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April Diamond   作者: non
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1月のラブレター・1



「虐待?」

 思いもよらない言葉だった。ロジャーズも痛々しい表情を浮かべている。


「もともとゲゼル侯爵は女性関係が派手で全く家を顧みなかったそうです。当然夫婦関係も冷めていたんですが、夫人の方はまだ侯爵のことを愛していたようで、余計に心を病んでいたようです。それでエリス様に……」

「……」

 ここまで来て具体的な真相を知らない訳にはいかなかったが、「虐待」などという単語を耳にした途端、恐ろしい想像が僕の頭をよぎっていた。


「それで、虐待とは一体……」

「ええと、身体に危害を加えるといった類ではなったそうです」

「というと?」

「徹底的な“無視”です」

「……」

 背筋に何かゾッとするような悪寒が走った。


「物心がつく頃には、まるで“いない存在”として扱われていたようです。一緒に食事をすることも、会話をすることも、目を合わせることすらなかったとか……使用人たちにも、必要以上にエリス様と関わらないよう言いつけていたみたいです」

「……なんて事を……」

 それは身体を殴られるよりも、もっと痛いことなのかもしれない。誰にも振り向いてもらえずに、ひとりで孤独を味わう幼い彼女は一体何を思っていたのだろう。

 僕は速くなっていく鼓動に息苦しさを覚える。


「でも、どうしてそんな大問題が今まで外に漏れなかったんだ」

「執事や使用人など、侯爵家に関わる全ての人間に脅迫まがいのことをしていたみたいです。もし虐待の事実を言えば、命の保証はないと」

「エリスにも?」

「ええ」

「……信じられない」


 あの眩しい笑顔の裏にこんなにもどす黒い暗闇が存在していた。それがあの彼女の人格をつくり上げたのだろう。

 僕は正直、その予想以上の暗闇に少し圧倒されるのを感じていた。僕に一体何ができるのだろうかと。でもロジャーズはそんな僕を見て力強く言った。


「エリス様が今までどのようなお気持ちでいられたのか、それをしっかりとお聞きになって下さい。まずはそこからだと思います」





  *    *    *





 どうにか彼女を落ち着かせ、再び椅子に座らせた。エリスの背中をさすってやる間、こうして自然に彼女の身体に触れている自分に気づく。あのぎこちない夫婦はどこへ行ったのだろう。


 赤く腫れた目元を指先で拭いながら彼女は顔を上げた。

「……知られたくなかったわ、あなたにだけは」

「……」

「皇子の妃がそんな境遇の娘だなんて、恥ずかしいでしょう……?」

「……馬鹿な事を言うな」

 僕は彼女の肩を抱いた。また涙が出そうになる。


「小さい頃はね……、なんとなくだけど、お母様が私に笑いかけてくれた記憶があるの。とっても優しく」

 僕が尋ねなくとも、彼女は自分から様々な事を吐露し始めた。僕は静かに耳を傾ける。

「……でも気が付いたら、お母様の目に私は映ってなかった。私が話しかけても、絵を描いてプレゼントしても、何も反応してくれない……」

 黄褐色の艶のある彼女の髪の毛に頬を寄せながら、僕はその時の幼い彼女を思い浮かべた。


「お父様も、昔からあまり家にいない人で私のことなんか気にかけてなかったから、私は誰にも頼れなかった……。使用人の人たちも何だかよそよそしくなって、私が話しかけても機械的な返事だけ……。でもね、唯一私と会話してくれたモノがあるの。何だと思う?」

「……わからない」

「家にあった人形たち。その子たちだけは、私の目を見て話を聞いてくれた……。おかしいでしょう?」

 悲しげな笑いを洩らす彼女に僕は何も答えられなかった。


「私、このまま独りぼっちなのだと思ってた。もし結婚しても、愛されない運命なんだろうって。でも私と結婚した人は、心から私を好きになってくれた。私も、その人のことをどうしようもなく好きになった」

「……」

「今でもドキドキしてしまうくらい。だからその人の愛情を、いつも独り占めにしたかった。愛されることの幸せを知ってしまったから……」

 

 僕は少しでも彼女の僕に対する気持ちを疑ったことを恥じた。エリスは両親に愛情を向けられなかったからといって、僕を親代わりにしていたわけではなかった。ただ純粋に、夫としての愛を欲していたのだ。


「あなたは……この事を知ってどう思った?」

 彼女の問いに対して、僕は慎重に言葉を選んだ。

「……あの日、自分勝手に不満をぶつけた自分をどうしようもなく愚かだと思った」

「愚か?」

「ああ。私は、もっと2人の関係を進展させたかった。でも、どうして君が自分の過去を言いたがらないのか、どうして実家に帰りたがらないのか、その気持ちを考えてなかった……。結局、何も成長していなかったんだ」

 僕が下を俯くと、エリスはそっと僕の身体を抱きしめてくれた。彼女の腕に包まれるなんて、なんだか新鮮な感覚だ。

 

「あなたは、私のすべてを受け入れてくれた。私の“光”よ。だからそんな事言わないで」

 耳元で彼女の囁き声が心地よく響く。

 君の方こそ私の光だと言いたかったけれど、僕は目を瞑ってその心地よさにしばらく身を預けた。こんなに穏やかな空気は久しぶりだ。



「……私は正直、君の両親を監獄に放り込みたいと思った。罪を犯したと思うから」

「……」

「君は彼らを憎んでいないのか?」

「……そうね……怖いとは思うわ。だけど……あんなにひどい事をされても、やっぱり私を産んでくれた人たちだから、完全には恨んだり憎んだりすることはできないのよ。不思議なことに」

 エリスは僕の身体を離し、肩をすくめた。


「だから何年先になるか分からないけれど……いつか会いたいと思うかもしれない。変かしら」

「……いいや」

「その時は、あなたも傍にいてくれる?」

「もちろん」

 僕は彼女の頭を撫でた。

 虐待を受けた者にしか理解し得ない考え方や感情が2人の間に横たわっているように感じた。でもその中で僕は、エリスの望まないことを避けながら最善の道を一緒に探していきたいと思うのだ。


「君は泣き虫で、私がいないと大騒ぎするくせに、なんだか今は強く見える」

「か弱いお姫様の方が好き?」

「どちらでも構わない。お姫様には必ず王子様がいると決まってる。だから君がどんなお姫様だろうと、私がずっと守る」

 エリスが白い歯を見せて笑った。その笑顔が見られればこっちのものだ。


「話してくれて、ありがとう」


 今度こそ、彼女と前に進んで行ける。



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