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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王諸共勇者は死んだ。その後を、賢者は追えなかった

作者: 石山 京

 魔王は斃された。

 天界と下界の狭間で、神と勇者と大賢者が死闘の果てに滅ぼした。

 黒く染まっていた空には数百年ぶりに日が顔を見せ、世界各地で歓喜の鐘が鳴り響いた。


 勇者は死んだ。

 天界と下界の狭間で、魔王の命と引き換えにその身を滅ぼした。

 神はその魂を天界まで連れ帰り、大賢者はその死に絶叫し自らの喉を貫いた。


 一晩、二晩、三晩と、人々は涙を流し続けた。

 右の瞳からは喜びの雫を、左の瞳からは悲しみの雨を、途切れることなく降らせ続けた。


 そして勇者は————天からそれを、見下ろしていた。






「おー。セシル、頑張ってんなー」


 気の抜けた声が雲の上に響いた。

 たいした声量ではないが、その他が風の吹く音と猫の鳴き声くらいしかないこの天界では十分に大きな声だった。


 もこもこふわふわとした天然の純白クッションに腰掛けながら宙に浮かぶ鏡を眺める彼こそが、数百年もの暗黒時代から下界を救った勇者である。


 胡座あぐらの上に翼の生えた猫をのせてその顎下を弄りながら、鏡に映る相棒の勇姿を見つめていた。長杖に付けられた鈴の音を響かせ味方に指示を出す姿に、彼の口元は自然と弧を描く。


 天界と下界の狭間で彼がその命を散らせたとき、大賢者と呼ばれた彼女もまたその長杖の石突で自ら喉を貫き、一度は命の灯火を途切れさせた。

 しかし彼の隣に来ることは、彼が許さなかった。すでに天界へ至っていった勇者が彼女を強制的に蘇生したのだ。彼女が死後間も無く、体と魂が天と下界の狭間に位置していたから可能な奇跡だった。


 ぼろぼろと、勇者の亡骸を抱えてとめどなく涙をこぼす彼女に彼は一言だけ、神の力を借りて言葉を届けた。


 涙は、すぐには止まらなかった。それでも彼女は、前を向いた。

 彼の亡骸を故郷に連れて帰り、ことの顛末を王に伝えた。跪き両手を組み合わせ感謝を述べる王に背を向け、彼女は再び戦場に向かった。


 魔王は斃されても、その残党まで消滅するわけではない。

 四天王と呼ばれた魔王直属の部下が、あるいはその四天王の部下が、未だ各地で人々を虐げ、弄んでいた。その征伐が終わるまで、戦いは終わっていなかった。


「ヒロ? セシルは大丈夫そう?」


 輝く金の髪に同じ色の瞳をした美しい女性が、お菓子とお茶の載ったお盆を持って歩いてきていた。

 使用人のようなことをしている彼女だが、彼女がただの召使いなどではないことはそのオーラがまざまざと見せつけている。


 そう、彼女こそが勇者ヒロ、大賢者セシルと共に魔王を斃した神、マリアである。


「セシルがこの程度の奴ら相手に怪我なんてすると思うか?」

「……まあ、それはそうなんだけどさぁ」


 顔を合わせればいがみ合っている大賢者と神だが、相手が近くにいなければこの通り。ならば最初から仲良くすれば良いのにと呆れる勇者だが、神に関しては仕方のない部分もあるかもしれない。


 ……なぜなら、彼女が一度下界に顕現したとき、大賢者はその脳天目掛けて雷撃をぶちかましたのだから。

 勇者が最も命の危険を冒したのは魔王との直接対決だが、大賢者が最も命の危険を冒したのはあのときだった。もし神が顕現できる時間がほんの僅かでなかったのなら、セシルは勇者より先にこの場にいたかもしれない。


 なお、そのとき大賢者は「神罰!」などと宣っていた。今貴様が渾身の一撃を喰らわせたのが神である。

 バシッと頭を叩いた勇者に大賢者は不満げな瞳を向けていた。解せぬ、とは勇者の談である。


 閑話休題、そこまでの暴挙にも流石の慈愛を見せていた神が勇者の隣に腰掛けた。——訂正。しっかり反撃の一撃を叩き込んでいた神が勇者の隣に腰掛けた。


 サラサラとした金髪が勇者の腕に触れる。

 近い、とは思ったがそれを口に出さないだけの分別を、勇者は魔王討伐の長い旅で身につけていた。


「あの子、まだ無茶してるんでしょ? 過ぎたる欲は身を滅ぼすって教えておけばよかったかしら」


 はむ、とお茶菓子を口に入れ、さらに一つをつまんで勇者の膝の上の猫に与えながら神はため息をつく。


「…………残党狩りで全く死者を出さないなんて、いくらあの子でも無謀すぎるのよ」


 不安げに揺れる神の瞳には、杖を掲げて苦しげに奥歯を噛み締める大賢者が反射していた。


「………………セシルは、大丈夫だよ」


 勇者はそう、断言した。




 戦いは佳境を迎えていた。


 敵の総大将は魔王軍四天王最後の生き残り、不死万軍のイモーク。数多のアンデッドを使役し、戦場で殺した相手をアンデッド化させることで一時は万を超える配下を持っていた死霊術師。紛れもない難敵である。

 勇者が生前、大賢者と共にその配下の数を大幅に削り、死霊術師は姿をくらませた。魔王討伐後、再度力を蓄えていたそれが再び現れて人々を襲っていたのだ。


 この死霊術師を倒せば、魔王軍の主だった敵は全て打ち滅ぼしたことになる。大賢者にとって最後の戦い、そういっても過言ではなかった。


 死霊術師が今操ることができるアンデッドの数は百といったところか。この戦いが始まったときから半分以下にまで減っているが、大賢者側の消耗も当然大きい。


 そもそも、大賢者側は頭数が少ない。

 アンデッドの数を相当減らした今でなお五倍は差がついてしまっている。いざという時に大賢者が守り切れる程度の数、その限界であった。


 大賢者軍は魔王の死後、戦闘でただの一人も死者を出していない。しかしこの最後の戦闘は、その伝説を悪い意味で終わらせてしまう可能性を、十二分に孕んでいた。


「……セシル、ぎりぎりね。最後までもつかしら」


 戦況を俯瞰し、神が言った。


「浄化術式が完成しても、イモークはやれない。アンデッドは二十程度を残して消滅するでしょうけど、その時にはセシル側も満身創痍よ」


 手持ち無沙汰に長い金髪をいじっていた神の体育座りの太ももに、別の猫が飛び込んでくる。不安を押し隠すようにその翼を撫で、神は勇者に身を寄せた。


 勇者と神が見つめる鏡面では、五人の術師が円形になり術を唱えていた。

 そのうちの一人は勇者も知っている。プレール、という聖職者の少女だ。共に旅をしたことこそないものの、力を合わせてある辺境伯領を守った、いわば同じ釜の飯を食った仲間である。

 勇者や大賢者ほどではないものの、その実力は確かなものだ。


 それを五人を戦士が、そして大賢者が守護している。戦士が傷を負いながらも、大賢者が額から脂汗を流しながらも、アンデッドの猛撃を耐え凌いでいた。


「——耐え切った」


 勇者が呟いた、その瞬間、五人の術師の足元に大きな魔法陣が出現した。


 水色の光を発する魔法陣。それは瞬く間に戦場を覆い、アンデッドを焼き尽くさんと眩いほどの聖光で襲いかかった。

 耳障りな悲鳴をあげながら朽ちていくアンデッド。しかし神の予見の通り、数にして十六のアンデッドと死霊術師がその光を耐え凌いだ。


 アンデッドの猛攻から術師を守り抜いた戦士たちはすでに傷だらけ。大規模術式を行使した術師もほとんどが座り込み息を整えている。

 唯一、勇者も知る聖職者だけが両の足で大地を踏みしめ大賢者の隣に並んでいたが、無理をしていることは誰の目にも明らかだった。


 咆哮を上げ、アンデッドが大賢者たちに襲いかかる。そのそれぞれがあの浄化の光を耐え凌いだ猛者だった。


 神が、青褪めた。


 勇者が、笑った。


「——自分の状態は常に偽れ。それが敵の隙をおびき出す」


 ガンッと、戦場に硬質で力強い音が響いた。苦しげに奥歯を噛み締めていたはずの大賢者が、脂汗を流していたはずの大賢者が、その瞳を爛々と輝かせ杖を地に叩きつけていた。


 瞬く間に、魔法陣が描かれる。場所は、大賢者の足元。

 つい先ほど五人がかりで完成させた浄化術式が、その威力を強め再びアンデッドに直撃した。


 光がおさまった頃、まだ残っていたアンデッドは三。


 死霊術師は、わなわなと拳を握りしめていた。大賢者の顔にはちょうど今の勇者と同じ、不敵な笑みが浮かべられていた。


 絶叫を上げながら、死霊術師が残ったアンデッドと共に大賢者へ突撃する。


 アンデッド使いというイメージが先行しているが、実のところ死霊術師自身も相当な使い手である。流石に魔王や他の魔王軍四天王と比べると劣るものの、多少鍛えた程度の人間は瞬きのうちに殺せてしまうくらいには、彼自身も強い。


 大賢者を除き、その戦場にいる人間は全て精魂尽き果てていた。体力が尽き気力で戦った、その後の状態であった。そんな状態で魔王軍四天王の攻撃など、耐えられるはずもなかった。


 これだけの数の敵を屠ってなお、戦況は大賢者側にとって最悪だった。


 神は勇者の手を握り、勇者は囁いた。


「——戦況とは把握するものじゃない。戦況とは、自らの手で変えるもの」


 ヒュンッと、風を切る音が鳴った。

 大賢者がその手に持つ長杖が左上から右下に、斜めに空間を切り裂いた。

 杖の先端から溢れ出した光が、大賢者たちを囲った。


 聖光結界。邪に連なる者を遮断する最上位聖魔法。その威力相応の負担もあるが、終盤に差し掛かった今であれば最後まで展開し続けることも可能だろう。


 余力を残した大賢者と守られるべきその仲間から、余力を残した大賢者ただ一人に死霊術師の相手が変化した。

 どちらが難敵であるかは、唸る死霊術師の反応を見ればわかるだろう。


 聖光結界は、一つでは終わらなかった。

 死霊術師と残ったアンデッド三体を隔離するように、さらに青白い半透明の壁が構築される。


 華奢な体に大きな杖を持っているとは思えない速度で、大賢者がアンデッドに攻め入った。

 左の膝を突き、体勢が崩れた所に聖なる光を浴びせかける。瞬く間に、アンデッドの数が二に減った。


 たかだか最上位アンデッドの数体ごとき、世界を救った大賢者の敵ではなかった。


 アンデッドを隔離していた結界が解除される。

 そこにはもう、大賢者の他には塵しか残っていなかった。


 歯噛みする死霊術師に大賢者の標的が移る。

 正真正銘、最後の敵だった。


 カンッ、カンッと、死霊術師の大鎌と大賢者の長杖が火花を散らす。

 当然、死霊術師の戦闘能力は魔王に遠く及ばない。しかし勇者を失った大賢者のそれもまた、全盛期には遠く及ばない。


 息が乱れ、汗が滴る。大賢者の仲間たちはへたりこみ、結界の中固唾を呑んでそれを見守った。


 ぎゅっと、神が勇者のそれを握る手に強く力を込めた。


 大賢者が攻撃に振り切った。本来は前衛ではない彼女に持久戦性は不利、そう判断したのだろう。

 そしてその判断は、勝機を生み出すと同時に敗北への近道でもあった。


 死霊術師が、大賢者が、各々の武器を大きく振りかぶった。


「——使えるものは何でも使え。それが世界を救うなら」


 死霊術師の大鎌が大賢者の胴を半ばまで切断する。

 大賢者の長杖が死霊術師の喉を突き刺し、聖なる光を送り込む。


 燐光が煌めき、血飛沫が舞う。


 なあマリア、と、雲の上で勇者は神に問いかけた。


「顕現、まだ一回だけできたよな?」

「え? …………それは、できるけど。やっちゃったら私、向こう千年は下界に干渉できないわよ?」

「もう、いらないよ。これが終われば、アイツらは勝手に生きていくさ」


 朽ちた死霊術師をその目で見送り、大賢者は倒れ伏した。

 聖光結界が音もなく崩れ、仲間たちが大賢者に駆け寄る。膝をつきながら這ってでも、彼らは大賢者の側に向かった。


 血反吐を吐き、真っ赤な血がその体から流れ続ける。


 それを鏡越しに見ながら、勇者は猫を足の上から降ろした。


「————ただし、命だけは、何があっても使うな」


 勇者はこれを、最後の最後で破ってしまった。


 ——大賢者は、最後の最後まで、破らなかった。


「行くぞ、マリア」


 勇者は、立ち上がった。




 仲間たちは、悲しみに暮れていた。

 まだ息はある。しかしそれが今にも消えようとしていることは、誰の目にも明らかだった。


 聖職者がその手を握って声をかける。

 大賢者はそれに、薄く微笑むだけだった。


 ——風が、吹いた。


 不意に、殺伐とした旧魔王領の荒野に、一筋の穏やかな風が流れた。


 天から降り注ぐ金色の光が、大賢者を照らした。


 十センチにも及ぶ胴の傷がみるみるうちに消えていく。そんなもの最初から無かったとでもいうかのように、大賢者の服さえ切り裂かれる前の状態に戻っていた。


 回復魔法などとは比べることすら烏滸がましい神の奇跡。それを間近で観測した大賢者の仲間たちは、大急ぎでその首を垂れた。


 唯一大賢者だけはゴロンと寝返りを打ち仰向けになると、両手を大きく広げ、寝転がったまま満足そうにその頬を緩めた。


 ヒロ、と呟いた大賢者に呼ばれたように、二つの影が姿を表す。


「あなた、無茶しすぎなのよ。私これで千年間天界で軟禁生活なんですけど」

「うるさいマリア。待ってたのはあなたじゃない」

「——はぁ!? 言っておきますけど、あなたのこと治してあげたの私だからね? 何を呑気に寝転がってるのよ! もう完治してるんだからさっさと跪いて私の靴を舐めなさい!」


 荒れ果てた世界でも光り輝く金髪を逆立てながら怒りを露わにする神。威厳もへったくれもないその姿に、大賢者の仲間たちは夢でも見ているのかと頭を振る。


 変態、と。神の本性を知る大賢者本人は、それを一言であしらった。


 勝利への祝福か、顔を覗かせ始めた眩いほどの太陽に目を細めて、大賢者は愛する彼の名前をもう一度呼んだ。


「————ヒロ」

「ああ、見てたよ」


 うん、と。大賢者は満足げに頷く。


 神が顕現できる時間は限りなく短い。それは勇者も大賢者も、その身を以って知っていた。

 だから大賢者は万感の思いを、このたった一言に込めた。


「——ずっと見ててくれないと、許さないから」


 川のように地面に広がる蒼白髪に、勇者は陽だまりよりも優しい笑みを返す。


「——おばあちゃんになるまで、見といてやるよ」


 大賢者が勇者の口からこの言葉を聞くのは、これで二度目だった。

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