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第四話:ベラとローザ

 夕暮れ差し迫る時刻、ベラの王宮魔術師の仕事は終わりを告げる。

 王宮内で寝泊まりをするのは特別なことでもない限り、基本的には許可されず、速やかに王宮から出るように促される。ここからは夜勤組が働き始めることになる。

 ベラは早々に帰宅し、独自で魔法技術の研究を進めようと考えていた。

 魔術師の塔から外に出ればすっかり暗闇が覆うように王宮を包み込んでいる。白い魔法の光がうっすらと周囲を照らして雪に反射していた。頼りない明かりではあるが、ないよりはマシだろう。

 そんな王宮から出ていくと、今度は街の灯りが周囲を包んでくれる。大通りは酒場の明かりと喧騒が響き、人通りも多いのだが、少し狭い路地に差し掛かると、そこはもう人気がない暗闇の世界が待っている。


(……怖いんだよね)


 ベラは先日襲われかけたこともあり、見通しの悪い通りに怯えた。警戒心が身に付いたのはいいことかもしれないが、正直なところ不安な帰路を毎日歩くのは気が滅入る。


(……防衛、か)


 ふと、昼休みに見ていた魔術書のことを思い返していた。あの時はもう二度とあのような危険な目にさらされないように対策を練ろうと考えていたが、襲われる手段は何も魔法に限ったことではない。

 女性が世に出て働き始めている今の社会は悪いことではないが、遅くまで働き暗い夜道を帰らなくてはならない事実はついて回るし、そのための安全対策はまだまだ出来上がっているとはいえない。

 まだこの国は、女性が社会に出て活躍するには足りないものが多いのだろう。警備のため巡回する騎士もいるにはいるが、それでも犯罪者が街の影に潜み獲物を狙っているのだから。

 ベラはできる限り人通りの多い道を選びながら自宅へと歩いていく。

 その時だった――。通りを歩く人の中に、二度と見たくない男の顔を見付けてしまった。


(――ッ)


 ベラはビタリと、その場で停止した。

 前方に、魔術師のローブを見に纏っている長髪の優男、チムールが酒場を物色するように歩いていたのである。先日の事件があって、あの酒場を利用するのを避けているのかもしれない。次なる狩場を求めて、厭らしい目で使えそうな酒場を探している。


「…………っ」


 足が――動かなかった。

 あのチムールの顔を見た瞬間、血液の流れすら止まってしまい、思考も途端に真っ白になった。声も出せず、呼吸が不規則に、乱れていく。


(う、そ……)


 カタカタと、自分が震えているのが分かる。怯えて、恐怖に立ちすくんでいるのだ。

 ベラは自分が勝気な性格をしているという自覚があった。ちょっとやそっとのことで泣いたり、挫けたりはしない。そういう女性が私なのだと自己分析をしていた。

 ――だが、これはどういうことなのだ。あの男の顔を見ただけで、蛇に睨まれた蛙そのものであった。冷や汗が浮かび、蒼白の顔で瞳孔が揺れる。


「は、――はっ――、は、――は――」


 呼吸が、できない。吸い込んでいるのか、吐き出しているのか、分からない。それがベラを更に恐れさせた。


 ――ちくしょう。なんで怯えている。あんな奴に、どうしてアタシが震えなくちゃならないんだ――。復讐してやりたいとすら考えてる相手のはずではないか。

 強い女ではなかったのか。悔しい、苦しい、怖い――。

 精神が言うことを聞かない。それこそ、チムールに流し込まれた『鎮静』魔法が再発したかのように、ベラはその場で固まってしまった。


(ど、どうしよう、どうしよう、どうしよう)

 視界がぐにゃりと歪む。意識が保てなくなってきた。今にも倒れそうな身体に脚がガチガチに固まって、不安定に揺れる。


「……いっ! おいっ! 聞こえるかっ」

(――だれ――)

「落ち着いて、私の目を見ろ。まず呼吸を止めろ」

 誰かがベラの正面に立ち、瞳を覗き込んでいる。知らない人だと思った。

 声はどこか中世的で、幼い少年のようにも聞こえるが――女性だろうか。


「思考するな。言われた通りにしたらいい。一度、呼吸を止めて、苦しくなったらゆっくり吸う」

 その声は混濁しているベラの神経にもよく届いてくる。ベラはその言葉に従うまま、一度呼吸を止めた。そして、息苦しさと共に肺に空気を吸い込む。それで呼吸の仕方を思い出したみたいに、ベラは冷静さを取り戻していった。

 そして霞んでいた視界がはっきりしてくると、正面で金髪碧眼の人物がこちらを覗き込んでいる状態だと理解できたのである。一瞬、男性かとも思ったが、相手はどうやら女性らしい。随分と美麗な顔立ちをしていて、かけている眼鏡が知的な印象を際立たせていた、


「落ち着いたか」

「ご、ごめん、なさい」

 周囲がざわついていた。通りを歩いている人々が、ベラと正面の女性を凝視していた。ベラは一瞬、ぞっとしてチムールが傍にいないか、また怯えた顔で警戒した。どうやらチムールはいないようだったが、周囲の怪訝な表情に囲まれている状況が居心地が悪い。

「もう、平気です。失礼しました」

 正面の女性に詫びを入れ、早々に立ち去ろうとしたが、相手はまたベラの顔を診察するように見つめていた。


「私は王宮の錬金術師だ。安心してくれ」

「え……」

「見たところ、王宮魔術師だな。何かあったのか」

「別に……」

「……ともかく、アンタは精神面に傷を負ってる。トラウマになりかけてる」

「と、トラウマって……?」

「心の傷のこと。明日でもいいから、一度錬金術師の塔に来て診察を受けたほうがいい」

「……錬金術師って……、誰?」

「私はローザ。錬金術師、アロマテラピストだ」


 ローザと名乗った女性は背が高く、すらりとした容姿をしていた。凛々しいその姿は立派に王宮で仕事をする女の気配が滲み出ている。

 ベラは、ローザに助けてもらった礼を短く述べはしたが、彼女の言葉に応じるつもりはなかった。

 心の傷がなんだと言うのだ。あんな男に屈してなるものか。か弱い女だと思われたくはない。ベラはそのプライドが心を強く動かしていると思っていた。


「悪いけど、ほっといてくれていいから」

 ローザにきっぱりと言い放つと、ベラはこの場から早く離れたくて大股で歩き出した。

 ローザは何かを言ってくるかと思ったが、特に何かを言うこともなく、二人はそのまま別れた。


 ――これが、ベラとローザの初対面であり、この時はまだ、互いが友人になるなどと、考えてもいなかった――。


 自宅まで辿り着いたベラは、その身を投げ出すようにベッドに倒れ込んだ。

 人の往来のある通りで、あのような無様な姿を晒すことになるなんて、口惜しい――。その原因があのチムールを見ただけ、だなどと。

 これでは自分があの男に屈服しているようではないか。

 そんなことは断じて認めるわけにはいかなかった。


 ――心の傷。

 心にも傷ができるというのだろうか。にわかには信じられない。だが、『鎮静』の魔法は身体の内側の神経を狂わせる効果がある。ひょっとすると、その後遺症で精神を乱されたままになっているのかもしれない。


 ばすんっ。

 ベラの拳が、毛布を殴りつけた。歯がゆい想いが、気持ちをグチャグチャにしていく。怒りが、悔しさが纏わりついて離れない。


「アタシは……弱くないっ」


 とても眠れそうになかったベラは跳ね上がる様に起き、机に魔法書を広げた。すべては未熟な自分自身のせいだ。

 ベラは魔法技術を高めてやるためにも、その夜は一睡もすることなく、呪文構築と魔法の制作に力を費やすのであった。しかし、いくら呪文の構築が上手くいこうが、その心を癒してくれることはなく、やがて空は白み始めていく――。

 手ごたえのない足掻きを嘲るような、朝日が憎らしかった。どうせならば、猛吹雪でも来てくれたほうが良かった。自分を殴りつけるみたいな吹雪に身を晒し、立ち向かうほうが居心地が良かっただろうに。

 今日は嫌味な程に、暖かい日差しが雪解けの屋根に照り付けている。

 一睡もしていない身体に鞭打って、ベラは王宮へと出勤していく。

 王宮の門を潜り抜けて魔術師の塔まで向かう途中で、ベラは考えていた。

 昨夜のように、もしチムールを見かけたら、どうなってしまうのだろう、と。

 冷静になればいいだけの話だと自分に言い聞かせてみるのだが、同じ王宮の魔術師の塔に相手も勤務している以上、どこかで出くわす可能性があるのだ。

 それがどうしようもなく不安感を煽る――。


(そうならないために、魔法の力量を上げていくんだろ、アタシ)

 弱っている姿を晒すわけにはいかない。きっと、こちらが参っているのだと分かれば、あちらは調子付くだろう。もし、チムールを応対した時、気丈に振る舞い歯牙にもかけていないことを見せつけてやれば、舐められるようなことはないはずだ。

 ベラは普段の表情を仮面のように被り、魔術師の塔へと通じる通路を歩いた。しかし、その途中、魔術師の塔では見かけない白衣を着た女性に鉢合わせることになった。いや、鉢合わせではないようだ。

 相手はどうやら、ベラを待っていたらしい。ベラもその白衣の女性に見覚えがあった。昨夜、取り乱した自分に声をかけてきた錬金術師で間違いない。たしか、ローザと名乗っていたと記憶している。


「何か?」

 昨日のことを訊かれるのだろうと予想はついた。もっともそれに応えてやる義理はないし、誰にも言うつもりがないベラはローザに話しかけながらもツカツカとその横を素通りしてみせた。

「ちょっと聞きたいんだけど」

(ほら来た)

 昨日のことならば何も話すことはない、と口を開こうとした――が、ローザはその言葉を待たずにツラツラと言葉を繋げてきた。


「そのロングブーツ、どこで買った?」

「はい?」

「今履いてるその黒のロングブーツ。もしかして『リヒテル』じゃない?」

 ローザはまじまじとベラの足元を見つめて桃色の眼鏡をくい、と持ち上げた。

 リヒテルというのは、ベラが履いているロングブーツのブランドだ。流行りのブランドで革靴を主に制作している。かなり知名度の高いブランドではあるが、生産数が少ないため、入手することは難しい。昨今は贋作が出回り、あくどい商売をしている店もあるのだとか。ベラは行商人をしている父の影響でこの手の品の目利きができるため、このブーツは掘り出し物として並んでいたのを見付け、即購入に至った。

「……そうだけど」

「だろう? 実は昨日、あんたが夜道を歩いている時から目を引いていてさ。どこで買ったのか訊ねたかった」

「……え? そっち?」

「は? 他に何が?」

 二人の間に、奇妙な沈黙が数秒流れた。互いにきょとんとした顔を向けあっているのがなんだか間抜けでもあった。

「しかもそれ、リヒテルの名匠って言われたワシリーの作品じゃない? その刻印」

「ちょ、ちょっとあんまりアタシの足元、凝視しないでよ」

「良いものには目がなくてさ」


 ベラは意表を突かれた相手の態度に、ペースを乱されたことに困惑はしたが、ローザの様子を確認してどうも本当にブーツに興味があるらしいと感じ取った。改めて女錬金術師の顔を見てみると、彼女のかけている桃色の眼鏡のフレームに小さく彫り込まれた印を発見し、声を上げた。


「それ、『水鏡と星霜』!」

「えっ、何あんた、詳しいの?」

「詳しいも何もっ……これ、私のイヤリング」

 ベラは自分のイヤリングをローザに見せびらかすように、耳を彼女の目前に向けてやる。ローザが身に着けているイヤリングは最近お気に入りの雑貨店で買った銀のイヤリングだ。シンプルではあったが、気品に満ちていて繊細な造りをしているのが特徴的だ。その雑貨屋の名前が『水鏡と星霜』なのだ。こちらは有名店ではないが、知る人ぞ知る隠れた名店なのだ。

「まさか、この王宮で雑貨屋仲間を見付けられるなんてね」

「ねえ、そのブーツどこで買ったのか教えてよ。『リヒテル』好きなの」

「良いけどコレは、たまたま見付けた掘り出し物だったから、今もその店に売ってるか分かんないわよ」

「いいのよ、本物が流れてくる店を抑えたいだけだから」

 ローザはきらりと眼鏡のレンズを太陽光に反射させた。なるほど、どうやら本当にリヒテルのファンらしい。

「ふぅん、いいわ。あとで休憩時間に会わない?」

「分かった。……ところであんたの名前、聞いてないんだけど?」

 ローザは聡明そうな碧眼を少し細め、口角を上げた。そう言えば名乗りもせずに、こんなに打ち解けるとは思わなかった。最初は警戒すらしていたというのに、好きな雑貨が一緒だったというだけで、簡単に通じ合った自分のチョロさに恥ずかしくなる。


「ベラ。王宮魔術師第二部署のベラよ」


 ベラが宮廷に上がり、これから先『仲間』と呼べる存在ができた瞬間だった。

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