アヤトーレRe03
妖怪の山
幻想郷でも古参の妖怪が多く住む場所であり「山」と言えば大抵は妖怪の山を指している。
妖怪の山では天狗や河童が独自の社会を形成しており、現在の最高権力者は天狗の長の天魔である。
「ああ、もう参ったな……」
乙女心と何とやら、山の天気との相乗効果か雲がほとんどない快晴は見事な雨空へと変わっていった。
秋深い季節のためか雷雲というわけではなさそうなので、俺たちは適当な大木で雨宿りさせてもらっている。
幸いにも雨が降り込むことは無いのだが、雨の勢いが収まる様子もない。
ここまで来るのに降られた分が応えてきたのか、自分の吐息で熱が逃げたような気がしてきた。
「そうだ……私がこの雨を晴らしてみますね」
なんか鴉が変な事を言ってきた。
雨を晴らす……雨雲を吹き飛ばすつもりだろうか。
確かに天狗の強大さは噂に聞くが、そこまで言われるとホラでも吹いているような気がする。
「あ、疑っていますね?」
俺の周囲には鋭い女が多すぎる。
彼女は「絶対に晴らしてやる」と意気込んで上空へと突撃してしまった。
このまま戻らないとなると帰り道に困るので気長に待つことにする……というか、それしか出来ないのだが。
しかし縁とは奇妙なものである。
いくら幻想郷とはいえ、ただの人間が人外と親しくなるとは限らない。
大抵は通りですれ違ったり、店の常連客だったり、あるいは敵対者だったり、そんな程度なのだ。
人外と縁のある人間は、人には無い何かを持っている者が多い。
ならば河童や天狗と交流のある俺は凡人としてはレアな人間なのだろう。
しばらくして背後からガサリと濡れた草木を倒すような足音がした。
空は相変わらずの様子なので、諦めて戻ってきたのだろう。
もう少しの間、話し合うのも良かろうと思って振り返ると……
「ぐるるる…………」
「はっはっはっは……」
灰色の牙が二振りほどあった。
赤い世界を駆け抜けていた。
足元は濡れた落葉の絨毯で一度でも足を取られたら盛大に転ぶだろうが、それでも俺は全力で駆けている。
誰だって追われる身となれば安全なんか無視して突っ走るだろう。
そう、俺は追われているのだ。
今の状況では後ろを確認することも儘ならぬが、雨の道を俺が走っているのは追われているからだ。
「はっはっは、オあぁ!?」
痛恨のミス。
無心のままに走ったのが悪かったのか、恐怖に気をとられたのか、力いっぱい踏み込んだ足は後ろの空に滑ってしまった。
そして予想の通り、追撃者たる狼の内の一匹が俺の身体に乗り上げていた。
「ぐっ……ああああっ!!!!」
痛い、まるで腕を巨大なペンチで挟まれたかのようだ。
もっとも、そんな物で腕を挟んだ覚えもないのだが。
そんなことを考える辺り余裕があるのか、あるいは自分が認識してない本能が諦めているのか。
どちらにせよ、俺がここで果てることに変わりはないだろう。
俺の腕に噛み付いている灰色の狼は徐々に力を強めていく。
その瞳には散々痛めつけた後で俺の腕を食い千切ろうという嗜虐の意が映っていた。
突然の事だった、前兆は無かった、ただ風が吹き荒れただけだった。
ただし、風はまるで台風のような暴風なのだが。
「あら、何を勝手なことをしているのかしら?」
暴風の中心にいたのは鴉天狗の少女だった。
いつもの穏やかな表情はなく、冷たさと鋭さを併せ持った微笑が表れていた。
俺の腕から離れていた狼たちは文に向かって低い声をあげるが、すぐに遠くへと去って行った。
俺には聞こえない距離だったので何とも言えないが、恐らく文が何か言ってくれたのだろう。
「あやや、次の新聞の一面は『人里のカメラマン危機一髪』でよろしいですかね?」
「肖像権の侵害で訴えてやろうか?」
「写真は諦めてインタビューで我慢しましょう」
「全て諦めてくれ」
「あれは灰狼天狗……知恵も理性も浅いくせに一人前の天狗を気取る下賤な者達ですよ」
彼らにとって俺は天狗の領地を荒らす侵入者になるらしい。
ならば悪いのは俺の方ではと訪ねてみるが、どうやら俺の監視は文が責任を持っていたようだ。
しかし、ですがと文は続ける。
「やはり人間が幻想郷の奥地に踏み込むのは危険かもしれません」
何となくは気付いていた。
今までは誰かの助力があったり、安全な場所に限った撮影だから無事に終えることが出来たのだと。
幻想郷は人間と妖怪が共存するが、どこかで踏み入ってはならないラインが敷かれている。
彼女は俺がそれに触れる時が来ることを危惧しているのだ。
しかし……
「それは出来ない相談だ」
「何故です……」
俺はカメラを片手に幻想郷を歩き続けてきた。
本の知識でなく自らの足で幻想郷を知ることで、俺は幻想郷縁起に記されてない真の幻想郷を知ったような気がした。
俺は誰かに伝えたくなったのだ。
自分の見て来た幻想郷というものを、彼女達が生きる幻想郷というものを。
「随分と大きい夢を持ちましたね?」
「そういうお前は大きな相手に取材をしたことは無いのか?」
聖者に超人、神から悪魔、閻魔、死神、宇宙人。
幻想郷は幻想となったものを全て受け入れる。
ならば幻想のような夢や目標も受け入れるのが道理というものだ。
ならば実現させるために使えるものは何でも使ってくれよう。
「……まずは修業か」
言い切った後で頭が冷えた。
目標の実現までの道のりは遠いだろう。
千里の道も何とやらだが、恐らく千里では足りないかもしれない。
確かに記録にあるような殺伐とした幻想郷は昔のものだが、それでも危険な要素はあるのだ。
聖者か超人の元で鍛えるか、信仰による加護を得るか、悪魔と契約するか。
先人の経験を上手く使えば一足二足と跳ばせるだろうが、そもそも自分が要領良いとは思えない。
(さて、どこに頼み込むべきか……)
「まったく、そんな事しなくても大丈夫ですよ」
「なんですと?」
もっと効率の良い修業があるというのか。
確かに苦労を掛けた末に得たものの価値は大きいと思うが、短い人生で苦労を掛けられる時間は限られている。
出来ることなら効率も考えたいところだが……
「やれやれ、頭が固いですね」
「融通の利かないやつだと周りから言われてるよ」
その方法は後で聞くとして、俺はカメラを取り出す。
彼女が雨雲を歪に吹き飛ばしたおかげで、湖の上だけ円形の青空が広がっている。
まずは一歩、この一枚からだ。
「全てを捨てても俺は戦う!」みたいなセリフを言えるような人間になりたい
今の仕事を辞めて、転職して、そこも駄目だったら、と思うと……