隼は飛び方を見ればわかる
王宮の暖房修理が終わり、それからまた数日が経過したある日のことだ。
あの再会の日の食事以降、レイラはユーリとはまともに逢う事もできないままの日々が続いていた。
ユーリとの間柄はまったく進展がなかったが、魔術師第二部署において、レイラはすでに新米という顔をしておらず、すっかり第二部署の一員といった様子になっていた。
それも、同僚であるレオンと打ち解けた事が大きい。
仕事をするにしても、それ以外にしてもストレスを感じずに過ごす事ができていた。
それはつまり、レイラがこの環境に馴染んだという事に他ならない。周囲の魔術師達もレイラの雰囲気がどこか和らいだことから気軽に会話をするようになったし、アントン部長もレイラの魔法に対する真剣さと徐々に培われていく社交性に一安心の様子であった。
レイラ自身、環境に馴染んできたと自覚もしていて、最近は気持ちの余裕が生まれてきた。そこでレイラは自分磨きのためにも気を遣うことができた。
「え、身だしなみのこと?」
「はい、私……そういうの、よく分からなくて……ベラ先輩、御詳しいので……」
同じ部署のベラは第二部署の中でも親しみやすく、同性の職場仲間として打ち解けた頼れる先輩だった。なにより、レイラが彼女に興味を持ったのは自分と同じ赤毛の女性だったことだ。
赤毛の女性は美しくないと言われるモースコゥヴであるが、ベラはそんな流行などを無視するように赤毛でありながら魅力的な女性だったのである。赤毛ではあるが、きちんとトリートメントされ、艶やかなロングストレートを流していてアダルティな雰囲気を作っているのが彼女に似合っていた。
お昼休憩の合間に彼女を捕まえたレイラは女性を磨くことに関するアドバイスを得られないかとベラに聞いてみたのだ。ベラは身なりも綺麗であり、肌のケアや化粧の仕方などに詳しい。
「何? 好きなヤツでもできたの?」
ニタリと薄く塗ったルージュの唇で笑んだベラ。
「いえっ、そ、そういうわけでは……」
「あはは、まあいいや。綺麗になりたいって思うのは万人共通よね」
レイラの下手糞な誤魔化しを笑って、ベラはそれ以上は追及せずに「そうだなー」と考える仕草をした。
「……まあ色々あるけど、一番の天敵はやっぱり乾燥よね。潤いを保つのがほんと大変だし」
北国のモースコゥヴは気候の状態から非常に空気が乾燥しやすい土地だ。そのため、髪や肌荒れに気を遣うのだという。
レイラは特にそういう事に関して何にも対策せずに日々を過ごしてきたから、ベラの口から聞かされる情報はなんでも役に立ちそうだった。
「何はともあれ、リンゴよ、リンゴ。リンゴを食べなさい」
「り、りんご?」
「うん、リンゴは美容に効果的なの。これって基本よ? お母さんとかお婆ちゃんに言われなかった?」
「……あんまりそういうこと、話さなかったから……」
レイラがそれこそリンゴのように赤い顔をしてうつむいたのを見て、ベラは筋金入りの芋娘だと溜息を吐き出した。
「もー、あんたみたいなのがいるから、魔法使いは根暗だって言われんのよ」
「す、すみません」
「そ、そんなマジ凹みしないでよ……。じ、冗談よ冗談……」
軽い気持ちで言ったベラだったが、レイラが想像以上に低いトーンで謝ってきたので、逆に謝りたくなるほどだった。
レイラはかなりマジメな性格であり、ベラはざっくばらんな性格をしていたので、思わぬ言葉で傷つけてしまいそうだとちょっとばかり言葉を選ぼうと考え直した。こういうタイプは直ぐに落ち込んで鬱ぎこむと思っていたからだ。
「……リンゴのほかには何かありますか?」
しかし――、すっかり傷つけたかと心配したのだが、レイラは意外にもそこから更に助言を請おうと貪欲にもベラに向き直ってくる。
それを見て、ベラはちょっとだけ目を丸くしたが、ふっと笑顔を作って軽く頷いた。
「あとは、そうね。出来るだけ睡眠はきちんと取る事。……あ、そうだ。今度友達紹介してあげる。錬金術師の」
「と、友達ですか? 錬金術師の?」
突然な話にレイラは思わず聞き返してしまった。ちょっとだけヒントを貰えたらいいくらいにしか思っていなかったので、ベラがここまで協力的に動いてくれるとは考えていなかったのだ。正直な話、レイラはベラに軽くあしらわれても仕方ないくらいに想像していた。
「うん、美容に効く水薬なんかもあるしね。化粧品も詳しいし」
「……でも、いいんですか? 私なんか……紹介して……」
ベラの提案は嬉しかったが、レイラは人に迷惑をかけたくはないし、言葉に甘えていいのかと物怖じをした。……が、ベラがそんなレイラの頭頂部にチョップを降ろしてきた。
こつん、と叩かれたが痛くはなく、どこか優しげなツッコミは沈んだレイラの視線を上に向けさせる役割をしていたようだ。
「私なんかとか言う奴は綺麗になれません」
見直したベラの表情はちょっと赤らんで見えた。
「す、すみません……」
「謝んないでよ。これはさっきのお詫び」
ベラのほうがレイラよりも参ったような顔をしていたのが印象的だった。おそらく、照れているのだろう。しかしながら、レイラの顔を真っ直ぐ見て語るベラは、包み隠さない性格がよく出ている。
「お、おわび?」
「根暗って言ったこと。……あんた根暗じゃないよ。根暗なやつは、そもそもアタシに身だしなみの事を聞いたりしてこないし。……ごめんネ、アタシ言葉選びとかヘタクソなんだよ……」
レイラの真っ直ぐな態度と言葉がベラの彼女に対する印象を変えていた。
初めてこの部署に顔を見せたレイラを見た時は、ベラは、また見本のような魔法オタクがやってきたと思ったのだ。
だが、こうして傍で話してみれば、恥ずかしげに美への追求を語るじゃないか。しっかり女の子やってるんだと思うと、なんだか抱いていた印象がハリボテのレッテルだったのだと気が付かされる。
レイラという人間の中身を見た時に、ベラは抱いた偏見を捨て去って、寧ろこの後輩が可愛らしく見えてくるから不思議だった。
「ベラ先輩……、わ、私、大丈夫です。だ、だから……そのお友達の紹介……お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろん。今日の仕事終わりにでも紹介してあげる」
「は、はい……!」
素直に笑顔を浮かべたレイラに、ベラはいい顔するじゃないかと内心思った。十分、魅力的な表情を作ることができる。何よりも大切な美容の秘訣は、すでに持っていると心の中で確認した。
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そして連れて来られた錬金術師の塔の前でベラの友人であるローザを紹介された。彼女は白衣に身を包んだ錬金術師だった。スラリとした体躯と、聡明そうな顔立ちはクールな印象を抱かせたが、かけている眼鏡のフレームは可愛らしい桃色で、一見きつそうな印象を和らげているようにも見えた。
ベラとローザは歳が同じらしく、二人とも二十歳なのだそうだ。二十歳ともなれば結婚適齢期の年代なのだが、二人は仕事が面白いからと特定の男性を作っているわけではないらしい。
だが、だからと言って美を疎かにする事は女の誇りが許さないと言った。男性の目を引きながらも、仕事を優先するからこそ、言える言葉なのだとか。仕事を理由に結婚をしていないのではない。相手がいないから仕事に逃げているわけではないというのが彼女たちの主張だった。
出来る女は美しく、有能である。それがベラとローザの合言葉のように引き合わせるポリシーなのだろう。
「で、この子がベラの後輩の子?」
「は、はいっ……レイラと言います……」
長身のローザがふうんとレイラを覗き込んできて値踏みするように上から下へと視線を這わせた。
「レイラ……ちゃんね。あのね、あなた自分に自信がないでしょう?」
「はっ、はい……」
不躾な言葉で評価されたが、全くその通りなので、レイラは嫌な顔も浮かべずに、素直に頷いていた。ローザは腕組をして、傍の柱に寄りかかるとまるで教授が講義でもするように、レイラを諭し始めた。
「自信のなさそうな女の子は表情がどんどん暗くなっていくの。『どうせ私なんか』とか、『私は所詮』とか考える事が多いわね?」
「……は、はい……」
さっきベラからもツッコミを貰った事だ。もしかしたら、先ほどの言葉はこのローザの受け売りなのかもしれない。
「美しさってね、色々種類があるわ。大きく分けて二つね。一つは氷のように冷たくも尖った美しさ。もう一つは花のように温もりある可憐な美しさ。それぞれ人に合わせた美しさがあるものよ」
レイラはなるほどとその言葉を飲み込み、納得した。確かに世の女性の美しさは千差万別あれど、大まかに分けるならばそのように、クールビューティか、キュートプリティかと言ったところだろう。果たして自分はその素養があるのだろうか。ゴクリと喉を鳴らして錬金術師の美容師の言葉を待つ。
ローザはメガネをくい、と持ち上げて改めてレイラを分析するように観察し、レイラに告げた。
「私の見立てでは、あなたそのどっちもないわ」
「がーん!!」
ばっさりと一刀両断されたレイラの評価結果は、予想通りながらもショッキングな言葉だった。
こうも真っ向からあなたは魅力がないと言われたのは初めてであった。
わかってはいたが、しっかりと観察されてそう言われてはぐうの音も出ない。青い顔をして項垂れるレイラだったが、ローザはその鼻っ柱に指先を突きつけてちょんと、つついた。
「――でもね、魅力というのは美しさだけではないわ。……もっとも重要なのは、――情熱よ!」
「じょ……、じょうねつ……?」
「そう、人が人に惹かれる理由は美しさのみあらず! 情熱があれば、誰だって美しくなるものなのよッ」
ローザはそれこそ情熱的とも言えるテンションで熱弁した。
彼女曰く、外面の美しさは内面からやがてにじみ出て形成されていくというのだ。
つまり、暗い美人より、明るいブス。これが人を惹きつけることになるのだと言ってのけた。言葉の例えはあまりいいものではなかったが、内面こそが最終的な美を決めるというローザの主張はレイラにとって目から鱗でもあった。
人は己が注目されていると知れば、どんどん輝きだすのだと言う。
自信を持つという事が、心を輝かせ、内から外へと魅力を運ぶ。その理屈に、レイラは理解を示しながらもその『自信』が持てないからこそ、レイラの髪の毛の如く、美が硬くなって縮こまっていることを分かっている。美しくなれば、自信が身につき、ユーリの傍にいられると思っていたのに、美を得たいのなら、自信を持つ事と言われてしまっては、卵が先か鶏が先か分からない。
「そこで、このお薬、試してみない?」
どうしたらいいか迷い子のように混迷していたレイラに差し出されたのは掌サイズの小瓶だった。
中には何やら薄い桃色の液体が入っている。どうやら錬金術で作成された水薬のように見える。
「こ、これは?」
「水薬よ。でも飲むものじゃなくて、髪に使うもの」
「整髪剤ですか?」
「いいえ。整髪料は髪型を形作るものでしょう? これは、髪そのものが持つ美しさを保つための、薬品。乾燥しきった毛を艶やかに回復してくれる。きっと髪が艶だって櫛通りがよくなるわ」
回復薬は回復薬でも、髪を労わる回復薬。ヘアポーションといったところだろうか。これを使うことで髪のごわつきを抑えることができるのだとか。
レイラは半信半疑ながらも、そのポーションを受け取った。
「いい? それはあくまで切っ掛けよ。まずはそれで自分のコンプレックスを一つ、克服してみせなさい。そうしたら、きっと自信が付く。自信よ。結局は自分のコトをどこまで信じてあげられるかが大事なの。自分に、自信を持つための第一歩を手助けしてあげる。あとは、あなた次第」
レイラのびよんと跳ね上がるクロワッサンの赤毛を指摘して、ローザは人差し指を立てて見せる。
自信をつけるためには、自分が変わらなくてはならない。その小さな後押しをしてやろうという錬金術師の言葉は、レイラにとって十分すぎる救いの手だった。
自信なんて今の自分じゃ、どこに見出せばいいか分からない。だから、その足がかりを与えてくれると言うこの水薬は天使の贈り物のようにも思えた。
「ありがとうございますっ……」
「一応、それ試験も兼ねてだから、感想も聞かせてね?」
「は、はい。必ずっ……」
レイラは、ベラとローザに何度も頭を下げては大事そうに水薬の小瓶を抱えてかけていった。早速今夜、お風呂で使うだろう。
これで少しでも彼女の心を動かせる手伝いができたのなら、一石二鳥というものだ。
レイラを見送ったベラは「ありがとね」とローザにお礼を述べた。
「……別に。っていうか、あの子のことは口実なんでしょ」
「……う、いや……その……」
「なんか私に話したいことあったんじゃないの?」
かねてからの友人であるローザとは気の合う仲間としてもこれまで一緒に頑張ってきた。
二人とも自分の仕事を誇りにして、美を追求するべく色恋沙汰は程ほどに毎日を過ごしてきた。いつしかそれが二人の間で暗黙の了解みたいになってしまってから、なんだか逆に言い出しにくくなったことがあるのだ。まるで二人の間に、恋愛はしないというルールが出来上がってしまっていた。別にそんなルールは御互い決めたわけでもないが、仕事に生きると意気投合から始まった関係性だったため、気が付くと、恋愛をすることがまるでタブーのように取って代わっていた。
ベラは言いにくそうに、普段のざっくばらんな性格からは想像できないほどまごまごとして、ローザの前でうつむいていた。
「……好きな、人……いるんだ。本当は」
「……知ってた」
「えっ?」
好きな人がいるのだと、レイラを見て直ぐに分かったベラは、自分も今、恋をしているからなのだと気が付いていた。
だが、それは友人には言えないままであった。それを言えば、二人の友情は終わるような気がしていたからだ。
だが、懸命に真っ直ぐでいるレイラの態度に、ベラはじわりと動かされていた。
自分もこんな風に、まっすぐにぶつかってみたいと思ったのだ。レイラという後輩の少女の想いにかける行動力を羨んだのだ。
「……あんたが誰か好きな人がいるんだって、気が付いていた。じゃなきゃ……綺麗になるたび、あんな風に嬉しそうに笑わない」
ローザがメガネを外して白衣の胸ポケットに入れた。
さぁっと前髪をかきあげて、ローザはまた柱に寄りかかって腕組みをする。淡々と言葉をつむぐ錬金術師は職業柄なのかそんな分析結果を友人に伝えるのである。
「……そっか、ごめん……」
「別に、謝る事はないし」
「……ごめん」
「……で? 誰なの、相手。私の知っている人?」
無機質な声が不意に温度を持ったようだった。柔らかく、心地いいトーンは、普段のローザの、友の声だった。
「……き、聞いてくれるの?」
「話したくて来たんでしょ?」
「う、裏切ったとか、思ってない?」
「出来る女は器も大きい」
あっけらかんというローザに、ベラは拍子抜けするみたいにぽかんと口を開けたまま呆けてしまった。それから、なんだか考えすぎていた自分が可笑しくて噴出してしまう。
「自分で言うか」
「まぁね」
いけしゃあしゃあという態度でローザは笑みを浮かべた。そんな友人だから、ベラはローザとこれまで仲良くやれていたんじゃないかと思い返していた。なんだかとても大事なものを見つけたような気持ちで一杯になってしまう。
「……あんがとね、ローザ」
「ばっか。ハズいし……。もったいぶらずに教えなよ。誰?」
あんまり畏まった態度でお礼を言われるのも照れくさいローザは、改まった言葉にふいと顔を逸らしながら聞きなおした。
ベラは、恥ずかしげにやはり、もじもじと少し言おうかと悩みながらも、ここまで来て言わないわけにもいかないと、カスれるような声で小さく告白した。
「……アントン部長……」
真っ赤になって視線を下に落とすベラに、ローザは口をあんぐりと開けて驚愕の声をあげるのである。
「……は!? アントンって、あの朴念仁みたいなあんたんとこの冴えない上司!?」
「そ、そうだよっ! 声、でかいって!!」
「な、なんであんなオッサン?」
「……やさしいんだよ、部長」
「処女みたいな理由だな、おい……」
「処女関係ないだろ!!」
友人の意外な一面を見たことで、ローザは驚きながらもなんだか妙に楽しくて面白くて、嬉しかったのが自分でも不思議だった。
二人の間になんとなく聳えていた見えない空気の壁は、こうして取りはらわれてみると、実に滑稽なまやかしのルールに自分自身を縛り付けていた不毛な勘違いだったのだと思い知らされる。
「じゃ、じゃあまさかあんたがずっと二課から上に上がらなかったのって……」
「……部長の傍にいたかったから……」
「ぎゃっはっはっは!!」
「笑うな! つか、笑いすぎだろ! キャラ違うだろ!」
大爆笑するローザにベラは真っ赤になったトマトのように照れながらもやはり、友人同士、同じ気持ちを分かち合っていた。
真っ直ぐに響きあう心と心は、気持ちよくて爽快だった。こんなに声を出して笑ったのは久しぶりだった。
きっと、あのレイラという少女がほんの些細な切っ掛けを与えたのだろう。だが、その結果はとても大きく充実したものだった。レイラ自身は大したことをしたわけではないだろうが、いつだってなんだって、起こるべくして起こることには切っ掛けというものがあるのだ。
だとしたら、さっきのポーションだって、彼女にとっての些細な切っ掛けが大きな波を生み出すかもしれない。
もしそうなるのであれば、私達のように笑える結末を迎えてくれるといいな、などと、ガラにもなく錬金術師のローザは思うのであった――。