魔王退治は超特急で
「勇者様、ようこそご降臨くださいました」
日曜の朝早くから母親に叩き起こされて、顔でも洗おうかと洗面所のドアを開けたら、そこは異世界だった。
目の前には白髪の老人が一人。
手に身の丈ほどのねじれた杖を持ち、暗い色のローブを着ている。
彼の後ろには、石造りの壁やその壁に掛けられたタペストリーが見えた。
慌てて後ろを振り返ったが、今入ってきたはずのドアは見あたらない。
「では、早速ですが、勇者様には魔王を退治していただきたいと思います」
現状を理解できていない俺を気にする風でもなく、推定魔法使いは話を進める。
彼が杖で床を叩くと、長持ちを持った兵士が二人入ってきた。
「魔法を防ぐニシキグモの糸で編んだ帷子、器用さと腕力を補う籠手、千里を駆けても疲れない靴、物理攻撃をほぼ防ぐ鎧一式です」
なんともご都合主義的な展開に、俺は「ああ、これは夢だな」と理解した。
起きたつもりが二度寝してしまったらしい。
「それからこの薬をお飲みください」
そう言って、魔法使いはグラスを差し出した。
食前酒などで使われるような小さなものだ。
「これは?」
「勇者の仲間を見つけるための薬でございます」
ピンク色のどろりとした、言うなればストロベリーシェイクのようにも見える液体で、匂いはなんとも言えない薬っぽい香りがする。
「さあ。ぐいっと。一息に」
この時初めて、魔法使いはにこりと笑った。
笑ってはいたが眼光は鋭く、有無を言わせない迫力がある。
俺は負けた。
一介の大学生が海千山千(多分)の魔法使いに敵うわけがない。
息を止め一気に飲み干すと、魔法使いは笑みを深め、
「結構でございます。それではいってらっしゃいませ」
と、再び杖で床を叩いた。
「あ、武器は?!」
という俺の声は、魔法使いには届かなかったようで、足下の魔方陣がまばゆい光を発したかと思うと、俺はいつのまにやら教会のような場所に立っていた。
「何者だ!」
突然大声がぐわんぐわんと響き、俺はびくっと体を震わせた。
視線を巡らすとすぐ近くに、白銀の鎧を着けた金髪碧眼の偉丈夫と、茶髪の少年が立っていた。
「怪しい奴め! 聖なる教会にいきなり姿を現すとは! さては魔王の手先だな?!」
怒鳴っているのは少年の方で、金髪の男は惚けたようにこちらを見ている。
「いや、あの……勇者、です。たぶん」
イマイチ自信がなくて、最後は弱気になってしまったが、何とか返事した。
すると、男ははっとして、その堂々たる体躯で跪いた。
「ピアズ様! 騙されてはいけません。嘘に決まっています」
「いや、この方は勇者様に違いない。勇者様は抗いがたい魅力を発揮すると伝承にある。この方でなければ他の誰が勇者たりうるのだ」
「失礼ながらピアズ様、私はこの方に全く魅力を感じません」
そこまではっきり言われると、いっそ清々しい。
確かに、もの凄い性能であるらしい鎧は着ているものの、容姿は普段と変わりようがない。
どこにいても決して主役にはなりきれない、普通の今時男子が俺なのである。
むしろ、目の前で跪いている男の方が勇者にふさわしい。
「ミゲル!」
ところが、ピアズは付き人らしき少年を叱る。
「ああ、勇者様、ご無礼をお許し下さい」
「え、いえいえ」
ぐいぐいとにじり寄るピアズに怖じ気づいて、俺は二、三歩後退った。
が、ピアズは逃すまいとでもいうように、俺の腕をその大きな手でがしりと掴んだ。
「是非わたくしめも魔王退治の一行に加えてください。勇者様の盾となり剣となりましょう」
「……ぜひ。よろしくお願いします」
さすが夢だ。
あっという間に強そうな騎士を仲間にした。
ピアズは納得できない様子のミゲルを無視して、教会の続きに建てられた建物へ俺を案内した。教会に所属する聖騎士団のための宿舎らしい。
俺をその客間に案内すると、早速旅支度に取りかかります、と慌ただしく出て行ってしまった。
待つしかなくて、ソファに掛けてぼんやりしていると、扉が開いて誰かが入ってきた。
俺はてっきりピアズの準備が終わったのだと立ち上がったのだが、入ってきたのはミゲルと知らない男だった。
「ニア様、これが偽勇者です!」
鼻息も荒く、ミゲルはそう言い切った。
ニアと呼ばれた男は40歳前後に見える。
短い銀髪を後ろに撫でつけた、思慮深そうな顔つきで、深緑のローブを身につけていた。
「まあまあ、落ち着きなさい。ミゲル」
彼は大きな指輪を嵌めた手で顎を擦ると、ふと息を吐いた。
「……これほど抗いがたいものだったとは。勇者様、ピンク色の液体を飲みましたね?」
「ええ、まあ」
その通りだったので頷く。
「それが原因です。優れた能力のある者を従属させるフェロモンを出す薬です」
「……は?」
「あなたを盲目的に崇拝し、あなたの為なら命を差し出すことも厭わない、そんな気分にさせられるのです」
つまり俺の人間的資質に関係なく、薬のおかげで有能な仲間が寄ってくるようになるということか。
「それで、あなたは魔王退治に行かれるのですか?」
「はぁ、そのつもりですけど」
「魔王退治など冗談じゃないと思ってましたけど、仕方ないですね」
ニアは大きな溜め息を一つついて、
「私もお供します」
と言った。
ミゲルは、ニア様まで、と憮然としていたが、ニアに諭されて結局引き下がった。
「さて、騎士と魔法使いが揃いましたから、あとは僧侶ですね」
「ニアと俺がいれば何とかなるんじゃないか?」
「勇者様を少しでも危険な目に合わせたくありません。……ファビウスあたりが適当でしょうか」
「あの、不良司祭か……」
「≪絶対加護≫を使えるのは彼だけですからね」
話し合いは俺抜きでどんどん進む。
主人公の俺を差し置いて、とちょっといじけ始めた頃、ようやく出発ということになった。
「ファビウスと合流したら、お昼を食べて、それから魔王を退治しに行きましょうか」
駅前で合流したら、ランチ食べて、映画でも見にいこうか、とでもいうような軽い調子だった。ニアは立ち上がり呪文を唱え始める。
すると、部屋の中がぐにゃりと歪んで溶けるように下へと流れて行った。同時に上から新しい色彩が降ってきて、周囲を構築していく。
ほんの数秒で、石造りの粗末な部屋が完成した。
俺はぽかんと口を開けた。
すぐ目の前に粗末な木のベッドがあり、その上に綺麗なお姉さんを押し倒している青年がいる。
「……ファビウス。あなた、昼間っから何をしているんですか……」
「勇者様、見てはいけません」
ニアが額を押さえて低く呟き、ピアズは大きな手で俺の目を覆った。
「何って見ればわか……、具合の悪くなったこちらの女性を介抱していただけです。貴方は?」
誰か――多分、ファビウスが、俺の手を取った。
それをピアズがたたき落とす。
「触るな。汚れる」
「なんだと? 大司祭の俺をつかまえて失礼な」
「勇者様、こちらへ。どうやらここは酒場の二階のようですから、下りて食事にしましょう」
不穏になりはじめた空気をものともせず、ニアが促す。
俺たちはそれに従って階下に降り、空いたテーブルに腰を落ち着けた。
「これから魔王退治に行くのですが、ファビウス、あなたも行きますね?」
注文を済ませると前置きもなくニアが切り出した。
「はあ? 俺がそんな面倒なイベントに参加するわけないだろ?」
「そうですか、残念です」
ちっとも残念に思っていない顔でニアが言った。
「では勇者様、別の司祭をあたりましょう」
「ちょっと、待った。さっきから勇者って、あなたのことですか?」
ファビウスは美しい鳶色の瞳で俺を見た。髪は黒くつやつやとして、緩くウェーブが掛かっている。さっき見たときは服も乱れて見るからに遊び人だったが、司祭服をきっちりと着込んだ姿は神々しく、宗教画に出てくる天使のようだった。
「はあ、まあ。多分、そんな感じです」
それなのに、この中で間違いなく一番見劣りする俺が主人公の勇者とか、いくら夢だとは言え、ちょっと申し訳ない。
「そっか~、そっか~。やっぱり魔王倒したらご褒美とか貰えるんですか?」
「はあ、そりゃ貰えるんじゃないですか?」
「なんでも望むものを?」
「……たぶん」
魔王を倒したら、まあ、よく見かける定番でいけば、王女と結婚とか、そうでなくても女性にモテモテ……想像したらちょっと顔がにやけた。
「どこまでもついて行きます」
そんな俺の手をがしっと掴んでファビウスが言った。
本当にすごい効き目だな、あのピンクの薬。
そうして、俺たちは魔王を倒した。
ピアズが魔王の攻撃を受け止める主に盾の役、ニアが魔法で攻撃、ファビウスも回復や補助を掛け直しながら聖魔法で攻撃。それを見守る勇者の俺……って俺、もの凄くいらない子じゃね?
主人公であるはずの俺を差し置いて大活躍する三人を見ながら、俺はフルボッコにされている魔王に同情することしかできなかった。
「褒美を取らす。何でも望みの物を申せ」
凱旋した俺たちは、すぐに謁見の間に通された。
玉座には立派な髭を蓄えた王様、その隣には俺を召喚した魔法使い、そして俺たちが立つ両側にはずらりと兵士が並んでいる。
ニアやピアズ、ファビウスは慣れているのか堂々としているが、俺は荘厳な雰囲気に押されて萎縮していた。とても、かわいい女の子と結婚したいです、なんて言い出せる雰囲気じゃあない。
「私の欲しいものは一つです」
そんな中、ファビウスが気後れすることもなく前に一歩踏み出した。
「勇者を頂きたい」
あ 、なるほど、魔王を倒した勇者の称号か。なんか、かっこいいな、ファビウス。金銀財宝よりも名誉が欲しいだなんて。ただの女好きの遊び人じゃなかったんだな。
感心していたら、ニアとピアズも口を開いた。
「お待ちください。私が望むものも勇者です」
「私も同じ物を所望いたします」
王様は、ふむ、なんて言いながら髭を探った。
「サーレスよ。アレはよく効くようだ。ニアなどは知っておろうに」
「さようでございます。ですから異世界の者を呼び寄せたのです。強力すぎて解毒剤が効かず、前回の魔王の時など勇者を取り合って国が滅びるところでしたから。今回はこうして杖を振れば……」
俺を呼び寄せた魔法使いがその手に持った杖を振ると、俺の目の前は一瞬で真っ暗になった。
「あれ?」
気付くと自宅の洗面所だった。
風呂場の扉が開き、中から見慣れた母親が顔を出した。腕まくりをしてどうやら掃除をしていたらしい。
「あら、帰ってたの? 出掛けるなら出掛けるって言って行きなさいよ。……何、そのかっこ?」
洗面所の鏡には、西洋のぴかぴか光る鎧を着けた純日本人の俺が映っている。
「……さあ、なんなんでしょう?」
なんだか夢見心地のままで部屋に戻り、鎧から寝巻きに着替え、その日はそのまま寝た。色々あって頭が混乱していたし、なんだか疲れていたから、あっという間に寝た。
そして次の日、元気に登校した俺が、通勤途中のベンチャー企業社長(36歳)に見初められたり、全国大会一位の実力を持つ剣道青年(サークルの先輩)に熱烈告白されたり、子役時代から演技派で認められている俳優(飲みに行った居酒屋の隣の席でやってたコンパに参加していた。実は年下)に押し倒されそうになったりするのは、また別の話。
(おわり)