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涙は常に美しい?

ノンフィクション脚色なし。完全にただの日記。

 卒業式。今日はひとつ上の代の先輩たちが、晴れて卒業を迎える日だ。わたしたちは在校生として式に出席し、1時間半ほどパイプ椅子に座って過ごした。たまに立ったり、礼をしたり、吹奏楽部の演奏に合わせて口をぱくぱくさせたりした。わたしは、国家や校歌のような甲高い音を出すことが得意ではないため、きっとわたしの歌声は目の前の生徒の耳にも届いていだろうと思った。だから、後方できちんと声量を出して歌っている生徒たちに、わたしは小さく感謝した。

 自分が主役ではない式典は長いものだ。なので、ますわたしは、晴れ舞台用のヘアスタイルをキメた先輩たちの髪型を観察した。三つ編みの網目やスタイリングされた毛並みををゆっくり眺めていると二十分程時間を経たせることができた。或いは、かなり視線を集めるほどうとうとしている隣の子を、叩いて起こすか起こすまいか葛藤していたら何となく時間があっという間に過ぎていた。

 結局わたしは、式で泣くことはなかった。三年生の中には部活でお世話になった先輩が四人いるし、涙を拭いながら退場している三年生を見て、グッと胸にくる瞬間は何度かあった。それでも私の目から涙は落ちることはなかった。在校生だからそれが普通ではあるものの、一年後自分が卒業する立場になったときは泣くことができるだろうか、と思った。それは決して気鬱な意味ではなくて、単純な疑問として浮かび上がってきた。

 華やかな音楽に包まれて三年生が退場し終わると、斜め左前には目を真っ赤にして泣いている子がいた。白いハンカチで鼻を抑える手は少し震えているようにも見えた。そういう子は、澄んだ心をもっているだとか、感受性が豊かだとかいって、評価されるのだろうか。

 わたしは、こういうお涙頂戴系に分類されるイベントでよく見かける、泣いている人が注目されたり、それを周りの友人が抱き寄せて慰めたりしている時間があまり好きではない。自分があまり泣かないタチだからといって、こんな思想を書き起すのは倫理的にどうかと思う。何故なら、かく言うわたしも今日涙をこぼす友人の肩をさすり、慈悲の表情を周りに見せたからだ。慈悲の表情というのは、口元に少し力を入れて、眉毛を少し困らせ、瞬きの頻度を高くするという、言葉にすると何とも作業的な技だ。

 校門を出て駅まで歩き、電車に乗った。席に腰を下ろした途端、やっと、自分を繕う任務から解放されたことに心から安心した。そして、その時のわたしは無性に"今"を感じたくなかったので、死をテーマにした小説を読んで時間を過ごした。家に帰りつく頃には疲れ果てていた。世界は誰軸でも回っていないのに、どうしてこうも幸せ者と不幸者が存在するのだろうと思った。

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