第六話:ベラ、共感する
夜――。仕事を終えたベラとローザは連れ立って落ち着いた雰囲気のバーで改めて親睦を深めようと、共に杯を交わしあっていた。
以前チムールに連れていかれたような雑多な賑わいをみせる居酒屋とは違う、一見さんはお断り、という空気を作っていた敷居の高いスナックバーだった。
店は小さな一室にカウンターとボックス席が一つだけ。カウンターには老齢の女性が立っていて、客は居なかった。
この店はローザに紹介されてはいったのだが、ローザと店の責任者である老女は知り合いらしい。ローザは気さくに「ママ」と呼んでいた。
ベラは甘みの強い果実酒を舌で味わいながら、居心地のいいカウンターでローザと雑談を膨らませていた。
「じゃあ今度の休みに、一緒に出掛けない?」
「いいね。ベラが海外ブランドまで詳しいなんて知らなかった」
「まぁ、家がそういう仕事してたから」
「それがなんで真っ黒ローブが代名詞の魔法使いになっちゃったわけ?」
金髪碧眼の丹精な顔立ちをほんのり朱に染めて、酒の回った表情で訊ねるローザは少々大人の色香を漂わせているようにも見える。落ち着いた雰囲気がそう意識させるのかもしれない。
「やっぱりさ、これからは魔法技術が世の中を回していくと思ったのよ。でもお父様は、そういうの全然理解を示さなくって。頭ごなしに否定されたのよ。魔法使いなんて水商売以下だって」
「それは酷いな。そう思うよね、ママ」
ローザの言葉に、カウンターの老女はやんわりと笑顔を作って頷いた。
考えてみれば、このスナックバーのマスターをしている『ママ』だって、世間的には水商売だと呼ばれてしまう仕事だった。ベラは酔った勢いで口走ってしまった心無い発言を恥じた。
「やっぱり、魔法って怖いと思う?」
ベラは訪ねるように言葉を発しながらも、その表情はテーブルに向けられていて、零れ落ちていった。
「私は、別に魔法に対して怖いとか、不安だとかは考えたことがないわね」
ローザはあっけらかんと言ったが、ベラはそのまま暫し黙り、グラスの中の果実酒を見つめていた。
すると、ママがトマトのピクルスを差し出し、しわがれたゆったりした声で、語ってくれた。
「魔法はねえ、あたしらにとっては、摩訶不思議で難しい物なんだよ」
「難しい?」
「魔法灯を見ても、どうしてこれで明るくなるのかさっぱり分からないからねえ。分からない物は、手を伸ばしにくいものさ」
「原理や理屈は理解しなくても、便利な物が増えることで生活が楽になるじゃないですか」
ベラはママに少し食いつくように言葉を被せてしまった。大事なことは魔法という技術が便利だと認められることであり、その魔法の構築方法や原理は専門家の魔法使いに任せてくれればいいのだ。
「それはそうだねえ。でも、やっぱり人間っていうのは、見えにくいものに恐怖を覚えるようにできているんだよ。あんたも暗い夜道で不安になることがあるだろう?」
「それは……」
それはベラも実感していることではあるが、そのために、闇を照らす魔法の光が生み出されたのだ。その利便性を感じてほしい――が、ママの言わんとすることは理解できた。
「どうしたら、魔法が認められるんだろう」
「すぐには難しいだろうな。だけれど、これから魔法技術は発展していくだろうから、ゆっくりとみんなに馴染んでいけるように広めていくしかないだろう」
ローザが冷静な言葉を投げかけてベラをフォローする。ママも、「そうだねえ」とうんうん頷いた。
急な変革は社会を揺るがす。だから、ゆっくりと地道に魔法を世間に広めていくしかないのだろう。歯がゆくも思うがそれが正論になるのだろう。
「国が大々的に魔法技術の発展を推しているんだから、安心しなよ」
「だからこそ、あたしら魔法使いは頑張らなくちゃって必死になっているんだよ」
「王宮魔術師の試験、今年はいい人材が複数入ったと聞いているぞ。順調なんじゃないの?」
「う……」
ローザのその発言は、ベラを押し黙らせてしまうことになった。
ローザの言う通り、今年の魔術師試験は多くの人材を獲得するに至ったらしく、有能な魔術師たちが宮廷に上がったのだ。そういった実力ある人間は、第一部署に配属されている。ベラも、先日アントンと共に入った第一部署の仕事場で、同期で宮廷に上がった魔術師を数名見かけた。
しかし、第二部署に配属された新人は、ベラたった一人なのだ。
――行ってしまうと、ベラは補欠合格のようなものだろう。
第一部署に回す程の戦力ではないが、第二部署で見どころがあれば行く行くは第一部署に昇格させてもいいかもしれない、という程度の魔法技術だったと言える。
それでも、ベラは独学で一年という短期間でその道に滑り込んだのだから、有能と言えるだろう。
だが、ベラ本人からすると、それはどこか自分のプライドを締め付けてくる要因になるのだ。結局のところ、まだ自分は大した実力がないということなのだから。
そして、認められた人材が揃っているはずの第一部署の一人は、許せない男なのだ。今の自分はそれ以下であるという現実が歯がゆく思えてくる要因にもなっていた。
「なに、あんた第二部署だってこと気にしてるんだ?」
「んぐ……」
ローザが気遣う様子もなく、ばっさりと言った。ローザの表情には嫌味なものはなく、率直な言葉であることを物語っていたのは返って気が楽にはなるものの、やはり自分の心の裏側を斬りつける者に違いはなかった。
「だったら、実力示して上に上がっていくしかないし、頑張りなよ。魔法が怖いとか、認められるにはとか考えているの、全部自分自身のことだろ」
「え?」
「魔法を周囲に認めさせたいってさっきの言葉、『魔法』じゃなくて、『あんた』を認めさせたいってことなんじゃないの?」
「……」
ずけずけと言ってくるローザではあったが、ベラはその言葉に一つも反論できそうになかった。それどころか、ベラは思わず頷きかけそうになるほど、ローザの言葉に納得していたのだ。
「ローザってさ、遠慮しないヤツだね」
「そうかな? 嘘をついてまであんたと付き合いたいとは思ってないだけだけど」
「そういうとこだぞ」
「そういうとこかぁ」
惚けた様子でトマトのピクルスを口に運ぶローザに、ベラはこいつが遠慮しないなら、こっちだって気を遣ってやるものかと笑った。
出逢って間もないローザだが、不思議と共感するものがあったのだ。
「ローザだって、まだ錬金術師として王宮に入って間もないんでしょ」
「そうだよ。今はまだ研修中みたいなもんだもん。でも、私、必ず上に行くつもりなんで」
酒が回っているのか、ローザの口調は少々熱かった。第一印象はクールな女性というものであったが、こうして隣で彼女の表情を見ると、その瞳に何か熱い物を持っているようにも思える。
「なにか目標があるんだ?」
興味を持ったベラは、ローザの内側に踏み込んでやろうと、少し意地悪な目を向けて問うた。
ローザに突っ込まれたみたいに、こっちだってズバリと切り込んでやろうと思ったのだ。
「私はね、世の男共を跪かせたいのよ!」
「は?」
「分からない? 窮屈だって感じたことない? 今の世の中」
「……それはまあ」
「女は男の道具じゃないんだぞっつーの」
「は、はは……」
ローザの豹変した激しい言葉に、ベラは思わずたじろいだ。酒を飲むと人が変わるのだろうか?
思わず、ママに救援要請の目を向けるが、ママはニコニコとしていた。
「アナスタシア姫のこと、聞いた?」
「え、姫様?」
「そうよ、まだ十一歳の姫様……。生まれて間もなく母君様を喪って、独りきり。つまり、この国には今、跡継ぎがいないの」
現在のこの国の王は妃との間に、たった一人、娘しかつくっていない。妃がアナスタシアを産むと共に、間もなく息を引き取ったのだ。
家臣は誰もが跡継ぎを遺すため、新しく娶り後継者をつくることを望んだが、王はその言葉に一切賛同しなかった。
王は、王妃以外の女性を愛することなどできないと言い、その後一切、縁談が組まれることはなかった。
結果、アナスタシアはこの国のたった一人の姫なのだ。しかし、女性を王にすることはできない。そういった風潮が当たり前に広まっているのがこの国なのだ。
「アナスタシア姫をそのまま女王として認めれば良いだけなのに、もう婚約者が決められたらしいのよ」
「その噂は聞いたけど……」
「まだ十一歳よ? 顔も見ていない隣国の王子と婚約。この国の跡継ぎを作るために、嫁ぎに行くってことなの」
「ちょ、ちょっと口が過ぎるわよ。不敬罪でしょっ引かれるわよ」
ローザの過激な発言に、頭を冷やせとベラは水を勧めた。
「違う。私は王も姫も敬愛している。私が悔しく思うのは、姫の即位を認められない世の中よ。女性が統治することを良しとしないことが、どうしても納得いかないの」
ベラから渡された水をガブガブと飲み干し、グラスをドン、とカウンターに叩きつけると、ローザは心底悔しげに瞼を伏せた。
「ローザちゃんは、いつもそう言って愚痴を零すのよ」
ママが困惑するベラにそっと告げた。なるほど、ここはローザが日ごろ抱えているものを吐き出すためのバーだったのだろう。確かにここは女性がマスターをしているし、客入りも少なく静かだ。ローザ、ここでママに甘えるように愚痴を聞いてもらっていたのかもしれない。
「だから! 私達が今できることを精一杯やっていくしかないの。分かる? ベラ!」
「え、あ、うん?」
「分かってんの? 女性が認められるには、私達が強くならなくちゃならない。そういう場で私達は働いてるのよ」
「……あ……」
「だから、第二部署だからとかで勝手に自分を落ちこぼれだと評価せずに、踏ん張って上を目指すのよッ」
ローザの熱弁に、ベラはコクコクと頷かされた。勢いで気圧されたものの、彼女の言葉はベラにとって、歪みだしていた精神をピシリと鞭打つ叱咤であった。
「ねえ、ベラ。私達、上を目指そう。王宮にその人ありと言われる女になるのよ!」
「……それ、いいわね」
「でしょう? 女を磨き、実力を見せつけるのよ。人はね、輝くものに頭を垂れるの。役職や、性別じゃないわ。私達がその光明になれば、アナスタシア様だって報われる。私はそう信じてるわ」
「分かった。私も頑張るわ。ローザ」
ママはそんな若い二人の女性を見て、やはりニコニコとしていた。
ベラはローザの歯に衣着せぬ言葉に、どこか清々しい気持ちになっていた。どうやら、このローザとは馬が合うことを認めざるを得ないらしい。
自分の内側に鋭く切り込んでくることもあるけれど、それを許してもいいような、不思議な感覚があった。
だから、彼女の目標とする王宮で活躍する女性になるという言葉に、胸を熱くさせてしまった。
魔術師第二部署の『対抗魔法道具』開発に向け、ベラは本格的に挑もうと気持ちを奮い立たせた。
そんなベラとローザに、ママは少しきつめの酒をプレゼントしてくれた。そのママからの激励メッセージに、二人は改めて乾杯とグラスを鳴らした――。