第2話
空き教室を出た後、私はしばらく廊下で立ち尽くしていた。
(あれは反則だわ)
思い出しただけで顔が熱くなる。
落ち着こうと深呼吸する。
これは契約、ただの偽の恋人関係であって、それ以上でもそれ以下でもないはず。
「サラ。」
背後から声がしたので振り向くと、アレクセイが立っていた。
相変わらず涼しい顔。
さっき髪にキスした人と同一人物とは思えない。
「まだ何か?」
私が言うと、彼は当然のように私の腕をぎゅっと取った。
完全に恋人の距離。
「ちょっと! 人が見てます。」
「それが目的だ。」
さらりと言われ、私は頭を抱えたくなる。
「段階ってものがありません?」
「そんなものは無い。」
即答し、彼はそのまま歩き出す。
向かった先は、学園中央の廊下。
昼休み前になると、令嬢たちが自然と集まる場所だ。
当然――
私たちが現れた瞬間、空気が止まった。
「そんな……。」
「アレクセイ様が……。」
令嬢たちの視線が一斉に向く。
そして次の瞬間、一人の令嬢が近づいてきた。
艶やかな金色の巻き髪に指先まで洗練された所作。
学園でも有名なご令嬢
イザベル・ド・ラングレイ。
歴史ある伯爵家のご令嬢で、アレクセイに長年想いを寄せていることで知られている人だ。
彼女は少し戸惑った顔で言った。
「あの、アレクセイ様。そちらの方は……?」
視線が私と彼の腕へ向く。
どう説明すべきなのか混乱し、私は内心で冷や汗を垂れ流していたその時、アレクセイが口を開いた。
「かねてからの私の思いを告げたところ、ようやく彼女が受け入れてくれたところなんだ。」
その言葉の威力たるや凄まじく、廊下が凍りついた。
イザベルの目が見開かれるわ、周囲の令嬢たちも固まっている。
私はというと――
(ちょっと待って、そんな設定は聞いていない)
でも、当のアレクセイは涼しい顔。
そして少しだけ私を引き寄せた。
「サラ、こちらに。」
私は心の中で叫んだ。
(この鉄仮面貴公子、演技うますぎる!!)
額を押さえたくなる。
終わった。
完全に終わった。
私の学園生活。
終わった。
でも、隣の男は楽しそうに私の耳元で囁く。
「よし、成功だ。」
「何がですか。」
その時だった。
後ろから声がした。
「へえ。」
低くて、どこか艶のある声。
「随分と派手にやってるな。」
振り向けば、そこに立っていたのは黒髪の男。
舞台俳優らしい華やかな雰囲気。
そして、幼い頃から私のよく知っている顔だった。
「……ヤグディン!?」
彼はゆっくり歩いてくる。
周囲の令嬢たちがざわめいた。
それも当然だ。
この男も有名人。
王都で最も人気の舞台俳優。
そして噂では――
王妃の寵愛を受ける男。
ヤグディンは私の前で止まり、それからアレクセイを見る。
「久しぶりだな、サラ。」
懐かしい声。
だけど、その目は昔よりずっと鋭かった。
ヤグディンは顎でアレクセイを示した。
「サラ、気を付けろ。そいつは、かなり強かな男だ。」
私は思わず小さくため息をつく。
「ええ、十分に思い知らされたところよ。」
すると。
アレクセイが小さく笑った。
その笑みは、どこか楽しそうですらある。
「忠告はありがたいが、彼女が警戒すべき男は、もう目の前にいる。」
冗談のように聞こえるのに、その目は少しも笑っていない。
私は二人を見比べた。
幼馴染のヤグディン。
そして今日、恋人もどきになった辺境伯家の貴公子。
そのどちらも、どこか底が見えない。
私は心の中で思った。
(それは、本当にそうかもしれない)




