がこうして開発に関わっていても、やはり同じような想いが浮かんでくるのだから、魔法技術を一般人に理解させようというのは一筋縄ではないかないだろう。
(簡単な……子供でも扱えるような……魔法……)
ベラはそう考えて、自分の行き詰っている思考を少しだけ整理した。
子供でも利用できる魔法道具――。
――そもそも、自分が魔法に憧れを持ったのだって子供の頃の話だった。
あれは確か父の貿易のため、ついて行った港町で見た異国の魔具に目を奪われたからだ――。
それはまさに幻想の世界を間近で感じた瞬間だった。異国の魔具は景色を切り取ることができる物であった。その魔器の光を受けた景色を絵画として残すことができるのだ。最新の魔法技術をベラは子供心に感心していた。しかしながら、父親は不気味な物と言って魔器を毛嫌いしていたが。
(あれも凄い魔法だった。あの魔器はそれなりの大きさをしていたけれど、光の魔法の応用で工夫されていた。工夫や、発想次第で発明は第一歩を踏み出していくんだ)
工夫、考え方や見方を変えることで、今回もなんらかの発明ができるかもしれない……。
アントンは言っていた。今後、魔法技術が発展を遂げていく中、魔法による犯罪が増えていくはずだと。それに対する抑止力や防衛道具を開発する必要がある。
チムールの『鎮静』魔法に対抗するための道具ではない。――その考えから抜け出さなくては、この計画に対する発明などできそうになかった。
――結局、ベラは魔術書を読みふけるだけで午前中の時間を過ごしてしまった。それ自体は無駄ではないはずだ。知識がなくては思いつきを実現できるのかも考えることができないのだから。そんな風に自分に言い訳をするしかできなかった。
昼休憩となり、ベラは気分転換も兼ねて、錬金術師のローザを訪ねた。先日のローザとの誓いを思い返してのことだ。
彼女は王宮に於いて一流の錬金術師として、また女性としても認められるような存在を目指していると言っていた。ベラもその意見に強く同意したが、今現在は大した成果を上げることができていない。
ローザはどういう仕事をしているのか、仕事に対し、どう向き合っているのかが気になった。王宮錬金術師として活躍している姿をきちんと知りたく思ったのだ。
錬金術師の塔まで行きローザを捜すと白衣姿の彼女を発見することができた。ベラが訪ねてきたことに気が付いたローザは、すぐベラの下へとやってきた。ローザはすっきりとした香りを見に纏っていた。
彼女の仕事は香薬を作っているらしい。その香りが白衣に移っているのだろう。
二人はゆっくりと話せそうな場所を探し、いつしか温室の傍にあるベンチに落ち着いた。
「何の香りなの? そのすっきりと鼻を突きぬけていく感じの」
「開発中の香薬ね。気付け薬の香りだと思うけど、薄らいでいるからすっきりする香りで落ち着いているのかも」
「気付け薬ってことは、刺激臭がするのね?」
「まぁね。臭い?」
「ううん、意外にもその香り、嫌いじゃないわ」
「風に似ているのよ。暴風だと苦しいけれど、そよ風なら心地よい。そんな感じね、香りって」
少し冷たい風に吹かれながら、ローザはパタパタと白衣を叩いた。沁みついている香りを吹き飛ばそうとしたのかもしれない。
「凄いわね、ローザは立派に錬金術で薬品を作ってるんだもの」
「ベラは? 開発室の魔法使いなんだろう」
「あたしは……まだ。企画の案をひねり出すのも精一杯よ」
「ふぅん。ねえ、こんな言葉知ってる? 下手な魔法も数撃てば当たる」
「……どうせアタシは雑魚魔術師ですよ」
ローザの意地悪そうな表情からの言葉に、ベラはふん、と鼻を鳴らした。
「そりゃそうでしょ。あんたまだ魔法使い初めて何年よ? 下手糞なのは当たり前でしょう」
「まぁ……そうだけど」
「じゃあ、完璧な一つを作ろうと頭を絞るより、思い付きでも何でもいいから、まずはどんどんアイディアを吐き出しまくったら?」
「え?」
「そうねー、できたら十個くらいのアイディアが欲しいわね。そしたらその中の一個くらいは使えるかもしれない物があるかもしれないじゃん」
ローザは晴れた空を見上げ、流れる雲を眼鏡に映しながら、そんなことを言った。ぶっきらぼうな態度の言葉ではあったが、ベラの凝り固まった思考を突き崩す意見ではあった。
難しく一つことを思い悩むより、広く浅く、数を揃えてみたらどうだ、とローザは言っているのだろう。所詮雑魚なんだから、渾身の一撃を決めるより数で攻めてみろとローザは笑う。
「数……十個の案か……」
「私はそういうやり方でやるわ。それで十個全部だめだったら、十をひとつに固めることで十一個目にならないか、とか。十個の中に含まれていない可能性はなんだろうとか考えると、十一個目や十二個目の案が出てくる」
「あんた、結構凄いわね……」
「デキる女だもの」
「自分で言うなっつーの! ……でも、そうだね。あたし、ちょっと思いつめちゃうとこ、あるしな。参考になった。あんがと」
「…………なぁ」
「うん?」
空を見上げていたローザは改めて、ベラを見つめてきた。「なぁ」と問い詰めてきたその瞳は真剣な目をしていた。
「何か、抱えているモノがあるなら……、一度誰かに聞いてもらうのも手だぞ」
ローザのその声は今までのどこかぶっきらぼうなものではなく、静かで、透き通るような印象だった。その言葉に、ベラはローザが何を伝えたいのか嗅ぎ取ることができた。
おそらく、我を忘れて震えあがった夜のことを言っているのだろう。思いつめる性格をしていると伝えたことで、ローザもベラに対して『トラウマ』を心配したのかもしれない。
「……うん、ありがと。でもそれはまだ、誰にも言いたくない」
硬質な感じだと自覚できるほど、その言葉は尖って冷たく感じられる。ローザのことは馬の合う友人だと思ってはいるが、まだあの夜のチムールのことを話すにはベラ自身の心がそれを許そうとしなかったのだ。
こちらをじっと見つめていたローザは眼鏡を外し、白衣のポケットにそれをしまうと、また空に目を向けた。
遠い遠い、雲の上を見つめるように、ローザは碧眼を細めた。
ベラもなんとなく、その視線を追うように、上を向いた。今日は雪も降りそうにない。墓参りはきちんとできたのだろうか。
なぜだか、ベラはそんなことが頭に浮かんのだった――。
午後からの業務開始になって、アントンは開発室に顔を出して来た。
アントンは普段通りの様子で、のっそりとやってくると、開発室の面々に挨拶し、そのまま通常の業務に移っていった。ベラはアントンと二人組となり、開発室の一画で話し合いを開始した。
「あれから何かいい案が出たかい?」
アントンはぼんやりした様子で訊ねてくる。
「まだです」
なんだか悔しくて、唇を尖らせてしまいそうになるベラであったが、それとはまた別に、アントンの顔を見ているともやもやとした気持ちが沸き起こってくる。
「……お墓参り、行ってたんですよね?」
「ああ、うんそう。悪かったね、午前中、一人にさせちゃって」
「……別に一人でも問題なかったので」
ぼりぼりと後頭部をかきながらアントンはへらへらと笑う。その顔を見て、今日はきちんと髭が剃られているのが確認できた。
(普段は、ずぼらなくせに)
なんだか、アントンの態度が気に入らなかった。しかし、それがどうしてだが、自分自身でも良く分かっていない。
……いや、こうしてアントンと会話していくと、徐々に自分が何に対して引っかかっているのか、少し分かって来た。
「私、新人で……まだ何もできてない役立たずですけど……」
「いや、そんな風には思ってないよ?」
「だったら、言ってくださいよ」
「え?」
「相棒……なんでしょう、私。部長の」
「うん、すみません」
ベラが機嫌を損ねているらしいとアントンは気が付いたらしく、こんな臨時の二人一組の処遇に嫌気がさしているのかと思ったのか、頭を下げた。
だが、ベラの「言ってください」という言葉にきょとんとした顔をしていた。
「相棒なら……、翌日お墓参りに行くことくらい、言ってくれたっていいじゃないですか」
「あぁ……うん。そうだね。伝えるタイミングがなかったんだ」
「私が、新米だからですか? 部下だからですか? それとも、女だからですか?」
ベラは、内側に巻き起こっていた嫌な風の正体が分かってしまった。
それはアントンが今日午前中に遅れることを相棒である自分に言ってくれなかったことを哀しく思っていたのだ。
そして、それを口に出すと、思ってもいない言葉が吐き出されてしまう。まるで駄々っ子のようで情けなかったが、思わず、口から零れた。
アントンは灰色の瞳を動かすことなく、感情を読み取れない表情をしていた。
「あんまりね、言いたくないんだ」
アントンは低く、静かに告げ、椅子に座ると、背もたれに身体を預けるようにして天井を見上げた。
「ベラ君に限った話じゃない。できることなら、誰にも言いたくないんだよ」
「……お墓参りに行くこと、ですか?」
アントンは無言であったが、それはベラの質問に対する肯定の意思を感じられた。
アントンのその姿が、なんだかとても痛々しく見えた。
「あの、……どなたのお墓参りだったんですか?」
聞いてはならないような気もした。だが、普段彼の内側を垣間見ることもできない曇天の瞳が、なんだかとても悲しそうに見えたので、ベラは自分の中にあったもどかしさもどこかに吹き飛んで訊ねてしまっていた。
アントンはやはり、天井を見つめたまま、おぼろげな表情で気を付けないと聞き零してしまうような声で、ぽつりと言った。
「――妻のだよ」
綺麗に剃られているアントンの顎が小さく動き、その声はかき消える。
本当に、言いたくはなかった。できる限り、人に聞かせたくなかった。そんな声だった。
だから、ベラは言葉を返せなくなってしまった。アントンの目は普段通りのグレーだった。だが、それはまるで迷子のように何かを探しているかのように見える。
言えば、その事実が広まってしまうようで、アントンは怯えていたのかもしれない。
彼のその瞳は、まだその亡くなった人を忘れられていない目なのだと、ベラは理解した。
口に出せば、妻が亡くなったということを認めてなくてはならない。その事実に向き合わされるのが辛いのだろう。それでもアントンはベラに、言ってくれた。
それは恐らく、ベラが我儘に自分の感情を吐き出してしまったせいだ。
自分が未熟者だから、認めてくれないのかと気持ちを吐き出したベラに、アントンは自分の内側にある傷跡を抉りながら、応えてくれたのだろう。
(心の……傷……)
アントンの内側にある心の傷に触れてしまったのだ。彼はそれを見せたくはなかっただろうに、ベラがそれを強引に暴いた。
ちっぽけな自尊心のために。
「すみません」
ベラが言い過ぎたと、素直に謝罪した。しかし、アントンはやはりぼんやりとした表情で「いーよいーよ」とのんびりした口調で返すのだ。
ベラは、本当に自分が未熟だと思い知らされた。
そして同時に、アントンという人物の心の傷に触れ、相棒であり、上司であり、そして恩人であるアントンに、強い想いを抱き始めることになるのであった――。