22「好きな人」
「海砂ちゃーん!」
こちらに手を振りながら小走りで向かって来る桃色の髪を高い位置で一つに結んだ愛莉姫。可愛いぞ、こんな可愛い子と待ち合わせして一緒に今日一日遊ぶなんて贅沢なんだ!と心がルンルンな気分だ。今すぐにでも踊り出しそう。
「ごめん、待った?」
「ううん、私が少し早く来すぎたし大丈夫だよ」
今でも待ち合わせ時間まであと十分もある。私は楽しみすぎて三十分前からいたけど、愛莉姫も相当早い。それだけ今日のことを楽しみに思ってくれているのなら嬉しい。
ほかほかとした気持ちになり、愛莉姫との会話を楽しんでいた。
「今日はね、ケーキが美味しいって評判の店に行きたいのだけどいい?」
「うん!」
「それに目当てはケーキだけじゃないけどね!」
ケーキ美味しいとか最高!そうニヤニヤしていたら、愛莉姫からの言葉がよく分からず首を傾げる。ふふっ、と笑みを浮かべ、内緒話をするように顔を近付けたのは愛莉姫。
「私の好きな人がそこで働いてるの」
「……あっ!」
愛莉姫の好き人とは前に祭りの日に写メが送られてきたのだろう。愛莉姫の想い人は蓮見晃樹だ。
「えへへ、蓮見晃樹先輩って言うの」
かっこいいでしょ?と蓮見先輩単体の写真を携帯で見せてくれる。頬を赤らめて乙女の顔をしている愛莉姫は誰が見たって可愛いと思ってしまう可愛さだ。
祭りの日に風紀委員室で見た写メでは興味なさそうだが、今の愛莉姫を見るときっと終壱くんも可愛いと思ってしまうだろう。そう考えるとズキッと胸が一瞬だけ痛くなった。
「海砂ちゃんは好きな人いないのかなぁ?」
「えっ!?」
ニヤニヤとした表情でこちらを見てくる。うっ、と言葉を詰まらせる私に愛莉姫は何かを悟ったように頷いた。
「その反応はいるね!」
どんな人?ねぇどんな人?もしかして玖珂先輩とか?そう聞いてくる愛莉姫に首を振った。玖珂先輩と最後に会ったのは愛莉姫と一緒の時だし、まだ二回しか会ったことない。
首を振ったことに対して残念そうな顔をし、ならどんな人?と再度聞いていた。
「優しくて、かっこいい人だよ……」
「ふふっ、海砂ちゃんはその人のことが大好きなんだね。ああ〜玖珂先輩じゃなかったことが残念だけどなぁ。海砂ちゃんと玖珂先輩お似合いだと思ったけど」
けど、応援してる。そう語尾にハートマーク付いたような話し方にあははと乾いた笑いが出た。
恋愛話をするのは好きな方だが自分がその対象になると何とも言えない感情になる。何せつい最近のことだ、この感情に気付いたのは。
「でも向こうはどう思っているのか分かんない」
「海砂ちゃん……そうだよね、私も晃樹先輩が私のことどう思っているのか分かんないし」
「愛莉ちゃん! 愛莉ちゃんなら絶対蓮見先輩のことを振り向かせられるよ!」
「ありがとう。でも大丈夫かなって思う時あるんだよね」
祭りだって一緒に行った。なのに悲しそうに視線を落とす愛莉姫に心が痛い。
ふと思い出したように乙女ゲームの記憶が頭を過った。
『ボクは麗奈が好きなんだ。だから、キミには陸翔より悠真を選んで欲しい』
この台詞は、ゲーム中に蓮見先輩が言った言葉だ。それを今になって思い出すなんて、どうかしている。麗奈というのは桜咲之学園の生徒会長である碓氷悠真の婚約者である円城寺麗奈のことだ。
玖珂先輩を攻略する際に手助けしてくれる蓮見先輩だが、玖珂先輩と会長の奪い合いイベントの時に彼はその台詞を言った。その時だけ、蓮見先輩は親友である玖珂先輩を裏切ったんだ。
だが、会長単体イベントには蓮見先輩は出てこないし、円城寺先輩とも絡んだシーンはない。ただ、一度だけこの台詞を言っただけだ。
ただその言葉が気になって仕方ない。
「海砂ちゃんはさ、私と出会ってあんまり日が経ってないからこういうこと言えるんだろうって思う。実は少し自信がないんだ」
親しい人よりも出会ったばっかりの人の方が相談しやすいことはある。愛莉姫から語られる言葉を聞くように近くにあったベンチに二人で腰掛けた。
「蓮見先輩は私じゃない人が好きなの」
「……え」
「実際にその好きな人の話題とか本人から聞いたことないけど、そう確信してる。私は知っているんだ」
ねぇ、海砂ちゃんは乙女ゲームって知ってる?
そう真っ直ぐとこちらを見つめる視線に頷いた。
「信じられないと思うけど、この世界は乙女ゲームの世界だったの。ただ登場人物が一致するってだけだけどね」
「……っ」
驚いた表情を浮かべた私を見て、すぐに愛莉姫は「冗談だよ」って悲しそうに微笑みながら言う。そんな風に悲しまないでほしい。そう願いながら愛莉姫の手を取り、握り締めた。
「信じているよ」
「……っ、海砂ちゃん……ありがとう」
涙ぐむ愛莉姫に出来るだけ優しく微笑む。
すぐに愛莉姫はいつものように元気に笑い、さぁ行こうと手を差し伸べた。その手を取って立ち上がり、私も嬉しそうに笑った。
私もその乙女ゲームを知っているというのは伝えていない。なぜか、今伝えていけない気がしたからだ。私は乙女ゲームの内容を全て知っている訳ではない。知ってはいけないことを知ってはいけないと心がそう囁いた。
「私はズルいな……」
少し先にいた愛莉姫には私の小さな呟きは聞こえることがなかった。
だがその代わりに聞いている人がいたのは気付くこともなかった。
***
二人が去った方向を見つめるのは、癖一つないさらりと綺麗な黒髪に長いまつげ、少しだけつり目気味のキリッとした顔立ちをした人物だった。
「確かにきみは凄くズルいねぇ、ほんと……」
二人が去った方向とは逆の方に歩みを進め、彼はそっとどこまでも青い空を見上げた。
「でも、一番ズルいのは……おれだから仕方ないか」




