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第一話:ベラ、エリートに憧れる

 魔術師の塔の開発室。そこで第二部署の面々は作業を行う。

 魔器の修理や一部署の大規模魔法の補助を行う呪文開発が主な仕事になっていて、基本的には雑用というのが日課であった。

 ベラはその王宮魔術師として思い描いていた夢と現実の差に、正直なところがっかりしていた。肩を落とし、項垂れているベラは重苦しい溜息を吐き出してしまう。


(こんな仕事をしていて、本当に第一部署に上がれるのかしら……)


 手元にある懐炉型の魔器を弄びながらベラは考え込んでいた。

 王宮で働く騎士に普及している懐炉の魔器の修理など、仕事としてどれだけの価値があるというのだろうか。

 自分のやりたかった仕事は、もっと国の為、多くの人々に魔法の恩恵を知らしめるような仕事のはずだった。

 落ち込むベラの肩に、不意にぽん、と掌が乗って来た。

 誰だと思って振り向くと、こちらを見下ろしているアントンの顔があった。


「やぁ、順調?」

「……修理完了です」

 魔器をアントンに手渡すと、アントンは符呪されている『熱』の魔法を確認し、懐炉の機能に問題がないことを調べ、頷いた。


「もう仕事にも慣れたようだね」

「一週間ですから。慣れました」


 ベラが王宮勤務を始めて一週間が経過していた。その一週間、回された仕事は雑用と簡素な魔法の修繕だ。開発室の先輩魔法使いたちも似たような仕事をしているらしく、どうにも第二部署の開発室はしめっぽく覇気のない空間だった。

 それがベラのフレッシュな精神をどんどん腐らせていくように思えていた。

 こんなところで働いていたら、いつか自分もこの空気に馴染んで、熱意が朽ちていくのではなかろうか。

 そんな不満がゆっくりと蓄積していく。


「じゃあ、ちょっと別の仕事に挑戦してみる?」

 抑揚のない、独特なしゃべり方で、アントンが訊ねてきた。

 その表情は緩んだ弦のように腑抜けているが、彼の灰色の瞳は、曇天のように見通せず、何を考えているのか分からない。本気であるようにも見えるし、ふざけているようにも見えてる。


「別の仕事って?」

「第一部署のお手伝い」

「えっ!」

 ベラは思いがけずに明るい声で反応した。がたんと、椅子が鳴って周りの先輩たちの注目を浴びる。

 どういうわけか、先輩らはその仕事の話に、表情を曇らせていた。バツの悪そうな顔で、ベラに対して『気の毒に』と哀れんだような眼を向けてくるので、ベラは少し眉をひそめた。

 しかし、思い描いていた第一部署の仕事に近寄るチャンスだし、ベラにとって、その話は断る理由のないものだった。


「やります」

「それじゃ、これから第一部署のナディア部長のところへ出頭。あ、私も相棒なんで一緒にいくから」

「は、はい……」


 飄々とした態度の部長は、普段通りに身の入らぬ様相であったため、ベラはこんな部長と一緒に第一部署の部長と面会して大丈夫だろうかと心配になった。

 見れば、アントンの顎にはちょびちょびと、無精髭の剃り残しがある。


「部長、第一部署に出向く前に、きちんとされたらどうですか」

「え。ああ、うん。そうね。ちょっと顔洗ってきます」

「もう……」


 上司がこれでは部下の評価だって疑われてしまうではないか。王宮の魔術師であるという自覚が足りていないのだ。

 ベラは自分の評価を少しでもプラスへと好転させるため、環境から見直さなくてはこの第二部署で煤けてしまうだろうと考えた。

 たとえ上司だろうと、問題があればキッチリと物申す。なにせアントンとは上司でもあり、相棒でもあるのだから。


「来て一週間の私が、どうして部長に注意してるんだろ……まったく」


 アントンが出ていって、ベラがふぅとため息を吐き出したところで、そっと同僚の魔術師が話しかけてきた。眼鏡をかけている先輩の魔術師で、普段はあまり口を利かない物静かな青年だ。


「ベラさん。ちょっといいかい」

「なんですか」

 おずおずという様子の魔術師に対し、ベラはキリっとした目尻を向けて応対した。

「第一部署の仕事の手伝い、行くんだよね」

「ええ、そうですが」

「あの、その……気を付けたほうが良いよ」

「……? 何にですか?」


 先輩魔術師は、もごもごと聞き取りにくい声でおぼろげな注意をしてきた。ベラはどういう意味なのか捕らえかねて、先輩の眼鏡魔術師に問い返した。しかし、相手は言いにくそうな顔をしているばかりで、視線を下に向けてまごつくばかりであった。


(……ハッキリ言ってくれたらいいのに)

 ベラはこういうタイプの人間があまり好みではない。意思を明確にせず、日陰でモゾモゾとしているような不明瞭な言動。

 白か黒かではない、曖昧な空気。

 何を考えているのか分かりにくい。――だから、魔術師は根暗で何を考えているのか分からない気持ち悪い人種だと言われてしまうのだ。

 なればこそ、ベラは凛としていたいと考えていた。自分こそが魔術師の見本なのだという自覚を持ち職務に挑みたい。王宮魔術師にその人ありと言われるようになるためには、日頃の態度だって評価されるこはずなのだから。


「私、準備がありますから。失礼します」

「あ、……うん。がんばって……」


 一礼して、ベラは開発室から抜け出た。念のため、自分も身だしなみを気にしておいた方が良いだろうか。簡単に衣服の乱れや姿勢を気にして、表情を引き締めた。


「よし、やるわよ!」

 気合を込めて頬をぱちんと叩いてやると、ベラは第一部署へと歩き始めるのであった――。


 初めて訪れた第一部署の研究室はベラの想像をはるかに超えた施設だった。

 どこもかしこも魔法陣が描かれて、魔力の糸がキラキラと絶え間ない小川のように流れていて、魔法技術の最先端を覗き見ることができた。

 アントンと共にナディア部長の部屋に赴き、支持を受けると、この研究所にて、開発中の新魔法の制御試験に参加するように命令された。

 ベラはナディアという筆頭魔術師に、憧れの目を向けて、敬礼してみせた。

 この国の筆頭魔術師が女性であることに驚き、そして尊敬の念を抱いたのだ。いつかは、自分もその場に加われる可能性があるかもしれないと思えた。

 この国は男性主義がまだ抜け切れていない。女は口を出すなという風潮が未だ根付く地域もあるから、女魔術師として国のトップに居座るナディアには好感が持てた。

 これからは、女性も社会進出を行える時代がやってくるのだ。ベラはその時、胸を張って魔術師の仕事に就いていたいと考えていたから、その精神を更に奮い立たせることになった。


 研究室の魔術師がひょろりとした身体で足音もなく近寄ってくると、ベラをじろりと見てきた。

「へえ。キミ、新人?」

「はい。第二部署のベラと言います。本日はよろしくお願いします」

「……じゃあ、これがリスト。こっちは魔法の起動実験を行うから、その書類に書いてある通りの挙動を示すか調べるだけ。このくらいなら二部署の新米でもできるだろ」

 見下した態度だとベラは感じ取った。しかし、それは仕方がないことだ。相手は確かに格上なのだから。

「はい、任せてください」

 ベラは真摯なまなざしを向け、第一部署の魔術師に頷いた。

「ところで、キミの相方はどうしたんだい? この仕事はペアで行う仕事のはずだが?」

「……あ、あれ? 部長?」

 てっきり隣にいるかと思っていたら、アントンは研究所の魔法陣を遠くで見ていた。相変わらず眠たげな眼でぼんやりと青白い魔力の流れを見ている。

「部長っ! 何をしてるんですかっ」

 ベラがアントンのところまで駆け寄ると、アントンは思い出したような顔をして手を挙げた。

「ああ、ごめん。魔法の起動実験チェックだろう。配置につこうか」

「もう、自由過ぎますよ。ここは大切な国の魔法研究施設なんですから、きちんと仕事に向き合ってくださいッ」

「真面目だなぁ」

「部長が不真面目なんですっ」

「はっはっはっ」

「笑いごとじゃないんですけど!」

 ベラとアントンは魔法が流れていく魔法陣の線をリストに合わせてチェックしていくことになった。

 リストに記載された通りの動作を行っているかどうかを調べるだけのチェックではあるが、万一異常が発生した場合、どこから魔法が崩れたのかを計測していかなくてはならない。気を抜いてできる仕事でもない。

 ベラは気をとりなおして、魔力の流れていく魔法陣の隅々までを見ていく。アントンはその後ろから、ベラの仕事ぶりを観察するように眺めていた。基本的にはアントンは前に出ず、ベラに仕事を任せるスタンスらしい。

 それならそれで好都合だ。自分の実力をしっかり見せてやろうとベラはミスの無いように集中して魔法陣の挙動を調べていった。


「では起動実験に入る。各員チェック開始。項目に異常があれば即時報告するように」

 第一部署の魔術師の声が響いた。その号令に各員が返事をすると、いよいよ魔法の実験が開始された。

 フゥゥン、という魔力が流れていく高音が響くと、次第に魔法陣の青白い光が強まっていく。ベラは魔法陣の様子を確認しながら、試験項目と誤差がないかを細かく見ていった。

 起動装置に数名の魔術師が呪文を施していくと、その魔法が光となって魔法陣の線の上を走り回っていき、大きな魔力を形成していく。


「凄い」

 一個人で発揮できる魔力などはたかが知れているが、この魔法陣を媒介にすることで、魔力を何倍にも増幅させることができるようだ。これは資源の枯渇を問題にしているこの国の新たなエネルギーに成り代わることができるかもしれない。

「大したもんだ。流石第一部署の魔法陣開発は夢が広がるね」

「そうですね、本当に! やっぱり魔法ってすごい……」

 ベラは思わずはしゃぎそうになってしまう自分を必死に抑え込んだ。それほど自分の中の何かを刺激する光景だった。

 魔法が人々のための力になると言うことを感じ取れたし、そういった仕事をする第一部署に更なる憧れを抱いたのだ。

 魔法技術の最先端を見たベラが、熱のある視線を魔法陣に向けている姿に、アントンは少しだけ表情を緩ませた。


 その後、数度の実験を繰り返し、ベラは数値のチェックを冷静に行っていった。異常があれば申告し、順調にその日の仕事は進んでいき、滞りなくいった。

 結局のところ、アントンはほとんど口を出さず、ベラに任せていた。

 ベラも、己の魔法に対する知識を披露できたことで上機嫌になっていた。


「よし、本日の実験は以上だ。各員解散」

 魔法使いたちはその号令を受けて、研究室からぞろぞろと出ていく。ベラとアントンも仕事をしっかりと終えたことに安堵し、研究室から出て行った。

「お疲れさん。どうだった。一部署のお仕事」

「凄かったです。私も早くこういった仕事に就きたいです」

「そうかそうか。若者は向上心があってこそだ。結構結構」

「……他人事みたいに……部長だって向上心を持って働いてくださいよ」

 ベラは唇を尖らせて、無気力な様子のアントンに言ってやった。

「大体部長、いくつなんですか? 随分老けたことばかり言いますけど」

「二十六だよ」

「二十六っ!?」

 アントンの年齢を聞いたベラは想像よりも若かったので正直に驚いた貌を晒してしまう。

 アントンは二十台というわりには老け込んで見えた。それに物言いだって、どこか達観しているというか、落ち着きすぎた部分がある。

 確かに、ベラと比べれば十も歳が離れているから、十分に上の年齢ではあるのだが、アントンの実年齢に、ベラの表情は引きつった。


「ベラくんからすれば、十分オジサンだろうなぁ。まぁ、とりあえず今日はお疲れ。そのまま上がっていいから」

「は、はあ」

「それじゃ」


 そう言うと、老け込んだ背中を見せてアントンはヒラヒラと手を振って去って行った。


(……ああはなりたくない……)

 二十台にして哀愁を背負っているその背中に、ベラは首を横に振った。

 とは言え、今日憧れの第一部署の仕事を間近で感じられたのは嬉しかったし、アントンのお陰だろう。

 ひょっとしたら、自分がこの一週間、第二部署の仕事に辟易しているのを気にしてくれたのかもしれない。

 それで部長が気を利かせて、第一部署の仕事に推してくれた――?


(考えすぎか)


 ベラは「ふう」と一息ついた。

 今日はこれで仕事も終わりだし、貴重な体験もできた。もっと理想の魔法使いになるためにも実力を伸ばしたい。

 ベラは向上心に火をつけたまま、その火を消さぬように、気持ちを奮い立たせた。


「やぁ、第二部署のお手伝いさん」

「?」


 ピンと背筋を張りなおしたその背中に声を掛けてくる男性がいた。

 先ほど、ベラに指示を行った第一部署の魔法使いだった。


「お疲れ様です」

 長身でひょろりとした魔術師は垂れ目に長髪の優男という印象だった。

「随分と張り切っていたね」

「は、はい。勉強させていただきました」

「ふぅん。じゃあ、キミも第一部署に異動したいと思ってるんだ?」

「はい。いつかは皆さんのように、大きな魔法開発計画に携わり国の発展のために力を使いたいと願っています」

 ベラの熱いまなざしを受けた第一部署の魔術師はニコリと笑った。

「立派な心掛けだね。第二部署にはもったいないよ」

「ありがとうございます」

 第一部署の魔法使いから褒められて、ベラは少しばかり舞い上がった。

 自分を評価してくれる人がいればそのまま昇進にもつながるかもしれない。ベラは自分が相手に良い印象を与えていることに表情を明るくする。


「そうだ、今日はもう上がりだろう? 良かったらこれからどうだい?」

 青年の魔術師はジェスチャーで酒をあおった。これから呑みに行かないかと誘っているのだろう。

 ベラは少し考えた。――別に悪い話ではない。自分よりも確実に魔法の知識を持っている第一部署の魔術師と交友を深めておけば後々プラスに働くこともあるだろう。それに、魔法の知識で足りぬものを補間できるかもしれない。

「私でよろしければ是非」

 ベラは男の誘いに承諾した。

 第二部署に勤務して、一週間。あの無気力な開発室の面々からは、親睦会すらも開かれていない。やはり第一部署の人間は違う。交流を深めることも立派な能力磨きになる。それは父が貿易商をしていたから、ベラは重々承知している。

「では……行こうか?」

「はい。よろしくお願いします」


 ベラが弾む心で頷いた。

 ――それを見て、青年はニタリと口角を吊り上げた。

 二人は王宮から出て、夜の飲食街に姿を消していった――。

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