宝慶記の現代語訳
「(私、)道元は、幼い時に『発菩提心して』、『悟りを求める事を思い立って心して』、本国(の日本)にいた際は、諸々の禅師に『道』、『真理』をたずねて、少し因果の理を『識』、『理解』しました。
このようでしたが、『仏、法、僧』の真実の帰結を未だ明らめておらず、いたずらに名前や『相』、『外見』という印を心に抱いて、とらわれてしまっていました。
後に、千光 禅師『に入室して』、『の部屋に入って仏道を尋ねて』、初めて臨済宗という家の家風を聞く事ができて、今、明全 法師に従って、『炎宋』とも呼ばれる宋に入国しています。
万里を航海して、『波濤』、『荒波』に幻のような身を任せて、遂に、(あなた、第五十祖の)如浄 和尚の『法席』、『集まり』に身を投じる事ができ得ました。
多分、これは、前世からの功徳による幸福なのです。
如浄 和尚の大いなる『慈悲』、『思いやり』によって、遠方の外国の矮小な人である私、道元が願うのは、ふさわしい時機か拘らず、『威儀を備えず』、『なりふり構わず』、頻繁に、『方丈』、『如浄の部屋』に上って、心に抱いている愚考について質問したい、と欲します。(なぜなら、)
『生死は一大事なのです。この世のものが常に変化するのは迅速なのです』
時は、人を待ってはくれません。
(如浄という)聖者から去ってしまったら、必ず後悔します。
本師であり、『堂上』、『堂頭』であり、大和尚であり、大禅師である如浄よ、大いなる思いやりによって、私、道元をあわれに思って、道元が真理について質問したり、法について質問したりするのを聴き入れて許してください。
伏して、願わくば、思いやりによって、照らしてください」
(このように、)私、道元は、「百拝して」、「何度も礼拝して」、頭を地面に軽く叩きつけて礼拝して、申し上げた。
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「道元よ、今から、以後、昼夜、ふさわしい時機か拘らず、法衣を着ていても、『衩衣でも』、『法衣を着ていなくても』、如浄の部屋に来て、真理について質問しても、妨げは無い。
私、天童山の如浄は、子の無礼を許す親父と同じなのである」
「宝慶元年」、「千二百二十五年」、七月二日、如浄の部屋に参って、道元は、次のように、質問した。
「諸方では、今、『教外別伝』、『(経と、)経の他に、経とは別に、坐禅などによっても、仏の心を伝えている事』と称して、『祖師西来』、『第二十八祖の達磨が西のインドから中国へ来てくれた事』の大意と見なしています。
その『祖師西来』の意味とは、どのような物なのでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「仏祖の大いなる仏道では、経の内外には拘らない!
さて、『教外別伝』と称していますが、『唯摩騰』とも呼ばれる迦葉摩騰などが伝えてくれた経以外に、『祖師西来して』、『第二十八祖の達磨が西のインドから来てくれて』、親しく、中国へ到来してくれて、真理を伝えて、(坐禅という)業を授けてくれたので、『教外別伝』、『(経と、)経の他に、経とは別に、坐禅などによっても、仏の心を伝えている』と言うのである。
世界には、唯一無二の仏法しかないのである。
祖師が未だ中国へ来ていなかった、以前には、中国には、『行李』、『僧の日常の所作』などしか伝わっておらず、未だ主がいなかったような物なのである。
第二十八祖の達磨という祖師が中国に到来してくれたのは、例えば、民が王を得たような物なのである。
その時に当たって、国土、国宝、国民は皆、王に属したのである」(※中国は祖師達に帰依したのである。)
私、道元は、次のように、質問した。
「諸方の古今の長老などは、次のように、話しています。
『聞いても、聞く事ができない。
見ても、見る事ができない。
直下(の下位のもの)を、一点も、計ったり、比較したりできない。
それが、仏祖の仏道なのである』
このため、
拳を立てたり、
(害虫を払うための毛がついた棒である)払子を挙げたり、
『喝』という大声を放ったり、
棒を行使し(て軽く叩い)たり、
学者に一つも『卜度』、『推測』させなかったり、
遂には、釈迦牟尼仏の教化の最初から最後までの全てとは異なる手段を利用したりして、
『二生の感果』、『来世で果報を感じる事』を期待しない。
このような類は、仏祖の仏道なのでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「もし、『来世は無い』と思ってしまえば、実に、『断見』、『死んだら魂や意識などは断絶して滅んでしまうという誤った見解』の外道なのである。
仏から仏へ、祖師から祖師への、人々のために設けられている仏教には、全く、外道の言説は無いのである。
もし、来世が無いのであれば、(そもそも、)今世も無いであろう。
今世は既に存在している。
来世は存在する!
私、如浄の宗教、仏教に長い間、帰依している人は、仏の子、仏の弟子なのである。
仏の弟子は、外道とは等しくない!
未だ学ぶべき物が有る人である僧を、直下の下位へ堕落させない物とは、仏祖による、一つの方法である、『善巧』、『相手に応じて巧みに善へ導く』、『方便』、『便宜的な方法』なのである。
僧のために、得られる物が有るようにしてくれているのである。
もし、得られる物が無いのであれば、(そもそも、)善知識を持つ人々に質問できなかったであろうし、また、諸仏も、この世に出現しなかったであろう。
ただ、直下(の下位のもの)を見聞きして了解する事だけを必要として、更に(上のものを)信じるに及ぶ必要が無かったり、更に(上のものへ向上して)修行して証する必要が無かったりしてしまうのであれば、『北洲』も仏の教化を得ているのは、どうしてなのか?! 『北洲』でも見聞きしたり覚知したりするのは、どうしてなのか?!」
道元は、次のように、質問した。
「古今の善知識を持つ(と自称している)人々は、次のように、話しています。
『魚が水を飲んで(水が)冷たいか暖かいかを自然と知るように。
この自然の知覚が、覚、悟りなのである。
これ(、自然の知覚)によって菩提、悟りを悟る事を為すのである』
私、道元は、非難して、次のように、話しました。
『もし、自然の知覚が正覚、悟りであれば、一切の衆生、生者達には皆、自然の知覚が有る。
一切の生者達は、自然の知覚が有るので、正覚の、悟っている、如来、仏であろうか? いいえ! 仏ではない!』
すると、ある人が、次のように、話しました。
『そう(、仏)なのである。
一切の生者達は、最初が無い、本から存在する、如来、仏なのである』
また、別の人が、次のように、話しました。
『一切の生者達は、未だ、必ずしも、皆、如来、仏ではない。
理由は何か? (と言うと、)
自覚と、性質の智慧が、覚、悟りである、と知っている者が、如来、仏なのである。
未だ知らない者は、仏ではないのである』
これらのような説は、仏法でしょうか? 否か?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「もし、『一切の生者達は、本から、仏なのである』と言ってしまうのであれば、『自然外道』、『原因が無く自然と物事は成ると誤って主張している外道』と同じなのである。
『我我所』、『自我と所有物への執着』(を持つ者ども)を諸仏と肩を並ばせようとする者どもは、未だ会得していないのに『会得している』と思い込んでいる者どもや、未だ証していないのに『証している』と思い込んでいる者どもである事を、免れない」
道元は、次のように、質問した。
「僧は、鍛錬して真理をわきまえる時、まさに、『心、意、識』、『心、意識、理解』、並びに、『行住坐臥』、『僧の日常の所作』を習って学ぶべきでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、教えて、話した。
「達磨が西のインドから中国へ来てくれて、(真の)仏法が中国に入った。
仏法の心身が有るべきである!
第一段階の初心者は、真理をわきまえて鍛錬する時、
長い間、病気をわずらうべきではない。
遠くへ出かけて行くべきではない。
多く読もうとするべきではない。
多く諌めようとするべきではない。(※他人を多く注意するべきではない。)
多くの(寺の)作業を営もうとするべきではない。
『五辛』、『ニラ、長ネギやタマネギ、ニンニク、ラッキョウ、ショウガ』を食べるべきではない。(※性欲を強めたりなどするからである。)
肉を食べるべきではない。(※性欲を強めるからである。)
乳製品を多食するべきではない。
酒を飲むべきではない。
諸々の『不浄食』、『不浄な手段で得た食べ物』を食べるべきではない。
音楽、歌、舞などを視聴するべきではない。
諸々の『残害』、『傷つけて殺す事』を見るべきではない。
(いわゆる、男女の淫らな色欲の事などの、)諸々の卑賤な醜い事を見るべきではない。
国王や大臣に親しく近づくべきではない。
諸々の生の硬い物を食べるべきではない。
垢や皮脂で汚れた衣服を着るべきではない。
屠殺の場所を見てまわるべきではない。
古くて悪く成った、茶、及び、(天台山に在る)風邪薬を飲むべきではない。
諸々の『椹』、『桑の実』を食べるなかれ。
『乳餅』や『蘇蜜』などを多食するなかれ。
名声や利益の事を視聴するなかれ。
『扇搋や半荼迦』、『性器に障害が有る人』などと親しくするなかれ。(※性的に誤解される事を避けるためである。)
『梅子』、『梅の実』、および、『乾栗』、『茹でて干した栗』を多食するなかれ。
『龍眼』という果実や『茘枝』や『橄欖』の実などを多食するなかれ。
『霜糖』、『白砂糖』といった砂糖などを多食するなかれ。
厚い綿製の『襖』、『上着』を着るなかれ。
『綿製の衣服を着ないようにしよう』と嫌うなかれ。
軍隊の兵士の食料を食べるなかれ。
喧嘩の音声や、車の轟く音声や、猪や羊などの群れを見に行くなかれ。
大魚や、大海、及び、粗悪な絵画や人形などを見に行くなかれ。
『青山』、『緑の山』や、谷川を観るのは、まさに、『尋常である』、『優れている』。
ただ、『古教照心する』、『古くからの教えによって心を照らす』べきである。
また、『了義経』を見なさい。
坐禅して真理をわきまえる僧は、当然、また、足を洗うべきである。
心身が悩んで乱れている時は、すぐに、菩薩戒の序文を黙って心の中で読むべきである」
道元は、次のように、質問した。
「『菩薩戒の序文』とは、何でしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「今、隆興して盛んである禅師が、読む、戒の序文である。
矮小な人や卑賤な輩に親しく近づくなかれ」
道元は、次のように、質問した。
「『矮小な人』とは、どのような者でしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「貪欲が多い人は、矮小な人なのである。
虎の子や、象の子など、並びに、猪、犬、猫、狸などを飼うなかれ。
今、諸々の山の長老などが、子猫を養っているのは、実に、善くないのである。(※僧が動物を飼うのは善くない。)
暗愚な者どもの行為なのである。
大体、『十六悪律儀』は、仏祖が制止している事なのである。
慎んで、『放逸』、『修行を怠ける事』を慣習とするなかれ」
道元は、次のように、質問した。
「『首楞厳経』と『円覚経』を、在家信者の男女は、読んで、『達磨が西のインドから中国へ来てくれて伝えてくれた祖師の仏道である経なのである』と思っています。
私、道元が、『首楞厳経』と『円覚経』という二つの経をひもといて読んで、文の最初から最後までの全てを研究してみたら、その他の諸々の大乗経とは異なっていました。
(『首楞厳経』と『円覚経』は、)その意味が、未だ、『審らかではない』、『善悪が明らかではない』のです。
『諸々の経よりも劣っている』という言葉が有りますが、諸々の経の『義勢』、『意味』よりも全く優れていません。
『六師外道』などによる(誤った)見解と同じ物が、とても有ります。
結局、どのように決定するべきでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「『首楞厳経』を疑う者は、昔から、いた。
私、如浄は、『この首楞厳経は、後世の人が捏造したのではないか?』と思っている。
先代までの祖師達は、未だかつて、この『首楞厳経』を見なかった。
近代の暗愚な輩は、この『首楞厳経』を読んで、この『首楞厳経』を愛着してしまっている。
『円覚経』もまた、(『首楞厳経』と)同様なのである。
(『首楞厳経』と『円覚経』は、)文という外見が、最初から最後まで全て、とても似ている」
道元は、次のように、質問した。
「『煩悩障や異熟障や業障などの障を転じる事は可能である』とは、仏祖の言葉なのでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「龍樹などの祖師達の説を、保持して任せるべきである。
(祖師達とは)異なる道理の説を所有するべきではない。
ただ、『業障』に至ってしまったら、丁寧に修行している時に、必ず転じる事が可能なのである」
道元は、次のように、質問した。
「因果を必ず感じるべきなのでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「因果を『撥無する』、『否定して信じない』べきではない。
そのため、永嘉の玄覚は、(『証道歌』で、)次のように、話している。
『こだわらず思いのままにふるまう空は、因果を否定し信じず、広く大きく災いを招いてしまう』
『因果を否定して信じない』と言ってしまう者どもは、仏法の中における、『断善根の』、『悟る事ができないし、善をもたらさない』人なのである。
この『因果を否定して信じない』者どもは、仏祖の法の子孫ではない!」
道元は、次のように、質問した。
「今日の、天下の、長髪で爪を長く伸ばしている長老は、何を根拠として有しているのでしょうか?
『比丘』、『出家者』を自称していますが、とても俗人に似てしまっています。
まさに、『俗人』と名づけるべきですし、また、似非僧侶のようです。
西のインドから、東の地の中国までで、『正法』から『像法』までの間で、仏祖の弟子達は、未だかつて、このようでは、ありませんでした。
どうなのでしょうか?」
如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「実に、これらの者どもは、『畜生』、『動物的人間』なのである。
仏法という清浄な海の中の、(汚らわしい)死体のような者どもなのである」
如浄 和尚は、ある時、道元を呼び寄せて、次のように、示して、話した。
「あなた、道元は、若いが、とても、古代の先人の様子が有る。
じきに、人里離れた奥深くの山(の寺など)に住んで、仏祖のように『聖胎長養する』、『俗世を離れて、悟った後も修行し続ける』べきである。
必ず、古代の高徳の僧の証した物に至れるであろう」
その時、道元は、座より起きて、如浄 和尚の足下に礼拝を設けた。
如浄 和尚は、次のように、唱えて、話した。
「能、礼、所、礼、性、空寂、感応道交、難、思議」、「能動的に礼拝している自身と、礼拝されている所の相手は、共に、性質が『空寂』なのであるが、『感応道交する』、『仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合う』のは、思い、はかるのが難しい事なのである」。
その時、如浄 和尚は、西のインドから東の地の中国までの仏祖の日常の所作を広く説き明かした。
その時、道元は、感動して涙を流して、衣服の襟を(涙で)濡らした。
「堂頭」である如浄 和尚は、「大光明蔵」と呼んでいた部屋で、次のように、示して、話した。
「僧の日常の所作として、僧達と交流する時、『裙袴』、『下衣』の腰の『絛』、『紐』を強く固く結ぶのである。(なぜなら、)
やや多くの時間が経っても、更に、力を労する事が無いのである。
僧が僧堂にいる時の、(坐禅による)鍛錬で最重要であるのは、『緩歩する』、『ゆっくりと、坐禅の合間に散歩する』事なのである。
近代の、諸方の長老には、知らない人が多いのである。
知っている者は極少数なのである。
『緩歩』、『ゆっくりとした、坐禅の合間の散歩』では、一息を上限として、足を運ぶのである。
『脚跟』、『脚』は観ない。
そうして、身をかがめず、仰がず、歩みを運ぶのである。
傍観したら、ただ一箇所だけに立っているように見えるであろう。
肩や胸などを、動揺させて振らないべきである」
如浄 和尚は、度々、「大光明蔵」と呼んでいた部屋で、東西に向かって歩いてくれて、(「緩歩」、「ゆっくりとした、坐禅の合間の散歩」を)道元に見せてくれた。
そして、如浄は、次のように、示して、話した。
「近代では、『緩歩』、『ゆっくりとした、坐禅の合間の散歩』を知っているのは、ただ、私、一人だけに成ってしまった。
あなた、道元は、試しに、諸方の長老に質問してみなさい。
絶対に、他の者は、未だかつて、知らないであろう」
道元は、次のように、質問した。
「仏法は、何性でしょうか?
『善性』と『悪性』と『無記性』、『善悪に分け難い性質』のうち、どれでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「仏法は、『善性』と『悪性』と『無記性』、『善悪に分け難い性質』という『三性』を超越しているばかりなのである」
道元は、次のように、質問した。
「仏から仏へ、祖師から祖師への大いなる仏道では、一隅に拘るべきでは、ありません。
どうして、強引に、『禅宗』と称しているのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「仏祖の大いなる仏道を、妄りに、『禅宗』と称するべきではないのである。
今、『禅宗』と称しているが、これは、『澆運』、『末法の時代』の、とても妄りな名称なのである。
似非僧侶の矮小な動物的人間どもが、(『禅宗』と)称して来てしまっているのである。
古代の高徳な僧達は皆、知っている事なのである。
大昔の僧達は、知っている事なのである。
あなた、道元は、かつて、『石門林間録』を見た事が、ありますか?」
道元は、次のように、話した。
「未だかつて、『石門林間録』を見た事が、ありません」
如浄 和尚は、次のように、話した。
「あなた、道元よ、『一遍』、『一回』、見てみると、善い。
その『石門林間録』は、(『禅宗は、妄りな名称である』と)説き得ていて、正しい。
大体、釈迦牟尼仏は、大いなる仏法を、(初祖の)摩訶 迦葉に(祖師として)単一に伝えた。
(第二十八祖の達磨まで、)二十八人に正統に伝承したのである。
(第三十三祖の慧能まで、)東の中国で、五人に伝えて、曹渓山の第三十三祖の慧能に至ったのである。
今日の、(第五十祖の)如浄まで、(祖師達は、)仏法の総合なのである。
『大千沙界』、『全世界』で、(仏法に)肩を並べる事ができるものは無いのである。
今、十五本の経論を講義し得て、各々の宗派の家風を扇ぐ学徒は、仏祖の眷属なのである。
しかし、眷属には、内か外か、親しいか疎遠であるか、という高いか低いか、が有るのである」
道元は、次のように、質問した。
「既に、仏祖の眷属であるので、彼らも、悟りを求める事を思い立って心して、真の善知識を持つ者達を訪ねる事ができ得ます。
どうして、(彼らは、)長年、学んで来たものを投げ捨てて、たちまち、仏祖の『叢席』、『禅寺』に身を投じて、昼夜、(坐禅して)真理をわきまえるのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「西のインドから、東の地の中国まで、共に、長年、学んで来たものを投げ捨てて、精進するのである。
例えば、ある人が『丞相』、『皇帝を補佐する最上位の役人』に昇進している任期中には、『諫議大夫』、『皇帝を諌める役人』を兼任しないが、その子孫に教える時には、『諫議大夫』の進退を教えるような物なのである。
仏祖の仏道を学んで修行する時もまた、同様なのである。
『諫議大夫』などでの清廉潔白さによって『丞相』に昇進するが、『丞相』に昇進している任期中には『諫議大夫』の仕事をしないし、『諫議大夫』の任期中には『丞相』の仕事をしないのである。
ただ、国を統治して安らぎを国民にもたらす忠節だけを学ぶのである。
『丞相』と『諫議大夫』は、心を一つにするのである。
心を二つ以上に分裂させないのである」
道元は、次のように、応えた。
「(当時の)諸方の長老などの所説は、皆、誤っているのです。
(当時の諸方の長老などが、)未だかつて、仏祖の仏道を知らない事は、明らかなのである。
今、明らかに、知りました。
仏祖は、実に、釈迦牟尼仏の仏法を正統に嗣いだ者、今日の法の王なのです。
『三千』、『全世界の万物』という『調度』、『日常の道具』や、『法界』の周縁、周辺は、皆、仏祖が主であるものであり、仏祖以外の王などいないのです」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「あなた、道元の言葉通りなのである。
知るべきである。
西のインドで、『初祖の迦葉以外にも仏法を付属させた』とは未だ聞いた事が無いのである。
東の中国で、中国の初祖である第二十八祖の達磨から、中国の第六祖である第三十三祖の慧能に至るまで、二人以上に仏法と法衣を伝えた事は無いのである。
そのため、『大千』、『全世界』の仏道は、仏祖を根本と為しているのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「禅に参入するとは、(古い)心身を脱ぎ落とす事なのである。(古い心身を脱ぎ落とすには、)
焼香や、礼拝や、念仏や、懺悔の修行や、経を見る事を用いないのである。
ひたすらに、坐禅に打ち込むだけなのである」
道元は、次のように、質問した。
「『(古い)心身を脱ぎ落とす』とは、どのような事なのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「『(古い)心身を脱ぎ落とす』とは、坐禅する事なのである。
ひたすらに、坐禅に打ち込んでいる時は、『五欲』、『五感への欲望』を離れているし、『五蓋』、『五種類の煩悩』を除去しているのである」
道元は、次のように、質問した。
「『五感への欲望を離れ、五種類の煩悩を除去する』のは、『教家』、『禅宗以外』の説と同じです。
(禅宗の修行者は、)大乗の修行者や、小乗の修行者と同じなのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「祖師達の法の子孫である僧は、大乗と小乗の両方の説を、あえて嫌ったりしない。
仏教を学んでいる者が、もし釈迦牟尼仏の神聖な仏教に背いてしまったら、どうして、『仏祖の法の子孫』を自称できるであろうか? いいえ! できない!」
道元は、次のように、質問した。
「近代の愚者は、次のように、(誤って)話しています。
『貪欲と怒りと愚かさという三毒は、仏法なのである。
五感への欲望は、祖師達の仏道なのである。
もし、それらを除去してしまったら、取捨選択してしまっているのである。
逆に、かえって、小乗、矮小な段階と同じに成ってしまうのである』
どうなのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「もし、『三毒』、『貪欲と怒りと愚かさ』や『五感への欲望』などを除去しなければ、瓶沙王の国でもある阿闍世王の国にいた諸々の外道の輩どもと同じなのである。
仏祖の法の子孫である僧が、もし、一つでも煩悩を、一つでも欲望を除去したら、巨大な利益があるのである。
(煩悩や欲望を除去した時は、)仏祖と見える時節なのである」
道元は、次のように、質問した。
「長沙 和尚と、皓月 供奉は、『業障』が本来、空である道理について話しています。
私、道元は、疑って、次のように、話します。
『もし、業障が空であれば、その他の二つ、異熟障と煩悩障もまた、まさに、空であろうか?
業障が空であるか否かだけを単独で論じるべきであろうか?』
更に、皓月は、次のように、質問しました。
『本来、空である、とは、どのような事なのでしょうか?』
長沙は、次のように、話しました。
『本来、空である物とは、業障である』
皓月は、次のように、話しました。
『業障とは、どのような物なのでしょうか?』
長沙は、次のように、話しました。
『業障とは、本来、空である物である』
今、長沙の言葉を、『正しい』としますか? または、しませんか?
仏法が、もし、長沙が話しているような代物であれば、どうして、諸仏の『この世』への出現や、達磨が西のインドから来てくれた事が、有るでしょうか? いいえ! 無いであろう!」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「長沙の言葉は、終に、正しくなかった。
長沙は、『三時業』を未だ明らめていない」
道元は、次のように、質問した。
「古今の、善知識を持つ人達は、皆、次のように、話しています。
『了義経を見るべきである。
不了義経を見るなかれ』
『了義経』とは、どのような物なのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「『了義経』とは、釈迦牟尼仏が説いた、『本事』、『本生』などの経である。
釈迦牟尼仏の太古の因縁のうち、あるいは、名字を説いても、その姓を未だ説いていない物や、住んでいた場所を説いても、寿命を説いていない物は、未だ『了義経』ではないのである。
劫や、国や、寿命や、眷属や、作業や、召使いなどを説き終わっていて、説いていない事が無い経を、『了義経』と名づけるのである」
道元は、次のように、質問した。
「たとえ、一言でも、道理を説き終わっている経を、『了義経』と名づけるべきです。
ただ、『広く説き明かしているから』と言って、『了義経』と名づけるのは、どうなのでしょうか? いいえ! 名づけるべきではない!
たとえ、『懸河の弁で』、『よどみ無く流暢な雄弁さで』、説いていても、もし、道理を未だ明らかにしていなければ、『不了義経』と名づけるべきではないでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元の言葉は、誤っている。
釈迦牟尼仏の所説は、広く説き明かしている説も、略している説も、共に、道理を尽くしているのである。
たとえ、広く説き明かしていても、道理を究め尽くしているのである。
たとえ、略して説いていても、道理を究め尽くしているのである。
その道理を究極まで尽くしているのである。
また、仏の神聖な沈黙も、仏の神聖な説明も、皆、『仏事』、『仏の教化』なのである。
ゆえに、光明も、『仏の教化』とする事が有る。
飲食も、『仏の教化』とする事が有る。
天上界に生まれたのも、天上界から人間界へ降下したのも、出家したのも、苦行したのも、『降魔したのも』、『仏敵を降伏させたのも』、仏道を成就したのも、『分衛したのも』、『乞食したのも』、『涅槃したのも』、『肉体が死んだのも』、尽く、『釈迦牟尼仏の教化』なのである。
これらを見聞きした生者達は、共に、(真の)利益を得るのである。
そのため、知るべきである。
皆、『了義経』なのである。
その法の中で、その事を説き終わっている経を、『了義経』と名づけるのである。
仏祖の法なのである」
道元は、次のように、話した。
「実に、如浄 和尚が思いやり深く教えてくれた通りに、保持して任せるのが、仏法、祖師達の仏道なのです。
諸方の長老どもの説、並びに、日本国の古くからの暇人どもの説には、道理が無いのです。
私、道元の昔の知識は、『不了義経』を『了義経』と思い込んでいたのです。
今日、如浄 和尚の『法輪』、『説法』の下で、初めて、『了義経は向上していて更に了義経が有る事は、今、明らかなのである』と知りました。
次のように、話すべきです。
『無数の劫を経ても、出会い難いのである』」
道元は、昨夜の、午後十一時から午前一時までの間に、次のように、質問した。
「如浄 和尚は、次のように、説いてくれました。
『能動的に礼拝している自身と、礼拝されている所の相手は、共に、性質が空寂なのであるが、仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合うのは、思い、はかるのが難しい事なのである』
深い意味が有っても、了解し難いです。
理解が浅い者には、及ぶ事ができません。
また、疑問が有ります。
私、道元が考えるに、
『仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合う』道理については、『教家』、『禅宗以外』もまた、話しています。
祖師達の仏道と同じである道理が有るのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元は、『仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合う』趣旨を知るべきである。
もし、『仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合う』のでなければ、諸仏は『この世』に出現しなかったであろうし、達磨は西のインドから中国へ来てくれなかったであろう。
また、経による仏教を、『怨家』、『敵』とするべきではない。
もし、従来の仏教、仏法を『誤っている』としてしまったら、『円形の法衣や正方形の器を用いていたであろう』、『僧は、でたらめな誤った日常の所作をしていたであろう』。
『未だ円形の法衣や正方形の器を用いた事は無いのである』、『僧が、でたらめな誤った日常の所作をした事は無いのである』。
『必ず、仏祖や師の僧と、弟子の僧が、理解し合っている』と知るべきなのである」
道元は、次のように、質問した。
「先日、育王山の長老である大光に会った時、私、道元が少し非難して質問すると、大光は、次のように、話しました。
『仏祖の仏道と、禅宗以外の説は、水と火のように相容れない。
天と地ほどに、かけ離れていて隔絶している。
もし、禅宗以外の説と同じであれば、半永久的に、祖師の家風ではない』
今、大光の言葉は、正しいでしょうか? 誤っているでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「ただ、大光、一人だけが有している妄りな説ではないのである。
(当時の)諸方の長老も、皆、また、同様なのである。
(当時の)諸方の長老は、禅宗以外の正誤を明らかにできない!
祖師の『堂奥』、『奥義』を知らない!
(大光は、)ただの、『胡乱に』、『でたらめに』して来ている長老に過ぎない」
道元は、次のように、質問した。
「仏法には、元より、文殊菩薩の『結集』と、阿難の『結集』の二つが有ります。
次のように、言われています。
『諸々の大乗経は、文殊菩薩の結集による物である。
諸々の小乗経は、阿難の結集による物である』
今、なぜ、摩訶 迦葉、独りだけが、釈迦牟尼仏から仏法を付属された初祖に成ったのでしょうか?
そして、文殊菩薩は、仏法を付属されて正統に嗣いだ弟子に成らなかったのでしょうか?
なぜなら、文殊菩薩は、釈迦牟尼仏などの諸仏の師です。
どうして、(文殊菩薩を、)『仏法を付属された初祖に成るには不足である』とするのでしょうか?
今、『如来 正法眼蔵 涅槃妙心』、『釈迦牟尼仏の、正しくものを見る眼と、寂滅した妙なる心』と称しますが、恐らく、これは、『小乗』、『矮小な段階』の『声聞』の段階の一つの法ではないでしょうか?
どうでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元の言葉通り、『文殊菩薩は、諸仏の師なのである』。
そのため、仏法を付属されて正統に嗣いだ弟子に当てなかったのである。
もし、この文殊菩薩が弟子であれば、必ず、仏法を付属された人に当てたであろう。
また、『(諸々の大乗経は、)文殊菩薩の結集による物である』と言われているが、一説に過ぎないのである。
一般的な(有力な)説ではないのである。
まして、文殊菩薩は、小乗の『教行人理』、『教え、修行、修行する人、修行によって悟る真理』を知っている!
また、阿難は、ただ、多聞の人に過ぎない。
ゆえに、(阿難は、)釈迦牟尼仏の一代での説を結集したに過ぎないのである。
阿難は、既に、大乗と小乗を結集していたのである。
迦葉は、釈迦牟尼仏の一代の教化での上座であった。
(迦葉は、)最も優れている祖師なのである。
このため、(釈迦牟尼仏は迦葉に)仏法を付属させたのではないか?
たとえ、文殊菩薩に仏法を付属させても、また、このような疑いが有るであろう。
ただ、『諸仏の法は、このようなのである』と信じ、知って、あれこれ疑わないべきである」
「堂頭」である如浄 和尚は、「夜話」で、次のように、話した。
「道元よ、あなたは、椅子に座って靴下を履く時の法を知っているか? 否か?」
道元は、会釈して、次のように、話した。
「知らないです」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「僧堂で、坐禅している時、椅子に座って靴下を履く際の法は、右袖で『足趺』、『足の甲や足の裏』を覆い隠して履くのである。
それにより、『聖僧』、『仏像』への無礼を免れるのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「鍛錬して真理をわきまえるために坐禅する時、胡椒を食べるなかれ。(なぜなら、)
胡椒は発熱させる」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「風が当たる場所で坐禅するべきではない」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「坐禅から起きて歩く時は、『一息 半趺の法』、『一息で半歩の法』を行うべきである。
歩みを移す時に半歩という量を超過せず、足を移すのは必ず一息の間にする事を言っているのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「太古、僧は、皆、『褊衫』、『袈裟の下に着る上衣』を着ていたのである。
中には、『直綴』、『袈裟と褊衫を縫い合わせた物』を着ていた者もいた。
近代は、全員、『直綴』、『袈裟と褊衫を縫い合わせた物』を着ている。
これは、『澆風』、『末法』による物なのである。
あなた(、道元)が、『古代の家風を慕いたい』と欲するならば、『褊衫』、『袈裟の下に着る上衣』を着るべきである。
今日でも、『内裏』、『皇居』に参る僧は、必ず、『褊衫』、『袈裟の下に着る上衣』を着るのである。
法衣を伝える時や、『菩薩戒』を受ける時もまた、『褊衫』、『袈裟の下に着る上衣』を着るのである。
近代の禅僧は、『褊衫、袈裟の下に着る上衣を着るのは、兄弟の宗派である律家の服装なのである』と言っているが、誤っているのである。
古代の法を知らない人(の誤った言葉)なのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「私、如浄は、寺院に住んで以来、未だかつて、斑の袈裟を来た事が無い。
近代の、諸方の、僧の所作を知らない長老どもは、ひたすらに、(美しい)法衣を着て、大衆に従っているが、真実の証が無いような物なのである。
そのため、如浄は、未だかつて、(美しい)法衣を着ないのである。
釈迦牟尼仏は、一代で、ただ、『僧伽胝衣』、『大衣』は、粗悪な布製の『大衣』しか着なかった。
その他製の美しい衣服を着なかったのである。
しかし、また、強引に粗悪な衣服を着るべきでもない。
強引に粗悪な衣服を着るのもまた、外道なのである。
(『六師外道』のうちの一人である)『欽婆羅子』、『阿耆多 翅舎欽婆羅』と言う者は、そうしたのである。
そのため、仏祖の法の子孫である僧は、着るべき衣服を着るものなのである。
一方だけに偏って執着して、『擔板』、『板をかついだ時のように、一方だけしか見えない者ども』のようにするべきではない。
また、『美しい衣服を着よう』と営んでしまう者は、矮小な人なのである。
『糞掃衣』は、古代の行跡なのである。
知るべきである」
道元は、香をたいて、次のように、質問した。
「釈迦牟尼仏は、『金襴衣』、『金糸模様の法衣』を摩訶 迦葉に授けました。
これは、何時の事なのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元が、この事を質問したのは、最も善いのである。
人々は、この事を質問しないのである。
そのため、この事を知らないのである。
善知識を持つ人達は、それを苦々しく思っているのである。
私、如浄が、かつて、雪竇山の、亡き師である、第四十九祖の智鑑の所にいた時、この事を質問すると、亡き師である智鑑は、大いに喜んだのである。
釈迦牟尼仏は、初めて迦葉が来て帰依するのを見て、仏法、並びに、『金襴衣』を摩訶 迦葉に付属させて、第一祖に成らせたのである。
摩訶 迦葉は、『金襴衣』と仏法を頭上に頂いて受けて、昼夜、『十二頭陀』を修行して、未だかつて、怠けなかった。
未だかつて、『屍臥』、『死体のように眠る事』をしなかった。
常に、釈迦牟尼仏の『金襴衣』を頭上に戴いて、『仏想』、『法衣を仏のように想う事』と、『塔想』、『法衣を仏の遺骨を収めた塔のように想う事』をして、坐禅した。
摩訶 迦葉は、古代の仏と等しいのであるし、菩薩と等しいのである。
釈迦牟尼仏は、摩訶 迦葉が来るのを見るたびに、座の半分を(迦葉に)分けて座ったのである。
迦葉は、(仏の三十二相のうち)三十の相を備えていて、(仏の三十二相のうち)『白毫相』と『烏瑟膩沙』、『頂髻相』だけを欠いていた。
そのため、(迦葉が)釈迦牟尼仏と並んで一座に座ったのを、人や天人は楽しんで見たのである。
大体、(迦葉は、)神通、智慧、一切の仏法の、釈迦牟尼仏による付属を受けて、欠いてしまったり減らしてしまったりした物が無かったのである。
そのため、迦葉は、釈迦牟尼仏に最初に見えた時に、釈迦牟尼仏の『金襴衣』と仏法を得たのである」
道元は、次のように、質問した。
「天下には、四種類の寺院が有ります。
いわゆる、『禅院』、『教院』、『律院』、『徒弟院』です。
『禅院』は、仏祖の法の子孫が、嵩山の少林寺での達磨による『面壁』、『壁に向かって坐禅する事』を単一に伝えて、『正法眼蔵 涅槃妙心』、『正しくものを見る眼と、寂滅した妙なる心』を鍛錬して、この『禅院』の中に留めて存在させています。
実に、『禅院』は、釈迦牟尼仏の正統な後継者、仏法の総合です。
その他の寺院は、幹から離れてしまった枝のようなものなのです。
その他の寺院が『禅院』に肩を並べる事は不可能で、論じるまでも無いのです!
『教院』は、中国天台宗の『教観』による物です。
『智者大師』などと呼ばれる『智顗』は、南嶽の慧思の弟子と成って、『一心の三止三観』を受けて伝承して、『法華三昧』、『旋陀羅尼』を会得しました。
『まるで、経に従ったように、善知識を持つ人に従った』と言うべきでしょう。
道元は、遍く、経論師の見解を観て、『一代の経律論を了解した者としては、智顗だけが独り、最も優れている』と思いました。
『光前絶後』、『前代未聞』と言うべきでしょう。
南嶽の慧思は、北斉の慧文から仏法を受けて、悟りを求める事を思い立って心して、根本の禅を明らかにしました。
慧文は、最初は、後ろ手に経を探求して、龍樹が作った中観論を得て、初めて、『一心三観』を確立しました。
それ以来、天下で、『教院』が『宗』、『主』とするのは、皆、中国天台教なのです。
慧文は、中論によったといえども、ただ、龍樹が作った論文をひもといただけで、作者の龍樹には、未だ会った事が無かった。
また、未だかつて、龍樹からの『印可』、『悟りを開いたと認められる事』をこうむった事が無かった。
まして、寺院での『規矩』、『規則』も、『伽藍』、『寺院』の屋舎も、寺院として使用するか否かの相談も、秘訣も、未だ、備えていません。
今、天下で、『教院』は、あるいは、『十六観の室』を構えています。
その『十六観』は、『無量寿経』に由来しています。
この『無量寿経』の真偽は、未だ、不明です。
古今の学者は、疑っています。
中国天台宗の『一心三観』は、西方の『一十六観』と異なります!
中国天台宗の『一心三観』は、仮の物を帯びている教えなのです。
西方の『一十六観』は、密教以外の真実の説なのです。
天と地ほど、かけ離れて隔絶しているし、水と火のように相容れません。
私、道元が考えるに、宗の時代の中国の学者が、中国天台宗の『教観』を未だ明らかにできないので、妄りに、西方の『一十六観』を仮に帯びさせて用いているのでしょうか?
明らかに、知る事ができます。
『教院』は、釈迦牟尼仏の存命時の寺の様子を伝える事ができていません。
中国天台宗以前は、諸々の寺は、きっと、迦葉摩騰と竺法蘭が伝えてくれた事を伝えていたのでしょうか?
『律院』は、終南山の道宣の南山律宗が『濫觴』、『最初』なのです。
しかし、終南山の道宣は、未だかつて、インドの大国に入国した事が無かった。
わずかに、東の中国に伝えられた文書の断片をひもといて見ただけなのです。
たとえ、天人が伝えてくれた説を聞く事ができても、賢者や聖者が親しく教えてくれる事には及びません!
そのため、今、『律院』を自称している寺院による、寺院の建物の『鱗次櫛連の』、『鱗のように、櫛のように、連続している』結び構え方を、学者や仏道修行者の多くは、疑っています。
今、『禅院』を自称している寺院は、天下で『甲刹』、『最も優れている寺』、諸々の山の寺のうち大いなる寺なのです。
千人余りの僧達を収容できています。
百余りの建物が有ります。
『前楼後閣』、『前方が高い建物であり、後方が特定の用途の建物群である配置』で、『西廊東廡』、『西が廊下であり、東が庇が有る回廊である配置』で、まるで煌めく建物であるかのようなのです。
この様子は、きっと、仏祖が『面授して』、『顔と顔を合わせて』、口伝して来ているのです。
構えるべき建物を構えているのです。
建てるべき建物を建てているのです。
実に、『豊屋』、『豪邸』を最優先とするべきではないのでしょう。
『朝参暮請』、『朝と夕暮れに、弟子の僧が、師の僧に法を説いてもらう事』は、きっと、初祖の迦葉の直接の指示でしょう。
文字に依存して解釈している輩と比較するべきではないのです。
このような様子によって、『正しい』とするべきではないでしょうか?
私、道元が信じている事では、我々の仏が『この世』に出現する時は、必ず、古代の仏の儀式によって出現します。
そのため、釈迦牟尼仏は、ある日、阿難に、次のように、話しました。
『過去七仏の儀式によるべきである』
そのため、『過去七仏』の法は、釈迦牟尼仏の法なのです。
釈迦牟尼仏の法は、『過去七仏』の法なのです。
その釈迦牟尼仏、以降、二十八人に伝えて、第二十八祖の達磨に至って、達磨は、親しく、中国に来てくれて、正しい仏法を正しく伝えてくれて、迷っている、情が有る者達を救済してくれました。
また、伝えて、曹渓山の第三十三祖の慧能に至りました。
慧能の二人の『神足』、『高弟』である青原の行思と南嶽の懐譲の法の子孫達は、今、『善知識を持つ人』と自称して、祖師達の代わりに、正しい仏法を伝えて、教化をあげています。
それらが住んでいる場所である、『僧伽藍』、『禅院』は、仏法の正統な後継者による物なのです。
『教院』、『律院』などの寺院と、比べて論じる事はできないのです。
例えば、国に、二人以上の王はいないような物なのです!
幸いにも、乞い求めます。
思いやりで、照らしてください」
(このように、)道元は、「堂頭」である如浄 和尚の前で、細目を問いかけて、何度も礼拝して、香をたいて、申し上げた。
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元の言葉は、とても、正しく、説き得ている。
太古には、『教院』、『律院』、『禅院』という名称は、前代未聞であった。
今の、『教院』、『律院』、『禅院』という名称は、末法の風習なのである。
王や役人は、仏法を未だ良く知らず、妄りに、『教僧』、『律僧』、『禅僧』などと呼んでしまい、寺院に額を与える時もまた、『律寺』、『教寺』、『禅寺』と書いてしまう。
このように、『展転してしまって』、『次々と変化してしまって』、天下には、今、五種類の僧が見られるのである。
『律僧』は、終南山の道宣の法の遠い子孫なのである。
『教僧』は、中国天台宗の法の遠い子孫なのである。
『瑜伽僧』は、不空などの法の遠い子孫なのである。
『徒弟僧』は、『師資』、『師弟関係』が、未だ不明なのである。
『禅僧』は、第二十八祖の達磨の法の子孫なのである。
あわれむべきである。
末法の時代の、中国という辺境の地には、(達磨の法の子孫以外の、)これらのような輩が見られるのである。
西のインドには、『五部』が有るが、唯一の仏法なのである。
東のインドには、五種類の僧がいて、唯一の仏法ではないかのようなのである。
中国に、もし、賢明な君主がいれば、このような違反、混乱は無かったであろう。
あなた、道元は、まさに、知るべきである。
今、『禅院』を自称している寺院の、設計や、儀式は、皆、祖師からの親しい教えによる物、正統な後継者への直伝による物なのである。
そのため、『過去七仏』の古代の様子が有るのは、ただ、『禅院』だけなのである。
『禅院』という名称は、妄りな名称であるが、今、『禅院』で行われている仏法の様子は、実に、仏祖が正しく伝えてくれた物なのである。
そのため、我が宗派、禅宗は、根本、総合なのである。
『律宗』、『教宗』は、幹から離れてしまった枝のようなものなのである。
そのため、仏祖は、法王なのである。
国王が天下で王に即位した時、一切のものは皆、王に所属するのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「仏祖の法の子孫は、まず、『五蓋』、『五種類の煩悩』を除去し、後に、『六蓋』、『六種類の煩悩』を除去するのである。
『五蓋』、『五種類の煩悩』に、『無明蓋』、『無明』を加えて、『六蓋』、『六種類の煩悩』とするのである。
ただ、『無明蓋』、『無明』を除去すれば、その他の『五蓋』、『五種類の煩悩』も除去できるのである。
『五蓋』、『五種類の煩悩』を離れても、無明を未だ離れていなければ、仏祖の修行と証に未だ到達していないのである」
道元は、礼拝して、感謝して、「叉手」して礼拝して、次のように、話した。
「今の如浄の指示のような話は前代未聞でした。
この寺の中の『老宿耆年』、『長老の高徳の僧』達も、『雲水』の兄弟達も、全員、知らない話でしょう。
また、未だかつて、説かれた事が無い話でした。
今日、幸いにも、特に、如浄の大いなる思いやりをこうむる事ができました。
突然、未だかつて聞いた事が無い話を伝承されて指示される事ができたのは、前世から蓄積して来ている功徳による幸福による物でしょう。
ただ、『五蓋』、『五種類の煩悩』や『六蓋』、『六種類の煩悩』を除去する秘術(、秘訣)は有りますか? 否か?」
「堂頭」である如浄 和尚は、微笑んで、次のように、話した。
「あなた、道元が、今までして来ている鍛錬(である坐禅)は、何である、と思っているのですか?
その鍛錬(、坐禅)が、『六蓋』、『六種類の煩悩』を離れるための物なのです。
(坐禅を、)仏から仏へ、祖師から祖師へ、段階を待たずに、直接的に指示して、単一に伝えて、『五蓋』、『五種類の煩悩』と『六蓋』、『六種類の煩悩』を離れて、『五感への欲望』などを非難しているのである。
ひたすらに坐禅に打ち込んで鍛錬して、(古い)心身を脱ぎ落として来ている事が、『五蓋』、『五種類の煩悩』と『五感への欲望』などを離れる方法なのである。
この坐禅以外に、全く、別の方法は無いのである。
(この坐禅以外に、)全く、一つも、方法は無いのである。
坐禅よりも劣るが、第二位の方法や、第三位の方法など、無いのである!」
道元は、感激して、礼拝して、退出した。
道元は、次のように、質問した。
「如浄が、寺院に住んで以来、未だかつて、(美しい)法衣を着ない意味は、どのような物なのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「私、如浄は、長老に成った後、未だかつて、(美しい)法衣を来た事が無いのである。
大体、倹約のためなのである。
仏、及び、仏の弟子は、『糞掃衣を着たい』と欲する物なのであるし、『糞掃衣の精神の手段で入手した器を利用したい』と欲する物なのである」
道元は、また、次のように、話した。
「諸方の長老は、(美しい)法衣を着ていますが、既に倹約ではないし、更に、少し貪欲に停滞してしまっています。
ただし、古代の仏と等しい宏智が法衣を来ていたのを、『倹約ではない』と言うべきではないでしょう」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「古代の仏と等しい宏智が法衣を着ていたのは、倹約のためなのである。
また、仏道に適っているのである。
あなた、道元の故郷である日本国内で、あなた、道元が、法衣を着ても、妨げは無いのである。
私、如浄の寺の中で、私、如浄が(美しい)法衣を着ないのは、諸方の長老が(美しい)法衣に貪欲である弊害を避けるためなのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、ある時、次のように、示して、話した。
「阿羅漢や辟支仏の坐禅は、『著味』、『坐禅への執着』が無くても、大いなる思いやりを欠いてしまっているのである。
そのため、仏祖が、大いなる思いやりを最優先して、『一切の生者達を仏土へ渡そう』と誓って坐禅している事とは異なってしまっているのである。
西のインドの外道もまた、坐禅をする。
けれども、外道の坐禅には、必ず、三つの心配が有るのである。
(第一の心配は、)いわゆる、『著味』、『坐禅への執着』。
(第二の心配は、)いわゆる、『邪見』、『邪悪な見解』。
(第三の心配は、)いわゆる、思い上がり。
そのため、半永久的に、仏祖の坐禅とは異なってしまうのである。
また、声聞もまた、坐禅をする。
けれども、声聞の思いやりは、薄情なのである。
『諸法』、『全てのもの』の中にいて、鋭利な智慧で遍く『諸法実相』、『全てのものの真実の相』に通じない。
独り、自身だけを善くしようとするせいで、諸々の仏と成れる種を断ってしまうのである。
そのため、半永久的に、仏祖の坐禅とは異なってしまうのである。
仏祖の坐禅と言う物は、最初の段階の『悟りを求める事を思い立って心した』時から、『一切の諸々の仏法を集めたい』と願っているのである。
そのため、坐禅の最中でも、生者達を忘れず、生者達を捨てず、人以外の動物まで、常に、思いやるのである。
『仏土へ渡して救済しよう』と誓って願って、所有している功徳を一切の生者達に『回向する』、『譲る』のである。
このため、仏祖は、常に、『欲界』に存在してくれて、坐禅して真理をわきまえているのである。
(仏祖の存在は、)『欲界』の中で、『贍部洲』、『この世』だけが最も優れている理由なのである。
世から世へ、生から生へ、諸々の功徳を修行して、心の柔軟さを得るのである」
道元は、礼拝して、次のように、話した。
「どのようにすれば、『心の柔軟さを得る』事ができますか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「『仏から仏へ、祖師から祖師への、(坐禅による、古い)心身を脱ぎ落とす』事をわきまえて理解すれば、心が柔軟なのである。
柔軟な心を、仏祖の心の印とするのである」
道元は、九回、礼拝した。
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「『法堂』の『法座』の南階段の東西に、獅子の像が有る。
各々の獅子の像は、階段を向いている。
ただし、獅子の像の顔は、少し南を向いている。
その獅子の色は白である。
獅子の全身は白であるべきである。
髪、及び、体、尾が、皆、白なのである。
近代は、白獅子なのに、頭上に青い毛が有るのは、(正しい)獅子の髪を知らないのである。
髪以下、尾に至るまで、皆、白なのである。
あなた、道元が『法座』の上の『蓋』を作るのであれば、『蓮華蓋」にしなさい。
蓮華が地を覆うようにするのである。
八角なのである。
中央に一面の鏡が有り、八つの『幢幡』が有る。
『幢幡』の端に、角ごとに、鈴を掛ける。
蓮華の花びらは、五重である。
蓮華の花びらごとに、鈴を掛ける。
如浄の当寺の『法座』の上の『蓋』と同じにするのである」
道元は、細目を問いかけて、何度も礼拝して、次のように、話した。
「偶然にも、如浄の風鈴の詩の末上句を耳にしましたが、次のように、話していました。
『渾身は口に似ていて虚空にかかっている』
落句では、次のように、話しています。
『唯一普遍に他人の為に知を話している』
いわゆる、『虚空』とは、『虚空色』を言っているのでしょうか?
愚者は、きっと、『虚空色』と思ってしまいます。
近代の学者は、仏法を未だ悟る事ができず、『青天』、『青空』を認めて『虚空』としてしまいます。
実に、あわれむべきです」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「私、如浄の風鈴の詩の『虚空』とは、『般若』、『知』である。
『虚空色』の虚空ではない。
いわゆる、虚空とは、『礙』、『妨げ』が有るわけでもないし、『無礙』、『妨げが無い』わけでもない。
そのため、『単空』の空ではない。
『偏真』の真ではない。
諸方の長老は、『色法』ですらなお、未だ明らめていないのである。
まして、空を悟る事は不可能である!
私の中の、中国の仏法は、宋の時代に衰退していっているのは、言うまでも無いのである」
道元は、礼拝して、次のように、話した。
「如浄の風鈴の詩は、最上の中の最上です。
諸方の長老は、たとえ、『三祇劫』を経ても、また、及ぶ事ができないでしょう。
『雲水』の兄弟達は、各々、頂戴しています。
私、道元は、遠方の辺境の地である日本から出て来ているので、見聞が少ないといえども、今、『伝灯録』、『広灯録』、『続灯録』、『普灯録』、及び、諸々の禅師の他の記録をひもといても、如浄の風鈴の詩に似ている言葉は、未だかつて、有りませんでした。
私、道元は、何による幸運なのか、今、見聞きでき得て、歓喜して、心が踊って跳躍して、感涙して、衣を濡らしてしまいました。
昼夜、頭を地面に軽く叩きつけて礼拝して、頭上に頂戴します。
そうする理由は、端正で正直で、曲調が有るからです」
「堂頭」である如浄 和尚は、まさに車に乗る時に、含み笑いをして、次のように、示して、話した。
「あなた、道元が言い得た言葉には、深く、抜群の『気宇』、『心の器量』が有る。
私、如浄は、清涼寺にいた時に、この風鈴の詩を作った。
諸方の僧達は、賛嘆しても、未だかつて、あなた、道元のように説いて来た事が無かった。
私、天童山の如浄は、『あなた、道元には、見る眼が有る』と認めます。
あなた、道元は、詩を作る時は、この如浄の風鈴の詩のような境地を詩にする必要が有る」
「堂頭」である如浄 和尚は、夜間に、道元に、次のように、示して、話した。
「生死を流転している生者達が、もし、悟りを求める事を思い立って心して、仏を求めたら、仏祖の子、仏祖の弟子なのである。
私、及び、一切の生者達もまた、仏祖の子、仏祖の弟子なのである。
このようなのであるが、(仏祖という)父と(弟子という)子の最初を尋ねるなかれ」
「堂頭」である如浄 和尚は、道元に、次のように、示して、話した。
「坐禅する時は、舌で、上の顎を支える。
あるいは、上の顎の前歯を支えても善い。
もし、四、五十年前から、坐禅を慣習としていて、未だかつて頭を下げて眠った事が無い者は、目を閉じて坐禅しても、妨げは無い。
初心者、坐禅に未だ慣熟していない者は、常に目を開けて坐禅しなさい。(※眠らないためにである。)
もし、長時間、坐禅して疲労して、右半身を改めて直したり、左半身を改めて直したりしても、妨げは無い。
これらが、仏から直々に、わずかに五十人の祖師達ではあるが、正しく伝えられて、証拠が有る坐禅の方法なのである」
道元は、次のように、質問した。
「日本国、並びに、中国の、(坐禅を)疑っている者どもは、次のように、話しています。
『今、禅院で、禅師が広く流通させている坐禅は、とても、小乗の、矮小な段階の、声聞の法なのである』
このような(誤った)非難を、どうすれば、遮る事ができますか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「中国や、日本の、(坐禅を)疑っている者の非難の言葉は、実に、仏法を未だ悟り終わっていない代物なのである。
道元よ、知るべきである。
釈迦牟尼仏の正しい仏法は、小乗や大乗という外見を超越しているのである。
けれども、古代の釈迦牟尼仏は、(生者達を)思いやって、山に入って、遂に、大乗と小乗という『授手』、『教化』の『方便』、『便宜的な方法』を施してくれたのである。
道元よ、知るべきである。
大乗は、七枚の菜餅のような物なのである。
小乗は、三枚の胡餅のような物なのである。
まして、また、仏祖は、本より、幼子を手ぶらのままにさせて、だます事は無いのである。
黄色の葉や、黄金によって、相手に応じて、『授手』、『教化』するのである。
筋肉をひねり、匙を弄して、時間を空しく過ごさないのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「私、如浄は、あなた、道元が僧堂の自分の位置にいて昼夜、眠らず坐禅するのを見て、とても善いと思っている。
あなた、道元は、今後、必ず、『美しい妙なる香りであり、世間で無比のもの』について聞くであろう。
これは、幸運の前兆なのである。
あるいは、面前に当たって、油の滴が地に落ちるのを見るのも、幸運の前兆なのである。
種々の感触が起きるのもまた、幸運の前兆なのである。
ただ、頭が燃えているのを救うかのように、坐禅して、真理をわきまえなさい」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、示して、話した。
「釈迦牟尼仏は、次のように、話しています。
『聞思、法を聞いて思考する事ですらなお、(自分の家の)門の外にいるような物なのである。
坐禅は、自分の家に帰って安穏と坐るような物なのである』
そのため、一瞬でも、坐禅すれば、功徳は、はかり知れないのである。
私、如浄は、三十年間余り、時と共に、鍛錬して、真理をわきまえている。
未だかつて、退転する心を生じた事が無い。
(私、如浄は、)今年、六十五歳であり、老年に至っても、(孔子の『論語』の言葉のように)『弥、堅』、『ますます堅く成っていく』のである。
あなた、道元もまた、このように、真理をわきまえる鍛錬をしなさい。
この如浄の言葉が、仏祖の黄金の言葉の記録であるかのように」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「坐禅している時は、壁、及び、屏風、椅子などに寄りかかるなかれ。
もし、寄りかかってしまったら、病気が生じてしまう。
身体を端正に坐禅させて、『坐禅儀』の通りに坐禅して、慎んで、違反して背くなかれ」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「『坐禅から起きて、坐禅の合間の散歩をしたい』と欲するならば、回るなかれ。
直進するべきである。
もし、二、三十歩くらい歩いて、『回りたい』と欲するならば、必ず、右へ回りなさい。
左へ回るなかれ。
『歩みを移したい』と欲するならば、まず、右足を移しなさい。
左足は、右足の次である」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「釈迦牟尼仏が、坐禅から起きて、坐禅の合間に散歩した行跡は、今も、現に、西インドの鄔萇那国に存在する。
浄名居士の部屋も、今もなお、現に、存在する。
祇園精舎の基礎の石も、未だ消滅していない。
これらのような聖者の遺跡を、もし、人が、ここに至って、はかる時、あるいは、長いとしたり、あるいは、短いとしたりして、未だ、決定できない。
仏法は、にぎやかなのである。
知るべきである。
今日、東の中国に伝えられている、器、袈裟、拳、(真理を嗅ぎ分ける)鼻の孔もまた、人が、はかる事ができないものなのである」
私、道元は、座から起きて、速やかに礼拝して、頭を地面に軽く叩きつけて礼拝して、歓喜して、涙を落とした。
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「大体、坐禅する時、心を諸々の場所で安らがせるが、皆、お決まりの場所が有るのである。
また、坐禅する時、左の手のひらの上で、心を安らがせる事は、仏祖が正しく伝えている法なのである」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「薬山の高沙弥は、比丘の具足戒を備えていなかった。
しかし、仏祖が正しく伝えている仏戒を受けていない訳ではないのである。
『僧伽梨衣』、『大衣の法衣』を着て、器を持てば、菩薩の沙弥なのである。
僧を配列する時、菩薩戒の年数によって配列するが、沙弥戒の年数によっては配列しないのである。
これが、正しく伝えて受けている事なのである。
あなた、道元には、仏法を探求する志の堅固さが有って、私、如浄は喜んでいるのである。
第三十八祖の洞山良价からの系譜を託す相手は、あなた、道元なのである」
私、道元は、次のように、質問した。
「学に参入するのは、古今の仏祖の優れている行跡です。
初心者の時は、仏道に適っているようでも、大衆を集めて仏法を開演する時は、仏法が無いように成ってしまいます。
しかし、また、初心者の時は、悟っている物が無いようでも、仏法と仏道を開演する時は、とても、『古代の高徳の僧を超越しよう』という志が有ります。
そのため、初心者の時を『真理を会得している』と見なすのでしょうか? それとも、老成者の時を『真理を会得している』と見なすのでしょうか?」
「堂頭」である如浄 和尚は、次のように、思いやり深く、教えて、話した。
「あなた、道元の質問は、釈迦牟尼仏の存命時に菩薩や声聞が釈迦牟尼仏にした質問と同様なのである。
いわゆる、
『もし、法は増減しないのであれば、どうして悟りを得られるのでしょうか?
ただ、仏だけが、悟りを得る事ができる事に成ってしまいます。
どうして、(仏ではない)菩薩が悟りに関わる事ができるでしょうか?』
これが、菩薩や声聞が釈迦牟尼仏に質問した疑問なのである。
また、西のインドから、東の地の中国まで、古今、正しく伝えられている指示が有るのである。
仏から仏へ、祖師から祖師へ、次のように、正しく伝えられているのである。
『初心だけではないのである。
初心を離れないのである』
どうして、このようであるのか?
もし、初心だけが真理を会得できてしまうのであれば、悟りを求める事を思い立って心すれば、菩薩は仏に成ってしまう。
これは、正しくないのである。
もし、初心が無ければ、どうして、第二段階の心や第三段階の心や、第二段階の法や第三段階の法が有り得るであろうか? いいえ! 初心は存在する!
そのため、老成者は、初心を根本とするのである。
初心者は、老成を期待するのである。
今、現実の物で、この、初心者と老成者を例えよう。
例えば、ロウソクの火が、ロウソクの芯を焼くのは、最初だけではないのである。
最初を離れないのである。
最後だけではないのである。
最後を離れないのである。
不退転なのである。
新しい訳ではないのである。
古い訳ではないのである。
自分だけではないのである。
他のものだけではないのである。
ロウソクの火は、菩薩道の例えである。
ロウソクの芯は、無明の例えである。
ロウソクの火は、まるで、初心に相応している智慧であるかのようである。
仏祖は、『一行三昧』、『坐禅への専念』に相応している智慧を修行して習って、無明という迷いを焼き尽くすが、初心者の時だけではないのである。
老成者の時だけではないのである。
初心と老成を離れないのである。
これが、仏祖が正しく伝えている主旨なのである」




