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スマイル  作者: 小町翔石
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第六話  夢、オモイ

    3



 カズマが専門学校で料理の腕を磨いている間に、アユミは仕事をしている。

 仕事と言ってもOLではなく、洋服店の店員だ。

 バイトから社員になって二年目になる。

 社員として雇用されるのはこれで二度目だ。

 つまり三年ほど前に一度職を辞している。

 それがアユミに影を落としているのだが、それをカズマに詳らかにする気はない。


 早番では朝の九時半から夕方六時半、遅番では昼の十二時半から閉店後の夜中、十一時半まで笑顔で接客やレジ打ちなどをしている。

 どの仕事も大変であることに変わりはないのだが、OL時代と比べたら精神的に楽な仕事と言えた。

 同僚に恵まれたということもある。

 そんなに大きな店ではないため、従業員はアユミも含めて五人なのだが、それで人手は充分に足りている。

 店長に先輩ふたり、忙しい土日のアルバイターと、アユミだ。


 先輩と言っても、ふたりとも年は下だ。

 ひとりは服飾系の専門学校を出ていて、洋服にとても詳しい。

 だが専門知識をひけらかしたりはしない。

 アユミの服やアクセサリーのブランドをよく知っていて、それ何々だよね、かわいい、だとか褒めてくれる。

 もうひとりはアユミと同じアルバイトからの正社員で、横浜から通っている。

 小柄で華奢で可愛らしいのだが、本人はそれがコンプレックスだという。

 年相応に見られないのが嫌なの、だそうだ。

 

 ふたりともアユミには基本的にはタメ口だ。

 だが名前を呼ぶときは、アユミの後に「さん」をつける。

 アユミも、相手は年下ではあるが、先輩なので「さん」を付けて名前を呼ぶ。

 言葉使いも敬語だ。

 年下に敬語を使うことに抵抗があるひともいるだろうが、全く嫌な気分はしない。

 働きやすい職場だと、アユミは思っている。

 ただ、そんなに深い仲というわけでもないのだが。


「それ、手作りですか?」


 アユミが働いている洋服店の入っているビルの従業員専用の食堂の片隅で、ひとりでカズマが作った弁当を食べていると、私は無害ですよ、という意思表示の笑顔を浮かべた男性が話しかけてきた。

 同じビルで勤めているのだから、顔は見知っている男性だった。

 三十前後で肩のがっしりとした、左手にシルバーのリングをふたつ付けた男だった。


「はい」

 とだけ答えた。

「僕も最初は手作り弁当だったんですけど、続かないですね。ご自分で作ってるんですよね?」

「いいえ。……友達に料理好きな子がいて、その子に頼んで作ってもらってるんです」

「へえ。料理好きな娘。いいですね」


 どうやら女性だと勘違いをされてしまったようだと気づいたが、訂正はしなかった。


「あなたのお店に、背の小さな方、いますよね。可愛い感じの。あのひと、彼氏とかいるかどうか、知ってますか?」

「いるみたいです」

「そうかー。やっぱいるかー」残念だとがっくりと肩を落とした。「いや、いるならいるでいいんです。そうか、好きだったんだけどなあ」


 彼氏がいるなら奪えばいいという考え方をしないところがアユミは気に入った。


「じゃあ、もし別れたときは、教えてください。そのとき僕がフリーだったら、声、かけてみますから」


 それじゃあと席を立って、振り返りもせずに食堂から出て行った。

 五分にも満たない会話ではあったが、不快ではなかった。

 いや、成り行きとはいえ、カズマを友達と言えたことで、心にひとつ、灯がともったくらいだ。

 さりげなく周囲を確認しながら、笑みが漏れそうになるのを、ぐっと堪えた。


 仕事を終え、ひとり帰宅の途に就き、アパートの前まで来て、カズマの部屋のドアを見た。

 おそらくもう寝ているであろうカズマが愛おしくなった。

 この次はもう少し優しくしてあげようかなと、アユミは思った。


 次にふたりの都合がいい日は明々後日、日曜日の、しかし午前中のみだった。

 早めの昼食を一緒に食べるのは決定事項だ。


 部屋に入ると、アユミは入浴の前に弁当箱を洗った。

 それをスヌーピーの弁当袋に入れて、いつものようにカズマの部屋の郵便ポストに入れておいた。

 少し恥ずかしくはあったが、弁当袋はカズマのセンスで選ばれたものだ。

 二、三クレームを言ってから、使っている。


 午前九時半。

 午後十時。

 午前七時半。

 午前零時、就寝前。


 明々後日が明後日になり、明日になり、一晩眠れば今日になる。

 苛々はしたくはない。

 アユミは強く思う。

 苛々なんて、したくないの。なのになんであいつが……。


 どの宗教にも属してはいないが、苛々なんてしないで済むようにと、神に祈った。

 そしてアユミは眠った。


 夢を見た。

 まだ社会人一年目だったころの記憶だ。

 厳密には、社会人一年目だったころの記憶がベースになった、フィクションとノン・フィクションが入り混じった物語だ。


 アユミは夢はよく見るほうだ。

 しかし大半は起きて朝食(ほぼ毎日変わらず、昨日の昼か夜に残ったおかずと飲むゼリーとヨーグルト、それにピーナッツ・クリームを塗ったパン一枚とコップ一杯の牛乳だ)の用意をするころには忘れてしまう。

 なのになぜ、と舌打ちをし、ため息をつく。

 そうせずにはいられないのだ。

 こんな気持ちでカズマに会いたくない。

 ないのだが、九時になる五分前にはカズマはやってくる。

 何の罪もない、無垢なカズマが。


 何も今日じゃなくても。

 嫌な日の後に嫌な夢が重なるなんて……。

 どうやら神様に祈りは届かなかったようだ。

 アユミはまたため息をついて、でもするべきことをしないわけにはいかないと、バスルームに向かった。

 

 やはりカズマは九時の五分前に来た。

 インターフォンで応対し鍵を開けて、しかし部屋に入ってきたカズマは笑顔だった。

 何も知らないのだから(知りようがないのだから)致し方のないことだ。

 致し方のないことではあるのだが、機嫌の悪いときに、機嫌の悪いことにまったく気がつかずにニコニコといられて、いい気分のする人間はそうはいない。


 これはカズマの知らないこと、これはカズマには関係のないこと、カズマは何も悪くない、カズマには何の非もない。

 それはわかってる、わかっている。

 だから私よ、苛々するな。

 アユミは心の中で繰り返した。


 苛々するな、苛々するな、苛々するな。


 そんなアユミの胸の内を、カズマは知らない。

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