イクトーレRe03
秋雨異変【オリジナル】
ある秋の日、突然起こった濁流により人里に多大な被害が出る。
原因は夏の終わりから続いていた雨により、妖怪の山の地盤が脆くなったことと思われる。
被害は人里でも開発が進んでいた新地区から濁流が流れ込んだ地底の穴まで及んでいる。
ただし、この異変には不審な点があるという意見もあり、人間の勢力拡大を危惧した妖怪による仕業という噂もある。
渓流下りなんぞ暇人か金持ちか幸せバ家族のやることだ。
夏休みの行楽特集を見るたびに思っていたことだが、このたび俺も体験者となったので世の中どうなるかは分からない。
周囲では水と風が唸りを上げ、俺と同乗する子供の体を揺らしていく。
これはこれで楽しいような気もするが、一つだけ残念なところもある。
ちゃんとしたレジャーで体験したかった。
職人が作り上げた屋根は建物や岸に何度も激突したのだが、未だに分解していない。
もっとも分解こそしてはいないが、そろそろ限界も近いだろう。
岸に激突したのなら飛び移ればいいと思う人もいるかもしれないが激突は激突である。
そんな一瞬で飛び移るような運動神経は持ち合わせていないし、そんな端の方に居座れば飛び移る前に転覆するだろう。
まさしく八方塞がり、他者の愛の手を待つしかない。
愛は地球を救う番組のエンディングでも歌ってみようかと思ったが、不謹慎なので止めておこう。
そんな冗談を思い浮かべる限り、俺自身もそろそろ参ってきたようだ。
横にいる太助と呼ばれた子供も叫び声や悲鳴をあげる気力すら無いらしい。
本当にどうにもならないのか、そうやって周囲を見回した時ソレは見えた。
開発区の外れに位置する巨大大橋だ。
あれは見張り台に人員を配備させたり、対岸に物を運ぶために使われる予定のものだ。
外の世界の建築を再現したらしく、その大きさは人里の橋でも最大である。
あそこを越えたら本当の意味で人里の外に流れてしまう。
そうなったら最後だ、地形の整っていない外の川に合流したらどうなるか分かったものではない。
そして、それは自警団の者も分かっていたらしい。
「おおーい、無事かー!!」
中々の強肩、重石のついた荒縄が屋根の上に投げ込まれた。
これで橋の上に上がれと言うことだろう。
見れば人員は少なく、縄の端を括りつけているであろう樹木は大した太さではない。
果たして、大人一人と子一人を持ち上げることが出来るだろうか。
いや、愚問である。
持ち上げて貰わなくては困るし、濁流に飲まれて終わるつもりもない。
俺は揺れる足場を慎重に踏み、縄を取り……驚いた。
「引くぞぉっ!!」
「よいしょぉっ!!よいしょぉっ!!」
「よいしょぉっ!!よいしょぉっ!!」
男たちの力強い掛け声とともに縄が引かれていく。
もしかしたら縄を固定している樹木が雨で倒れるかもしれない。
ひょっとしたら男たちが力尽きて共倒れするかもしれない。
不安な要素が消えることはない。
だが、その不安をよそに縄は少しずつ確実に引き寄せられていく。
もうすぐだ、もうすぐで二人とも助かる。
現の世界で覚えているのは人の絆の薄さだった。
ちょっとしたことで友情は壊れ、些細なことで親は子供の首を絞め、馬鹿らしい理由で子供は親を刺す。
幻の世界で知ったのは人の絆の厚さだった。
ちょっとしたことで友情は生まれ、些細なことで互いにいがみ合い、馬鹿らしい理由で仲直りする。
きっと、そんな絆も幻想となってしまったのかもしれない。
だからこそ感謝しよう、俺たちを助けようとする者がいたことを。
そして期待しよう、彼女たちが俺を忘れて日常に帰る事を。
「あんた……市子ちゃん!?」
「あ、あたし、お婆ちゃんの形見を……そしたら流されて……!」
「おっ、てことは……○○ーっ!!」
橋の上から俺を呼ぶ声がする。
どうやら太助も市子ちゃんも無事に救助されたようだ。
まさか、俺たちの乗っている屋根に彼女も流れ着いていたとは想像がつかなかった。
縄を手にした直後、俺は震えている彼女に気付いた。
咄嗟に助けようと思ったのだが、そこで一瞬だけ考えてしまった。
男と女と子供、あの僅かな人数で全部引き上げられるのか。
どうやら俺も、幻想郷で生きている間に絆が厚い人間になったらしい。
俺は咄嗟に彼女と太助に縄を括り付けた。
俺の未来なんて分かりやしないが、市子ちゃんには後輩と幸せになる未来が確定しているのだから。
『そんな生き方ではいつか大きく転ぶわよ』
どこぞのお嬢様が言う通り、盛大に転んだ。
俺の乗る屋根はいよいよ限界らしく、大きく揺れるたびに木材が剥がれていく。
濁流の勢いは人里の外の流れに合流し、川幅が広がったことで僅かながら緩やかになった。
しかし緩やかになったのは僅かで、飛び込んで泳いで逃げることは出来ないし、呆けていれば高波にさらわれるだろう。
「ああ、それは大変ですね」
「ああ、それは大変なことだよ」
「でも、ご自分で決めたことではないんですか?」
「だが、人間ってのは心変わりするものなんだ」
一度か二度か……いくらかの会話を経たことで、どうにか心を落ち着かせる程度になってようやく気が付いた。
「なんでここにいるの?」
「いまさらですか?」
目の前に現れたもの、それは美人だった。
フリル付きのブラウスの似合うセミロングの美しい髪。
「私は竜宮の使いの永江衣玖と申します」
「その竜宮の使い様が一体どのようなご用件で?」
「あなたを助けに来た用件です」
衣玖は俺の乗る屋根と並びながら飛んでいる。
波の高さは相変わらずで、彼女の細身の体では易々と飲み込まれてしまうだろう。
「馬鹿、俺なんか放っといて逃げろ!」
「馬鹿はあなたですよ、このままどうするんです?」
このまま、このままどうするか……どうするんだ?
自分の考えの浅さは理解しているつもりだが、こんな体験は初めてなので全く予想が付かない。
濁流が散らされるまで待つか、流れつくところまで流されるか。
しかし、幻想の地形はそれを出来ないようにしていた。
いくらか前の方に巨大な穴が開いていた。
ゴウゴウと水を飲み込む様子は何かの巨大な生き物のように思えた。
数えるほどしか目に見てないが、アレには覚えがあった。
地底への入口。
忌み嫌われ、封印されたとされる妖怪たちが楽園を築いた、広大な洞窟世界だ。
そこに入ったことのある人間は限られているが、入口の前までは自警団の仕事で行くことがある。
旧地獄まで続いていると言われれば恐ろしく感じるが、実は気のいい妖怪も多い場所だ。
しかし、今に限ってそれは違う。
流れ込んだ濁流は岩肌に当たって更に豪快にかき混ぜられていく。
程々の大きさがある木片が入っていったが、やはり豪快に舞ってバラバラに分解される。
そう、このままでは俺の末路がそれだ。
「分かったなら手を伸ばしてください」
「分かってるよ!」
俺は投げ出されないように踏ん張りながら手を伸ばすが、どうにも届きそうにない。
彼女も精一杯近付いてみるが、その都度に水しぶきが上がって後退する。
「だぁっ!?」
額に痛みと衝撃と熱が走る。
どうやら水と一緒に木石も跳ね上げられたようだ。
大穴が近付くにつれて濁流が狭まっているのか、波は今まで以上に高くなっていく。
ここまでか、そう覚悟を決めた時だった。
「早く掴まってください!」
目の前に伸びてくる白い布、それは衣玖の羽衣だった。
もはや形振り構ってられないというのは、彼女も同意見だったようだ。
相応の値が張りそうな物に掴み掛るのは気が引けるが、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺はバランスが崩れるのもお構いなしに、思い切って一歩を踏み出して羽衣を掴む。
「……っ!」
人外の者の中には人智を越える怪力無双もいるらしいが、彼女はそれに当てはまらないらしい。
彼女の顔は珍しく苦労に歪んでいて、その原因は当然ながら俺自身である。
自分は体重を気にしない方だが、どうやら気にした方が良かったみたいだ。
懸命に飛んでいるにもかかわらず、彼女の高度は少しずつ落ちていく。
「衣玖!もう良い、離せ!」
「……離し、ませんよ!」
雨で霞んだ先に辛うじて見える無事な岸辺。
歩けば一分とかからずに辿り着ける距離に見えるが、今の状態では十分かかっても着けるかどうか。
それでも衣玖は少しずつ、確実に道を進めていった。
「うわ、すげ……」
激動のひと時が終わった。
厚い雲は消え、幻想郷にとって久々の晴れた空が顔を出した。
しかし清々しいのは空の世界で、地上は人里と地底の穴を濁流の跡で繋いでいた。
数キロ先に見える人里では復興活動がはじまっているだろう。
恐らく開発区は壊滅状態、当面の住居問題は既存区の区画整備で誤魔化すだろう。
「生きていれば、どうにかなるとは限りません」
「そうだな」
「ですが、何も出来ないというわけでもありません」
「そうだな」
こいつ、読心術でも心得ていたか?
衣玖のセリフは自警団として生きる俺なりの信念だった。
そうだ、生きている以上は何かを成せるはずだ。
まずは詰所に帰って報告し、復興活動に加わるか。
「そうだ、今更だがありがとう」
本当に今更だが、何も言わないよりはマシである。
俺が生き残ったのは彼女のおかげなのだ。
「構いませんよ。ただ唐突ですが再び御厄介になります」
「………なんで?」
本当に唐突である。
理由を尋ねてみると俺に羽衣が差し出される。
確かに豪快に水面は揺れていたが、あの時は危険のせいで酔いを覚える余裕もなく、粗相はしてないはずだ。
しかし、よく羽衣を見ることで察しがついた。
美しい羽衣にはデカデカと裂けた痕がついていた。
「羽衣を繕うまでお願いしますね」
普段からやる気でないとか言ってるけど、よく考えたら一年中出てないような気がする