12月の真実・2
ギルフォード様の腕にエスコートされながら、ケーラーの目は完全に彼に見惚れていた。庭園を並んで歩くその姿の初々しさに、ほんの少し前の自分を重ねてみる。見つめられるだけで落ち着かなくなる鼓動や、結婚の日が待ち切れずに寝付けない夜を過ごしたこと、そんな可笑しくも温かい思い出に私はそっと微笑む。
数週間前からラメルに滞在しているギルフォード様は、物腰が柔らかく、若いわりには統率力のある人柄に見受けられた。しかも眼鼻立ちのはっきりとしたハンサムな方で、黒髪を眩しく揺らしながら宮殿内の侍女たちの熱い視線を集めていた。
そんな彼のことを、国王をはじめ多くの人々がケーラーの夫としては申し分のない人物であると認め、私もこれからの2人の未来を楽しみに思っていたところだった。
「エリス様、レヴィン様の前ではあまりギルフォード皇子と親しくされない方が良いかと……」
「え?」
湯浴みの準備をしながらミュラーはどこか気まずそうな顔をしているが、私にはその質問の意図が全く分からなかった。浴槽の湯の温度を調整してくれている間、私は薄い衣を羽織ったままの格好で彼女の傍に座っている。
「親しくしない方が良いって、どうして?」
「レヴィン様の様子、気付きませんでしたか?」
「……」
記憶を手繰り寄せるが、別段変った様子ではなかったと思い、私は首をかしげた。ミュラーは浴槽から顔を上げると、私の目の前に腰を屈めた。
「好きな人が目の前で他の異性と楽しげに笑っていたら、誰だって良い気分はしませんわ。レヴィン様が気の毒です」
「……あ」
これでようやく、私は彼女が何を言わんとしているのか理解できたのだけど、それはにわかには信じがたいことでもあった。
「でも、明らかにお互い特別な感情なんて持っていないし、私が愛しているのが彼だけだということはレヴィンもよく分かっていると思うし」
「それでもダメです」
思いのほか強く否定され、私はミュラーの迫力に後ずさりしそうになる。
「エリス様のお気持ちがどうであろうと、そういったことはなるべく控えられた方が良い
です。皇子だって、ひとりの男性ですから」
「……」
ミュラーの言い分は分かったけれど、私は実感が湧かなかった。レヴィンがギルフォード様に嫉妬? いつも余裕な顔で私のことをからかったり、愛の言葉を囁いてくる彼を思い出すと、それは何かの冗談にさえ聞こえてくる。
でもどこかで、ちょっとだけ嬉しいと思っている私は意地悪な女だろうか。浴槽に浸かりながら、私はレヴィンの拗ねた顔を想像してみた。
* * *
湯浴みを終えて寝室に入ると、レヴィンがベッドの上で枕に背をあずけるようにして座っていた。腕組みをして何やら険しい表情をしていたけど、私の姿に気付くと、途端にいつもの穏やかな顔になった。
「少し話がある。おいで」
そう言って彼は自分のとなりに手を置いた。私は素直にそれに従い、レヴィンのとなりに腰を下ろす。
レヴィンはまだ湿っている私の髪の毛を梳きながら、頬にそっとキスをしてくれた。身体が蕩けてしまうような嬉しさに包まれ、私は彼の胸に顔を埋めながらその身体に抱きつき、遠慮なく甘えた。
彼は私の手をそっと握りながら、静かに話し始めた。
「私が君と結婚して半年が過ぎた」
「ええ」
「色々あったけれど、少し気になることが……」
「?」
「私は君の夫として、しっかり役目を果たせているのだろうか」
思いがけない言葉に、私は即座に彼の胸から顔を離した。至近距離に見たレヴィンの表情はどこか切なげで、どうしてそんなことを口にするのだろうかと一抹の不安がよぎる。
「あなたは、私にはもったいないくらいに素晴らしい夫だわ。私はレヴィンさえ近くに居ればそれで良い。役目とか、そんなことは関係ないわ」
「……そうか」
精一杯に私の気持ちを伝えたつもりだったけれど、彼はまだ何か腑に落ちない様子だ。
「どうして急にそんなこと言うの? 何かあったの?」
「……いや、べつに。ただ……」
「……」
「……ただ、その“夫”にでさえ、君は自分の過去を話そうとしないんだなと思って」
その、泣きそうなほどに悲しげな表情を見た次の瞬間、私はあっという間に仰向けに倒されていた。
寝着が乱れ、自分の足が膝上まで露わになっているのが見える。でもそれを直す暇さえ与えないほどに素早く、レヴィンの大きな身体が私の上に覆いかぶさった。
「レ、レヴィン?」
「……」
下から見上げる彼の顔は、相変わらず綺麗だった。きっと世の女性を虜にしてしまうほどに。でもそれは、先ほどまでの彼とは明らかに別人だった。
切なさの中に怒りを湛えたような、どこか冷たい瞳。彼を「怖い」と思ったのはこの時が初めてだった。
「ど、どうしたのレヴィン」
「べつにどうもしないよ。ただ、君が何かを隠していることが辛いだけだ」
「……それは」
知られたくない記憶の断片が私の頭を一瞬かすめ、私は思わず彼から顔を背けた。でもそれがさらに彼の中の炎を増幅させてしまったのか、レヴィンは私の手首をいっそう強く掴んでシーツに押さえ付けた。
「なにを怖がっている? 私は君の“夫”だ。親でも兄妹でもない。君が何を言っても、私は全てを受け止められる」
「……」
私には分かった。彼が水面下でどうしようもなく激情していることを。そんな素振りを一切見せないようにしていても、私を見下ろす彼の目から、手から、口調から、それが伝わってくるのだ。まざまざと。
「……そんな風に私を見ないで」
思うように喉から声が出ず、抵抗しようにもうまく身動きがとれない。ただ、レヴィンの訴えかけるような表情だけが私を見下ろしていた。
「君がいつも口にする“愛してる”って、こういうことなのか? 言いたくない事は話さないで、都合良く甘えてくる」
「ち、ちがっ――」
「いいか、エリス」
私の言葉をレヴィンは容赦なく遮る。
「今君が秘密にしていることは、これからの私たちの関係に影響することなのかもしれないんだ」
「……」
「それでも君は、言わないつもりか? “夫”である私にも」
一層低い声が、私の耳に届いた。これでもかというほどの圧力で私を柵の中に囲い込もうとするような、そんな声。
でも駄目なのだ。私がここに嫁ぐと決まった日から、地面の奥底に葬り去った過去を今さら暴くことなど。
「……」
何も答えないまま瞼を閉じると、手首を掴むレヴィンの手が緩むのが分かった。彼はゆっくりと身体を離し、私に背を向けて座りなおした。
「……レヴィン?」
乱れた寝着を整えながら私も身体を起こした。下を俯いているレヴィンの後頭部をしばらく見つめていると、くぐもった彼の声が聞こえた。
「お願いだから、私を不安にさせないでくれ」
「……」
「私は君が思っているほど、格好良い男じゃない……」