19「合宿最中の夢の中」
『うるさい!』
私より少しだけ大きい手をした誰かが私の手を掴み、外へと出る。激しく降り続ける雨だというのに傘も差さずに外に出たんだ。
雨の中、朦朧とした意識で私はどこかに向かっている。いや、私の手を引いている人に連れているんだ。
いつもより目線が低い気がする。それに着ている服も、いつも着ている服より子どもぽい。
私の手を引いて歩いている人の顔は見えないけど、私は嫌な感じはなかった。きっと知り合いなのだろう。
その人物は、傘も差さずにただ私を連れてずっと歩いている。どこまで歩くのかなんて分からない。
『ここか……』
『ここって、ーー?』
『あぁ、よく見てみて。あれが、ーーなんだ』
『えっ、ーー?』
なんて言っているのか、よく聞こえない。聞こえているはずなのに、聞こえなかった。
ザァァッと雨の音が大きくなる。
体が長時間もの間に雨に当たって体が冷えているのにも関わらず、私達は会話を続ける。そのためにここに来たみたいに。
さっきよりも聞き取りづらい。肝心な言葉は私には届いてない。
なのに、この人物の気持ちは私の心にスッと入ってくる。
私はこの人物が消えてなくならないように、強く強く抱き締めた。上を見上げれば、この人物は泣きそうなほどに顔を歪めていた。
『そんなことないよ……私が私が、ーー!ーー!そしたら……』
私の腰に優しく手を回し、この人物は優しく微笑んだ。
ありがとう、と震える唇で囁いた。
「……しゅう、おにいちゃん」
ハッと目が覚めると、そこは家の自分の部屋でもなく、寮の部屋でもない。ここはどこだっけ?と頭を捻らすと思い出してくる。ここは確か、風紀委員の合宿の旅館だったということを。
少しだけ痛む頭を押さえながら布団から出る。辺りを見回すと、パチッと目が合った。合宿の旅館で同室となった雅先輩に。
雅先輩は私と目が合うと、ふふっとおかしそうに微笑む。もしかして変な寝癖とか付いているとか?そう思い、手ぐしで髪を整えた。
それでも微笑んでいるので意味が分からずに首を傾げながら、とりあえず朝の挨拶の言葉を口に出す。
「おはよう。海砂さんも何だかんだ言って兄である愁斗のことが好きなのね」
「はい?」
「お兄ちゃんって寝言言っていたのよ」
お兄ちゃんって寝言を言っていた。寝言を聞かれていた。そう分かるとカーッと顔が熱くなる。きっと今の私の顔は赤いだろう。
そんなに照れなくていいのに、と雅先輩は嬉しそうに笑っていた。
本当にもう恥ずかしくて、しばらくは雅先輩の顔は見れそうになかった。
朝から体力作りのため走ったりしていたのにも関わらず、夢のことを考えていた。夢を見ていたことは覚えている。その夢が懐かしい夢だったということも覚えている。なのに夢の内容は覚えてなかった。
お兄ちゃんと寝言を言ったからお兄ちゃんが出てきた夢だったんだ。そんなことを考えながら、風紀委員の顧問である先生の話を曖昧に聞いていた。
「海砂」
誰かに名前を呼ばれた気がした。聞き覚えのある声だなぁと思っていると、肩をトンッと叩かれてハッとする。
「海砂」
「あっ、終壱くん」
私の目の前には終壱くんが立っており、周りには誰もいない。先生の話が始まる前は全員いたのに、どこに行ったのだろう?
「何をボーッとしているんだ? もう誰もいなくなったよ」
「誰も?」
やばい。話を全く聞いてなかった。みんながどこに向かったのさえも知らない。
戸惑う私に終壱くんはため息を一つ吐き出す。
「もしかして聞いてなかった?」
「うっ、はい」
追求するような視線に肯定するしかなかった。
今は昼前だ。もしかしたら今日のお昼ご飯のことや昼からのことを先生は話していたのかもしれない。そう思い、終壱くんを見上げた。
「仕方ないな、ほら」
差し伸べられた手。その手を見つめながら、首を傾げた。
首を傾げた私にもう一度ため息を吐き出し、終壱くんは私の手を掴む。
「終壱くん、どうしたの?」
「うるさい。海砂がいつまで経っても手を取らないからだよ」
「えっ?」
終壱くんの言葉に頭の中に何かが過った。今日の朝に見た夢のようなおぼろげな記憶。
『そんなことないよ……私が私が、あなたを愛するから! 他の人の分まで、あの人の分まで! そしたら……』
ああ、そうだ。私はこの言葉を夢の中で言った。
夢の中の人物が目の前にいる終壱くんと重なる。だけど、終壱くんではない。だって私が寝言で言った名前はお兄ちゃんなのだから。
なのに重なるのは、お兄ちゃんと終壱くんが似ている所為だ。
「海砂?」
でも、もしも夢の中の人物がお兄ちゃんではなく終壱くんだったら?と考えてしまう。そしたら終壱くんが前から言っていた私との約束を知ることが出来るのではないかと。
寝言は確かに「お兄ちゃん」と口にしたらしい。
「終壱、お兄ちゃん……」
「……っ、懐かしいね。その呼び名」
数年前までは私は終壱くんのことを終壱お兄ちゃんと呼んでいた。いつかは忘れたが急に終壱くんがお兄ちゃんと呼ぶのは止めてくれと言われ、呼び名を変えたんだ。
もしかして、この夢は本当に終壱くんだったのかもしれない。
「前に約束したって言ってたことだけど……」
「思い出したのか?」
「え、ううん」
思い出してなんてない。まだ夢の中の人物がお兄ちゃんなのか終壱くんなのかさえも分からない。
終壱くんは考える素振りを見せた後に、そっと口を開いた。
「思い出してないなら、秘密だよ」
納得が出来ずに言葉を紡ごうと口を開きかけるが、終壱くんが掴んだ手を引っ張り歩き出したので何も言えなくなる。
「思い出して欲しいのに、思い出して欲しくない。俺はね、海砂が思っているほど優しい男ではないんだよ」
小さく呟かれた言葉は確かに私の耳に届いていた。