1月のラブレター・3
「それで、国王陛下からの御言葉の前に皇子からも簡単な挨拶をお願いします」
「分かった」
「何かご質問はありますか」
「これ、アッシュとバートレットを隣同士にするのか? 酔ったら2人で何をするか分からないぞ」
「では、後ほど修正いたします」
来週に迫った晩餐会に向け、今日はロジャーズと政務の合間に簡単な打ち合わせをしていた。晩餐会での席順や食事のメニューなど、ロジャーズが書いた計画書を元に確認していく。
「うん、これで大体良いんじゃないか」
「ではこれで準備を進めさせていただきます」
「ああ、頼んだ」
「……」
小一時間ほどで話はまとまった。しかし、再び仕事に戻ろうとする僕をロジャーズはなぜかじっと見つめている。顔に何か付いているかと尋ねると、彼は「無意識なんですか」と一言。
「さっきから顔がニヤけてますよ。ここ最近、機嫌が宜しいようですね」
「そうか? 普通だと思うが」
「溜まっていたものが発散できたからですか? ベッドの上で」
「……お前、どういう意味だ」
ロジャーズのからかいに乗ってはいけないと思いつつも、その挑発にいつも僕は乗せられてしまう。悲しい性だ。
「あ、それでエリスのことなのだが、宮廷医に助言を仰ぐことはできないだろうか」
「宮廷医というと……、ブルーナーですか?」
「ああ。何か、彼女の心を安定させるヒントのようなものが見つかればと思うのだが。今日の夕方くらいなら時間も取れそうだし」
「そうですか。では、後ほど訊いてまいります」
「頼む」
* * *
宮廷医は、王族の健康管理や病の治療など医療全般を主導する者で、代々とある一族がこの官職を踏襲していた。現在、宮廷医の長として優秀な腕を振るっているのがブルーナーだった。
見た目は口髭をたくわえた初老の男といったところだが、王族の間では絶大な信頼を寄せられている。だから宮廷医の中でエリスの「事」を唯一知っているのは彼だけだったし、相談の相手に彼を選んだのも当然のことだった。
「皇子、お連れしました」
「ああ、通してくれ」
夕方、時間の調整が出来たブルーナーを政務室に呼び出した。部屋に入った彼は、相変わらず温厚な笑顔を浮かべていた。
「すまなかった、急に呼び出して」
「いえいえ、皇子の頼みとあれば断われません」
挨拶もそこそこに、僕はさっそく本題に入った。あまりゆっくりと話している時間はない。
「それで、相談なのだが……」
「はい、私でお力になれることであれば」
「その、“心の病”のようなことに関してなのだ」
「心……ですか?」
ブルーナーの顔が少し険しくなる。
「これから話すことは一切口外してほしくないのだが」
「はい」
「実は、エリスが幼い頃に虐待を受けていたことが分かった……」
「……虐待?」
「ああ。そしておそらく、その経験が彼女の不安定な精神を生み出したのではないかと……」
「……」
その後ブルーナーから促され、彼女の受けた精神的な苦痛をできるだけ詳しく話していった。その間も彼は親身な態度で相槌を打ちながら僕の話に耳を傾けてくれていた。でもその顔はどこか悲痛な表情で、エリスの苦しみを感じ取っているかのようだった。
話し終えると、ブルーナーは一息つくように大きな深呼吸をした。
「……だいたいの事は分かりましたが……、難しい問題ですね」
「無理を承知で言っているのは分かる。しかし、彼女のために何か良い方法はないだろうか」
「……うーん……」
ブルーナーは厳しい顔を崩さないまま、しばらく腕組をして考え込んでしまった。きっと今までの臨床経験や自分の持っている知識を総動員してくれているのだろう。
「……あの、あくまで一つの考え方として受け止めてほしいのですが」
ようやく、彼は少し自信がなさそうに口を開いた。でも僕はその続きが気になって仕方がない。
「エリス様に必要なのは、一途な愛情です。しかし、あなたが向ける愛情に少しでも不信感を抱くと心が崩れてしまう」
「ああ」
「ですから、たとえあなたがエリス様の目の前に居なくても、口で“愛している”と言わなくても、変わらずに妃のことを想っているということを伝えるのです」
「……変わらずに……?」
ブルーナーは力強く頷いた。
「いつも、あなたの揺るがない愛情を感じられるようにするのです」
それは助言のようでいて、僕に力を与えてくれる「エール」のように聞こえた。
そして自分が彼女のために何が出来るのか、ようやくその方向性が見えた気がしたのだった。
「なるほど……、私が目の前にいなくても感じられる愛情を……」
「はい、絶対に自分の気持ちは変わらないし、絶対にエリス様の心を傷つけないという“信頼”を得るのです」
「……信頼」
見え始めた方向を、ブルーナーが明るく照らしてくれる。僕はもう、その道を迷いなく進んでいけるような気がした。
「……ブルーナー」
「はい」
「やはり、あなたに話を聞いてもらって良かった」
「それはありがたき御言葉です」
「自分にも自信がついた気がするんだ」
「ほお、どのような?」
「彼女の心を癒すのは自分だけだっていう、自信」
ブルーナーは、またあの穏やかな笑みを僕に向けた。
「あなた方が、いずれこの国を背負うのが楽しみだ」