薔薇を食む
ロザリンドは、残念である。
血筋は悪くない。
古くからある由緒正しい伯爵家に生まれたのだから。
外見も悪くない。
“光の君”と持て囃された当代きっての色男であった父と麗しの珠玉と称された女性との間に生まれたのだから。
少し難があるといえば、つり上がり気味の瞳だろうか。意地悪に見えやすく、そこが玉に瑕といえる。
太陽の光を紡いでできたような金髪、美しい新緑の森を思い出させる碧の眼の15歳の伯爵令嬢。それがロザリンドである。
しかし、そうはいってもロザリンドは『残念』なのである。
「ご、ごきげんよう。じぇ、じぇらるど様」
「……もう少し近寄ってくれないか、ロザリンド」
二人の間は距離にして大股で20歩はかたい。会話を楽しむには遠すぎる距離としか言えない。
ロザリンドはそろそろとジェラルドに近寄る。まるで牛歩の歩み……いや蝸牛の歩みである。
「まあ、初めに比べれば幾分はましか」
ジェラルドの小さいつぶやきが聞こえるには、まだその距離は遠い。
ジェラルドは国の筆頭公爵家の長男であり、ロザリンドの許嫁である。
短い黒髪に、血筋特有の夕日色の赤い目を持っている。国軍に所属する騎士でもあることから、細身ながら筋肉質の美丈夫である。
父親どうしが仲の良い学友であったことから、『互いにさ、子供が生まれたらくっつくってのもありだよね』というような話をしていたとかいないとか。
それは、気のおけない学友との戯言のひとつ。そうはいっても互いに貴族。
友人であることを差し引いても、利害関係云々を考えると悪い話ではないわけで。
そんなこんなで生まれる前から許嫁となった二人が初めて会ったのは、ロザリンド3歳、ジェラルド7歳の時である。
父から『ほらほら、これが将来の旦那さんだよ』と軽い感じで紹介はされてはなかったと思うが、紹介された途端、今まで年相応にきゃっきゃしていたロザリンドの表情が消えた。
消えたと思うと顔面蒼白になり、カタカタ震えながら、
「めっそうもありません。じたいさせていただきます。わたくしめは、こうしゃくさまとつりあうとはとうていおもえません。もっとちゃんとふさわしいかたがいらっしゃるとおもいます」
と、舌っ足らずな調子ではあるものの、年に合わない内容を話し出した。
「じゃましないからふこうにしないでください。いじわるしないからふこうにしないでください。そっとくらすから、ふこうにしないでください。」
いきなり話し出したロザリンドを見て、大人たちは狐につままれたようにぽかんとしていたが、ジェラルドは怒ったような泣きそうなような顔をしていた。
なんせ3歳児ではあるが、初めてあった女の子にいきなりふられたのだから。
意味がわからない。
釣り合う釣り合わないもまだないのに。
しかも、不幸にする?
まるで自分は疫病神みたいじゃないか。
「おねがいします。おねがいします」
ロザリンドはそう締めくくると派手にばたんと倒れ込んだ。
慌てふためく大人たちを尻目に、ジェラルドは心の中でこう誓った。
曰く、『幸せにすればいいんだろ。疫病神だと言わせるものか』
ちなみに、ロザリンドはそのまま一週間近く生死をさまようことになったのである。
生還を果たしたロザリンドは、なんとか年相応に戻っていった。
が、しかし、時折あの台詞を口にしたような片鱗みせることがあった。
例えば、ジェラルドが13歳になり寄宿学校に入ることになったときのことだ。
第二王子のトリスタン様も時同じくして寄宿学校に行くことになる、という話題がロザリンドの耳に入った瞬間、
「トリスタ……あの、腹黒……ヘタに動けば……消され」
不敬な呟きも入っていたように感じるが、なんせ家での呟き。気のせいだった、ということにした。
そもそもロザリンドはこの時点でトリスタン様を知らないのだ。
またあるときは、父がとある少年を拾い、その少年が物凄い魔力を持っていたことが判明した時も、
「ギデオン……あのヤンデ……いじめたら、倍返し……半身黒焦……」
ロザリンドは、物凄い土気色の顔をしながらふらふらと後ずさりをしていた。
ギデオンの顔には困惑しかなかった。
年齢が上がるにつれて、自分を律することに長けてきたのか、それとも慣れてきたのか、独り言を言う癖は少なくはなってきた。
しかし、それは完全ではない。
本来は社交界準備としての勉強は、家庭教師を雇い、家でするものである。しかし、上記の理由から、ロザリンドはしばらくの間、修道院送りになった。少しでも独り言から端を発した暴走を人に見られないようにするために。
修道院に入ってからのロザリンドは、それなりに独り言暴走は鳴りを潜めたらしい。
が、修道院で密かにあった階級差別に対して、
「いじめ、かっこわるい」
と、別の意味で暴走し始たようだった。
令嬢らしからぬことではあるが、そのおかげで腹心の友というべき存在に出会えたのは不幸中の幸いか。
なんとか最後の人間関係は、“概ね良好”で終えてきたらしい。
そして、現在、花嫁修ぎ……いや、社交界準備が整い、ロザリンは家に戻ってきた。
ロザリンドの社交界デビューは近い。それはすなわち、ジェラルドとロザリンド、二人の正式な婚約発表も近いということだ。
折を見ては二人は会っている。次第に距離を縮めてきたと思うと、ロザリンドは不意にジェラルドに怯える。
「設定を活用すれば……でも、だいぶ違う……元に戻ったら……」
とりあえず、良く分からないことを言うので、話題になるようなことをロザリンドに与えてみた。
「そういえば、エディブルフラワーがお好きなんですか?」
と、今日は珍しくロザリンドが会話を切り出した。この間伝えた話題を切り口にしたようだ。……受け取り方は間違えているけれど。
「なんのことだ?」
眉を顰めるジェラルドに対して、ロザリンドは、
「えっ、あの、花を食べたいとかなんとかお話したと兄から……」
ジェラルドの目に一瞬殺気が灯る。ロザリンドの怯えが増した。
以前のロザリンドであれば、伯爵令嬢らしからぬ声をあげていただろうが、修道院でみにつけた賜物か、顔色を変えただけでなんとか踏みとどまる。
その様子を見てジェラルドも殺気を解除する。
「あ、いや、お前が悪いんじゃない。お前にそれを吹き込んだあいつが悪いんだ」
はあ、とジェラルドは息をつき、そのあとでそっとロザリンドの髪を一房手にとった。
「花ではない。花を食べたいという話ではない」
ジェラルドは手にとった髪に唇を近づけた。
「どうしたら俺の薔薇が怯えずに、俺が、近づけるかという話をしたんだよ」
「え? えっ?!?」
「お前のことだよ、ロザリンド。俺のローズ」
髪にキスをされたロザリンドは、顔を真っ赤に染めて固まった。そして、そのまま派手に倒れたのであった……。
「うーん、なんでうまくいかないのかなぁ」
影から日向からロザリンドを見守ってきているが、どうも好意を斜めに見る癖があるようなのだ。
しかも、様子を見るに特定の人に対して過剰な反応を示すのだ。
少しずつ緩和してきてはいるのだが。
「でもまあ、顔を赤くしたということは良い方向に進んでるよ、ジェラルド」
むすりとした顔の友人に笑って見せると、彼は険のある目をこちらに向けてきた。
「ルパート……、ロザリンドに何を言った?」
「ん? そうだね。君がいつか薔薇を食べたそうにしていたよ、という話をだね」
「お前は!!」
「僕は友人の君と可愛い妹であるロザリーの仲を取り持つことにやぶさかでないわけだよ」
未婚の女性と二人きりなんてことはない。どこかで誰かは見ているもの。
今の場合のお目付け
役は『僕』というわけだ。
「まだ怯えることはあるけど、可愛い反応も増えてきたと思うんだよね」
ねぇ、ジェラルド、と僕は彼をひたりと見つめる。
「あんな妹だけど、それでも『薔薇を食べたい』って思うの?」
その言葉に対して、ジェラルドはにやりと笑うことで答えとした。
真に彼が薔薇を食むのはまだまだ先のお話である。