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葉っぱ一枚は春ならず

「ユーリ、聞いているのか。ユーリ」

 親衛騎士のクリアーナの声にはっとしたユーリは、慌てて謝罪した。

「す、すみません」

「どうした。今朝から様子がおかしいぞ。不調か」

「いえ、気の緩みです。申し訳ありません!」

 本日の勤務も終わりになる頃、先輩であるクリアーナの指摘にユーリは姿勢を正す。彼女の言う通り、今日は集中力に欠けているようで、ふとした時にぼうっとしてしまう事が続いていた。

 それはおそらく、今朝見つけた幼馴染の姿に目を奪われたためだろう。

 いつもように朝方、王宮を見回りしていた時だ。

 出勤時間に広場から魔術師の塔へと向かうレイラを見止める事が出来た。毎朝彼女はこの時間に、王宮の門をくぐり、広場を通って魔術師の塔へと向かう事をユーリは知っている。

 いつしか彼の日課は氷柱を折ることではなく、彼女の様子を見つめることになっていた。


 今朝――。レイラはいつもと同じ時刻に王宮へとやってきた。遠くから見ていてもユーリにはすぐに分かる。

 そんなユーリが、今朝のレイラを見た時軽く目を疑ったのだ。

 彼女の特徴的とも言えるクセ毛が、艶やかに下ろされていて、朝陽を受けて輝いて見えたのだ。

 その姿は美しくあり、可憐にも見えた。流れる赤毛は、冷たい朝の空気の中にありながら、彼女の周りだけ温もりをもって色づいているようにも見える。


「レイラ……」


 思わずその名を口元でつぶやいてしまっていた。

 美しい、とユーリは思った。だが、それと共に、酷く不安な気持ちが渦巻くのだ。彼女の変化が、綺麗になっていくことが、ユーリを戸惑わせていく。

 自分の知らないところで、レイラはどんどん綺麗に、美しく輝きだしていく。それがどうにももどかしく感じられていた。


(なぜ――、レイラはあんなにも変わっていくのだろう)


 近頃の評判を聞き込めば、魔術師第二部署の新米魔術師は、もうすっかりと職場環境にも馴染み、仲間と共に切磋琢磨しているのだという。実力もあり、日に日にレイラが周囲に認められていくことを噂で知るたびに、ユーリは嬉しくあるべきなのに、なぜだか胸騒ぎに似た焦燥感が心を埋めていくのだ。

 ――できることならば、彼女の傍にいたい。

 しかし、それは彼女自身から拒否されたのだ。

 再会したあの日に、レイラは言った。目標があるのだと。それを叶えるために懸命に努力したいと言った。だから、目標に向き合うことに集中するため、幼馴染との憩いのひと時は控えたいと冷たい風を受けながらも懸命に声をあげて宣言した。

 その姿を見た時、ユーリは思ったのだ。もう、彼女は立派に一人の女性として世の中と向き合っているのだと。過去のように、もう自分が守る必要などないのだと言われたように考えたのだ。

 彼女の騎士ナイトを気取っていた少年時代。本物の騎士に憧れて挑んだ御前試合でユーリは見事に優勝して見せた。

 ナイト気取りなのではなく、本物の騎士として、レイラを守れる男になりたいとユーリは思っていたのに、それから騎士となった今日こんにち――。

 レイラを守るどころか、彼女との距離はますます離れていくようにも感じられた。


(レイラは、変わっていく……。彼女は確実に夢に向かって成長しているのだ……。それに比べて俺はどうなんだ。用意された席に座っただけで一足飛びに夢を手に入れてしまった……。俺は、あいつを抱きたいだけだったのに――)


 考えれば考えるほど、ユーリは思考が渦を巻きだして任務に集中できなくなっていく。

 なんと情けない話なのだろう。親衛騎士が聞いて呆れる。この真紅のマントを着込んだ以上は心を封じるのだと言い聞かせているのに、強固に固めた鎧すら容易く、レイラの美しい赤髪が揺り動かしてしまった。


 ――あの二人、御似合いね――。


 そんな姫の言葉が脳裏に蘇る。

 ユーリは首を振ってその言葉を否定してみせる。


「ユーリ。何か悩みでもあるのか」

 表情の冴えないユーリを先輩であるクリアーナが気遣った。ハンパな態度で職務に当たられては親衛騎士として問題でもある。精神面のケアはペアリングの先輩として、行うべきだと責任感からの言葉だった。

 ユーリは「すみません」ともう一度謝った。


「クリアーナ殿……。恥を承知で……お聞きしたいことがございます」

「何だ」

「……女性とは……なぜああも変わるのでしょうか……」

 ユーリが葬式のような顔で言うので、クリアーナは一瞬呆気に取られたような顔をしてしまった。

 しかしながら、すぐにその表情を冷徹とも言える無表情なものへと切り替えて、ユーリの質問に向き合った。


「どういうことだ」

「あ、いえ……。クリアーナ殿は、なぜ騎士になったのですか?」

「女性ながらになぜ、という質問か?」

「いえ……しかし、女性でありながら騎士になるということはさぞ苦労されただろうと……」

 ユーリの質問に、クリアーナは思案した。

 単に興味本位に自分の事を聞きたいのではないのだろう。おそらく彼は彼の中で消化しきれていない想いを抱えて毎日を過ごしていたのだろう。それが近頃大きく膨らみだしてきたといったところか。


「お前は若い。多々惑わされることもあるだろう。戸惑いを押さえ込むのではなく、まずは正面から向き合うことだ。それから責任を持ち、決断しろ」

 そんな返しをして、クリアーナは悩む青年に背を向けた。

 ユーリの質問自体には意味がないだろうと考えての言葉だった。ユーリの表情を見れば、本当に彼が知りたいのは、クリアーナが騎士になった理由ではないのだと推測できたからである。

 そんな言葉に、ユーリは更に表情を硬くした。図星を突かれたという反応だった。

 何も言葉を返せないユーリに、仕方のないヤツだと、軽く振り向き様に、もう一つ言葉を付け加えてやった。


「……女性として、一つ言わせて貰うならば……。何よりも力になるものは、愛情のほかにない」


 それだけが彼に言える女騎士としての言葉であった。そのままクリアーナはユーリの前から姿を消した。


「愛情……」

 クリアーナの言葉に、ユーリは重い事実を受け止めるように、低く零した。

 

(ならば矢張り――レイラは誰かに――?)

 すぐに浮かぶのは小太りの先輩魔術師の男と楽しそうに会話していたレイラだった。

 頭にこびりつくみたいに、姫の言葉が何度も繰り返されていく。

 嫌な考えを振り払うため、ユーリは「くっ」と奥歯をかみ締めて、呼吸を短く止めた。

 瞳を閉じ、気持ちを封じようとしたのだ。

 だが、つい今しがたクリアーナから告げられた言葉に瞳を開きなおし、深く息を吸い込む。


(戸惑いを押さえ込むのではなく、向き合い――)


 自分のこのモヤモヤとした思いをもう一度見つめなおし、向き合ってみよう。

 靄の奥に隠れている自分の心をしっかりと見つめるのだ。そうしなくては、レイラを見るたびにその心は曇り続けていくように思えた。


 そして、心を封じるのではなく、見つめなおすために、ユーリは改めて瞳を閉じる。

 呼吸を止めるのではなく、深く吸い、そしてゆっくりと吐き出す。


 自分の心と向き合うと、そこにはたった一人の女性しか映っていない事が直ぐに分かる。

 レイラだ。彼女が自分の心を揺れ動かす。


(レイラに、逢いたいのだ……。俺は……レイラが好きなんだ……)


 ――昔からそうだった。レイラという幼馴染のことをずっと気にして過ごしてきた。

 気弱で、自分が守ってやらなくちゃならない女の子。それがレイラだと思っていた。

 雪玉をぶつけられ、冷たい庭に倒れる姿が、幼い頃に、雪に足を滑らせて転んだレイラと重なった。

 まさかと思って救いの手を差し出した。彼女の顔を見て、すぐに分かった。レイラその人であると。

 相変わらず、儚げで自分がいなくては雪に埋もれてしまうのではないかと思えてしまう。


 しかし、それは自分の驕りだったと思い知る。彼女は立派に女性として成長していたのだから。

 まるで大切に世話をしていた子猫が、家から飛び出していくような気持ちだった。


 それ以上、離れたら守れなくなるのに、子猫はどんどん家から離れて自活していく。

 もう、世話など必要ないといわれたようで寂しくなるのだ。


 そして同時に、彼女を失くす事を怯えている自分に気が付いた時、本当に依存していたのは自分のほうだったのではないかと目が覚めたようだった。

 彼女を抱きかかえた時の、腰の細さ。手の柔らかさ。それを今でも思い出せる。再会した幼馴染は、一人の女性に他ならなかった。庇護の対象だとかナイトを演じるための女の子じゃない。

 己の胸を高鳴らせるそういう女性ひとだったのだ。


 ユーリは、ゆっくりと瞳を開いた。

 決意をした、という意思の宿った物だった。



   **********



 今日の仕事も終わりを告げて、レイラは錬金術の塔へお礼を述べにやってきていた。

 ローザを捕まえて、ポーションを使った髪を見せて感想と感謝をこれでもかと云う程に熱烈に伝えて見せた。

 寝起きから、ガチガチのバネみたいな髪の毛が、今朝起きると、しなやかにすらりと流れ、艶やかに天使の輪を頭頂部に作るではないか。リンスと命名されたポーションの効能はすばらしいものだった。

 ローザは、満足そうに笑い、試験に改良を加えて製造のメドがたったらリピーターになってくれとレイラに言ってメガネを持ち上げる。


「ローザさん、メガネ可愛いですね」

「イイでしょ、これ? 城下町の四番街で売ってたの。オススメよ」

「わ、私……目が悪くて、こんな瓶底メガネしか合わないんですけど……」

 まん丸の形状でデザイン性の欠片もないレイラの眼鏡は、機能性だけ重視したオシャレから懸け離れたものだった。

 視力が低すぎるレイラは、これしか合う眼鏡がないものだと思い込んでいたが、ローザの桃色フレームの眼鏡に興味を惹かれた。


「ちょっとこれかけて見る?」

 ローザがそう言って手渡してくれた桃色の眼鏡は、レンズが小さく可愛らしいフレームに収まっているようだったが、横から見るとレイラの眼鏡のように分厚いつくりをしていた。

 レイラが失礼しますと言い、眼鏡を取り替えてみると、意外にもレイラの視力に合う度数をしていた。

 つまり、ローザもレイラ同様に目が悪いのだろう。


「錬金術師は実験の連夜でね。どうしても目が悪くなるんだ。視力が低くても、オシャレな眼鏡はあるんだよ。……ちょっと値は張るけどネ」

「よ、四番街ですねっ! お、お店の名前、知りたいです……!」

「『水鏡と星霜』って店。眼鏡だけじゃなくて、色々小物も扱ってるから面白いわよ」

「あ、ありがとうございますっ……」


 なるほど、ベラの言う通り、面白くて可愛げのあるヤツだとローザはくすりと笑った。昔手懐けたリスを思い出して、ローザは目を細めてしまう。


 レイラはまた何度もぺこぺことお辞儀を繰り返して、錬金術師の塔から去っていった。

 自分がこれまで知らなかった世界があったことに、感激して心を躍らせていた。

 これまで生きてきた人生なんて、この世のほんの一握りでしかないんだと良く分かる。

 四番街なんて、行こうと思えばいつでもいけたのに、今まで一度も足を運んだことはないのだ。

 オシャレなんて無縁だと思っていたことがなんと愚かだったのだろうと、自分の流れる髪を見る度に思い知る。


「えへへ、へへへ……。こんど、お店行って見よう……。高いって言ってたけど……王宮魔術師の御給料なら頑張れば貯められるよね」

 上機嫌で城門から出て帰宅路に向かうレイラだった。思わず笑みが零れて独り言をつぶやいてしまうほどである。

 世界が見違えてきたのだ。自分の中の可能性すら広がって、自信を付けるという目標はそのまま自己研磨にも繋がっていくことが楽しくてしょうがなかった。

 そんなわけで少々、周囲の事を気にしていなかったため、不意に右手を誰かに掴まれたことにとんでもなく仰天してしまった。


「ひゃあぃっ!?」


 素っ頓狂な声をあげてしまって、レイラは自分を捕まえた大きな手を見て、その人物を慌てて確認した。


「レイラっ……」

「っ……!?」


 その顔を見て、レイラは呼吸が止まるかと思った。

 はぁはぁと荒い息を白く吐き出すその人は、想い人のユーリだったからだ。


「ゆ……ゆーり……?」

「はぁ、はぁっ……、すまん、ちょっとまって、はぁはぁ……」

 どうやらユーリはどこからか全力で駆けて来たのか息が上がっていた。随分慌てた様子だったので一大事でもあったのだろうかと、レイラもドキドキと胸が高鳴ってくる。


「レイラ、これから時間、少しないだろうか」

「えっ、だいじょうぶ、だよ……」

「そ、そうかっ……」

 呼吸を整えるユーリがレイラの返答にぱぁっと表情を輝かせたのが、またレイラをドキドキとさせた。

 まさか、こうも急にユーリと接触するとは思わなかったので、若干混乱もしていたのだが、そんなこともどうでもいいと思えるくらいに吹っ飛ばすユーリの笑顔は昔のままだった。


「いや、そのな……。えー……迷惑だとは思うんだが、俺の部屋の魔器の調子が悪くてな……できれば見て欲しいんだ」

「そうなんだ。私でも大丈夫なものなら、何とかなると思うけど……」

 あのユーリがこうも慌ててやってくるのだから、よほど重要な魔器なのだろうとレイラは考えた。あまりに高度な魔器の修理はレイラも手が及ばないかもしれないが、ほかでもないユーリの頼みに若干背伸びしてでも協力してあげたいな、などと考えて白い頬を赤らめていた。

 レイラが快く了承したことで、ユーリはその握った右手を解かないまま、「こっちだ」とレイラを傍に引き寄せた。

 その少しばかり強引な手の引きに、レイラはちらりとユーリの瞳を見あげて確認した。

 金色の蜂蜜みたいな瞳が、遠くを見ていた。表情は笑顔だったが、どこか硬くてぎこちなくも見えたのだ。寒さのためだろうか。


「ゆ、ユーリ、一人で歩けるよ……」

 王宮内だし、手を繋いで歩いているところを誰かに見止められては問題になるかもしれないとレイラは慌てた。まだユーリの傍に立つには自分は釣り合わないと思えたからだ。

 その言葉に、ユーリは一瞬、足を止めた。その表情はレイラからは見えなかった。ただ、握られた手が少し、ぐっと力を込められて、それから離れた。


「すまない。少し慌てていた」

「あ、うん……。ユーリの部屋ってどこなのかな? 騎士塔?」

「ああ、親衛隊は個室が与えられるから、安心してくれ」

「う、うん?」


 どうにもユーリの真意が見えなかった。酷く取り乱しているというか緊張しているようなユーリに、レイラは軽く違和感を抱いていたのだ。

 結局連れられるまま、レイラはユーリと共に、騎士塔のユーリの私室へと向かうこととなった。

 ユーリの様子がおかしいこともあったが、レイラはそれよりも、以前彼の誘いを断ったことを考えていた。

 もうあんな風に、彼の手を払いのけたりはしたくないと考えるのに、やはり少しだけ彼に対する遠慮や、想いをぶつける覚悟が整っていない事の不安が心をぐらぐらと揺るがす。


「ま、魔器って何かな?」

「あ、ああ、時計だ。きちんと動いていないようなんだ」

「そっか、時計くらいなら、私でも何とかなるかも」


 やがて通された親衛隊のユーリの私室にレイラは入り、促されて部屋の奥に設置してある時計を見つけた。

「あれかな?」

「――ああ」

 パタン、と静かに部屋の戸が閉じられた。そして、ユーリはかちり、と鍵をかける。


「……? ユーリ? これ、大丈夫みたいだけど……」

 時計を見ていたレイラは、正常に動く時計に首をかしげ、後ろのユーリへと声をかけた時――。


 がばっと、レイラはユーリに後ろから抱きつかれていた。


「ひぁっ……?」

「…………」


 ユーリが強く、きつく、放しはしないというように、覆うように抱きしめる形になっていた。


「ゆ、ユーリっ? な、なに、どうしたのっ……」

 困惑し、慌てふためくレイラの耳元にユーリの唇がそっと寄せられた。

 ドコドコと、レイラの鼓動が高鳴っていく。不意に抱きつかれた驚きもあるが、あのユーリと、こうも密着している事実に心が追いつかずに、心臓がバクバクしてしまうのだ。

 ――灯りもついていない暗いユーリの部屋で、レイラは動けなくなってしまうのだった――。


 時計の時刻は、もう直ぐ十九時になろうかという頃だったのが、妙に目に焼きついた――。

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