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悲しみは海ではないから、すっかり飲み干してしまえる

 休憩時間になった事でレイラは気になっていたユーリの容態を確認しようと、騎士の塔へとやってきていた。

 入口で騎士に引き留められ、何用かと訊ねられたが、ユーリの容態が気になって御見舞いに来たことを告げると、騎士は割とすんなり通してくれた。

 ユーリの部屋の前まで来て軽くノックをしたが反応がなかった。少しだけ悩んだが、レイラはそのまま戸を開き、部屋へと入ることにした。

 中は暗く、そして静かだった。真っ先にベッドに視線を持っていくと、そこには寝息を立てるユーリが横になっていた。

 少しほっとして、レイラはベッドのそばに椅子を用意して腰かけた。


 そっとユーリの表情を窺うと昨日ほど顔色が悪くもなく、穏やかな寝顔をしていたので、一安心した。医者が投与した薬はC型のものだったが、B型ウィルスに感染していることが発覚してからは、すぐに薬を投与されなおしたのだろう。

 おそらく、先ほどまではその薬を飲むために、ユーリも起きていたのかもしれないが、薬が効いてきて眠ってしまったのかもしれない。

 たくましく、立派になったユーリを見ていたから、こんな風に無防備に寝顔を晒す幼馴染を見て、レイラは若干緊張していた心を緩めることができた。


「……ユーリ……。やっぱり、ユーリも一人の男の子なんだよね。どんなに立派になったって、ユーリはユーリなんだ……」

 安らかな寝息を立てるユーリを見つめると、幼かった頃が蘇ってくるようだった。


「ユーリ、頑張ってたよ。……ユーリは、自分のこと、頑張ってないみたいに言ってたけど……。私、ユーリは頑張ってるって知ってる……」

 彼の寝顔が愛おしくてたまらなかった。抱きしめてあげたいほどに。

 彼はその立場からいつだって気を張っていなくてはならない人間なのだ。それを解くことのできる唯一の存在がレイラだ。レイラを抱きしめたとき、張り詰めていたものが溢れてしまったのだろう。そして、緊張していた糸が緩み、安らぎを求めた時、無理をしていた心と体が不調を露にしたのだ。

 レイラはそんな彼の額に、そっと手を差し伸べて、優しく撫でた。


「ごめんね。ユーリ……。もっと素直になればよかったのに……大人になっちゃったね。私たち……」

 銀色の髪をそっと撫でると、不意にその手をユーリにつかまれた。

 仰天したレイラは、慌てふためいたが、ユーリがそのままぐい、とレイラの手を引き寄せた。

 バランスを崩したレイラは椅子から腰を浮かせて、ユーリの寝るベッドのそのまま前のめりに倒れこんでしまう。

 ぽふっ、と、布団が柔らかく受け止めて、鼻孔にユーリの香りを強く感じた。


「っ!? ……っ!?」

 困惑しているレイラは布団に頭を落としたままに、ユーリの片手がそっとその頭を撫でてくれた。

「……ユーリ?」

「……謝るのは、オレのほうだって、言ったろ」

 ユーリは、優しくレイラの頭を撫で、少しかすれた声で言った。

「お、起きてたんだ」

「ごめんな、レイラ……。あんなことをして、もう来てくれないと思っていた……。そういうことを、オレはしたんだ……」

 声がかすれているのは病気のためだけではないだろう。ユーリの不安に揺れていた言葉は、本当にレイラが今ここにいることが夢のようで、奇跡のようにも感じていた色を滲ませている。まるで間違いを犯した幼子のように、『ごめん』と謝るのだ。


「……レイラ」

 そして、その声は切り替わった。幼子のように不安げな揺れたものから、勇気と責任を持つ、男の声だと感じた。

「好きだ」

 自分の頭に添えられているユーリの手がとても暖かくて、レイラはそっと瞳を閉じた。


(――夢じゃないんだ)

 すっかり乾燥のせいで元のガチガチのクセ毛になってしまったコンプレックスの髪の毛を、ユーリは愛撫してくれた。

 着飾らなくても、その想いは変わりはしないよと、そう言ってくれているようだった。


「私も、ユーリが好き……」

「……オレはお前の事を傷つけても、汚しても欲しいと言ったんだぞ」

「いいよ。ユーリがどれだけ汚しても、私、もっと綺麗になるって決めたから」

 そんなレイラの言葉に、ユーリは敵わないなと観念したように笑った。


「レイラ、嬉しいけれど、これ以上ここにいると病気をうつしてしまう……」

「平気だよ。きちんとワクチンを貰ってるから。それに、……キスまでしてるんだから……今更……だよ?」

「…………す、すまん」

 ユーリは赤くなってしまって、別の意味でまた熱が上がってきてしまう。どうやら、すっかり彼女にペースを奪われてしまったようだ。


「……体調が悪いとは思っていたが、流行り病にかかっていたとは思わなかったんだ……」

 ユーリは赤くなった顔を見せないためか、レイラの頭に添える手に少しだけ力をこめて、こちらを見られないようにした。

 そんな彼の力を受け止めながら、レイラは心地良いベッドの布団に埋もれてクスクス笑った。


「でも、流行り病だと知っていても……キスをしたと思う」

「どうして?」

「……お前に想いを伝える事を止めるための理由を持ちたくなかったんだ。何が何でも、お前を傷つけたって、オレをお前にぶつけたかった」


 たとえ彼女を汚してでも……いや、彼女を汚すのは自分のほかにいないのだと、ユーリは表明したかったのだ。

 そんな彼の欲望を吐き出して、とても親衛騎士の言葉とは言えないものであろうが、これだけは伝えなくてはならないユーリ・ユーリ・ヴォロキンの等身大の想いだったのだ。

 立派な騎士と、ずっと慕情を抱き続けていた少女への想いに挟まれた彼は、決断したのだ。

 彼女にすべてをさらけ出したい、と――。


「ねえ、ユーリ……聞きたいこと、あるの」

 レイラは、ユーリの懺悔のような告白を受け止めて、そしてどうしても気になったことを訊ねてみた。

 ユーリの手が少し緩んで、レイラは顔を持ち上げてユーリの顔を見つめる。


「なんだ?」

「……私、こんなだよ。全然可愛くないよ。根暗で、貧相で――」

「――どんくさい」

 レイラの言葉に続くように、ユーリは紡いだ。その言葉に、レイラは「うん」と頷いて、彼を見つめ続けた。

 どうして、そんな私を、好きだと言ってくれるのか。

 どう考えても、ユーリは自分以上の女性を選択することができるのだ。多くの女性から好意を抱かれ、果ては姫からも寵愛されているのだから。

 そんな彼がどうして、こんな垢抜けない魔法オタクを好きになるというのか。彼自身もそう言っている。私は、どんくさい奴なのだ。そう考えるからこそ、レイラは自分が嫌になって、コンプレックスを抱えるのだから。


「お前さ? 自分がどうしてどんくさいのか、分かってるか?」

「……え?」

 不意にユーリの質問を受けて、レイラはきょとんとしてしまった。自分がどんくさい理由など、生まれながらに不器用だったからと考えていた。根っからパッとしない人柄なのだとレイラは思っていた。


「お前はさ、子供の頃からずっと、他の奴の事を優先で考えるんだよ。だから、自分のことが後回しになる」

 ユーリは静かに、低く、諭すように言った。静かな一室に響く彼の声は、レイラの瞳の奥を熱くさせ、心音を静かに、強く感じさせた。


「――優しいんだよ。誰よりも」

「そんなこと――」

「ずっと、見ていた」

「ゆぅり……」

「ずっと見ていたからわかる。お前は、優しすぎるから、どんくさいんだ」

 目が熱くて仕方なかった。頬にそれが零れ落ちていく。止まらない。止め方が分からない。どうしてそれが溢れているのかも理解できない。


「そういうお前が、好きで。好きで好きで、おかしくなりそうなくらい、好きなんだ」

「ばかユーリぃ……!」


 ユーリの言葉が、これほど自分の心を開いていくなんて思わなかった。

 きっと、レイラもずっと羽ばたいていた。

 疲れ切った羽に鞭を打って、ただただ、己を高みへと向けるために、ユーリという目標に向かって飛び続けていた。墜落すると思いながら。

 あの、御前試合の日からずっと――。


 ――何のことはない。

 レイラだって、求めていたのだ。安らげる止まり木を。

 それがいま、目の前にあったのだ。なんと心地のいい居場所なのか。


「ばかユーリ、か。知ってたか、それを言ってくれるのは、お前だけなんだぜ」

 ユーリは笑った。レイラは泣きはらした目でぐじゅぐじゅと鼻水まで垂らしてしまう。


 いつも誰かのために――。考えてみれば、レイラの行動理由はいつもユーリのために、だった気もする。

 きっと、彼の言うほど、レイラは人のために身を捧げていたりはしない。それでも、彼はずっと見ていたのだ。レイラの姿を。


 同僚の先輩と共に、クリアーナに叱られた後、自分よりもこっぴどく叱られた先輩に、レイラが励ますように気遣っていた姿を見た。

 ほかの魔術師たちは休憩に入っているのに、作業をしていた。

 寒い雪の日に、嫌がらせを受けながら、雪かきをしていた。

 初めて来た王宮の中で、迷子になった彼女は、怯えた声で『ありがとうございます』と言った。


 その全てが思い返せば愛おしい。


「レイラ、『私』はもう迷わない。騎士として、責任を持ち、気高く生きる。だからレイラ、不甲斐ない『オレ』を支えてくれ。この世の誰よりも、愛してみせる」

「うん、私ももっと頑張る……。ユーリの隣で霞まないように。だから、ユーリ……大好きだよ。誰よりも……」


 レイラは、ユーリのベッドに体重を重ねた。

 少しだけ、ギシ、と軋んだ音が部屋に響いた。

 ユーリは今度こそ、両腕で彼女を抱き寄せた。

 すぐそばに、お互いの赤らんだ顔がある。

 レイラは、そっと眼鏡を取り外して、枕元へと置いた。


 もう、隔たりはない。

 絡んだ指と指が、切なく求めあい、二人の唇は柔らかなついばみから、熱く重なる――。


「愛してる――」


 銀色の流れる髪に金色の蜂蜜のような甘い瞳、赤い髪のクセ毛に涙で滲んだ瞳は溶け合う。

 モースコゥヴの雪がすべて溶けてしまうんじゃないかと思うほどに熱いひと時だった。


「ふふっ」

 レイラはユーリの腕の中で思い出すように笑った。

 ふと、過去の事が脳裏によぎったのだ。

「どうした?」

 ユーリが優しい声で訊ねてきた。顔が近すぎて吐息がくすぐったかった。

「むかし、ユーリの家で一緒に寝たこと、思い出して」

「ああ、よくあったよな。お前、暖炉のそばにいくと、すぐ眠たくなってたからそのまま一緒に寝ていたっけ」

「あ、あのころは、子供だったし……。それにユーリの家の暖炉、なんだか見てると落ち着いたんだよ」

 昔は、ユーリと同じ布団で寝たこともあるのに、今こうして同じベッドの上にいることが信じられないのがなんだかレイラは面白くて、笑ってしまった。ドキドキが止まらないのもなんだか不思議だった。


「姫様も、そんなことを言っていたな。暖炉が落ち着く、と」

「アナ姫様が?」


 せっかく二人きりの世界だと思ったのに、ユーリが思い出したように姫の名前を出したので、レイラはちょっとだけ興冷めを感じながら、我に返る。そもそも、勢いでこんな空気になってしまったが、まだユーリは病人だし、今は重要な作業の休憩時間に過ぎないのだ。


「ほら、暖房魔法を切っていた時期があっただろう。あの時に、臨時に宮殿の暖炉を使ったんだ。十数年以上使っていなかったとかで、アナ姫様は初めて暖炉を見たと感激していらっしゃった」

「……十数年ぶりの……暖炉……?」


 その言葉はレイラの脳を一閃するようであった。その瞬間からレイラは火照っていた思考を急激に回転させていく。


 ――宮殿で流行った病原菌はB型で――。


 ――空気感染でうつる――。


 ――B型ウィルスは数年前に流行った物で――。


 レイラの思考が冷静になって行くにつれ、ユーリの語ったその話が、頭の中で欠けていた最後のパズルを組み立てるように整理された。

 そして、最後のピースをはめ込んだレイラは、ベッドから跳ね上がった。


「ユーリ、ごめん! 私、お仕事に戻らなくちゃ!!」

「え、な、なに?」

 レイラは、どたどたと慌てて身なりを整えてからユーリの私室から飛び出して行ってしまった。


 後に残されたユーリは、暫しぽかんとしていた。

 まだ、その掌には彼女の体温が残っていたし、唇をそっと舌でなぞれば、彼女の味を思い出せる。


「ふぬけている場合じゃないな」


 ユーリは彼女から、活力を分けてもらったように、病でだるかった身体にぐっと力を込めた。

 彼が、真に目が覚めた瞬間でもあった。


 ベッドから起き上がり、ユーリは閉じていた窓を開いて、外の冷たい風を迎え入れた。

 のぼせていた頭を冷ますような風と空気が心地よく、無くしていた自分を取り戻していく感覚に、瞳を閉じて、すう、と呼吸を整える。

 不思議なもので、これまで暗示をかけるように親衛騎士の心構えを着込むための儀式をしていた深呼吸が、まるで別のものになっていた。

 なんと清々しいのだろう。空の先まで見通せるように、これまで淀んでいた内面が晴れ渡っていた。


「あいつには、敵わないな」


 ユーリは、自然に零れた笑顔がどれほど貴重なのかを思い知った。

 もはや、心を着込む鎧は必要ない。

 きっと、心を傷つけても、それを癒してくれる女性ひとを見つけたから。


 ベッドに戻ろうとして、ユーリは枕元にある丸眼鏡を発見した。


「あいつ……やっぱ、どんくさい」

 そう言って朗らかに笑うユーリは、氷柱の人と呼ぶには、あまりにも暖かい表情をしていた――。

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