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April Diamond   作者: non
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11月の追憶・1


 寝室に入ってすぐ、出迎えたエリスは僕の身体にきつく抱きついてきた。どんなに僕が遅く帰っても、彼女は絶対に起きていたし、こうして抱きついてくるのもいつものことだった。でも今日はどこか様子が違っていた。寂しさを紛らわすかのように、僕の温もりを欲しているような感じだ。

 今日は母が主催するお茶会があるとミュラーから聞いていたが、そこで何かあったのだろうか。

「エリス、大丈夫か?」

「……何でもないの。ちょっとだけ、こうしていて欲しいの」

 僕はエリスの背中をゆっくりと擦りながら、まるで子供のようだと思う。そう思ってからすぐ、僕は慌ててその考えを打ち消した。バートレットの余計なひと言が、また頭の中で再生される。

 そういえば、初めてエリスに会ったときもこんな感じだった。何かに脅えているような、どこか不安な顔をしている彼女。




   *   *   *




 もともと妃候補などに期待はしていなかった。次期国王という立場だから「仕方がない」というのが率直な僕の気持ちだった。

 初めて彼女に会ったのは、今から2年前。その時の僕はまだ色々な「遊び」に興じる放蕩息子だったのだけど、ロジャーズはすでにその頃から美男子で有能な側近という確固たる地位と完璧なイメージを築き上げていた。あれは猫かぶりだと僕が主張しても、誰もが半信半疑でしか聞いてくれないほどに。


「ねえ、やっぱり会わないと駄目?」

「そんな可愛い顔をしたって無駄ですよ。さっさと準備してください」

 寝着姿のままベッドから出ようとしない僕を、ロジャーズは冷たく見下ろしていた。この姿こそが本性なのだと訴えたかったが、彼の強硬手段により僕はベッドから引きずり出され、あっという間に身支度が整えられた。背後からロジャーズの威圧感を感じながら、僕は渋々、応接用の広間へと向かった。

 ゲゼル侯爵の一人娘といえば、身分も知性も申し分のない美女だと噂されていたが、肖像画などは当てにできないし、身分だけで中身は空っぽな傲慢女という場合だって考えられる。とにかく、僕は自分の妃候補に一切の興味を持てないまま、彼女の到着を待っていたのだった。



「……皇子、目線が熱すぎるんですけど」

「は?」

「エリス様が困っておられますよ」

 耳元でロジャーズに注意されるまで、僕は初めて会う彼女にすっかり見惚れてしまっていたことに気が付かなかった。国王も王妃もケーラーも、そんな自分を見て苦笑いしている。

 ゲゼル侯爵とその夫人の陰に隠れるようにして目の前に現れたエリスは、うつむき加減にこちらを見つめていた。肖像画からそのまま飛び出したように、彼女は確かに美しかった。

「レヴィン皇子、娘のエリスでございます」

 ゲゼルに促され、ゆっくりと前に進み出たエリスは僕の前に跪いた。

「……お初に、お目にかかります……皇子」

 それはとてもか細い声だった。でもその声は、戯れに弾くピアノの音色のように、いつまでも僕の耳に残っては離れなかった。

「エリス殿、お顔を上げください」

 僕が言うと、彼女はゆっくりと上体を起こし、こちらを見上げた。宝石のような茶色い瞳に吸い込まれそうになりながら、僕は彼女に向かって微笑んだ。すると、まだ何か不安げな様子だったけれど、エリスもそっと笑みを浮かべてくれたのだった。僕はこのときから、自分に安穏を与えてくれるその笑顔を、ずっと守っていきたいと思っていた。



 それから何度か逢瀬を重ねるうちに、エリスも段々と心を開いてくれているのが分かった。実は2人とも同じ4月生まれだった事も、僕たちの距離を縮める良いきっかけになっていた。

「4月の誕生石を知っている?」

「ええ、ダイヤモンドですわ」

「なんだ、君は知っていたのか」

 不満を隠さずにそんな幼稚なことを言う僕を、彼女はクスクスと笑った。

 宮殿内の図書室で、僕たちは違う書架を巡りながら会話をしていた。お互いに読書好きだったためか、よくここで2人きりで籠っていた。僕はもっぱら自然科学や哲学書で、彼女は純文学を好んで読んでいたけど。


「エリス、どこにいる?」

「ここですわ」後ろの棚から、ひょいと顔を覗かせた彼女。

 僕はそんな彼女の手を握ると、薄暗い隅の方へとエリスを引っ張って行った。どうしたのだと訊く彼女を無視し、僕はそこで彼女を抱きしめた。

「レヴィン様?」

 彼女は少し困惑していたけれど、ぎこちなく僕の背に腕をまわしてくれた。自然の成り行きを受け止めてくれるように。

「ずっとこうしたかった」

 華奢な身体の柔らかさや、黄褐色の髪の匂いを感じながら、僕は素直にそう言った。少ししてから、「私も」というくぐもった声が腕の中から聞こえた。国王になる身で愛のある結婚など望んではいなかったのに、今この心には彼女へのどうしようもない愛おしさが溢れていた。

 そうしてしばらく抱きしめ合い、僕はゆっくりと彼女の身体を離した。2人の間にあった温もりが少しずつ消えていく。


「ダイヤモンドの石言葉を知っている?」

 彼女の腰に手を置きながら、またクイズを出すように訊くと、エリスは可笑しそうに笑いながら首を横に振った。

「“永遠の絆”だよ」

「永遠の、絆?」

 エリスの目が大きく見開いた。

「だから君と結婚するのは、絶対に4月がいいんだ。4月を、私たちにとって特別な月にしたい」

「レヴィン様……」

 エリスの瞳には、心なしか涙が浮かんでいた。「嫌なのか?」と言ってからかうと、彼女は小さく吹き出した。

「君は意外と涙もろいんだね」指先で彼女の目元を拭ってやる。

「だってあなたが、素敵なことをおっしゃるから」

 オレンジ色の夕焼けが僕たちを祝福するみたいに照らしていた。

“愛する人がいるだけで、どんなことも楽しくなる”。そんな言葉をある小説の中で見つけたことがある。なんて陳腐な言葉だと鼻で笑い、これだから小説は好きになれないのだとひどく馬鹿にしたことを今でも覚えている。本気で誰かを愛したこともないくせに。

 そのありふれた言葉が持つ意味に気付いたのは、エリスと出逢ってからだった。




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