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はじめてのブリンはだんごにできる

 セプテム大陸のほぼ中央に位置するモースコゥヴ王国は真っ赤な国旗を掲げる大きな国だった。

 北の地であり、雪国でもあるモースコゥヴは年間のほぼ三分の二は雪に包まれている。寒気の厳しい月などは、流れる河すら凍りつき、まるで世界の時が止まってしまったようにも思えてしまうのだ。

 環境は厳しいものだったが、希少な鉱脈がいくつも見つかり、鉄と銀、鍛冶と武器の国として栄えることができた。

 作物はあまり育たないが、野生動物は極寒の世界で暮らしているために毛皮はマントやコートにできたし、その肉は引き締まっていて美味い鍋の材料になった。昨今は密猟者が増えてきたために、それを取りしまる騎士団が活躍していた。


 男達は誰もが騎士団に入ることを一度は夢見て、幼い頃より厳しい鍛錬を積む。

 齢十二になると、家名を背負い、王宮で行われる御前試合に参加するのだ。そうして、見事に優勝を果たした者は王宮騎士見習いとしてその腕を見込まれる。やがて王宮騎士団の中で騎士としての英才教育を叩き込まれ、彼らは所謂エリートコースへと乗っかっていくのだ。


「ヴォロキン家、ユーリ・ユーリ。前に」

「はっ」


 名前を告げられた少年が進み出た。サラサラとした白銀の髪を短く切りそろえ、細く整った鼻先と蕩ける蜂蜜のような煌めく黄金色の瞳を持ったユーリと呼ばれた少年は、今年の御前試合の優勝者であった。連なる強敵を次々と打ちのめした少年は、長身に筋骨隆々と言った風貌ではなく、スラリとした体つきに、背たけは少女のように小柄だった。細い顎と小さな額は美少年といった印象を受ける。

 しかし、その張った声は、逞しく戦いを勝ち抜いた雄雄しき男のものだった。

 歩みでたユーリは、腰を落として頭を垂れる。国王から直々に言葉と勲章を授かるのだ。


「ユーリ・ユーリ・ヴォロキン。此度はよく戦った。並み居る者共と見比べても、お前は小柄で華奢であった。だと云うのに、その剣さばきと、華麗に舞う体さばき。見事なものである。おぬしを今日、この時より我がモースコゥヴ騎士団へと迎え入れよう! おめでとう、新鮮なる大鷲の爪よ!!」

 その声と共に大歓声が上がった。今まさに、ユーリが家の名前を知らしめ、王国の剣となったのだ。それは何よりも誉れ高いことであった。


「すごいっ……ユーリ、すごい……」


 大歓声の渦巻く観覧席で、幼い少女のレイラ・アラ・ベリャブスカヤが口元に手を当てて、驚きと喜びで感激していた。


「凄いわね、本当に。これでユーリ君も今日から騎士見習いなのね」


 隣の母親が感心したように言った。レイラはその言葉に、小さく頷きながらもその視線は幼馴染の少年から離れることはなかった。

 ユーリとレイラは同い年の幼馴染だった。親同士が仲が良く、親交が多々あったため、ユーリとレイラはよく一緒に遊んだのである。

 そんなユーリが今年、御前試合に出ることになり、レイラは応援に来たのだ。昨日、ユーリは絶対に勝つから見に来てくれとレイラに言ってくれた。その時はいくらユーリでも優勝することは難しいんじゃないかなと思いながらも、応援するよと返したのだが――。


「……ほんとに、優勝しちゃうなんて……」


 ユーリは自分よりも大きな少年達を次々と倒していった。小柄な分、小回りが利くためだろうか。相手の剣はユーリにカスることもできずに空しく振り回された。日頃から鍛錬を積んでいるのは知っていたが良く知る幼馴染が急に大きくなって見えた瞬間だった。

「でも、残念ね。これでユーリくんとはもう一緒に遊べなくなっちゃうわね」

 母親がこちらを見下ろして寂しそうに言ったことに、レイラは「え?」と母親を見つめ返した。


「騎士見習いになった以上、これからユーリ君は王宮で暮らすのよ。とっても厳しい訓練を乗り越えて立派な騎士様になるんだもの」


 そうだ。まさか優勝するとは思ってなかったから先のことを失念していたのだ。

 ユーリが騎士見習いとなった以上、家を出てこれから騎士団で生活することになるのだ。聞いた話では非常に厳しい訓練の毎日が続くのだと言う。一人前になるまでは家に帰ることも許されず、当然ながら、もう一緒に遊ぶなんてことはできなくなるのだ。


 目の前で誇らしげな凛々しい表情で、王から勲章を授かるユーリを見つめながら、レイラは氷河のように凍りついた。

 もう会えないという現実を突きつけられて、今更気が付いたのだ。

 私は、ユーリが大好きだったのだと――。


 それまではただの幼馴染で、元気な男の子という印象しか持っていなかったと思う。

 怖がりで人見知りをすることが多かったレイラは、いつもどんくさい女の子だと周りから虐められていたが、そんな時、ユーリがいつも助けてくれていたように思える。

 いつしかそれが当たり前みたいになって、ユーリとはいつまでもこんな風に一緒に過ごしていくのだと疑わなかった。

 もうユーリとは逢えないのだと気が付いた時、少女は自分の恋心を拾い上げてしまった。

 どくどくと、胸が熱くなるのに、血液は凍り付いていたように思えた。どうしてこんなに気づくのが遅かったのだろう――。


(わたし、バカだ――)


 鼓動の音が妙に耳たぶを叩いていたように感じた。初恋に気が付いて、それがもう手の届かない処にあるのだと同じ時に思い知らされて打ちひしがれたのだ。

 また周囲からドォっと歓声が巻き起こった。

 勲章を授かったユーリが、満円の笑みで拳を高く翳し、高らかに吼えていた。

 心底嬉しそうに咆哮する幼馴染はもう遠い人のようにも思えた。ユーリがこちらに気が付いて「やったぜ!」と白い歯を見せて笑ってくれたのに、レイラは興奮の坩堝るつぼの中、独りぽつんとしていた――。



   **********



 それから歳月は流れ、レイラは十六になっていた。

 その間、レイラは我武者羅にたった一つのことに打ち込んだ。それは魔法学に関してである。

 この四年間、死に物狂いに勉強し、周囲の眼も気にせずに魔法をひたすらに磨き続けた。なぜ、魔法を勉強したのか。それにはきちんと理由がある。

 王宮に入るためだ。

 王宮には、宮廷魔術師という役職があり、国に携わる政に、魔法学的見地から助言をする凄腕の魔法使いを雇用しているのだ。モースコゥヴ国は魔法技術がまだまだ周辺諸国と比べて脆弱であり、優秀な魔法使いを大々的に雇用する政策が取られていた。

 これを目差したのだ。――理由は言うまでもない。もう一度、幼馴染に逢うためにだ。そして、王宮で再会を果たし、想いを伝えるのだ。


 そんな純真な乙女心が、ただ一つの活動源だった。幸いにも魔法学はレイラの性に合っているところもあり、勉強を苦に思ったことはなかった。やればやるほど、自分の実力になり、夢への実現に近づいているのだと実感を持てたこともモチベーションが落ちなかったことに繋がるだろう。


 いつしか十五歳という花の女盛りを犠牲にして、レイラはガリベン魔法使いになっていた。

 夜遅くまで勉強をしていたせいで、肌は荒れたし、髪の毛だってガチンガチンになった。乾燥の激しい日なんかはぐりんと変なカーブを描く外に跳ねる赤毛が、まるでクロワッサンみたいで不恰好だった。

 それから目も悪くなったので、分厚い眼鏡が必要になってしまったのだ。いつも部屋に篭っては、ぶつぶつと呪文の勉強を繰り返し、魔法を構築するレイラは、目の下にくまを作って不健康そうな白い肌を若干青ざめさせるほどだった。

 しかしながら、それだけストイックに勉強に勤しんだ甲斐はあったのだ。

 その年の宮廷魔術師雇用試験に見事合格し、レイラはついに、王宮へのキップを掴んだのである。


「……や、やった……。へへへ……やったぁ……」


 合格通知を受け取った時、頑張り続けた身体から色々な気が抜け出たみたいに、ばたんと倒れて気を失った。

 両親が慌てて医者を呼び、目を覚ました頃には、宮廷魔術師として雇用された事実に、長年頑張ってきた苦労が報われたのだと、当初の目的を忘れて脱力していた。


「これで、やっと王宮に入れるんだぁ……へへへ……ユーリに逢えるんだ……」


 そう言ってみて、ゆっくりと実感が持ち上がってくると共に、レイラは貧血気味の青い顔で擦れた声で息切れしているみたいに、「へへへ」と笑う。正直、ちょっとばかり不気味な光景にも見えた。それから暫く、ぼーっとベッドの上でこれからのことを冷静に考え始めた。

 王宮に入ればユーリに逢えると考えてここまで頑張ってきたが、本当にユーリに逢えるものなのだろうか? 王宮魔術師と騎士団に接点はあるのだろうか?

 そもそも、ユーリに逢ってどうするつもりだったのだ。そうだ、告白をするのだ。好きですと伝えるために頑張ってきたんじゃないか。


 がばっ――!


 レイラはバネの付いた玩具のように激しく起き上がった。


「……こ、こくはく……」


 考えていたが、いざ目の前にその機会がやってきたことで、『告白する』という一大イベントに動悸が激しくなって、胃の中のものを全部吐き出しそうになってきた。

 告白すると、好きだと伝えると、そう決めていたのに、どうやってユーリに告白するのかをまったく考えていなかった。同じ宮廷で働く人間として接点はあるのだろうか? そもそも、王宮内で恋愛なんていいのだろうか? 騎士って凄く厳格なんじゃないだろうか。告白するために王宮魔術師になった、なんて言ったら幻滅されるのでは?

 一気にぐるぐると嫌な想像が渦巻き始めた。


(ゆ、ユーリ、もう四年近く逢ってないんだよ……。もしかしたら、私のことなんて忘れちゃってるかも……)


 のそり、と立ち上がって、洗面所の鏡を覗きこんだレイラは、改めて自分の姿を見て愕然とした。

 痩せこけた貧相な身体、貧血の青い顔、ぼさぼさのクロワッサン頭、ガリベンを象徴する厚底眼鏡――。


「……こんなんじゃ、私……ユーリに嫌われるかも……」


 魔法の技術だけは磨かれても、女として致命的に終わってしまっていると絶望した。愛する男性への愛のために頑張っていたと言うのに、美容のことなどそっちの気だった自分を叱り付けたくなる。


(あぁぁ――っ! やっぱ、わたし、バカだぁぁぁ!!)


 思わずその場で頭を抱えてうずくまってしまった。昔から何をするにもどこか抜けていた。周りからはいつだってどんくさいと馬鹿にされてきていたのだ。だからいつしか人との付き合いもおざなりになって、一人ぼっちで部屋に篭っての魔法勉強の毎日。一日中、寝巻き姿のまま部屋から一歩も出ずに魔法ばかりを弄くっていたことすらある。そんな女から告白されて喜ぶやつがいるだろうか。いや、ない。


「せめて、衣装だけでも綺麗に飾れば――」


 しかし、王宮魔術師指定のローブは真っ黒なフード付きの野暮ったいものだった。着こんでみると、第一印象は『ザ・魔女』であった。


「お、終わった――」


 今にして考えてみれば、別に王宮魔術師じゃなくとも、王宮内で働く方法はほかにもあったように思う。もっと華やかな宮廷庭師とか、宮廷料理人とか。なぜよりによって、根暗な魔術師を選んだのだろう。いや、根暗なのは自分自身だ。それに、魔法自体は嫌いじゃなかった。切欠はどうあれ、魔術師の勉強に打ち込んだこと事態は間違いじゃなかった。


 もう、いいじゃないか。

 別にユーリとはそういう関係にならずとも、私は今や王宮魔術師として認められて立派に就職を果たしたのだ。自信を持ってお勤めしよう。

 そんな風に結論を自己完結させ、レイラはベッドに戻った。結局これも言い訳なのだと、瞳を閉じると心の中で反響していった。


 ユーリに告白する勇気がないんだ。自分に自信がないんだ。

 だから、魔法に打ち込んで、それだけを考えるようにと言い聞かせているんだ――。


(どんなに勉強したって、結局私は、私なんだ――。自信がなくて、いつもおどおどして、誰かに依存してないと不安になる――)


 暗い部屋で、固く瞼を下ろしていると、なんだか嫌なことばかりが頭の中で周りだしていく。眠りたいと思うのに、全然眠れない。ユーリの顔が、御前試合のあの笑顔がいつまでも浮かんでくる。

 あれから、四年――。

 厳しい訓練でユーリはきっと立派な騎士になっているだろう。どんな風になっているんだろう。

 小さくて、華奢でレイラと同じ身長だった十二歳のユーリは、きっと逞しい男性に育っていることだろう。


(逢いたいのに――。逢いたくないよ……。ユーリ……)


 日付も切り替わり、深夜と早朝の間と云った時刻に、レイラはいつしか寝息をたてていた。

 冷たい風が吹きつけるモースコゥヴの王宮は、凍りついた屋根から氷柱を作り、きらきらと朝陽を受けて神々しく輝く。

 雪の国の少女は冷え込む身体を丸めて、ネコの様に毛布に包まった。

 これから、レイラの王宮魔術師としての一年が始まるのだ。

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