12月の真実・1
エリスは結婚後、一度も実家に帰っていなかった。たまには両親とゆっくりしてきたらどうだと提案しても、彼女は首を横に振り「いいえ、大丈夫です」と言うだけだった。
「君はどんな子供だった?」
以前、それとなく昔のことを訊いたこともあったが、「普通の子供でした」と言ったきり彼女は口を噤んでしまった。触れてはいけないものを突いてしまったのか、それ以来彼女の過去を詮索するような真似は気が引けた。だからエリスの口から何かを語ってくれることを僕は待っていた。でも待つだけではもう何も前進しないのかもしれない。
* * *
ラメルと国交の深いクロン王国の第一皇子、ギルフォードが数週間前にやって来た。何を隠そう、彼は妹の婚約者である。
彼とは初対面だったが、20歳には見えぬ落ち着きぶりで、貿易や軍事、政治などについての会談は滞りなく進んでいった。でもケーラーを見ると、途端に年相応に破顔するのが何だか微笑ましい所でもある。
「ギルフォード様はとてもお優しくて、いつも私のことを気にかけて下さるの。この前も私の好きな花ばかりを集めた花束を届けて下さったのよ」
「……」
僕とエリスの所に来ては、そう言って惚気を口にする実の妹には辟易しているのだが。
そうして、ギルフォードの1か月間の滞在は約半分を過ぎた。今日は、クロン国王からの言付けで賜ったハーピスガラスの鑑賞会を開いているところだった。
ハーピスガラスは、クロンのハーピス市で古くから作られている伝統工芸品だ。花瓶やグラス、置物などの貴重な品々を観ながら、見た事のない色づかいや浮き出た模様、輝くほどの繊細な透明さにみな息を呑んだ。
「触っただけで汚れてしまいそうだわ」
長机の上に置かれた品々を見ながら、エリスが感嘆を湛えながらそう呟いた。するとギルフォードがすかさず、
「いいえ、ラメルの方々に使われてこそ、このガラスの輝きは増すのです」
そんな気の利いたことを飄々と口にし、エリスは満面の笑みを彼に送ったのだった。その笑顔はいるのかと、僕は密かに心の中で口を尖らせる。
こんな風に、2人共やけに気が合っているようだと思わせることが何度かあった。もちろん、そこに「特別」な気持ちが含まれていないことは分かっている。でも同い年ということもあってか、とても打ち解けた様子で気さくに会話する彼らを見るのは少し落ち着かなかった。ただでさえ、バートレットの保護者発言がまだ尾を引いているというのに。
「では今晩は、このグラスで美酒に浸ろう」
僕は2人の横からそう言い、エリスの腰に手をまわした。
エリスは、何かに取り憑かれたように僕を必要とすることがある。でも実際は、僕も彼女のことを狂おしいほどに欲している。
「レヴィン様、ゲゼル侯爵の家を調べさせましょう」
ロジャーズが痺れを切らしたように言った。エリスは湯浴みに行っており、僕は白磁の間で何をすることもなく寛いでいるところだった。
「あなたの意思を尊重していましたが、もうこれ以上何も手を打たないままなのはマズイかと思います。エリス様は一向にご自分の過去をお話にならない」
ロジャーズの言い分は正論だ。エリスの見せる“あの一面”が何によって形成されたのか、それが少しでも分かれば、彼女の心を安定させる糸口が見つかるかもしれないのだ。でも僕のなかにはどうしても躊躇いがある。
「……エリスに黙ってそんなことはしたくない」
「では直接言って下さい。“君の家のことを調べる”と」
「そんなことを私が言うとでも?」
「嫌ならエリス様がお話になるように早く何とかして下さい。夫であるあなたしか、おそらく立ち入ることのできない話でしょうから」
「……」
僕はロジャーズの顔を見つめた。
「夫」という単語を使った彼の意図は何だろう。僕に行動を起こさせる策略なのかもしれないと想像できたが、今の僕には十分に魅力的な言葉に聞こえた。見事に、ロジャーズに乗せられそうになる。
「いずれにせよ、もう長くは待てませんから」
椅子にゆったりと腰かけた僕を見下ろし、ロジャーズは覚悟を持った表情でそう言った。