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スマイル  作者: 小町翔石
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第二十九話  スマイル

                      15



 後日、アユミはカズマにすべてを話した。

 不倫をしたということは、ほかの男に抱かれていたと告白するのと同義だ。

 アユミの年齢を考えれば複数の男性経験があって当然だ。

 当然ではあるのだが、不倫となるとまた話が変わってくる。

 それをありのままに話したのだ。


 それは恥部である。

 話すのは苦しいし、聞く方も辛い、好きであればあるほどに。


 だが、一寸先も見えない暗闇に灯る光も、ある。

 なぜそれをカズマに話したのか、だ。

 そんな過去は隠しておけばいい。

 なかったこととしてとぼけてしまえばいい。

 実際にそうしているひとたちもいるだろう。


 でも、アユミは違うのだ。

 そしてカズマもまた、違うのだ。


 話し終えたとき、アユミは無意識のうちに目を閉じていた。

 重い瞼を上げると、驚くことになった。

 カズマの目に涙が浮かんでいたのだ。


「なんで泣くの?」

 とアユミが訊いた。

「まだ泣いてないよ」

 とカズマが鼻を啜った。そして

「ありがとう」

 と続けた。


 アユミはこくっと肯いた。何がありがたいのか、何に対してのありがとうなのか、わかるからだ。

 七月の太陽にも負けないきらめきには、どんな暗闇も消し去る力がある。

 ひとはそれを、「愛」と呼ぶのだ。


 けじめだからと、アユミはカズマのスマートフォンで真夏に謝罪する動画を撮った。

 真夏にちゃんと見せるようにとカズマに強く念を押した。

 アユミは丁寧にしっかりと頭を下げて、あの日の無礼を詫びた。

 言い訳をして遠回しに自分を正当化するような真似は一切しなかった。

 もちろん、薄笑いを浮かべるだとか棒読みで喋るだとかとひとを虚仮にするような真似も微塵もしなかった。

 ときおり目を伏せたもののスマートフォンを見つめ、誠意をもって謝ったのだ。

 夏物の服のいくつかがもうそろそろセールになるから、お店に来てねと最後に愛嬌を見せて手を振った。


「明日、必ず見せるよ」


 とカズマが言った。

 宣言どおり、カズマは翌日、授業が終わってバイトに向かう前の時間に、真夏をアパートに招いて件の動画を見せた。

 真夏はしばらく黙っていたのだが、口元に笑みが浮かんでいたのでカズマは心配はしなかった。

 スマートフォンをカズマに返して言った。


「男前なところがあるのね、アユミさん」

「うん。こういうところに魅かれたんだ」

「それ言う?」


 自分を好きだと言った相手にそれを言うのかという意味と、惚気ることをよくひとに言えるわねという意味のどちらか、あるいは両方なのかは量りかねたが、空気は砕けた。


 真夏は髪を切った。

 以前は鎖骨くらいまではあったが、五センチほど短くして、いまは肩にはぎりぎりかからないくらいになっていた。

 それが失恋と関係があるのかどうかはカズマにはわからないが、学校でカズマと話すときでも不自然な態度は見せなかった。

 だから学校の誰も真夏がカズマに恋愛感情を持っていたこともそれが破れたことも、気づくどころか頭によぎりもしなかったはずだ。

 新しい髪型をある者は可愛いと言い、ある者は似合ってると言った。


「私を振って選んだひとなんだから、幸せになってね」


 そう笑って、真夏は帰っていった。

 後日、真夏が店に顔を出して、セール品を買っていったとアユミから聞くことになる。

 カズマの話も少しだけしたらしいが、女子同士の秘密だと意味深な顔をされては、カズマが追及する余地はなかった。

 険悪なムードにならなかったようなのでそれはよかったと胸を撫で下ろした。

 

 ただ、人生にはいくつもの山や谷がある。

 差し当って一難は去ったがもう一難、カズマの目の前にあるのだ。


 ここ数週間でひとり、またひとりと天国行きのチケットを手にしているが、カズマはいまだに暗中模索状態なのだ。

 カズマとしてはエメラルド行きのチケットを手に入れられるのが一番だったのだが、エメラルドでは発券はしておらず、どこか別の天国を探さなくてはならない状況で四苦八苦しているのが現状だ。

 そう、カズマは卒業後の就職先が、まだ決まっていないのだ。


「カズマはシェフになりたいの? 主夫になりたいの?」


 アユミは言って笑った。

 カズマも

 「主夫になる準備もしておいた方がいいかも」

 と冗談を言ったのだが、現状に冷や汗をかいていた。


 このまま交際をつづけるのなら、当然その先には結婚というひとつのゴールが待っている。

 そのときにアユミの稼ぎを頼りにするというような状況にはしてはいけないのだから、カズマが雇ってもらえるように理想を捨てて門を叩かなければならないとはわかってはいる。

 いるのだが、如何せん一年半近くアルバイトとして働かせてもらっているエメラルドと、どうしても比較してしまうのだ。

 アルさんがいかに優遇してくれているか、またエメラルドがいかに働きやすい店なのか、思ってもアルバイトと正社員では給料の面でどうしても差が出てしまう。

 

 カズマは自分の考えを改めて面接に臨まなくてはいけないと、靴ひもを結び直した。

 学校でチケットを手にしたひとたちに面接のコツなどをリサーチしたりもした。

 そうして受けた面接の結果が、届いた。


「アユミさん、出たよ、結果」

「どうだった? 早く封切って」


 これが何度目かの結果発表だったので、アユミもさすがに笑顔ではいられなかった。

 カズマがたっぷりと間をとるので、アユミはもう一度、

 どうだったの?

 と訊いた。


「合格」

「やった」

 これまで鳴らせずにいたクラッカーが、カズマを祝福した。

「おめでとう」

「ありがとう」

 アユミが満面の笑みで言うので、カズマの嬉しさも一入だった。

「今夜はお祝いね。ケーキとシャンパン、買ってこようよ」

 そう言ってアユミが立ち上がるのでカズマは、

 いまから?

 と少し驚いた。

「そうよ。夜になったら売り切れてるかもしれないし、ゲリラ雷雨になんて降られたら、お祝いムードが台無しじゃない」


 たしかにそうだとカズマも立ち上がった。

 外に出て見上げると曇り空で、天気予報では言ってはいなかったがこれから天候が急変して降られてもおかしくはない空模様だった。    

 

 先にシャンパンを買ってからケーキの専門店に行った。

 若い女性の店員がショーケースの前に立っていた。

 いらっしゃいませと言ったその顔と声に、営業用の文字はなかった。

 どれも美味しそうなケーキの中から、ショートケーキを選んでふたつ買った。

 ふたりで手をつないで帰った。


 三十分余りの買い物だからとエアコンをつけっぱなしにしておいたため、部屋の中はとても涼しかった。

 ケーキとシャンパンを冷蔵庫にしまって、ふたりはソファに腰を下ろした。


「ああ、失敗した。何か飲み物、持ってくればよかった」

「俺、持ってくる。何がいい?」

「アイス・コーヒー」

「オッケー」

 カズマはさっと行ってさっと戻ってきた。

 自分用にはゼロフリーの炭酸ジュースを持ってきた。

「下品なこと言って悪いけどさ、さっきから急にお腹が痛くなってきてるんだよね。下痢なのかな?」

「お腹食い破ってエイリアン飛び出てくるんじゃないの?」

「怖いよ」


 ひと笑いしてから、カズマはリアクションをとった。アユミも笑った。


 目隠しのためにカーテンを引いているので外の様子は見えないが、雨粒がアスファルトを叩く音が聞こえ始めた。

 ふたりはどちらが言ったわけでもなく窓辺に足を運び、指でカーテンを避けて外を見た。

 ゲリラ雷雨だ。

 窓を少しだけ開けた。雨の匂いがした。

 カズマは雨が大量に降って湿度が急激に上昇するがゆえに発生する匂いだと思っていたのだが、違うのだと偶然に見たテレビで知った。

 ただの大雨で特別どうにかしたわけではないが、見渡す限りにもはや殴りつけているかのように降っている大粒の雨を、ふたりしてしばらく眺め、その匂いを嗅いだ。

 こうして見て嗅ぐぶんにはゲリラ雷雨も悪くはないと、雨に打たれているひとの不快感も忘れて、カズマもアユミも思った。


 それから数分後、どちらが言うともなく窓を閉めカーテンを直しソファに座った。

 グラスと缶が置かれていたテーブルには輪ができていた。

 なぜだかふたりとも気分が高揚していた。

 何も話さなかったが、言葉を交わさずともわかり合えていた。

 そうやってともにときを過ごした。

 その沈黙を破ったのはアユミだった。重大なことを告白したのだ。


「あのね、赤ちゃんできたみたい」

「えええっ」

「嘘」

「えええっ」


 ふたりは観られただろうか?

 雨上がりに虹の橋が架かったのだ。


 それはとても穏やかな夏の日の午後だった。

                      〈了〉


ありがとうございました。

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