12月の真実・5
「重要なお話があります」
調査を命じてから数日後、今朝ロジャーズからそう言われた。重要な話が何なのかロジャーズの瞳を見ればすぐに分かったから、僕は「意外に早かったな」とだけ呟いた。
朝食後すぐに僕たちは政務室へと場所を移した。今日が休息日である以上、こちら側へやって来る者はいないだろうから誰にも聞かれる恐れはない。
エリスには「仕事がある」と苦し紛れの説明をして白磁の間を出てきた。絶対に納得していないだろうけれど、今の僕たちの違和感のある関係に比べたら気にならないのかもしれない。
「そこに座れ」
紅茶を入れ終わったロジャーズにそう促した。どこか神妙な面持ちで彼は僕の向かい側に腰を下ろす。
紅茶に口を付けぬまま、僕はさっそく話を切り出した。
「それで、何か分かったか」
「はい……侯爵家に以前勤めていた使用人が口を割りました」
「……」
ロジャーズは静かに真実を語り始めた。
* * *
「おかえりなさい」
夕方、白磁の間に戻るとエリスの手には分厚い書物が握られていた。見覚えのある装丁だと思ったら、僕も以前読んだことのある経済学の本だった。
「それ難しくないか」僕は本を指差した。
「ええ、とても。でもきっと役に立つと思うから」
そう言って微笑むエリスのとなりに僕はそっと座った。微妙な距離を保ちながら。
「ミュラー、席を外してくれないか。エリスと2人きりにしてくれ」
いつものようにエリスの傍にいたミュラーへそう告げると、彼女は静かに一礼だけして部屋を出て行った。僕の様子が意味深だと思ったのか、エリスは少し不安げな顔をしている。僕は身体を斜めにして彼女の方を向いた。
「君に、話さなければならないことがある」
「……」
しばらく無言で見つめ合った。
エリスの瞳は確かに不安げではあったけれど、僕の言う事を恐れてはいないようだった。だからだろうか、紡ぐ言葉は僕の唇をすんなりと滑っていった。
「君の過去を調べた」
「……っ」
エリスは一瞬肩を震わせ、少なからず驚いた表情をしていた。でもすぐに目を伏せ、下を俯いてしまった。長い睫毛が羽のように動くのが分かる。
「……黙ってて悪かった」
「……」
唇をきゅっと結んだ彼女の手に僕のを重ねた。何とも言えないようなエリスの横顔を見て、調査させたことを1パーセントだけ後悔した。妻の過去を知った夫を、君はどう思っているのだろう。
「エリス」
何度か名前を呼んだけれど、エリスはしばらく無言のままだった。
「……これは私たち夫婦のことを考えた事なんだ」
しかし、何気なくそんなことを口にした時だった。エリスはまるで僕を嘲笑うかのように、ふっと短い笑いを零した。そして重ねた僕の手を強く振り払ったのだった。
エリスの瞳が鋭く僕を突き刺していた。
「エリス?」
「それで、 私を可哀想だと思った?」
「……」
「同情してくれてありがとう」
いきなり饒舌になったかと思うと、エリスの心はもはや僕を近づけようとはしてなかった。
「平気で私の過去に侵入して、夫婦のことを考えた?」
「……」
「笑わせないでよ!」
今にも頬を殴られるのではないかというほどの剣幕だった。エリスは頭を抱えながら椅子から立ち上がる。
「あなたに何が分かるのよ!」
「エリス……」
「無関心なあの目で見られる気持ちがっ、あなたに分かるっていうの!?」
僕も立ち上がって彼女に手を伸ばすが、エリスは涙を浮かべたまま触らせようとしない。
「私を愛してるなら、どうして私の嫌がることをするの……」
「……」
「親に愛されない気持ちなんて、どうせ分からないくせに!」
エリスは手のひらで顔を覆った。嗚咽にも似た声が部屋に響く。
”親に愛されない” これが彼女が頑なに話すのを拒んだ過去だった。
彼女が自分の過去を口に出すのを、僕は初めて見た。いつも美しく、知的で、良い妻でいようとするエリス。そんな彼女が心の奥底に隠してきた重い感情を初めてさらけ出したのだった。
「……エリス、話をしよう?」
そう言った僕の声はなぜか少し震えていた。目の前がちょっとだけ滲んでいた。