10月の戸惑い・3
ラメル王国は人口5百万人を数え、毛織物業と漁業が盛んだ。資源も豊富なため、大陸の中ではもっとも豊かな国であると僕自身も自負している。
そんなラメルの国王になるべく、数年の勉強期間を経て、僕は今年から本格的に国王次官として政務を任されていた。専用の執務室も与えられ、1日の大半をそこで過ごす。法の整備に公共施設の建設など国の事業や政策に関わる様々な資料の山と格闘するのだが、それでも、時に父や大臣たちから指示を仰ぎながらなんとか自分なりに務めをこなしていた。
しかし、そうやって健気に頑張っているときほど嫌な予感がするのはなぜなのだろうか。予感が的中したのは、そのすぐ後だった。
「よおっ、レヴィン、元気か?」
いきなりドアが開いたかと思うと、部屋に入って来たのは従兄のバートレットだった。彼の突然の訪問はいつものことだ、驚くことはない。うんざりするだけだ。
「……」
僕は書類にサインする手を止め、無言でロジャーズを見つめた。「この男をつまみ出せ」と。ロジャーズは首を横に振り、「自分の手には負えません」と一言。その言葉通り、バートレットは応接用の長椅子に豪快に腰を下ろし、当たり前のように寛いでいる。ひとつに結われた長めの癖っ毛がトレードマークの彼は、司法省の副大臣をしているだけあって仕事はよくできる男なのだが、どこまでもマイペースな振る舞いは僕にとって理解しがたいタイプの人間だった。
「仕事はどうしたんですか」
「この前やっと大きな案件が終わったから、今わりと余裕があるんだ」
バートレットは僕よりも2つ年上の25歳だが、悪びれもせずこんなことを口にする彼はとても年上とは思えない。学校をさぼる子供と一緒だ。
「余裕があったら職場を離れてもいいんでしょうかね」
「午後休憩中だから大丈夫だって」遠まわしに嫌味を言っても彼には通じない。
「だとしても、私のところに来ないで下さいよ」
「だって、なんかここ落ち着くし」
だって、じゃねえよと悪態をつきたくなるのを何とかこらえ、僕は再び手を動かす。バートレットのペースに付き合っていては永遠に帰れなくなる。
「あ、そういえば聞いたぞ。エリス様のこと」
「……」
内密とは言っても、親戚の情報網は侮れないらしい。僕は小さくため息をつき「だからなんでしょう」と言って構わず資料に目を落とした。
「また国王に嫌味でも言われたか?」
「言われてないけど、目で訴えられました」
父がエリスのことをあまり良く思っていないことはよく分かっていた。今朝も挨拶を交わした時、父は僕やエリスをあからさまに批難するような目を向けていた。それは直接言葉で伝えることよりも、よっぽどタチの悪い、残酷なもののように思えた。
「彼女って、お前のことになると変わるよな。愛されすぎて怖くないのか?」
冗談っぽく言いながら、バートレットは椅子の背に頬杖をつく。僕はその問いには答えず、「あなたはエリスが怖いですか」と逆に訊いた。
「まさか。だって普段の彼女はとても素敵な女性だろう? なにより美人だ」
「私もそれと一緒です。エリスのそばには私がいなければならない。私が彼女を守るんです」
そんなことを口にすると、バートレットは唐突に笑い声を上げた。何か変なことを言っただろうかと怪訝に思っていると、彼は何もかもを見透かすような瞳で一言こう告げた。
「なんだか、まるで保護者だな」
「……」
保護者?
僕の脳内にはその単語が絶えずリフレインした。自分の心を疑うことなど一度もなかった自分が、今はなぜか変な動揺を隠すことができない。
いつもは子供みたいなくせに、バートレットは時々こうして物事の核心をつくような鋭い言葉を突き付けてくる。こういうときの彼ほど大人に見えることはない。
「レヴィン様、どうぞ」
いつの間にか、ロジャーズが温かい紅茶を持ってきてくれていた。ほのかに香ばしい葉の匂いとと共にそれを一口啜ると、少しは胸のざわつきが抑えられたような気がした。