多世界解釈
いつものバーで出逢った男の能力は……間違いなくなんにも使えなかった。
「そんな風に言わないで下さいよ」
何軒かハシゴして辿り着いたいつものバー。
ほろ酔いを遙かに通り越していたが、隣の男の呟きは間違いなく耳に残った。
「あ~ぁ、アイツは間違いなく一桁だな」
何事かと男の視線の先を追っていくと……斜向かいのカウンター。
ソコでは若い男が派手目な女性の機嫌を取ろうと必死になっていた。
「失礼。何が一桁なんです?」
多少なりとも耳に残る言葉を発した以上、話しかけても大丈夫だろう。
予備的に頭を巡った単語は「経験」とか「口説いた相手の数」など。
だが……
男の言葉は少し斜め前だった。
「何って……多世界を巡った回数ですよ」
は?
多世界?
酔いが何故か数字記号や物理記号というか物理でしか使わない単語の羅列を引き連れて来て脳裏で踊らせた。
「どういう意味です?」
男は私の顔をじぃっと見つめ……やがて微かに笑った。
「ご冗談を。アナタは既に3桁は巡られている。野暮は言わないで下さいよ」
やはり意味が解らない。
素直に教えて欲しいモノだ。
「ではアナタは要領が良いと言われたりしてませんか? 同僚や上司、さらには仕事相手の方々などから」
まぁ……それはそれなりには言われる。
「でしょう? アナタは私より多世界の強者ですよ」
……そうは言われても、意味不明だ。
「そうですね。人生の分岐点というヤツがあるでしょう? 何気ない行動でも後で大きく人生を変えた出来事というヤツが」
確かに在るな。個人的にはあまり意識はしてないが。
「それはアナタが強者だからですよ。いいですか? 失敗は記憶を確かにします。成功は記憶に残らない」
確かに悔しいモノほど記憶には強く残る。
「そしてそれが少ないというコトは……人生の分岐点で失敗していない。つまりは強者というコトです」
……やはり意味が解らない。
「そうですね。人生というヤツを一幕の舞台としましょう。私達は総て舞台の上の役者。だが台本はない。総ては役者それぞれが自分の台本を持っている。無意識にね」
どこかの偉人が言ってそうな台詞だな。
「そして一幕が終わり、それぞれが自分の人生の分岐点を認識する。『ああ、彼処はこうするべきだった』『彼処での台詞はこう言うべきだった』とかね」
まるで舞台稽古だな。
「そしてもう一度一幕が上がる。役者はそれぞれの『分岐点』を上手くこなす。だが、別の分岐点でやはり失敗する。そしてそれを次の一幕で修正。また別の分岐点を認識し、再修正……それの繰り返しなんですよ」
つまり……『多世界』をやり直した回数分だけ人生が上手くいっている?
「そうです」
ではこの世の、いわゆる金持ちとか成功者という方々は『多世界』を……数千、数万回も巡っているというコトなのだろうか?
「いやいや、そういう方々は何度も成功している。そして厭きる」
なんにです?
男は寂しげに笑った。
「演じ続けるというコトにです」
ん?
「何回もやり直して、何回も成功し、何回も成功の先を経験する。最初の大成功は良いでしょう。『やった。これで過去の失敗は総て帳消しだ』なんてね。ですが……」
男はグラスの酒を一口。
「そしてもう一度、総ての分岐点を間違えないようにする。何度も、何度も、何度も……」
「……そして疲れるんです。成功し続けるコトに」
なるほど。男が言いたいことが解ってきた。
「私が認識する限り、多世界を数億回巡った方々は……大抵は路地裏にいますよ。財産はおろか、御自身の定住地を持たずに時を過ごしている」
数億回も巡ればそういうコトにもなるか……?
「アナタは多世界を謳歌しておられるようだ。羨ましい限りです」
そうか? これでもそれなりの失敗はあるのだが?
「その失敗は致命的ではなく、大抵は意識されずに分岐点を正解を選択しておられる。私もそういう境地に入りたいモノです。いつかは……ね」
私は何も言わなかった。
というか何も言えなかった。
正確には……言う必要性を感じなかった。
そして男は視線を斜向かいに投げた。
先程の若い男が懇願しているようだが……派手目な女性は一瞥して席を立った。
「……ま、何事も経験です。多世界を巡るためには。巡る回数が荷物になるまでは……ね。……えっ?」
男が驚いたのは……カウンターに突っ伏していた男が携帯で誰かに連絡している姿を見止めた瞬間。
どうしました?
「アイツ……一桁じゃない?」
直後、バーの扉が開き、清楚な女性が入ってきて……まっすぐに若い男の所へと行った。
一言、二言の会話を交わし…そして2人でバーを出て行った。笑顔で。
「なんてコトだ。私の目が曇っていたようです。アイツは二桁以上。そして要領的には『強者』に間違いない」
男は……暫く黙っていたが、やがて徐に席を立った。
「いつかは辿り着いて、いや見つけてやりますよ。この『他人が多世界を巡った回数を認識できる』という能力の有効な使い道を……ね」
1人残った私は……男の『能力』というヤツが間違いなく無駄だと思っていた。
「そんなコトより……というか、それはただの『解釈』だろう?」
バーのマスターは……黙って男のグラスを片付けていた。
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