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「神様お願いします」より「神様のおかげです」がいい

 その日もいつかの日のように、しんしんと雪が降っていた。

 風はなく、静かに落ちてくる雪は不思議なほどにレイラの心を落ち着かせた。

 日も落ちて、魔法灯の明かりがぽつんと点り、その下のベンチにレイラは腰かけていた。


 その様子を遠くから見つけたユーリは、足早に近づいてすぐに声をかける。


「寒いから、外では待つなと言っただろう」

「……こっちのほうが落ち着けたから」

 そう言ってレイラはにこりと笑むのだが、その表情はやはり凍えているように見えた。そんな彼女の手をユーリはそっと取り、指先の冷たさを確認して、包むように自分の掌のなかに彼女の小さな手を丸めてやる。


「温かいものでも食べに行こう」

「うん」


 ユーリはそのままレイラの手を支えるようにして立ち上がらせて、そっと腰を抱き、自らの傍へと寄せた。


「ゆ、ユーリ。まだ、ここじゃ人目についちゃうよ」

「いいんだ。もう」


 そう言い、ユーリはさらに身を寄せるようにレイラを抱き寄せると、レイラは彼の体温を感じて心の芯まで温まりそうになり頬を染めた。

 王宮内で、レイラとユーリはほとんど会うことはない。

 それは今も変わりなかった。だが、週末には必ず二人の時間を設けることにはなっていたが、それも王宮内では知られていないことである。

 二人は人目をはばかって、待ち合わせをしては短いデートを楽しんだ。


 だから、筆頭である騎士のユーリがいっぱしの魔術師と付き合っているなど、一部を除き知るものはいなかった。

 ユーリとレイラの関係を知っていたのはユーリの先輩であるクリアーナという女性騎士に、レイラの同僚であるベラ。それに錬金術師のローザくらいだろう。もっとも、彼女たちも直接レイラから聞いたとか言うわけではなく、察したというくらいのものだったが。


 だから、ユーリがまだ人目も付きやすい王宮の庭でレイラを抱き寄せた事をレイラは驚いたのだ。

 ユーリは今、とても大切な時期であり、立場状、姫以外の女性と親密にしている姿を見せるべきではないのだ。

 彼はもうすぐアナスタシア姫の従者として隣国へと旅立ち、姫に尽くすべく忠誠を示さなくてはならない時期なのだから。

 だから、レイラは自重していた。ユーリの国に対する忠誠心は本物であったし、姫の選任騎士としてこれまで身を粉にして働いてきた。

 ユーリが隣国へと旅立つとなれば、今度こそ最後の別れになるのだ。

 それはとても悲しく寂しいことであったが、レイラはユーリが従者として認められる事を応援していた。

 ユーリも姫に仕え続ける事に一切の疑問を挟むことはなく、彼は真に親衛騎士として心構えを持っていたから、姫と共に隣国へと向かうことになるだろう。そんな彼に行かないで、と言えるはずもない。例えそう告げたとして、彼が従者を断ったとしても、レイラは嫌だったのだ。


 だから、こうしてユーリが今なぜ自分を抱き寄せるのか、レイラはわからないでいた。

 ただ、これが最後になるのだからと、せっかく氷で包んだ己の心が、彼のぬくもりで溶かされていくことに、沈んでいきたい想いと離れなくてはという呵責がかき混ぜられて、ただただ彼の腕の中で戸惑い続けていた。


 やがて、二人はいつか来たラウンジへとやってきた。

 個室に通されると薄暗い部屋に点るキャンドルが、落ち着いた雰囲気を醸し出していてロマンティックに空間を形作っていた。

 ユーリが椅子を引き、レイラをエスコートし、レイラは「ありがとう」と腰を下ろす。


 そのままウェイターがオーダーを取りに来て、お酒を持ってくるまでは、レイラとユーリは会話がないままだった。

 グラスに注がれた赤く煌めく液体を見つめながら、レイラは覚悟を決めていた。

 これが最後の夜なのだと。


「乾杯」


 グラスを掲げてユーリは一口にお酒を飲み、ふう、と一息ついた。

 レイラはお酒はあまり得意なほうではなかったが、今夜は別だった。レイラもユーリに倣うように、一気に赤い果実酒をあおった。

 お酒の力に頼りたくなるほどに、この夜が不安だったのだ。


「ゆ、ユーリ。今夜は思いっきり、楽しもうね。いっぱい、楽しいことだけ、話そう。面白いこと、しよう」

 ぎこちなくはにかむレイラにユーリは、「そうだな」と返した。


 レイラは最近買ったばかりの眼鏡を見せて、曇らない眼鏡でデザインが素敵だとか、最近出回っている髪を労わるポーションの話を盛りに盛ってユーリに語って見せた。まるでユーリには一言も喋らせないという勢いで止まらないレイラの話題は、まるでこの日のために練習をしてましたというほどに、不自然なほど口が回っていた。

 ユーリはそのレイラの声に一つ一つ頷いては返し、「そうか」「そうか」と静かに金色の瞳を細めていた。


 やがてレイラの話題も尽きる頃、レイラは会話が終わるのが恐ろしくて、懸命に何か探すように思考を巡らせる。だが、もうストックなどなく、あるのは昔の話題だった。

 その話題はわざと避けていたのだ。過去を語りだすと寂しくなるから。ユーリに行かないでと言いたくなってしまうから。


 テーブルに並んだ温かい料理の味がまるで分らなかった。

 そう言えば、ここでユーリと初めて食事をした日も、会話がずっと続くようにと考えていたように思える。

 ――それを思い出すと、またユーリへの決別の心が揺らぎそうになるのだ。

 今日はただ楽しい話だけをして、よかったねと笑って別れたかった。絶対にユーリに涙は見せないと強く考えていたのだ。

 誉れ高い従者となるユーリが、何の躊躇いも抱かぬように隣国へと行けるように。


「レイラ」

「ゆ、ユーリ、あのねっ、私っ……。えっと、えっとね! ……」

「レイラ」

「まって、まだあるの。言いたいこと、あるからっ。忘れただけだからっ……」

「結婚しよう」


 ユーリは思っていた。

 誤魔化すように話題を繰り出す幼馴染を見つめながら、寒空の下、雪の積もる魔法の明かりの下で、ぽつんと座っていた彼女を見つめながら――。


 いつまでも共にありたい、と。


「従者には、選ばれなかった」

「……えっ……」

「オレは、ここにいる」

 レイラの顔が呆気にとられたみたいに、丸い目でユーリを見つめ返してきた。信じていない、信じられないという顔だった。

「でも、どうして? お姫さまはユーリが……」

「お前が好きだ」

 姫が想いを打ち明けてまっすぐであったように、アナスタシア直属親衛隊として、そしてなにより、ユーリ自身として、己もまっすぐでありたいと願った。

 だから、姫に対してそうしたように、レイラに対して、何よりも純粋に自分の想いを伝えたかった。


 レイラは、きっと、自分に心配をさせないように、こんな風に笑顔を作っているのだ。

 それがどうにもいじらしかった。その笑顔のすぐ裏側で、溢れそうな涙を堪えているのが分かってしまう。

 彼女の凍り付いた心を溶かすのは、氷柱を折るように力を加えるのではない。


 ただ、温めて、純粋な気持ちで溶かして抱きしめたかった。


「たとえ、従者に選ばれたとしても、お前だけは連れていくつもりだった」

「そ、そんな……だって、私国を離れるなんて――」

「オレが、絶対に幸せにする。国を離れても、オレの傍にいれば何も要らないと言わせて見せる。お前の人生を、オレにくれ」

「……そんな、ユーリ……勝手だよ」

 ぽろぽろと零れ落ちていくものは、絶対に今日はユーリに見せないと誓っていたはずのものだ。

 絶対に、見せないと思っていたのに、勝手に溢れていく。

「ああ、お前だけには、な」

 そう言って、ユーリは優しく笑う。キャンドルの炎が揺らめくと、金色がキラキラと揺れ、暖色にそまる横顔が自分の中を熱くさせていくのだ。


「ほんとに、従者に選ばれなかったの?」

「ああ。姫の気持ちに応えるためにも、オレは今日、お前に告白したかった」

「ど、どういう意味?」

「意味? 意味なんて、無意味だ」

 そう言うと、ユーリは手をそっとレイラのほうへと伸ばしてきた。

 対面に腰かけるレイラの横顔まで右手を差し伸べて、それから彼女の眼鏡を優しく奪った。


「ゆ、ユーリ……」

 レイラは真っ赤になってうつむく。

 赤くなっているのは酒のせいだけではないだろう。


 レイラの眼鏡を奪うのは、二人だけの秘密の合言葉のようなものだった。

 それはすなわち、キスをしようと言う意思表明なのだ。


「レイラ」

「……うん……」


 かたん、と対面のユーリが席を立った。

 音に反応してレイラはうつむいていた顔を上げた。

 すると、もう目の前に彼の顔があった。ユーリがテーブルに身を乗り出すようにして、レイラに迫っていた。


 ドコドコと胸がなる。

 少し甘い香りは果実酒の香りだろう。

 彼の唇がすぐそばにあり、妖艶に黄金色の瞳をそっと細める。

 レイラは、そのまま瞳を柔らかく閉じていった。


 ぽろぽろ零れる涙を、そっと指先がなぞってくれて、それから温かく、柔らかい唇が重なった。


 軽いキスのあと、唇が離れ、レイラはそっと閉じていた目を開く。


「二度と、放すものか」

 そんな彼の熱のこもった声がして、今度は強く唇を奪われた。

 がたん、とテーブルの上の食器が揺れたが、もうそんな事はどうでも良かった。


 深い口づけが二人の間で絡み合い、甘い香りと味が混ざり合う。


「好き……」

「結婚してくれるな」

「はい……」

「愛してる」

「わたしも……んむっ……」


 どうしてだろうか。

 二人はきっと、最初からずっと傍にいたのに。

 身も心も傍にいたはずなのに、この重なり合った瞬間がまるで奇跡のように思えた。

 幼馴染という恋に対して曖昧な間柄――。

 ――再会してから邪魔をする大人のしがらみ。


 だが、今にして思えば、もつれた車輪のごとく、互いにもがいたからこそ、綺麗に並行していた線が絡み合ってくれたのではないだろうか。

 幼馴染のままでは平行線だった。

 立場を考えれば遠ざかるばかりだった。


 君だけが欲しい。他の人じゃだめなんだ。

 それに気が付くだけだったのだろう。


 ただ、愛する人の心に火を灯したいだけなのだ――と。



   **********



 それからの事である――。

 魔術師の部署は第一部署と第二部署というくくりがなくなり、過去第二部署であった魔術師班は多目的共同計画隊として、騎士、錬金術師らを含めた新たな部門が設立された。

 取りまとめるのは元魔術師第二部署の部長であったアントンだ。

 彼はその後、部下であったベラと婚約することになったらしい。ベラは現在その身に赤子を宿しているので、魔術師の仕事から身を引いている。

 それからレオンだが、なんと姫の従者としてついて行くことになったため、彼もまた現在、部署にはいないのであるが、隣国へと嫁いだアナスタシアと共に錬金魔術を勉学しているのだとか。

 近々、モースコゥヴとも共同開発を行いまったく新しい文明開化運動を行う予定となっていた。

 アナスタシアも、嫁いだ先の王子と仲睦まじくやっているらしく、近々大発表があるのではないかと噂が立っていた。


「あっ、見てユーリ様よ」

 王宮内でメイドの黄色い声が上がる。親衛騎士筆頭となったユーリは王家から屋敷を与えられ、平民の出でありながら、貴族として認められ、街の一画に屋敷を与えられた。

 人に優しく自分に厳しいその人柄は誰もが惹かれ、王宮内のみならず、城下町やモースコゥヴ内で人気を得ていた。


「なんて凛々しいのかしら……」

「とても紳士的な男性なのよね。私、先日助けていただいたもの……」

 ほぅ、と熱い溜息をもらすメイド達が若き筆頭騎士へと熱を上げる。こんな具合にユーリの話題は至る所で耳にすることができた。

 こう言った声は王宮のみならず、街でも聞くことはできたので、レイラの耳にも勿論入ってきたのだが……。


 ユーリと結婚したのち、共に屋敷で暮らすようになったが、レイラはまだ魔術師として王宮に勤務を続けていた。

 レイラがあのユーリと結婚したという事実は周囲を驚かせ、これまで虐めをしていた一課の魔術師も変な愛想笑いを浮かべて胡麻をすってくるのでレイラは何とも対応に困ったものである。

 とはいえ、今レイラが関わっている国家プロジェクトは重大な仕事であり、そうそう容易く抜けることは許されないのだ。

 それになにより仕事にやりがいを感じていたレイラはユーリから働かなくてもいいんだぞと言われたが首を横に振ったのだ。


 レイラの中では、自分はまだまだ磨き切れていないという想いがあった。

 もうすっかり友人であるベラとローザも、女を高めることに関しては熱意が冷めることはなかったし、レイラももっと綺麗になりたいし、魔術師として認められたいと考えていたのだ。


 だから、レイラは日々美しく、そして立派に成長していった。

 ユーリの噂の後に続いて、レイラの話題につながることも多々あったが、それが酷評からプラスへと変わっていくのを聞くたびにレイラは更にやりがいをもったのだ。


 とはいえ、ユーリの噂を耳にするたび、レイラは胸の内でむずむずするものがこみ上げてくるのだ。

 それはなぜかと言えば――。


 夜――。

 共に王宮から家に帰ったユーリとレイラは、食事を済ませてからの憩いのひと時、まず最初にユーリがレイラの眼鏡を奪うのだ。


「レイラ……。今日、お前の話題を耳にした」

「わ、私だってユーリの噂、毎日聞いている……」

「オレの事はいいんだ。それより、お前だ。また綺麗になったと、若い騎士が言っていたぞ」

 レイラの眼鏡を意地悪く奪い取ってレイラの手の届かないところで泳がせるユーリは、金の視線を蕩かしてレイラを見つめてくるのである。

 そうして、そのまま唇を奪い、抱きしめてくると、もうユーリは止まらなかった。


 レイラの眼鏡を取ることが、いつしかキスの合図から、愛の衝動に切り替わり、ユーリは熱情を注ぎ込んでくるようになった。

 決まってその時、ユーリはレイラの評判などを耳にしたという事を伝えてくるのだ。

 ……つまり、筆頭騎士たる紳士のユーリがため込んでいる本性が二人きりの時に、あふれ出てくるわけである。


 時には家に帰りつくなり、玄関先で眼鏡を奪われたこともある。

 まだ外から帰ってきたばかりの冷え切った指先が首筋をくすぐって来た時は、レイラは冷たくてさすがに非難の声を上げたのだが――。


「だったら、これなら文句はないな」

 そう言って、凍えている耳元へ温かい吐息を吹きかけてくる。

 まるで飢えた狼が獲物を貪るように、ユーリは溜め込んだパトスをレイラに流し込んでくるのだ。


「言ったろ、お前が綺麗になるほど、オレは汚したくなるって」

「ゆ、ユーリ……ちょっと、まって、汚いから……」

「綺麗だって言ってるんだよ」


 そう言って、なし崩しに後ろから逃がさないと言うように抱きしめられてしまうからレイラもあれよあれよと流されてしまう。

 結局のところ、レイラだって同じなのだ。

 可愛らしい女性がユーリの事を素敵だと言うたびに、不安になってしまう。いつか、彼が自分に飽きてしまったらどうなるんだろう、と。

 だから、レイラもユーリの熱情を受け止める度、もっと綺麗になるんだと想いながら彼の逞しい腕の中で精いっぱいの愛を伝えてユーリの名を呼び続けるのだ。


 王宮で、すぐ傍に居ながらも愛する者を抱けない想いは、その夜に嫌というほど注がれていく。

 熱い愛情の中、二人はそんな愛のカタチに、朝の陽ざしの中クスクス笑うのだ。

 きっと、今日も君に嫉妬する。そして、今夜もう一度君を抱く。


「ばかユーリ」


 レイラはユーリに艶やかな赤毛を撫でられながら、いたずらっぽく言ってやった。

 寒い朝も、これから先はぽかぽかと心地のいい体温に包まれての起床になるだろう。

 レイラは密かに思うのだ。

 こんなユーリは、私しか知らないんだと。

 そう思うと、愛しさが止まらなくて、ちょっとした優越感に浸れる。


 筆頭騎士をバカ呼ばわりできるのは、この世に自分だけなのだと、そのくらいはレイラが唯一抱いたっていい自慢ではないだろうか。


 日を受けた氷柱が、ぽたりと水滴を落としていた。





 ◆ ガリベン魔女と高嶺の騎士 終 ◆

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