勧誘する『強欲』
僕らが生きるこの世界。
ちょっとした景色の変化や移り変わり、鳥のさえずりや葉の擦れる音、旬の果物と果汁ののどごし、天日干しした布団の感触。五感に働きかけてくる全てが僕の心を開かせてくれる。
天気が良い、というのはそれだけで気分が晴れやかになる。
食事がおいしい、というのはそれだけで活力になる。
挨拶をする、というのはそれだけで世界が開けた気になる。
それらと同じく。
エロ本が落ちている、というのはそれだけで僕の視野を狭くする。
おかげで後ろから忍び寄る影に気がつかないまま、僕は気を失った。
☆
高校生活、わずか一カ月ほど。
気がついたら、僕は見たことの無い部屋にいた。
しかし、此処がどこなのかはなんとなくわかる。
僕の通う静院大学付属高等学校だ。
学校の教室というのはそれだけで普通の建物とは違った雰囲気があるし、何よりも窓の外を見ると毎日見る学校の風景が角度を変えて広がっていた。
まだまだ新入生気分の抜けない僕には此処がどこの教室なのかはわからないが、ここが学校であることにはまず間違いないだろう。
部屋を見渡すもあまりモノがない殺風景な教室だった。
それでも置き時計はあったので時間を視てみるとデジタルな文字で「16:47」とあった。
午後5時前。僕は授業終了と同時に下校したので、まだそんなに時間はたってない。起き上がろうとしたところで、体の自由が効かないのに気がついた。
見ると、縄でぐるぐる巻きにされていた。
「…………」
外はとっくに夕日で赤く染まっている。
夕日に染まる見知らぬ部屋。
グランドの喧騒が気にならない程に静かな部屋。
そして、縄に縛られた僕。
…………
……
どうしよう、ゾクゾクする。
おっといけない、落ち着くんだ僕。
僕がつい“悪い癖”を出しそうになった時に、ガラガラと学室の扉が横にスライドした。
「気がついたみたいね」
そこに立つのは夕日で照らされて輝く美少女だった。
扉に掛けた手はほっそりとしているが決して貧弱そうというわけではなく、年数を重ねた木々の枝のようなたおやかさを持っている。スカートから伸びる細長い脚も同様で、その肌はまだ誰も踏み荒らしていない白雪のような透明感を含んだ美しさがある。他の生徒とまるっきり同じ様相の学生服に身を包みながらも、他の生徒とは一線を画す雰囲気を醸し出しているのは、その整ったというよりも整い過ぎたと言える顔立ちもあるかもしれないが、彼女の出るところは出て、締まるところは締まるその完全に均整のとれたプロポーションも一役買っていることは言うまでもないだろう。毛の一本一本もプロのヘアアーティストが時間をかけて念入りに手入れをしたかのごとき美しさで、それが束となって風に靡く様はとても神秘的だった。そして、見ようによってはその芸術的な毛髪すら只の付属品になってしまう御尊顔は見事の一言に尽きた。それでも言葉を選んで美辞麗句で並び立てるならばその双眸はビードロのような千遍万化の色彩を放ち、その瞳に映る自分のシルエットを見ようものならば、彼女の眼球に自分が映ることを恥じ入り自己嫌悪に陥ることは間違いない。鼻は高すぎず、かといって潰れているわけでもなく、他のパーツとのバランスが抜群でこれこそが黄金律だな、と僕はひとつ賢くなった。口もパーフェクトで綺麗な唇からうっすらのぞく白い歯には一切の妥協がなく、虫歯菌はかの器官を「白い悪魔」と呼んでいるのではないだろうかとか――
「そんな呆けた顔してどうかしたの?」
「ぺろぺろしたいです」
「え?」
「いえ、なんでもないです」
危ない。ついうっかり思考が彼方へととんでいたので心の声を口走ってしまった。なんだが段落を変えずに長々と描写していたような気もするが、それだけ彼女が綺麗だってことだ。
「……まぁ、いいか。まずは自己紹介ね。はじめまして、私は二年生の春茜こゆる(はるあかねこゆる)です」
「ええっと初めまして、僕は――」「キミのことは知っているから自己紹介はいらないわ。住吉高良くん」
自己紹介しようとして先に自分の名前を呼ばれたのは初めてだ。
こんな美人と出会ったのも初めてだし、縄で縛られたのも初めてだ。初めて尽くしかもしれない。
今の状況を『こんな美人に初めてを奪われた』と脳内変換してみると自然と顔がにやけてきてしまって困る。
どうせなら、このまま初めてのキッスとか初めての「高校生にはまだ早い大人のフレーズ」とかも奪って欲しいものだが、そんなことを考えていると更に顔のにやけが止まらなくなりそうなので、自分でブレーキをかける。
こういった妄想は節度をまもって行うのが、正しいのだ。
なので、普通ならばこう返すであろうという言葉を見繕って、僕は春茜先輩に問いかける。
「なんで、僕の名前を?」
そう思い春茜先輩に向きなおすも、春茜先輩にはまるっきりひいた様子がなかった。
それどころか、一歩また一歩と僕に近づいてくる。
綺麗な顔が少しずつ少しずつ、近づいてきて、さっき妄想した『初めてのキス』という単語が脳内辞書の筆頭に躍り出た。
ま、まさかっ!? 「冗談というのが冗談だ。住吉くん、好き好き大好き超愛してる。ちゅー」とかいう展開が待っているのじゃなかろうか!
僕の胸が期待に染まる。ついでに顔も赤く染まっているだろう。夕日のせいとかでなく。
さぁ、キスこい!はやくこい!
そんな僕を見て、春茜先輩は軽く笑んだ。
「んー……やっぱりキミは『そういう』人なんだね。その欲望丸出しの顔も、妄想垂れ流しの頭も――確かに『色欲』には最適の人材かもしれないわ」
「シキ……なんです?」
よく聞きとれなかった。
いや、僕が難聴というわけではなく、単純に先輩の声が小さかっただけなのだが。
先輩は大きくはっきりとした声で僕の名を呼んだ。
「住吉高良くん!」
「はい!」
返事が良いのは僕の気分が高揚しているからだろう。
さぁ、いよいよキスか!?
僕の心臓がドックンドックンと大騒ぎを始めるなか、春茜先輩はクールに言った。
「ウチの部に入らないかしら?」
――キスじゃなかった。
僕はその場にへたり込んでしまった。
そんな僕の様子に先輩が怪訝そうに眉をよせる。
「??? ど、どうしたの?」
「いや……なんでもないです」
まぁ、人生そう上手くいくはずないよねー。
まぁ、僕の人生上手く言った試しがないですけどねー。
おかしいなぁ、妄想じゃ全部上手くいくんだけどなぁー。
現実は世知辛い。
はぁ、とひとつため息ついて立ちあがる。
「で、なんの話でしたっけ?……あぁ、部活動のお誘いでしたっけ?」
なんか、一気にテンションが下がってしまった。
目の前に超絶美人がいるのに裏切られた僕の心は癒えやしない。
勝手に期待して勝手に裏切られただけなので、法廷に持ち込んだところで「勘違い乙」という結果が下るだけだろう。
僕は純粋な少年だから心がスポンジケーキよりも柔らかいのだ。なにそれボロボロでスカスカじゃん。
僕の心中など察するすべもない先輩は意気揚々と勧誘を続ける。
「そうそう。勧誘よ、勧誘。キミは我が校の部活動に関する制度は知ってるかしら?」
「ええと、部活動を行わない生徒は年間72時間以上の課外活動を義務付けるって話でしたっけ?」
僕はうろ覚えの知識を披露する。
課外活動というのは、ようはボランティア活動だ。ただのボランティアと侮るなかれ。活動内容は地域の清掃活動であったり学校が支援する地域イベントのスタッフなど割と在り来たりではあるものの、学校側が公認した活動でないといけないのでサボるとは無理らしい。
そして、72時間に一分でも足りなかった生徒はなんか物凄い量の反省文と課題が出る。マジ死ねる量だという。
けど、そんなことになる生徒は年に一人もいない。
というのも、この静院大学付属高校はそののびやかな校風と、東京ドーム何個分で数えるような広大な敷地やその敷地内の関連施設で行われる様々な活動が人気の学校だ。1学年8クラスと生徒数が多いこともあり、数多の部活動が行われている。この学校に入学し、部活をしない生徒というのは本当に極まれだ。
僕の答えに春茜先輩は首肯する。
「そうね。その為、ほとんどの生徒が何かしらの部活に入部している訳んだけど……高良くん、キミはどこの部に入部するか決めていたりするのかしら?」
「一応、候補は何個か」
「へぇ……その候補を教えてもらってもいいかしら?」
僕は脳内で映像と共に入部を検討している部の名前を列挙した。
「(みんな大好き)女子水泳部、(へそがチラリと)女子バレーボール部、(いっそのこと羽根になりたい)女子バトミントン部、(揺れるボールに揺れる乳)女子バスケットボール部――」
「なんか声ならぬ声が聞こえてくる気がするんだけど……っていうか、それに女子の部活ばかりじゃない」
「(女子と間接キッス)茶道部、(僕のハートも射ぬいて)弓道部、(絶滅危惧種ブルマを救え)陸上部、(くんずほぐれず)柔道部、(女はみんな)演劇部――」
「んー、全部服装がちょっと特殊な部活だね」
「えーと、あとそれから――」
「ストップストーップっ! もういいわ、大体わかったから」
降参降参、とでもいうように先輩は手で僕の言葉を制止する。
「予想はしていたけれど……他に全うな理由で入部したい部活はないのかしら?」
「女子高生の可愛い姿が見たいってのは十分全うな理由だと思うんですけど?」
というか部活ってそれら以外で何を基準に選ぶべきなのだろうか?
僕が心底不思議そうな顔をしていると、口元を柔らかく握った拳で隠しながら、ブツブツと何事か呟いている
「ちょっと行き過ぎかしら……でも、申し分ないし……、ま、いいか」
言って先輩はにこっと花が咲くように笑った。夕方なのにまるで朝日に照らしだされたかのような清々しい気分になる。
キラキラ眩しいなぁ。
写メって待ち受けにしたい。
この笑顔を一人占めしたい気もするけど焼き増しして街にばらまきたい気もする。僕は率直に実直な感想を述べた。
したらば、
「本当はキミに変態だね!」
……さらっと大変なことをいわれた気がする。
さらっと変態といわれた気がする!
「ちょっと先輩、初対面でそれはないでしょう」
初対面の人間相手にいきなり変態とかいうなよ。興奮するだろーが。
「ん?」
「いや、ですから。今日初めて会った貴方にそこまで言われる筋合いはないとおもうんですけど」
「会ったのははじめてだけど、キミが変態なのはずっと前から知っているわよ」
「え?」
聞き捨てならないことを云われた。
「キミは今日、どうやって此処に来たのかわかっている?」
そう言われてみれば、そうだ。
美人な先輩の登場で他のことはどうでもいいと忘れていたけれど、思えばなぜ僕はまだ学校にいるのだろう? 確かに僕は下校したはずなのだ。
ビデオカメラを撮りに。
僕は真面目な高校生なので、校則違反になるようなことはしない。
最近じゃ携帯電話はマナーモードや電源を切っておくことで持ち歩くのを許している学校も多いけれど(ウチの高校もこれだ)、流石にビデオカメラやゲーム機の持ち込みは許可してない。
だから、僕は放課後一旦家に帰り、その後ビデオカメラを持って学校に来るのだ。……いや、盗撮とかじゃないし。ただたんに長い人生の中でも最も輝ける高校生活というものを記録に残しておこうとしてるだけだし。
ま、まぁ、輝ける高校生活を送っている学生たちを撮っているので水飛沫舞う中競泳水着のラインを直している水泳部の女学生とか汗が張り付いた体操服の裾を持って、中に風を送っているスパッツ姿の陸上部女生徒のへそチラとかが映り込んじゃっても、不可抗力だよね! 仕方がないことなんだよ!
と、まぁ話がそれたけど、そんな感じ。
部活が終わる前に急いで家に帰ってデジタルカメラ略してデジカメをとって帰ってこようとおもったけれど、途中でエロ本が落ちていたのでエロ本審査委員会(略してESC)暫定委員長として内容の確認と査定をしなくてはいけなかったので持ち帰ろうとしたところで僕は後ろから何者かに襲撃されて気を失ってしまったのだ。
つまり……
「ちくしょう!僕の他にもあの本を狙っていた何者かにやられたんだ!」
そうに違いない。そうなると犯人はエロ本監査委員会かエロ本共同戦線辺りが怪しいな……特にエロ本審査委員会とエロ本監査委員会は業務内容が被っているからどちらかが仕分けされそうなのでそういう理由から僕を付け狙ったのかもしれない。
なんて名推理。金田一少年探偵団も顔負けだ。なんか色々交っているけど気にしない。
「その発想はなかったわ」
僕の発言に先輩は呆れつつも口元だけは微笑を湛えていた。
……苦笑にも見えるけど見間違いだよ、きっと。